十六葉め
「ユリ、もうすぐ決着がつくよ」
微動だにしない私の前に、ジュードは庇うように立った。
もう一度、剣の鞘を手渡された私は、それを抱えながら、いまだ疲れを見せずに奮戦するシヨウをぼんやりと眺めていた。
空中に無数の氷の礫を生み出しては、それを乱舞させ、シヨウの体に風穴を開けようとするフェリックス。
シヨウは魔法陣を周囲に展開させ、氷を防ごうとするが、すぐに残った王宮魔術師たちによって妨害される。
それでも冷静に、流麗な剣技で氷礫をひとつひとつ撃ち落とすシヨウは、おそらくフェリックスの魔力が切れるのを待っているのだろう。
「ジュード……私は、あのまま神殿にいるべきだったのかな? そうすれば、みんな一緒に、ずっとずっと幸せに……」
ジュードは答えなかった。
代わりに、徐々に温度を失っていくギルバードの血をどっぷりと吸った私の服を、ねぶるように眺めた。
「ギルバードは幸せだね。君の腕の中で死ねるなんて、羨ましくて狂ってしまいそうだ」
言葉通り、狂気を感じるほどの嫉妬を孕んだ声。
けれどそれを恐ろしいとは、もう感じなかった。いっそ、心地よくさえあった。
「ジュード……その腕は?」
紫のような黒のような色に変容した右腕に、手を伸ばす。
生気を感じさせない、死体のような冷たさに、息を呑んだ。
「呪術だね。フェリックスは、余剰な分の君の魔力を横領していたらしい。それを使った呪術は、恐らく、私の鞘でさえ完全に跳ね返すことはできない。どうやら君の魔力は、いままでのすべての異世界人をはるかに凌駕する質のようだ」
――歴代最強、か。
もはや現世にいる私にとっては何の価値もない言葉だ。
いまとなっては、それを相手取らなければならないシヨウやジュード――そしてふたりに依存しなければ生き残れない私にとっては、凶報以外のなにものでもない。
「呪術は強力だけれど、所詮は直線上に魔力を放出して、それを相手に当てなければ発動しない。君に攻撃が当たっては面倒だから、後ろから動かないでいてくれると助かるよ」
私はひとつ頷くと、
「そういえば……フェリックスが得意なのは呪術と氷魔術だったよね。シヨウは、勝てるのかな……?」
薄っすらと笑みを浮かべたジュードは、「さあね」と明るい調子でいった。
「だけど、少なくとも呪術を使うことはできないだろう」
「なんで……?」
「君の魔力が強すぎるがゆえに、どうやらあの王宮魔術師も呪術を使えばそれなりの代償を支払うらしい。さきほど私の腕を無力化させたせいで、彼の手はもう動かない」
でも、と私は掠れた声で反論する。
「それでも、いまみすみす相打ちになるくらいなら、シヨウを呪術で殺そうとするんじゃ?」
「それは無謀だね」
はっきりと言い切るジュードは、ふと私が手に持つ剣の鞘に目を向けた。
「シヨウの自信は、どうやら根拠あってのものらしい。彼がさきほどから引き出している膨大な魔力、あれは千里眼の聖女のものだ。それも、彼の体に完璧に馴染んでいる」
もう二百年以上前の異世界人の魔力を、どうしてシヨウが宿しているというのだ。
「どうして……シヨウがそんなものを?」
「さあね。異世界人の魔力を奪うだなんて、生きた心臓を食べでもしない限りできないんじゃないかな? 私も大概だけれど、案外あの神殿のなかでの一番の裏切り者は、彼だったのかもしれないね」
そう嘯くジュードを睨むと、彼は肩をすくめて、
「ともかく、そんな魔力を宿しているシヨウを殺すには、生半可な呪術では難しい――ユリの魔力を持ってしてもね。だから、その場合、玉砕覚悟でシヨウを呪殺することになる」
そうか、と私はやっとジュードの言わんとしていることに気がついた。
「でも、シヨウをどうにかできても、まだジュードと戦わなければいけない。そういうこと?」
その場合、瀕死のフェリックスは、いとも簡単にジュードに敗北するだろう。
「そう。だから、シヨウとの決着がつかないと判断した場合、彼は……」
ジュードは黄金色の瞳に、すっと殺気を宿すと、
「――こうするだろうね」
残る三人の王宮魔術師たちが、私とジュードのほうへとにじり寄る。
確かに、そうするのが正解だ。
ジュードさえ死んでしまえば、あとはフェリックスとシヨウの相打ちになる。犠牲は多大ながらも、あちらの勝利ということになるだろう。
「さて、と」
利き腕を失くし、身体中に無数の傷がありながらも、ジュードは優雅そのものの動きで剣を掲げてみせた。
「ここで私が勝てたら、ユリの本当の名前を教えてくれるというのはどうだろう? 少しでも、未来に希望を持って戦いのだけれど」
「――絶対にいや」
即答する私に、初めからわかっていたかのように、ジュードは微笑んだ。
「さて、泥試合になるだろうから、思いを寄せる令嬢に見られるのは心が痛むけれど……目を閉じていてくれというほど私にも余裕がないからね」
瞬間、ジュードの足元の下に小さな魔法陣が現れる。
光の束が蔦のように伸びると、ジュードの両足に絡みつき、一層輝く。
――強化魔法。
一時的に身体能力を飛躍的に上げる、主に騎士が好んで使う強力な魔術だ。
その反面、ジュードのように魔術師としても長けている人間が使うときは、最後の切り札に等しい。攻撃魔術を繰り出す魔力も、回復魔術で怪我を治す魔力も、もう残ってはいないということなのだ。
「まずは一人目」
王宮魔術師のうちの一人――もっとも負傷が少ない青年は、油断していたのかひとりだけ前に出ていた。
それを見逃さずに、ジュードは一気に前方へと躍り出ると、その青年の心臓を剣で貫いた。王宮魔術師の防護衣も、ジュードの剣の前では無力だ。
声もなく、自らが刺されたことさえ気づかぬままに、その青年は命を落とした。
「いまだ!」
残る二人が、そこですべての魔力を賭したような、大きな魔法陣を空に展開する。
ジュードの剣ならば魔法陣を切り裂くことも可能だが、それはまだ敵の肉の中に埋もれている。どうやらさきほどの一人飛び出していた青年を嗜めなかったのは、初めからジュードの剣が使えなくなった瞬間を狙うつもりだったかららしい。
だが、そこでジュードは私にとってさえ予想外の選択をする。
――剣に貫かれた青年の体を、王宮魔術師のひとりに向かって投げつけたのだ。
あの聖剣は、魔術の叡智の結集ともいえる、常世が生み出した最高傑作。
それを手放す人間がいるとは、王宮魔術師たちには想像もできなかったようだ。
「うぐっ!」
体制を崩した敵を無視して、ジュードは、もう一方の魔術師へと間髪入れずに蹴りをいれる。
彼らしからぬ荒々しい動作で、人間なら即死級の蹴りを入れるものの、防護衣のせいで致命傷とはならなかったようだ。
しかし、ジュードは蹴りのせいで倒れた男の頭を持ち上げると、乱暴に敵の頭を床に叩きつける。相手が動かぬ死体となるまで、ジュードは同じことを繰り返した。
「――ジュード、後ろ!」
私が叫んだのは、その隙に最後のひとりの王宮魔術師が、魔術を使おうとしていたからだ。
魔術師の正面に魔法陣が展開され、そこから荒れ狂う猛獣のような形を作る炎が、轟々と燃え盛る咆哮を吐き出しながら、ジュードに牙を剝く。
それすらも予想の範疇だというように、ジュードは微かに微笑んでみせた。
――そして、すっと立ち上がると、わずかに体を傾ける。
手にさきほど砕いた男の頭の血がついていることすら忘れさせる、優美な動き。
けれど、それで猛威を振るう炎を避けられるはずもなく、ジュードの右半身に炎は直撃した。
獲物に噛み付くように炎が右腕に絡み――あっけなく、ぼろりとジュードの腕を焦がし落とした。
声もなく叫ぶ私をよそに、もう一度魔術師は魔法陣を前方に展開した。
しかし、それよりも先に、さすがに額に汗を滲ませながらも、ジュードは魔術を使い無防備になった最後の敵へと飛びかかる。
残る左腕で敵の首に摑みかかると、飛びかかった勢いをそのままに、男を壁に押し付ける。バキバキと音を立てて男の首をへし折ると、ぐったりと動かなくなった死体をジュードは放った。
「ジュード!」
気力を使い果たしたというように、膝から崩れ落ちるジュードに駆け寄る。
「あんまり……こんな格好悪いところは見られたくなかったんだけどね」
珍しく弱気に、恥じ入るように顔を伏せるジュード。
焼け落ちた腕からは一滴の血が滴ることもない。しかし、例え呪われた部位を切り落としたところで、呪縛からとき離れることはないのだ。ありもしない右腕は、いまだ呪術によって痛めつけられている。彼が味わっている苦痛は計り知れない。
「さあ、あとはシヨウの勝利を祈ろうじゃないか」
そんなことをまるで感じさせない優雅な笑みを口元に刻むと、ジュードは視線を中央で戦うふたりに向ける。