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聖女からの手紙  作者:
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二葉め

 ストックホルム症候群という言葉を、ご存知だろうか。

 拉致や監禁などの被害にあった人間が、加害者と同じ空間で長時間を過ごすことによって、いつのまにか相手に対して同情や愛といった感情を抱くようになることをいう。

 世界的に認識されている精神医学用語だから、おそらくはいらない説明だったことだろう。


 ともかく、そのストックホルム症候群なるものにだけはなるまいと、けっして狂うまいと誓って、私はあの世界を生き抜いた。


 十一年前の夏、その時まで、私はごくごく平凡な十四歳の少女だった。

 もちろん、さすがに個性のひとつやふたつくらいはあったと思う。けれど、結局のところ、そういった個性でさえも、凡庸の範疇を出ない、ありきたりなものだった。


 父がいて、母がいて、もうすぐ四歳になる弟がいた。

 同級生の女の子たちは反抗期を迎えていたのだけれど、私はまだまだ母にべったりだった。両親の関心が歳の離れた弟に向かうものだから、いつも拗ねていたのだ。


 ――七月二十八日。

 夏休みもまだ始まったばかり。私は友達といっしょに映画を見て、さらにその映画の主題歌をカラオケで熱唱し、夜の十時ごろにひとり家路についていた。平々凡々な私の日常は、その瞬間を最後に崩れ去った。


 突然まばゆい光を放つ魔法陣のようなものが足元に展開されたのだ。

 鉄臭い匂いが鼻につき下を見れば、無数のどろりとした赤黒い手が私の足に絡みついていた。驚く間も、叫ぶ間もなく、抗いがたい力に引きずりこまれた。


 そこで私の人生のすべては、狂ってしまったのだ。


 微かに開くことができた目で、煌びやかな宮殿のような内装と、そこで私を囲うたくさんのローブ姿の人間が見えた。激しく痛む頭に耐えかねてすぐに気絶してしまったので、鮮明には思い出せない。




 まともに覚えているのはここからだ。

 あの世界に引きずり込まれてからどれくらい経ったかは定かではないが、ともかく、西洋のお姫様が住んでいそうな絢爛豪華な部屋で、私は目を覚ました。


 混乱はしていた。でも、わめいたり、騒いだりはしなかった。

 息をのむほどに美しい八人の男性たちが、こちらを見ていたからだ。彼らの視線だけで、私のなかにあった恐怖や疑心などの負の感情は、しゅるしゅると消えていってしまったのである。


「聖女様がお目覚めであらせられる」


 聖女、とくちびるを動かしたときに感じられた、微かな畏怖。

 まるで敬虔な信者が神に祈りを捧げるかのような、深い尊敬を込めた視線。


 それらがすべて、私に向けられている。知らず知らずのうちに、私はぴんと背筋を伸ばしていた。


 緊張している私に対して、彼らは一人一人自己紹介していった。

 王太子だとか、王宮魔術師だとか、公爵だとか、漫画や小説でしか聞いたことがない言葉が、次々と飛び交った。


「恐れながら、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」


 これには、素直に困った。

 私は非常にダサい名前をしていたのである。俗にいう、DQNネームというやつだった。それもよりによって、アニメ風の。せめてこんな時くらい、違う名前で呼ばれたかった。


「百合、といいます」


 とっさに嘘が口をついて出た。ずっと憧れていた、古風で綺麗な名前を選んだのだ。


「ユリ様――綺麗な名前ですね」


 王太子だという、輝かんばかりの美貌の青年が、微笑みを口に浮かべてそっと囁いた。


 その気品に溢れた笑顔に照れて、私は思わずうつむいてしまった。


 それから彼らは、とても落ち着いた穏やかな声で、懇切丁寧になにが起きているかを説明してくれた。


 このエルアルド王国は、二千年もの間、異界の聖女の加護によって守られてきた。

 聖女とは、この国全体を覆う聖域を生み出すだけの多大な力を持つ、もっとも神に近い存在らしい。魔のものなど、聖女の力に触れれば一瞬にして砕け散ってしまうのだという。


 これまで九十一代に渡って国を守ってきた聖女たち。彼女たちは、前の聖女が崩御すると、どこからともなく現れ、国を救った。彼女たちは共通して、無尽蔵な魔力と、それぞれ固有の能力があった。

 そのとき国を護るのにもっとも必要な、まさに神力ともいえる万能の力を備えていたのだ。


 そして私こそがその選ばれし聖女であり、この国の平穏を守ってほしいのだと、その美男子たちは跪ずいた。


 ――引き受けると、その時点ですぐにでも私は口にしたかった。


 考えてみてもほしい。

 当時の私といえば十四歳、ちょうどそういうファンタジーな物語に憧れる多感な時期だ。なんと、「異世界に行きたい」と願い事を込めたミサンガをするくらいに、こじらせていた。


 それに加えて、王子や騎士のような格好をした輝かんばかりの美形たちが、私に忠誠を誓い跪いているのである。


 本当にそんな素晴らしい聖女が私でいいのかな? という疑問こそあれど、こういう物語の主人公のような出来事を密かに期待していた私にとって、諸手を上げて喜ぶべき申し出だった。


 けれどもちろん、さきに私は聞かなければならなかった。


「あの……役目を終えたら、帰れるんですよね?」


 瞬間、彼らの顔はわかりやすく曇った。


 なんでも、どういったメカニズムを経て聖女がこちらへ降臨するのかは、まるでわかっていないらしい。ただ前代の聖女が崩御したり、天帰り(なんのことか、その時はわからなかった)すると、新しい聖女がこの世に降り立つのだ。


 しかし、聖女はこの世の誰よりも偉大な力を持つもの。帰りたいと願えば、きっと自ずと道は開けるだろう。


 そう赤髪の騎士に念を押され、私は躊躇しながらも頷いた。


「では帰る目処がたつまで、聖女の務めを頑張って果たしたいと思います」


 宣言するのとまったく同時に、身体中に鋭い痛みが走り、まるで全身の血がめまぐるしい勢いで流れ出ていくかのような感覚がした。それに呼応するように、床に朱色の大きな紋章が広がっていく。


 なにがなんだかまるでわからないうちに、私はまた気を失った。


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