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聖女からの手紙  作者:
11/19

十一葉め

 ソファにもう一度腰掛けると、窓ガラスに映る自分を見た。


 見覚えのない、大人の女がそこには映っていた。

 中学の制服なんて来ても滑稽であろう、親の庇護下にいるべきではない、二十五歳の女が。


 知らない人間がいたように思えて、そしてそれが自分だと気がついて、背筋がぞくりと冷たくなった。


 ――帰ることはできない。


 そう、その女が嘲笑ったような錯覚を覚えた。


「うぅっ……!」


 歯を食いしばっても、うめき声が漏れてしまった。


 ああ、駄目だ。

 家族に聞かれたら、また心配をかけてしまう。十一年間もずっと苦しめ続けて、帰ってきてもまだ迷惑をかけるだなんて、耐えられない。


 しかし私の意思を無視して、次第に嗚咽は大きくなる。


 もう抑えきれそうになくなったときに、


「泣いてもいい。誰にも聞こえない」


 聞こえるはずのない声が、耳に届いた。

 淡々としていて、それでいて凪いだように穏やかな声。


 振り返ると、それが幻聴ではなかったことが証明されてしまった。


「シヨウ!? ううっ……」


 腰に襲う激しい衝撃に、うめき声を漏らす。

 ソファから転げ落ちた私を起き上がらせると、シヨウは「巻き込まれてきて来た」と端的に答えた。


「なんでシヨウは、いつもいつもそう言葉足らずなのかな……?」


 もっと説明しろと、低い声で苛立ちを露わにしてしまう。


 そうしてもう一度話し始めたシヨウ曰く、どうやら私が来たと同時に彼も転移してしまっていたのだという。


 私の近くにいたせいで、シヨウまで召喚の時に無理やり引きずりこんでしまったのだろうか。


 ともかく、シヨウは姿が見えなくなる魔術を使い、そのままこっそりと帰る方法を探していたが、


「見るに見かねて出て来たってわけ?」


 こくりとシヨウは頷き、「この空間をいま、外界から隔絶した」と呟いた。

 確かにそうすれば、泣いても誰にも聞こえないかもしれない。しかし、それよりも聞き捨てならない事実があった。


「……おまえ、こっちでも魔法を使えるの?」


 もう一度、シヨウは頷いた。


 そういえば、常世の書物で見たことがある。

 常世の人間が、現世の人間の魔力を求めて召喚するように、現世の人間が常世の人間を召喚することもあるのだと。


 現世は魔術という存在が、世界の理によってほとんど打ち消された世界。

 それは、なんでも、現世の神が魔術という存在を忌避しているからだそうだ。


 しかし常世の人間は、現世の理には縛られない。

 だから現世の人間は、常世の人間の魔術を求め、彼らを召喚することがある。


 私たち現世の人間のいう天使や悪魔や精霊などは、そういう風にして呼ばれた常世の人間なのかもしれない。


 常世の人間にとって、現世とはとても魔術が発動させやすいのだと、書物にはさらに書いてあった。

 妨害する他者の魔力や結界などがない分、重力のない空間でジャンプするように、魔術が簡単に使えてしまう。


 つまりいまのシヨウは、私の力を遥かに超越する存在なのだ。そう気がつくと、少し怖くなった。


「で、シヨウはどうするわけ? 帰る宛てはあるの?」

「ここでやらなければならないことがある。それが済み次第、常世に戻る」

「それって、嫌なことじゃないよね? 魔術で好き勝手したりとか、誰かを傷つけたりとか」


 ゆるゆるとシヨウはかぶりを振る。


 ふうん、と生返事をした私は、実際そんなに心配していなかった。

 シヨウは昔から独特の雰囲気を持つ変な男の子ではあったけれど、悪事に手を染めるような人間ではなかった。


「そういえばさ、シヨウって現世に興味があるんだっけ?」


 そうシヨウがいったのはずいぶんと昔のことなのに、シヨウは考えるそぶりもなくこくんと頷いた。


「じゃあ、ちょっと案内してあげよっか?」


 ちょっと驚いたように切れ長の目を大きくさせると、シヨウはもう一度頷く。ふんわりと、口の端に小さな微笑みが刻まれた。


 そんな提案をしたのは、寂しくて、それから単純に暇だったからだ。

 シヨウがわずかな間とはいえここにいるつもりなら、相手をしてくれないかと考えたのだ。



 次の日、まずは着替えさせようと、父と弟の服を引っ張り出して、シヨウを着せ替え人形にした。

 といっても、シヨウは現代的に言えば百八十センチはあったので、背の高い弟の服しか合わなかった。それにしても、まったくなにを着せても似合うのだから、美形とは憎い存在だ。


 女の子の格好をまたする? とからかえば、シヨウは苦しげに、「ユリの望む通りに」というのだから笑ってしまう。小さい頃がトラウマになってしまったのかもしれない。


 それから、シヨウに家の中にある色々なものを紹介した。

 狭い家だというのに、ひよこのようにシヨウは私の後ろを付いて回った。そしてとても熱心に、私の説明に聞き入っていた。


「この紐は、ミサンガっていうのを作るのに使ってたんだ」


 中学生のときの私が嵌っていたものが、どんどん発掘されていった。

 なかには、ちょっと性的な意味で際どい本なんかもあって、焦って隠した。シヨウがもう子どもじゃないとは、わかっているはずなのだけれど……。


「ミサンガ?」

「お願い事をするのに使うの。シヨウもお願い事をこめてみれば?」


 どうしてもシヨウと話すときは、子ども相手のような口調になってしまう。

 綺麗な形の長い指で、一生懸命シヨウは紐を編んでいた。そんなに叶えたい願い事があるのかと、思わず笑ってしまう。


「ユリ、できた」


 なんでも器用なシヨウは、十分足らずで複雑に編み込まれたミサンガを完成させていた。教えてもいない編み方をしていて、びっくりした。配色まで綺麗なもので、小洒落た店で売り物として置いてそうだ。


「ひとつくらい出来ないことがあったほうが可愛いのに……」

「すまない」


 小さく頭を下げたシヨウは、私の腕にミサンガを巻こうとした。


「違うよ。願い事を込めたひとがつけるの」


 そういって腕を引いても、シヨウはきょとんとするばかりだった。


「なにその顔。自分のお願い事したんでしょ?」

「俺の願いは、もう叶っている」

「じゃあなんでこれ作ったの……」


 呆れた声が出た。とはいえそれ以上説明するのも面倒だったし、ミサンガはとても可愛い出来上がりだったので、有り難くもらうことにした。


 それからも、中にボールの入った泡立て器だとか、フードプロセッサーだとか、妙なものばかりにシヨウは興味を示した。思い返せば、神殿の中でよくシヨウに料理をさせていた。そのせいかもしれない。

 一度作らせてみればとても上手で、以来ずっと任せていたのだ。


「いま考えると、酷だよね。十歳くらいの男の子が、毎食作るとか。人数も多いのにさ」

「料理は好きだった」


 悪びれずにいった私に、シヨウは淡々と返事した。それから、「ユリが食べるから」と付け足す。


 驚いてまじまじと見ると、シヨウはかすかに俯いている。

 前と違って肌は白すぎることはなかったが、それでも赤くなったらわかってしまう。

 照れるくらいならいわなきゃいいのに、といおうとして、なんだか可哀想だからやっぱりやめた。



 母さんが帰ってくるとシヨウは姿を消して、ずっと料理する母の手つきを見ていた。


 思わずくすりと笑ってしまった私に、「なにかあったの?」と母が不思議そうに聞いてきた。


「ううん。なんでも。ここで料理しているところ、見てていい?」


 それから、ぽつぽつと母さんと話しながら、私はソファに座っていた。

 シヨウは相変わらず、料理の手順を食い入るように見ていた。


 母さんがする近所の人の話を、なんともなしに聞いたり、それに答えたり。ときどき、自然に笑い声が漏れた。帰ってきて初めて、十四歳の時と同じように母さんと会話することができた。


 心が暖かくて、嬉しくて。

 こんなにうまくいくなんて偶然かな、と思ったけど、そうではなかった。


 父と弟が帰ってきても、私たちはずっと一緒に過ごしてきた家族のように、団らんすることができた。

 身をこわばらせないでくつろぐ私を見て、父と母は本当に嬉しそうにしていた。


 結局のところ、壁を作っていたのは私の方だったのだ。

 そして今日、その一ヶ月立ちふさがっていた厚い壁を、どうしてか打ちこわすことができた。


 ――きっとシヨウのおかげだ、と素直に思った。

 なんとなく、シヨウがそこにいたらほっとして、うまくいくことができたのだ。


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