五話 家
六月から晴れて決闘を解禁された遊歌はしかし、決闘に対するモチベーションが低下していた。
先週、陽と決闘をしたあの日、結局謎の気配を感じることはついぞなかった。先輩として真貴のことが気がかりで仕方がない遊歌は、結果として決闘をせずにあの日の気配の正体を探り続けている。そんな様子を、桜下を始めとした周囲の近しい人物たちは一時は心配したが、数日もするとそれも収まっていた。
黎は真貴を知らず、ドレッドは非常に口が軽いので、二人にはこのことを伝えていない。真貴が狙われていることを知る人物は遊歌と桜下、そして匠のみ。憔悴しきっていたとはいえ、誠が気付いていないことから、実力の劣りようが推し計ることができる。
「真貴ちゃんが狙われてるのはほぼ確定だろ? 僕も桜下もここ数日うろついて、何もなかったわけだし」
「そうだね。これで真貴ちゃんが狙われているということは確定したわけだ」
しかし、ここからが難航している。情報収集を開始してからおよそ一週間。集まった情報は非常に少なく、何故真貴が狙われているのかがまったくもって不明なのだ。本人に恨まれそうな要素はない。強いて言えば術具の才能であるが、現状を見る限り、それを生かせているようには思えない。
次に怪しむべきは家柄。遊歌自身、お家の問題に巻き込まれて、何度も誘拐や殺人未遂に遭っている。教員――誠に真貴の家柄を訊いてみたのだがプライバシーが云々と、答えてはくれなかった。
「真貴ちゃんの後をつけるのも何かあれだしなあ」
「なまじ外見が幼いだけに、不審者扱いされかねないね」
弁当の中身を咀嚼しつつ、遊歌は考える。
真貴が何処かしらの名家の出なのであれば、征治郎に訊けば何か手がかりが得られるのではないか? あの老獪極まる髭爺であれば、何を知っていても別段おかしくはない。
我ながら冴えわたっている。遊歌は白飯の最後の一口を口に運んだ。
「何処を見ているんだい?」
「桜下の口元」
「何か付いている?」
「いや、何かエロいなあって」
そんなどうでもいい雑談をしながら、二人だけしかいない教室の時間は進んでいった。
◆
昼。遊歌は電車に揺られていた。つまるところ、学校の午後の授業をサボったわけだ。
坂上家の本家は学校のある皆見町から、電車で二時間かかるド田舎に建つ。平日に行こうと思えば、学校をサボる他ない。個人的にこの案件は急を要する。うかうかしている間に真貴に何かあってからでは遅いのだ。
電車から見える景色が田園になって数十分。ようやく目的の駅に到着した。
電車を降りた途端に、都会とは違う空気が遊歌を包む。一呼吸吐いて辺りを見回せば、植えられて間もない稲が風に揺られていた。
遊歌は幼いころから皆見町に住んでいるが、ここ――坂上村に来ると何故か「帰って来た」という気分になる。
無人駅を出て歩いていると、程なくして田を見回っている男性が目に入った。その男性は遊歌に気付くや否や声をかけてきた。
「んん? おう、遊歌か?」
「こんちわっす涼雅さん。今爺ちゃんいます?」
遊歌が坂上村で久々に見かけたのは橘 涼雅。坂上家の分家のうちのひとつ、橘家の家長だ。師走、高山、橘の三家の中で、唯一坂上村に家を置く分家で、主に土地の整備を任されている。
好青年然とした涼雅は微かに浮かぶ額の汗を拭いながら遊歌の問いかけに答える。
「征爺なら家でネットサーフィンでもしてんじゃあねえかい?」
「あざっす。ついでに散歩にでも連れ出します」
「ああ、頼むよ。あの爺さん、ほっとくと自室から出て来やしねえ」
どうやら現代を生きる爺は寝たきりコースを突き進んでいるらしい。孫として、そんな祖父が純粋に心配になる。電子機器に強いのは一向に構わないのだが、ゲームにのめり込まれると泥沼だ。
急ぎの用ということもあり、速足で田と田の間のあぜ道を進んでいく。
あの日、遊歌を尾行していた者の術具が皆目見当もつかないということも、遊歌を焦らせる一因となっている。匠と似た能力の術具であればあの程度のことは造作もないだろう。しかし、あんなバグがごろごろ転がっていては、世界のバランスがおかしくなる。
考え得る線は瞬間移動のみ。であれば、瞬間移動ができる者に話を聞いてみるのが早いか。
頼りになる先輩がいてよかったと陽に感謝しながら、坂上家本家の門戸を叩いた。
「はいはいはーい。どちら様で、って遊歌君?」
「お久しぶりです才華さん」
遊歌を出迎えたのは涼雅の妻である才華だった。古き良き割烹着と、柔らかい表情から才華の人の良さが滲み出ている。その人の良さが原因で、征治郎は引きこもったままになってしまっているのだが、誰も才華を注意できないのが現状だ。
制服姿の遊歌を生で見るのは初めてだからだろう、才華は正月以来会っていない遊歌の姿を赤い瞳でまじまじと見つめる。
「何もないのに来るなんて珍しいわねえ」
「ちょっと、爺ちゃんに用事があって」
「そうなの。征治郎さんなら、いつも通り自室にいらっしゃると思うわ」
「ありがとうございます」
本当にいつも通りすぎて心配になる。征治郎は滅多なことがない限り外に出ないことは知っている。いくら精神的に元気だといっても、あまりにも外に出ないと、体が弱って介護施設の世話になってしまいそうだ。
そんな一抹の不安を抱えながら、祖父の部屋へと続く廊下を歩く。
坂上家は大地主といえども家自体はさほど広くはない。宴会場があることを除けば、極々一般的な古い家だ。その家の一番奥の部屋が、坂上家前当主、坂上 征治郎の自室だ。
「爺ちゃん、入るぞ」
一言断りを入れてから、征治郎の自室の襖を開く。
そこは、家屋の外観からはまるで想像できないほど近代的だった。
五〇インチを超える大型液晶テレビ。大型スピーカー。パイスペックなデスクトップ型パソコン。各種据え置きのゲーム機などなど……
金にものを言わせて揃えたであろう電子機器がずらりと和室に並んでいる光景は、ただひたすらに異様だった。
「久しぶりだなァ。えェ? 元気しとったか?」
「画面に食らいついているのを見るに、爺ちゃんは元気そうだな」
今年の夏で傘寿となる坂上 征治郎はしかし、老いをまったく感じさせないプレイングでネトゲに没頭している。その視線は五ヶ月ぶりに訪ねて来た孫の顔ではなく、毎日見る怪物に注がれている。
そんな、祖父のだらしない姿を見た遊歌は大きくため息を吐いてから、今回の用件を告げる。
「大月家って知ってるか?」
「ン? 大月? 知っとる知っとる。確か、六、七年ぐれェ前に当主が殺された、ウチとえらく似た地主の家だ」
遊歌の父――龍成が殺されたのは七年前。征治郎の言う時期と一致する。何か面倒事の予感がする遊歌は、続けて質問を投げかけた。
「そこは、なんて言うか……坂上家と、同じようなことを――」
「言ったろうが。ウチとえらく似た地主の家だ」
それはつまり、坂上家、大月家の両家の悪行を認めるものだった。
今でこそそういったことは行っていないが、征治郎が子供だったころ、坂上家では怒号が絶えなかったという。
その話をよく聞かされていた遊歌は苦虫を噛み潰したかのような表情になる。
「まァ、そういうこったな。オレが言えた義理じゃねェけどよ、大月家とつるむのはやめときな」
「……そういうわけにも、いかなくてさ。後輩が狙われてるんだよ。その子、僕と違って才能はあるけど臆病だから、助けてやりたくて」
若干恥ずかしそうに頬を染め、目線を泳がせながら言った遊歌の言葉を聞いた征治郎は、視線を画面に張り付けながらも破顔一笑する。
「ハン。格好いいこと言うじゃねェか。ちっと見ねェ間に随分と成長したみてェで爺ちゃん嬉しい」
漸くネトゲの画面を閉じ、立ち上がった征治郎は孫の肩に優しく手を添える。
視線を自分の肩から征治郎の顔へ移した遊歌は、祖父の柔和な笑顔を見て少し安心する。
遊歌の肩から手を放した征治郎は振り返り、据え置きのゲーム機の電源を入れた。
どんなに格好つけても、結局はそこに着地してしまうことが征治郎の欠点だ。
「なあ爺ちゃん」
「ン?」
「全国一位、獲ってくるわ」
「ンじゃァ、全一獲るまで帰って来ンなよ?」
「おうよ」
◆
午後四時半。何食わぬ顔で帰宅した遊歌は玄関の戸を開け、珍しくリビングでテレビを眺めていた母の姿を捉える。
「あれ、母さん帰って来てたんだ」
「今日は仕事が早く片付いたから。匠さんは?」
「知らね。最近はろくに修業もしてないし」
遊歌が陽に勝利を収めたあの日から、匠の修業の頻度は非常に低くなっていた。同時に、匠の外出頻度も高くなっていた。何故なのかは本人のみぞ知る。修業は嫌いではないが決闘が禁止されるのは以ての外。だから、そこまで気にすべきことではないのかもしれない。
冷蔵庫から麦茶の入ったボトルを取り出し、適当なコップに注ぐ。気温が上がってきた六月に、本家を出てから約二時間の間何も水分を摂っていない。喉の渇きを潤すためにコップの中の麦茶を口に含んだ時だった。
「あんた、今日学校サボったでしょ」
「んぶっ!?」
予想外の台詞に、思わず麦茶をコップの中に吹き戻す。
何故母が今日のことを知っているのか。少なくとも、帰って来る時間が多少遅い程度では疑われない。前に学校で用事があった時は何も言われなかった。
「帰りに桜下ちゃんを見かけたのよ。それで、何も用もないのにどうして一緒に帰ってないのか気になってね」
すました顔で麦茶を飲む遊七とは対照的に、遊歌は冷や汗をかくばかり。
術具を使用した犯罪について特集が組まれているニュース番組を見ながら、遊七は言う。
「こうならなきゃ、いいわ」
「……え?」
今までのことを鑑みるに、暴言や暴力が飛んでくる、投げられたコップを捕る体勢まで整えていたというのに、拍子抜けしたような気分だ。
遊七は続けて言う。
「あたしも反省してんのよ。あんたが中学の時のうちは終わってたから」
遊七が言う通りだ。あの頃は龍成が殺されたことが尾を引いて、遊歌も遊七も少し精神が不安定だった。遊歌は桜下と出会ってから、多少マシにはなったが遊七の乱れようは酷かったと、今になって思う。
コップに入った麦茶を飲み干して遊七は一息吐く。遊歌も、それにつられるように麦茶を飲み干した。
ニュース番組が一旦CMに入ったことで、遊七は立ち上がってコップに麦茶を注ぐ。
そして、ソファに体を預ける。遊歌は荷物を自室に置くために階段へと足を運ぶ。
「大切な人を守れるくらい、強くなりなさい。そうして死んでも、母さんはもう大丈夫だから」
「桜下から何か聞いたのか?」
「いーや。何も。遊歌が龍成さんとあまりにも似てるから、ついね」
遊七のその言葉はまるで、自分とは似ていないとでも言っているかのように聞こえて。訝しい表情をしながらも、どこか寂しさを覚えた遊歌はそそくさと自室へ向かうのだった。
階段を上っていると、自室に何者かの気配がする。桜下の可能性が八割、匠の可能性、部外者の可能性がそれぞれ一割。それとなく警戒しつつ、自室の戸を開ける。
「おかえり」
「ただいま」
自室では、制服のままの桜下が遊歌のベッドで寝そべりながら漫画を読んでいた。これから暑くなる時期だというのに、ご丁寧に布団まで被って。
「それ、結構洗ってなかったと思うんだけど」
「だからいいんじゃないか」
「そうかい」
ある種の諦めを見せた遊歌はその辺りの床に鞄を放って、ベッドを背もたれに床に座り込む。そして、ひとつ、ため息を吐く。
「どうかした?」
「やっぱ地主ってクソだわ」
前々から思っていたその思いが今回の件でさらに大きく膨らんだ。地主すべてがそうではないということは頭では理解できているのに、どうしてもその思いが拭えない。
遊歌は恨まれていることは自覚している。だから、その報いとして傷つくのはやむなしと割り切れる。だが、真貴は、真貴は何も悪くはない。臆病で、戦うことが怖い、普通の少女。その真貴が家の事情に巻き込まれることに、理不尽を感じて仕方がない。
また、ため息がひとつ。
あまりの遊歌の落ち込みように見かねた桜下は漫画を置いて、諭すように語りかける。
「血や才能には抗えない。君や僕のように」
突き付けられたのは分かっていたはずの現実。
ああ、知っているとも。ああ、解っているとも。それがなければ、桜下と遊歌は出会えなかったのだから。それがなければ、桜下は孤独を、遊歌は口惜しさを知ることはなかったのだから。
失った者は戻らない。亡くした者は還らない。それを知っているからこそ、遊歌は。
「月並みな言葉だけれど、それでも愛はすべてに勝るんだ」
「本当に、ありがちだな」
「ありがちな言葉にこそ、大切なものが詰まっているものさ」
現実は変えられると言ってくれた桜下に感謝しつつ、遊歌は立ち上がる。
「何か元気出た。ありがとう」
「いや、僕こそ、元気が出たよ。ありがとう」
遊歌の布団に包まって恍惚とした表情を浮かべる。それに若干興奮を覚えつつも、遊歌は落ち着いてパソコンの電源を入れる。
本家のような超スペックではなく、お世辞にもスペックが高いとは言い難い安物のノートパソコンだ。遊歌は動画を観ること以外にパソコンを使用しないので、このスペックでも十分満足している。むしろ、あそこまで高みを求める征治郎の気が知れない。
桜下はいつものことだと判断して、ベッドの上の漫画をもう一度開く。
「よく飽きないね。遊歌だけで千は再生しているんじゃないかい?」
「いってるだろうな。日に十回は観てるから、下手すると一万とか?」
そう言って開いた動画のタイトルは「鳳戦決勝・西行学園対業平高校」というものだった。動画の投稿日はおよそ八年前。ちょうど、誠が高校二年生だった時だ。
鳳戦とは、全国の高校で行われた四天王選出戦によって選ばれた四人の生徒が、先鋒、次鋒、副将、大将として勝ち抜き戦で決闘を行う、インターハイのようなものだ。そして、鳳戦で優勝した高校は、春休みに王戦と呼ばれる総当たりの決闘を行い、日本一の高校生魔術士を決めるのが通例だ。
春休みに王戦を行うという性質上、一年生と二年生しか出られないのが玉に瑕というべきところだがそんなことはお構いなしに、その時期になると日本中が熱狂する。
誠はその王戦で、一度優勝している。
Bランクの魔術士が優勝を収めたということは王戦始まって以来の快挙であり、これこそが誠が残した偉業だ。
そんな誠は幼いころからの遊歌の憧れであり、その偉業に名を連ねようと、遊歌は日々努力しているのである。
「しかし、何度観てもおかしいわ……」
誠の術具の能力は三つすべてが身体能力強化という脳筋仕様であり、どのLvをとっても能力の高さは最高峰だ。その最高峰の身体能力強化が、「基本的に、Lvが違えば重ね掛けできる」という術具の仕様により、途轍もない爆発力を生む。これで反動なしだというのだから驚きだ。
遊歌が動画に観入っていると携帯に着信が来た。画面を見れば発信者は匠だった。
何故わざわざ電話をかけてくるのか疑問に思ったが、遊歌はとりあえず電話に出ることにした。
「なんだよ。何かあったのか?」
「何かもクソもない。バッドニュースだ遊歌」
バッドニュースという単語を聞いた瞬間に、遊歌の脳裏にある出来事が過ぎる。匠の「バッド」は「悪い」を通り越して「最悪」であることがほとんどであり、たった今、遊歌の脳裏を過ぎった予感も、「最悪」のものだった。
その「最悪」の出来事でないことを切に願いながら、恐る恐る、遊歌は問いかける。
「……バッドニュースって、なんだ?」
「すまない、油断した。大月 真貴が攫われた」
「最悪」が、牙を剥いた。