十八葉め
シヨウも跡に続こうとしているのだと気がついて、私はさきに釘を刺しておいた。
「シヨウ、まだそばにいて」
恐ろしいくらいに端正な顔立ちが、かすかに困ったような表情を浮かべる。
「だが、俺が帰らないと道は塞がらない」
「まだ待って。命令」
そういうとどうにか引き下がったシヨウは、惨たらしく死体の転がる周囲を見渡した。私もつられてそうすると、ぽつりと漏らす。
「これ、警察とかに見つかったらどう説明すればいいんだろ。大ニュースだよ」
けれどしばらくすると、死体のひとつが砂のような細かい粒子となり、拡散して消えた。
「な、なにこれ」
「常世の肉体は、現世の空間では受け入れられないのだろう」
ということは、フィリップとギルバートの遺体もすぐに消えてしまうということだろうか。
「ちょっと待っててね、シヨウ」
私は二人の遺体の目を閉じ、別れの挨拶をする。
――十一年間、か。
ともに過ごせど、家族というには歪すぎる形だった。
体を重ねど、恋人というには狂いすぎていた。
それでも、そこにはなにかの絆があったのだろうか。
しばしの間、らしくもない感傷に浸った。
シヨウもまた、それを見守ってくれていた。
「なんだか、あんなことがあったなんて、信じられないね」
――シヨウがもうすぐ死んでしまうというのも、信じられないけれど。
心の中で付け加えて、シヨウの前では気持ちを切り替えようと息を吸う。
あの後、シヨウに、転移魔術で家に連れて行ってもらったのだ。
いまは少しでも魔力の消費を避けるべきだと主張したのだけれど、シヨウ自身の魔力ならば使っても関係ないと押し切られた。
家へ帰ってからは、さきほどまでの争いや、シヨウに残された時間が少ないことが嘘のように穏やかな時間が流れた。
まるでシヨウに消えてと怒鳴る前の、楽しかった時間の延長戦のようにさえ感じた。
風呂と着替えを済ませた私は、シヨウをベッドに寝かしつけた。
「……ユリ、迷っているのか?」
静かに、そう問いかけられた。
もう家族はみんな寝静まっていて、時計の針の音以外になにも聞こえなかった。
――常世へ戻ろうか、迷っているのか。
そういう意味だろう。
相変わらず、いやになるほどシヨウは鋭くて、痛いところをついてくる。
私は幾ばくか迷ったあとに、小さく頷いた。
「俺に負い目を感じているのなら、その必要はない」
「どうして、そんなことがいえちゃうのかな……どう考えたって、私のせいじゃん」
「俺はユリが思っているような人間ではないからだ」
責任を感じて常世に戻ろうと考えているのかは、自分でもわからなかった。
だけど、私がシヨウに負い目を感じる必要がないだなんて、誰が聞いてもおかしな台詞だった。
「――俺は、ユリを殺そうとしていた」
苦しげなシヨウの声。
心臓を氷の剣で突き刺されたように、私は言葉が出なかった。自分でも驚くほどに、その言葉にショックを受けていたのだ。
「それが俺の役目だった。一族に託された、俺の……」
シヨウは、とつとつと語り出した。
七十二代目の異世界人――千里眼の聖女。
彼女は、自分にはどうやっても死が訪れることを知って、酷く動転した。
どうにか契約の魔術から逃れる手はないかと、千里眼の力を最後の日に限界まで酷使した。そこで彼女は、神殿の中庭の石畳の一枚――その裏に、メッセージが書かれていることに気がついた。
それは、二十一代目の異世界人、予知の聖女のものだった。
彼女は三年足らずでこの世を去ったものの、最後にエドアルド国に一矢報いようと考えていたのだ。
予知の聖女は、いずれ千里眼の聖女が召喚される日が来ることを知っていた。そして千里眼の聖女が、どうやっても滅びの運命を辿ることも。
だが、エドアルドを打ち滅ぼすことができる国に、心当たりがあった。それがもはや名前を失ってしまった――シヨウの故郷だった。
シヨウの皇族は元をたどれば、奇跡を重ねて現世に生まれてしまった常世人だった。
その始祖は、過って産み落とされてしまった現世で育ち、そしてやがて独自の魔術を開発して、常世に帰ることに成功した。その魔術こそが、私がここへくるために使ったあの魔法陣の原型だ。
シヨウの始祖は圧倒的な力を見せつけ、東の小さな国々を統一し、国家を樹立したのだ。
もはや血は薄れてしまったものの、元をたどれば現世人と同じく、常世の理に縛られない血を持つシヨウの一族。
彼らならば、現世人――召喚された異世界人の能力を、継承することができるかもしれない。
シヨウの皇族に力を渡し、エドアルドの侵略を食い止めるように説得してほしいと、予知の聖女は願った。
そして千里眼の聖女には、国の追っ手にみすみす捕まるくらいならば、自害してほしいとも。
その遺言を見た千里眼の聖女は、すぐにシヨウの国へ向かった。
だが、目的は予知の聖女とは違った。
彼女は、心の底から常世人というものを憎悪していた。自分の仲間でさえ、完全に信用したことはなかったのだ。
だからこそ、シヨウの国の人間に異世界人の力を渡したところで、エドアルド国と同じことを繰り返すだけと考えていた。もし異世界人の残虐な行いを納めることができるのならば、それは同じ現世人しかいないと信じていた。
予知の聖女は、もうひとつ予言を残していた。
それが私――万里眼の聖女のことだった。彼女の予言によると、私は最強の聖女であり、唯一契約の呪縛から逃れる可能性のある聖女でもあった。しかし、孤独に耐えかねて自殺してしまうという終わりを迎える。
千里眼の聖女は、その万里眼の聖女とやらにこの残虐な儀式――異世界人を召喚する魔術を、根絶やしにさせようと考えた。魔王として君臨し、恐怖政治で常世の人間を抑えつけるなり、いくらでも方法はある。
だから千里眼の聖女は、自分の魔力を継承させるべく、持ちうるすべての力を込めた魔導石を用意したものの、そこに契約の魔術も施した。
『この魔力を使い切ったときに、私の力を借りたものは、万里眼の聖女とともに常世を納める覇者になっていなければならない』
そしてそれを何も知らないシヨウの国の皇族に託すと、わざとエドアルドの人間に捕まり、術の生贄となった――私が呼び出され、エドアルドに復讐するその日のために。
その時代のシヨウの国の皇族は、千里眼の聖女の魔導石を飲むことを試したが、功をなさなかった。
すでに薄まった現世人の血を持つ人間では、適応することができず、魔導石が心臓を食い破って体から飛び出てしまったのだ。
そうして数百年の時が経ったときに生まれたのが、シヨウだった。
もっとも始祖に近い血を持つとされたシヨウは、五歳のときに千里眼の聖女の魔導石を飲まされた。そこでシヨウは初めてその魔力を使うことの代償の契約を知った。千里眼の聖女の真の目的も。しかし、誰にも口外することはなかった。
契約の呪縛で死んでも構わないと考えたからだ。
恐ろしいほどに、日に日に感情が希薄になっていき、五歳のころの彼の人格は、すっかりシヨウから消え失せてしまった。死に対する恐怖も、家族に対する愛も、すべて忘却してしまったのだ。
エドアルドの魔の手がついにシヨウの国まで伸びたとき、降伏せずにシヨウの国は最後まで戦い続けた。
けれど最後には城さえも囲まれ、次々とシヨウの一族は誇りのために自刃していったという。
狂った目でシヨウを見ながら、必ずエドアルドに復讐するように言い残して。
エドアルドに向かい入れられ、神殿に入ったシヨウは、ずっと私を亡き者にする機会を伺っていた。
そうすればエドアルド国に酷むごい殺され方をすることは目に見えていたが、精神的拷問を受けてもなにも感じないほどに、すでにシヨウのなかから感情は消えてしまっていた。
一族から託された悲願を叶え、シヨウ自身、役目を終えて早く楽になりたいとどこかで感じていたのだろう。
だから、一年経って、ジュードたちがみな出払ったときは、絶好の機会だった。
呪術に苦しむ私の看病を引き受けながら、毒入りの茶を入れたらしい。それだけでも、弱り切った私の体はすぐに衰弱して死んだだろう。
「じゃあ、どうして私は死ななかったの?」怒りではなく、単に不思議に思った。
「……ここまでで、俺の伝えたかった事柄は終わった」
「でも、私はもっと知りたい」
そうはっきりと伝えれば、シヨウは薄く口を開いた。
結局、シヨウは茶を入れた湯呑みを落としてしまったのだという。
戻ってきたシヨウが見たのは、手首を切って死にかけている私だったからだ。
「どうしてか、無性に腹が立った。数年ぶりに、感情らしいものを感じた」
シヨウは目を閉じて、浅く呼吸するとそういった。
きっと彼は、自分を置いて死んでしまった家族のことを思い出していたのだろう。
それでも、いっそ一思いに楽にしてやろうとしたとき、うわごとのように私はいったのだという。
――いやだ、ひとりはいやだ、怖い、寂しい、死にたくない、私は帰りたいのだ、と。
その瞬間、シヨウはまるで自分の思いが誰かの口から出たのかと錯覚したという。
ひとり残されるのは嫌だ。死にたくない。怖い思いはもう嫌だ。自分の居場所に帰りたい。
それはどれも、シヨウ自身の思いでもあったのだろう。
シヨウは私の止血をすると、すぐに医者を呼んだ。
――それから、シヨウの目的は変わってしまった。
世界を滅ぼしてほしいという千里眼の聖女の願いでもなく、異世界人の召喚を打ち止めにしてほしいという一族の願いでもない。
私を帰らせてあげたいという、シヨウ自身の願いだ。
そしてそれは、生まれて初めてシヨウが他者の意思ではなく、自分のために願ったことだった。
「じゃあ、あの現世と常世を繋ぐ魔法陣も、シヨウが探してくれたの?」
認めたくなさそうに、シヨウは頷いた。
王宮騎士団に入ったシヨウは、辺境の地を回りながら、自国へ訪れる機会を虎視眈々と待っていたらしい。そこに行けば、始祖がかつて使った、異界と現世を繋ぐ魔法陣の跡が見つかるはずだったからだ。
そしてそれを復元させることに成功したとき、私の万里眼に察知できるように、紙に書き留めた。
「俺はユリを殺そうとした。俺もまた、ユリの敵の一人だ」
話終わったころには、シヨウはもはや話すことさえ億劫なほどに、衰弱していた。ジュードの言ったとおり、あの処置は一時しのぎにしかならなかったのだろう。
それでもなんとか、おそらく一番伝えたかったであろうことを、はっきりと口にした。
「だから……」
「だからなに? シヨウのことは見捨てろって。常世に行ったら助かる方法が見つかるかもしれないのに、のうのうと現世で生きろって?」
なんだか笑えてしまった。
シヨウがいまの話を私に聞かせたくなかったというのは、本当だろう。一緒に過ごした五年間、きっと罪悪感に蝕まれながら、いつかそのことが明るみになって私に嫌われることを恐れていたに違いない。
「いいよ、わかった。私が自分の居場所に帰る、そうしないと消滅しちゃう契約をしたのは、シヨウだもんね」
――寂しそうに、だけど心から安堵したように、シヨウは微かに微笑んだ。
シヨウが私を殺そうとした。ずっとひた隠しにしてきたその事実をわざわざいま話したのは、私を思ってのことだろう。
私にシヨウのことを見捨てて、現世ですべてを忘れて生きるための口実をくれた。
結局、シヨウのすることは全部、私をためなのだ。
「ねえ、シヨウ……なにかお願いごとはある?」
突然の質問に、シヨウは意味を測りかねるというようにこちらを見た。
私は、それを微笑んで見つめ返す。
「なんでもいいの」
死にゆくシヨウのために叶えてあげる、最後の願いだとでも思ったのだろう。躊躇うようなそぶりを見せたあと、ややあってシヨウはささやかすぎるお願い事を口にした。
「隣に……いてほしい」
「うん、いいよ」
隣に寝転がると、シヨウの微かな息遣いが聞こえて、ほっとした。
だけど、やはり着々と呪いの侵食は進んでいるようだ。
玲瓏な美貌には、どこか苦しげな表情が浮かべられている。
鍛え上げられた胸は汗を掻いていて、浅く短い呼吸に合わせて上下していた。
「シヨウ、辛いならもう寝たほうがいいんじゃない?」
「まだ……あと、すこしだけ……」
うつらうつらしながらも、シヨウはまだ話したいと口にした。
なんだか、シヨウが九才くらいのころに戻ったみたいだった。
もちろん、当時からシヨウはお願いのひとつもしたことはなかったけれど、口調が幼いからそう感じた。
「いつも……羨ましかった、みんな、ユリの寝台に呼んでもらえて」
「うん?」
「話をして、抱きしめてもらって……おやすみって……」
決して、べつに抱きしめておしゃべりしていたわけではない。けれど、八歳から神殿にいて、しかも私によって情報統制されていた純粋培養のシヨウからすれば、そのくらいの認識だったのだろう。
そのうえでひとりだけ呼ばれなかったともなれば、自分が一番気に入られていないと思ってしまったのだろうか。
「俺も、ユリに……」
吐息のような声でそういったシヨウを、ぎゅっと抱きしめた。
シヨウは、ガラス玉みたいに澄んだ菫色の瞳を細めて、あどけなくふわりと笑った。そして安心したように力を抜くと、眠り始めてしまう。
シヨウの暖かい体温と鼓動を感じながら、私もまた心地よい眠りについた。
翌日の朝、シヨウはそのまま永遠の眠りについたように起きることはなかった。
体は凍ってしまったかのように冷たく、胸の痣は濃い紫紺へと変貌していた。
だけど、もう取り乱したりはしない。私も、覚悟はできていた。
「――シヨウ、いっしょに帰ろう」
漆黒の艶やかな髪をさらりと撫でると、聞こえないとわかっていても話しかけた。
私の居場所、私が帰るところ――それは、シヨウのいる世界だ。
やっと、理解することができた。
自分の居場所は、世界や場所や国によって隔てられるものではないのだ。
どんな非道な手でも構わない。なにを犠牲にすることも厭わない。
私は常世に行き、シヨウを契約の呪縛から取り戻す方法を探す。私は私の帰るところを、今度こそ守るのだ。
なにせ私は歴代最強の聖女――万里眼のユリ。
私を阻むものがいるというのなら、容赦なく捻り潰してやる。
ジュード達も、私の味方だ。どうしてか、いまはそう思うことができた。
それに、私はおそろしく気長な人間なのだ。
現世に来るまで十一年間耐え抜くことができた。シヨウを起こすための旅だというのなら、命尽きるその時まで足掻いてみせよう。