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聖女からの手紙  作者:
17/19

十七葉め

 ――戦況は、どう見てもシヨウの方が優っていた。


 幾多もの氷の柱が天井に形成されると、シヨウに向かって振り落とされる。


 瞬間、シヨウは頭上に小さな魔法陣をいくつも展開する。

 氷柱は、すべて魔法陣に吸い込まれると、あとかたもなく消えていった。


「くそ! 属国の犬が!」


 口汚い言葉を吐きながら、フェリックスは憎悪を露わにシヨウを睥睨する。

 対するシヨウはどこまでも涼しげな顔で、着実にフェリックスの魔術を打ち消していった。


 反魔法の方が、ただ魔術を行使するよりも、遥かに気力と集中力を磨耗させる。

 より強い魔術をぶつけて打ち消す方が楽なのにも関わらずそうしないのは、こちらに――いや、鞘を持たないジュードに攻撃が飛び火することを恐れてのことだろう。


 けれど、シヨウにはこのままでも十分に勝機はあるように見えた。

 汗で髪がべっとりと首に張り付き、朦朧とした視線で魔術を使いつづけるフェリックスに比べ、シヨウは冷や汗ひとつかいていない。


 ――その歴然とした差は、両者が頼る魔力源によるものだ。


 私の魔力を、フェリックスは扱いきれていない。

 魔術を使えば使うほど、少しずつだがフェリックスの体を蝕み、着実に精神力を削っていっている。

 それに比べ、シヨウは千里眼の聖女の魔力を、完全にその身になじませていた。


「シヨウ……」


 シヨウは自分の物だと思っていた。彼について知らないことなんてないと、確信していた。


 シヨウは私の味方だ。その事実に変わりはない。

 けれど、シヨウは私に隠し事をしていた。そのことに、自分でもどうしようもないほどに傷ついていた。


「ジュード、ユリを!」


 ふいに、シヨウがこちらを向くと、焦りを滲ませた声色で叫ぶ。


「……そう来たか」


 ジュードは低く唸ると、私の手を掴む。

 有無を言わせない力で私を引っ張ると、シヨウの後ろへと滑りこんだ。


「うっ!」


 ほとんど同時に、心臓が鷲掴みにされるかのような感覚に、体が跳ねた。


 現世の人間である私でさえ感知してしまう、多大な力。

 直線上にシヨウに向けてぶつけられるそれは、この空間なんていとも容易く吹き飛ばしてしまうことだろう。


「フェリックスのやつ、勝てないと踏んで自棄になったな」


 もはや目を開けていることすら困難な状況で、ジュードの言葉を聞いて、やっとなにが起きているのか理解した。


 魔術のもっとも原初的な形であり、また忌避される禁術――魔力の放出。

 持ちうるすべての魔力を敵に向かって放ち、相手の魂さえ引き裂くその術は、もっとも強力な魔術のひとつに数えられる。しかし、数千年の歴史のなかでそれを使った魔術師は、数えるほどしかいない。


 魔力の放出――術者の精神の年齢の老化を急速に加速させ、精神の死をもたらす。それは即ち、術者の魂さえも消し飛ばし、永久に輪廻の理から外してしまうということだ。


 つまり、術者に真の意味での死をもたらしてしまう。


 この禁術に対抗する方法は、ひとつしかない。

 こちらもまた魔力を放出する――それだけだ。


「シヨウが勝てなければ……ここでみんな消滅するの?」


 これは、フェリックスとシヨウの魔力の争いではない。

 千里眼の聖女と、万里眼の聖女の魔力の争いだ。


 いまは拮抗する両者の魔力だが、どう考えても――勝るのは、私の魔力だった。


 それに、勝敗はどうであれ、どちらにせよシヨウは死んでしまう。


「あるいは、フェリックスの肉体が君の魔力に耐えきれないかもしれない。シヨウの魔力が尽きる前にフェリックスの肉体が滅びれば、シヨウが生き残ることも可能だろう」


 ジュードの表情を伺うことはできない。もしかしたら、単に慰めで口にしているだけなのかもしれない。けれど、いまはその可能性に希望をかけるしかなかった。


 祈るようにして、剣の鞘を握りしめる。


 規格外の異世界人の魔力――その意味を、身をもって体感する日が来るとは思わなかった。


 シヨウに庇われている状態でさえ、自分の魔力の強大さを感じてしまう。

 まるで肉体からもっとも柔らかな部位をひねり出され、それを蹂躙されているかのような悪寒。

 神が人に裁きを下すかのごとく、相手の指先一つで私の運命が捻じ曲げられてしまうのではないかという錯覚さえ覚える。


 私と対峙するものが、こんな圧倒的で残虐な力を感じていたのだとは、知らなかった。


 そのまま二人の異世界人の魔力のせめぎ合いの渦中にいたのならば、気がおかしくなっていただろう。

 だが、荒れ狂う二つの魔力の暴発とぶつかり合いは、長くは保たなかった。


 わずか数十秒の後に、心臓にかかっていた重圧は嘘のようにたち消え、私は目を開けることができた。


 そしてそこに映ったのは――消失していくフェリックス。


 つんざくような醜い断末魔をあげるフェリックスの体に、歪みが入る。

 白磁のようだった肌がひび割れ、パキパキと乾燥した音を立てながら、全身に広がっていった。

 やがてこちらに伸ばされた左腕から、肉体そのものが砕け散っていく。


 ――その化け物のような人ならざる苦悶の表情は、永遠に忘れられそうもない。


「ユリ、どうにか生き残れたようだね」


 ジュードにそう声をかけられて、ようやく詰めていた息を吐き出すことができた。


「シヨウ、偉い、偉いよ! お利口さん! よく頑張ったね!」


 そして、矢継ぎ早に賛辞を投げかけながら、シヨウの背中に抱きつく。


 昔みたいにシヨウの頭をなでなでして、ぎゅっと抱きしめて、はにかむ彼の顔を見たい。


 そんな暖かな思いに満たされながら抱きついたシヨウの体は――ぐらりと揺れると倒れてきた。


「え……?」


 その体を支えようとして、ふたりいっしょに倒れてしまう。


「やだな、シヨウ、疲れちゃったの?」


 シヨウを揺すってみても、反応がない。

 下から這い出て、シヨウの体を持ち上げるけど、ぐったりと重く、反応がなかった。


 瞬間、まるで呪術の跡のような紫色の痣が、シヨウの首元に広がっていることに気がつく。


「ジュード、助けて! シヨウが!」


 驚愕に目を見開いたジュードが、こちらへ駆け寄ってくる。


「これは……」


 きっちりと締められているシヨウの首元に、ジュードは手をかけた。

 そして服をはだけさせると、首から胸元――ちょうど心臓のあたりにかけて、痣が侵食していることに気がつく。


「なにこれ? フェリックスには、シヨウを呪えないんじゃなかったの!?」


 ジュードは痣に手を当てると、静かに首を振った。


「……違う。これは呪術ではない」

「え……?」

「いまのシヨウからは、千里眼の聖女の魔力が感じられない。私にもそれ以上のことはわからないけれど、やはり代償なしで異世界人の魔力を受け継ぐなんてできない――そういうことだろう」


 重々しくそう口にするジュードに、思わずつかみかかってしまう。


「お願い、ジュード! どうにかして……!」


 無言で私に揺さぶられ続けるジュードの表情が、打つ手なしであることを物語っていた。


「ねぇ、こんな終わり方いやだよ! ジュード、助けてよ!」


 なおも叫び続ける私を落ち着かせようと肩に触ろうとして、片腕がないことに気がついたジュードは、自嘲するようにふと息をついた。


 それから、取り乱す私を見て、ひどく痛ましいものを見るかのように、蜂蜜色の双眸が細められる。


 ――違う。


 こんなの、私じゃない。

 ジュードの瞳に映る自分を見て、はたとそう思った。いまの惨めで情けない自分に、とてもつもなく大きな自己嫌悪を覚えた。


 私はひとつ大きく息を吸うと、私らしく――神殿の独裁者であるユリらしく言い直す。


「これは命令だ、ジュード。持ちうるすべての知恵と力を使って、シヨウを救いなさい。そのためならば、私はいかなる犠牲も厭わない」


 ジュードは目を瞬くと、ふと微笑んでみせた。そして、しばらく考えるように瞼を下ろすと、


「この方法では、よくても一時凌ぎにしかならない。もって半日、息を吹き返すことができるくらいだろう。おそらくは、どうすることもできないで終わる。それでもいいのなら……」


 もとより私の答えなんてわかっていたのだろう。

 返事を待ちもせずに、ジュードは自らの剣の鞘のもとへ近く。そして、自分の剣を使って強引に、はめ込まれた魔導石を取り出した。


 ――菫色の、澄みきった美しい宝石。


「それは……」

「御察しの通り、千里眼の聖女の魔力の込められたものだよ」


 ジュードはシヨウに向かって剣を振りかぶる。そしてかすかに逡巡した後に、流麗な動きで一思いにシヨウの心臓のあたりを切った。


「っ!」


 目を背けはしなかったが、背筋が凍ったように感じた。


「千里眼の聖女の魔力がわずかにでも戻れば、一時的に呪縛の効果を緩めることが可能かもしれない……」


 どくどくと血の滲み出る傷口に、千里眼の聖女の魔導石を当てると、ジュードは押し込めるように手を動かす。魔導石は光り輝き、溶け込むようにして傷とともに消えていった。


 ――瞬間、どくんと鼓動を打つ音が、響いた。


「シヨウ!」


 シヨウの体に飛びつくと、微かな息遣いが聞こえた。

 祈るような気持ちで顔を覗き込んでいた私を、うっすらと開いたシヨウの瞳が捉える。


「ユリ……?」


 どうにか体を持ち上げたシヨウは、ぼんやりと薄くなった胸の痣を眺めた。


「千里眼の聖女の魔力を、ジュードが戻してくれたの」


 その言葉を聞いた途端、シヨウの顔がこわばる。


「ユリ、俺は」

「――君がどういった経緯でその魔力を手にしたか、聞きたいのは山々だけど」


 シヨウの言葉を遮ったジュードは、真剣な目で私を見据える。


「その前にユリ、君の決断を聞きたい。君はこのまま現世で生きていくつもりなのかな?」


 そうだ、ジュードは敵対関係にあったのだと思い出す。


 けれど本当は、とっくに気づいていた――ジュードにシヨウを殺すつもりなんてないことを。そしてシヨウもまた、最初からわかっていたのだろう。


 ジュードの望みは、ひとつだけ。

 ずっと神殿のなかにいたときから口にしていたのだ。常世で、共に暮らそうと。ただそれだけだ。


「ねえジュード、現世の人間を犠牲にしてここに残るつもりなんて、なかったんでしょう?」


 質問に質問で返すのは卑怯だが、ここにいる誰も私を咎めたりしない。


 きっとジュードは、あの二択――現世の人間を犠牲にしてみんなとここに残るか、それともジュードと婚姻関係になって聖女の役目を他の人間に押し付けるか――の両方を、私が断ることなんて分かっていたんだろう。


 常世と現世、どちらにいようとも、私に未練があるかぎり道は塞がらない。


 原因は、私の心そのものにあるのだから。


 無理な二者択一を押し付けることによって、荒療治とはいえ私に現世を諦めようとしたのだ。

 ここに敵が来れる以上、結局のところ、私が確実に生き残れる唯一の策は常世に戻ることのみ。その最強の力でエドアルドに反旗を翻し、どこか安寧の地でも作ってみんなと逃げるしかなかった。


 そしてそれが、ジュードたちの望む結末でもあったのだろう。


 ――このまま現世で暮らすつもり?


 それはつまり、このまま現世で暮らすのなら、一切の未練は断ち切れということだ。

 そうしなければ、いずれまたその道を通って、追っ手が現世へ来る。


「本当は、私と傍にいたいなんて嘘。ジュードは、現世と常世を繋ぐ道を消したかった」


 そう指摘すると、呆れたといわんばかりにジュードは嘆息した。


「君は察しがいいんだか悪いんだかわからないね。私はユリの傍にいるためならば、手段は選ばない。このまま現世へいて魂が消滅しようと、一秒でも長く君の傍へいようとする。もしユリが許すのならば、君のそばにいるために、人を殺めることなんて躊躇しない。もちろんシヨウを殺すことだって、ね」


「許すもなにも……どちらにせよ、私はおまえのことを本気で恨んでるけどね」


「残念だよ、私は愛しているというのに」


 余裕たっぷりにいってみせたジュードは、フィリップとギルバードの遺体に近づくと、祈りを捧げた。それから、彼らの髪をひと房ずつ切り取ると、私に手渡した。


「できれば君が持っていてくれないかな。そのほうが、彼らも喜ぶ」


 死に際のギルバードの言葉を思い出して、私は無言でふたりの髪を受け取った。


 それを見届けたジュードは、洗練された動きで、剣を大きく振るい、鞘に収める。


「まあともかく、私は常世に戻るとするよ」


 シヨウも私も、驚きに目を見張る。

 あっさり引くとは、考えていなかったからだ。


「こちらへ追撃の手がこないということは、ノランたちがどうにか魔法陣の周囲を守っているのだろうけど、そろそろ限界だろう。あっちも被害が出ているだろうからね。私とシヨウは戻って、魔法陣を消す」


「じゃあ、もう二度と常世へは行けなくなるの?」


「ユリが常世への未練を捨てれば、そういうことになるね。でも、シヨウ、君は後から来てくれるかな?」


 王宮魔術師たちが使った魔法陣へと近づこうとするジュードが、立ち上がろうとしていたシヨウを諌める。

 私も、知らず知らずのうちにシヨウのことを引きとめようとしていた。


「……なぜだ?」

「明日の正午まで、私たちは魔法陣を閉じないでそのままにしておく。……ユリ、私がここであっさり帰るのは、確信しているからだ――君が必ず常世へ帰ってくると、ね」


 ふざけるな、とシヨウが鋭い声を浴びせるものの、ジュードはもう勝手に魔法陣のうえに立っていた。


「それじゃあ、待っているからね」


 次の瞬間には、ジュードは跡形もなく消えてしまっていた。


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