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夜半の蛍は砕月也  作者: 白谷 衣介
一章 夜半の蛍
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四話 不知の陽炎、翠の蛍

 遊歌たちが監視されていたあの日から約二週間。五月の最後の週末、遊歌は一人で桜ヶ峰駅に来ていた。桜下は訝し気な顔をしていたが、遊歌の思惑を察した匠が桜下を連れ出したおかげで、何とか事後報告には持ち込めそうだ。


 遊歌は先日の監視の正体を確かめるために、自ら囮となって調査をすることに決めたのだった。


 あの日のことは真貴には伝えていない。ただでさえ臆病な真貴を、さらに不安にさせるようなことを伝える残酷さは二人にはなかった。油断すれば匠が伝えてしまいそうだが、平日は真貴を遊歌と桜下が、休日は匠を二人で見張っているおかげでその心配はない。匠が本気になれば二人をまく程度なんともないだろうが、匠もそこまでして見ず知らずの人間に尽くす正義の味方ではない。今のところは安心していいだろう。


 囮といっても特に何をするでもなく、この前と同じようにゲームセンターに行って、ショッピングモールに行き、適当に時間を潰して夕方に帰るという予定だ。


 駅を出てそのままゲームセンターへ直行する。パンチングマシンはもう既に記録を塗り替えたが、あれから更新されたかどうかを一応確認する。


「A6……って」


 A6というプレイヤーが遊歌の記録を抜いて、店舗最高記録を叩き出していた。


 A6というハンドルネームには心当たりがある。遊歌が真貴と出会うきっかけ、原因になった人物で、遊歌が先輩として慕う、数少ない人物のうちの一人、不知火 陽だ。


「やっぱ陽先輩も来てるよなあ……」


 生身はもちろん、術具込みの戦いでも、遊歌は陽に勝ったことがなかった。最後にまともに戦ったのは一年の秋だから、今戦ってみれば結果は変わるかもしれない。日々強くなっていることは自分が一番よく分かっている。


 試しにこれを超えてやろうと、百円玉を投入しようとしたところで、声がかかった。


「遊歌?」

「え、あ、陽先輩!」


 遊歌の背後に立っていたのは陽だった。明るいオレンジの髪をポニーテールで纏めた如何にも快活といった様相の少女。それが不知火 陽だ。


 Tシャツにスカート、スパッツという服装は見慣れたものだ。


「元気してるか? 先は迷惑かけたな」

「陽先輩がいなくなって早々に転校生が来て、いろいろ大変ですよ」

「そいつは悪かった。つか、「だった」じゃねえってこたぁ、現在進行形か?」

「ええ。その転校生ちゃんがどっかの誰かに狙われてそうなんで」


 遊歌を狙うのであれば、十中八九身代金狙いだ。遊歌は坂上家を金だけはある家と認識している。事実、今までも何度か誘拐されたことがある。尾行された経験も決して少なくなく、怪しい気配を察知することに関しては、全盛期の誠をも上回る。


 そんな尾行をされるスペシャリストとも言うべき遊歌が、今回の相手は自分を狙っていないと言い切ったということはそれでまず間違いないだろう。


 しかし、陽はどこか疲れた様子の遊歌に、これ以上詮索するのは気が滅入った。


「奢ってやるよ。何食う?」

「へ? どういう風の吹き回しで? いつもなら奢れとか言ってくるのに」

「おめえが疲れてそうだから気ぃ使ってやったんだよ。察しろボケ」


 照れ隠しで遊歌の頭を乱暴に撫でまわす。伸びた爪が頭皮に当たって少し痛むが、これはこれで再会としてはそれらしいかと、遊歌は一人で納得した。


 ひとしきり撫でた陽は遊歌の腕を掴み、無理矢理に引っ張った。


「おら、さっさと行くぞ」

「腕痛いですって、ちょっと! あんまり引っ張らないでくださいよ!」

「腕吹っ飛んだことのある奴が何言ってんだ! 早く行かねえと混むんだよ!」


 暴論にも程がある。腕が飛んだことがあるからといっても、それ以下の痛みが消えるわけではない。人間はそういう風に作られているのだ。誰彼まとめて超人なはずはないのだから。


 陽は確かに少しせっかちなきらいがある。しかし、ここまで全力疾走してまで昼食を摂るのは何か違うのではないだろうかという思いが遊歌の脳裏に過る。これを口に出しても、「食前の運動だ」とかいう意味不明な台詞が返ってくるのが目に見えているために、遊歌は黙って陽に腕を引かれたまま走る。


 しばらく走っているうちに、遊歌はバスで向かった方が早かったであろうことに気付いてしまう。言いようのない気持ちに襲われた遊歌は、陽が立ち止ったことで慌ててブレーキをかける。


「ふう。着いた着いた。このラーメン屋めちゃくちゃ美味いんだよ」

「何か寂びれてません?」

「んな細けえこと気にすんな」


 男らしい台詞とともに、陽は豪快に店の戸を開けて空いた席に座る。続いて遊歌も座り、メニューを手に取る。


「なんですかこのメニュー」

「ここは豚骨ラーメンしかねえぞ」


 遊歌が手に取ったメニューに書かれていたのは、大盛りの値段と替え玉の値段、そしてトッピングの値段のみだった。豚骨ラーメンしかないにしても、ラーメン屋のメニューにラーメンが記載されていないのは如何なものか。


 困惑しつつも、遊歌は大盛りを、陽は大盛りプラスチャーシューを注文した。





 ラーメンを食べ終わり、満ち足りた二人は走ってきた道をゆっくりと歩いていた。


 日は高く昇り、夏に向けて上がり始めた気温が疎ましい。陽は太陽に一瞥をくれてから舌打ちした。


「陽先輩は最近大丈夫ですか?」

「あ? アタシが大丈夫じゃないわけねえだろうが。バイトしながら適当な仕事探してるよ。……でもまあ、後輩に心配かけてるってのはらしくねえな」


 遊歌の心配を拭うように快活な笑顔を浮かべる。それも数秒、何か悪戯でも思いついたかのような表情に変わった陽の顔を見た遊歌は少し嫌な予感がした。


「おし! 適当な場所見つけて決闘しようぜ!」

「すみません、僕今匠から決闘禁止令下されてて……」

「だったら帰りにお前の家によって匠さんを説得してやんよ!」


 何と頼もしい言葉だろうか。できるはずはないと思いつつも、どこかで期待している自分がいることに遊歌は気付く。気付いてしまったからには仕方がない。陽との決闘は実に約半年ぶり。脅威を片付けてもらえる以上、断る理由がない。


「なら、こちらからお願いします!」


 遊歌が深々と頭を下げるのを見た陽は満足気に微笑んだ。


 市街での決闘は基本的には禁止されている。しかし、ひとつの町に必ず小さな決闘場という場所が存在する。これは街中で起きたトラブルをできるだけ当事者同士で収めることが狙いであり、決して今回の二人のように「決闘したいから決闘する」という意味合いで作られたスペースではない。のだが、もっぱらの使用目的は後者と化している。


 幸いにも、桜ヶ峰駅付近にある決闘場は二人が今いる場所からは非常に近かった。


 「食後の運動だ!」と言い走り出した陽と、早く決闘したいがために走り出した遊歌の二人は、いつしかどちらが早く決闘場に着くかの競争を始めていた。


 結局、先着したのは先に走り出した陽だった。


 息も絶え絶えに到着した二人は流石にこのままではまともな決闘にならないと、近くの自動販売機で清涼飲料水を買って一息つく。


「流石にはしゃぎすぎたな。遊歌、大丈夫か?」

「嘗めてもらっちゃ困ります。僕だって成長してるんですから」

「いいねえその威勢、好きだぜ?」


 お互いに準備運動をしながら取り留めのない会話を広げる。


 時刻はおよそ午後二時頃。気温が最も高くなる時間帯ではあるが、この二人はそんなこと知ったことかと言わんばかりだ。


「準備はいいな?」

「ええ、もちろん」


 短く白線が引かれた位置に立ち、互いの術具を顕現させて臨戦態勢に入る。


 陽の術具は緋色の脚甲。見てくれから分かるように、陽の術具は炎関係のものだ。陽の術具は陽の在学中に知り尽くしている。だからこそ分かる。陽の術具は対策できるようなものではない。


 特に、脳筋能力しか持たない砕月では対策もへったくれもない。


「お前のタイミングで始めていいぞ」

「では早速! 砕月・月下蛍!」


 陽に対しては短期長期どちらを取っても結果は変わらない。桜下がいない今、一夜蛍は実質禁じられているようなものだ。ならば陽が本気になる前に決めてしまおう、という算段だ。


 砕月を腰に添えながら向かってくる遊歌を見て、陽は遊歌の成長を確認する。


「せえいっ!」

「まず、速さが変わったな」


 遊歌の抜刀斬りにも似た斬撃を、陽はLv1の脚紅(きゃっこう)で受け止める。


「マジすか……」

「次はアタシの番だぜ!」


 砕月を蹴り上げた陽は、脚を遊歌の脳天めがけて振り下ろす。空が唸り声を上げ、その威力を物語るも、遊歌は蹴り上げられた勢いを殺さないまま、バク転の要領で回避と陽の顎を蹴り抜くことを狙う。


「判断も早く、良くなってる」


 その場から、陽の姿が消えた。


 それを理解した遊歌は舌打ちをしつつも、陽の姿を探す。しかし、右も左も前も後ろも人影はない。さすれば――


「上っ!」

「御名答!」


 Lvを2に引き上げ、脚に炎を纏った陽が遊歌の真上から、特撮ヒーローばりの蹴りを構えている。すぐさまその場を離れ、着地の瞬間にある僅かな隙を狙う。


「そこぉ!」

「良い狙いだがな!」


 遊歌が着地と能力の隙を突いてくることを見抜いていた陽は遊歌をギリギリまで引きつけてから、術具の能力である炎の噴射を行う。陽の周囲すべてを火炎が包む。灼熱が空を焼き、地を焼き、遊歌を焼かんと迫る。


 刹那、砕月が翠の粒子を吐いた。


「砕月・一夜蛍(ひとよぼたる)!」


 翠の粒子をまき散らしながら横一線に炎を払う。数瞬遅れて風切り音が鳴り、遊歌を呑み込まんとしていた炎の群れは蜘蛛の子を散らすかの如く消え去った。


「その成長はちょっと予想外――ってのわっ!」


 袈裟懸けに斬りかかった遊歌の砕月をギリギリで回避する。そのまま再び姿を消し、遠方へ退避することで態勢の立て直しを図る。


 砕月・一夜蛍。遊歌の奥の手。能力は身体能力の強化のみ。しかし、代わりとばかりにその強化は並の術具の身体能力強化の軽く倍はある。月下蛍が正規の能力ではないために重ね掛けはできないが、一夜蛍は本人の身体能力と合わさり、Lv3ですら圧倒しうる可能性を秘めている。


 一夜蛍を解放した遊歌に驚愕した陽は離れた場所から称賛を送る。


「今のを切り抜けられるとは思ってなかったぜ。強くなったんだな、遊歌」

「ええ。僕が見ているのは、陽先輩よりもずっと先にあるものですから」


 挑発とも取れる遊歌の台詞に陽はしかし、噛み殺しきれずに笑いを漏らす。


「ならアタシを超えてみろよ! 坂上 遊歌ぁ!」


 そう咆えた陽は遊歌の背後に移動する。それを見通していた遊歌は、未来予知とも思えるような反応速度で反時計回りに振り返り、勢いを利用して中断に横一文字を描く。それを左脚で蹴り返した陽は噴射した火炎の勢いを乗せて、遊歌の顔面めがけて全力の右脚を見舞う。


 当たった。確かに、陽の唸りを上げる脚甲は遊歌の頭部を捉えた。


 だが、遊歌は陽の蹴りに頭突きで応戦する。鈍い音が響き、一瞬世界が揺れるも、瞬時に意識を持ち直す。


「……ぐ、ぅ……!」


 右腕に握った砕月を力強く握り直して、今度こそ陽の横腹に一撃を入れる。


「いっ、がっ!」


 二転三転して漸く勢いを殺した陽は来る追撃を見越して、もう一度遊歌の背後に現れる。此度狙うのは遊歌ではなく、


「吹っ飛べぇ!」

「なっ」


 砕月を渾身の力で蹴り抜く。あまりの衝撃に、流石の遊歌も砕月を手放してしまい、砕月が空に舞う。相手が動揺した隙を逃す陽ではない。この隙に、仕返しとばかりに遊歌の横腹に回し蹴りを叩き込む。


「かふっ」


 先程の陽とは違い、大きく吹き飛ぶことこそなかったものの、もろに一撃を受けてしまったせいでかなり大きいダメージを受けた。先の頭突きも無傷だったわけではない。手元に武器はなく、満身創痍に近い状態。だが遊歌は諦めない。そして、陽も遊歌が勝ちを諦めることがないことを知っている。


 武器を失おうとも拳がある。腕を失えば足が。足を失えば歯が。例え四肢を失っても、なお敗北を認めようとしないその勝利への執着心こそが、遊歌を遊歌たらしめる要素のひとつ。


 口内を切ったせいで流れた血を吐き捨て、幽鬼の如く立ち上がる。


「悪いが、勝つぜ」

「今のうちに好きなだけ言っててくださいよ。勝つのは僕ですから」

「アタシは相手が非武装だろうと、満身創痍だろうと、遠慮なく蹴る。知ってるな?」

「ええ、もちろん」


 砕月は陽の背後にある。一夜蛍の効果が持続しているからといって無茶な動きをすれば、範囲外に出てしまう可能性もある。そうなればもうお終いだ。かといって、素直に取りに行かせてくれる程生温い相手でもない。


 さすれば、手はひとつ。特殊な能力を持つ砕月と、術具の扱いを磨き続けた遊歌だからこそできる荒業を。


 陽は遊歌がどんな行動を取っても対応できるように、地を蹴る態勢、瞬間移動する態勢はきっちりと整えているだろう。対して、遊歌は死に体一歩手前。もう一度蹴りを食らえば決着が着く。


 そんな背水の陣の中、遊歌は陽よりも早く地を蹴った。


「ヤケクソか!? ああ!?」


 ヤケクソではない。賭けだ。遊歌は心の中で訂正した。


 この賭けの勝敗は遊歌の自力と陽の判断によって左右される。前者には自信のある遊歌だが、後者はどうしても確信が持てない。しかし、今の遊歌にはこうするしか最早勝ち目はない。


 カウンターとして繰り出された前蹴りを右に一歩踏み出して躱す。蹴りを躱された陽は遊歌の首筋に左肘を添え、左足を地から離す。少々状況が異なるも、れっきとしたエルボードロップである。


 一歩、さらに一歩。速く速く踏み出して陽のエルボーから逃げる。空中に投げ出される形になった陽は、瞬間移動して再び砕月の前に立ちはだかる。


「それを! 待ってましたよ! さあ来い! 砕月!」


 手を伸ばす。その名を呼ぶ。すると、転がっていた砕月はひとりでに宙に浮き、遊歌の手元に吸い寄せられるように移動する。その異様な光景にただ困惑するばかりの陽は、自身が今しがた瞬間移動を使用したばかりだということを思い出した。


 やばい、と脳が警鐘を鳴らす。遊歌の手元には既に、翠の蛍を撒き散らす細く長い月が握られている。陽と遊歌の間にある距離はおよそ一メートル。その程度、一歩あれば十分砕月は届く。


 防御は間に合うか?


 否。


 なら回避は? 迎撃は?


 否、否。



「僕の、勝ちです」



 陽は、意識を失った。





 ゆっくりと、瞼を持ち上げる。


 負けたのかと、理解する。


「はっ」


 陽は、笑った。


「あ、起きましたか。すみません。本気で顎殴ちゃって」

「気にすんな! それよりもお前、最後のアレ、なんだ?」


 「最後のアレ」とは、ひとりでに動き出した砕月のことだろう。遊歌の砕月にはあのような能力は備わっていない。Lv3の能力にしては少々規模が小さいように思えることから、何らかの技術によるものだと陽は推測する。


 遊歌は特に隠すことでもないので、陽の隣で寝そべりながら、先程のトリックについて説明することにした。


「あれは砕月のもつ術具適性上昇と、僕の術具の扱いで為せる業ですね。多分、術具適性が高い人なら、練習すればできるようになると思いますよ」

「自動追尾と似たようなもんか」

「厳密に言えば違いますけど、大体そんな感じです」


 遊歌のトリックの種を聞き終わった陽は起き上がって大きく伸びをする。


「あ、そうか、お前、起き上がれないのか」

「はい。正直、話すのもしんどいです」


 これが一夜蛍が桜下に禁止されている所以だ。一夜蛍は効果こそ破格であるが反動があり、どんな形であれ、解除されると多大な疲労が遊歌を襲う。おそらく、遊歌は決闘の決着が着いてからずっとこうしていたのだろう。


 陽は既に地平線に触れている。遊歌の回復を待てば夜の帳が降りてしまう。できれば早く帰りたい陽は、力の抜けた遊歌を無理矢理持ち上げた。


「えっ? な、何するんですか?」

「背負うんだよ。お前の家って確かアタシの家の一駅前だよな?」

「いやそうですけど、流石に高校生にもなって背負われるのはちょっと……」

「黙れ。お前は後輩なんだからちったあ甘えろ。どさくさに紛れて乳揉んでも今日は許してやるよ」

「……しませんよ」


 遊歌は愛する彼女がいる身。そうでなくても、節操のないことはあまり好かない。下手をすると無理矢理に胸を揉まされそうなので、大人しく背負われることにした。


 電車の中で視線が注がれていたことは言うまでもない。






「決闘をしたどころか、桜下との約束を破って一夜蛍まで使ったのか」


 家に着き、背負われたままの遊歌を見た途端、今日の顛末を簡潔に述べる匠。分かっていたことだが、やはり決闘をしたことは隠し通せなかった。今までより一層怒りのオーラを濃くした匠を前に、遊歌は怯んで何も言えなくなってしまう。


 だが、今日は救世主がいる。陽は匠の雰囲気に飲まれることなく、雄弁に語り出した。


「でも、こいつアタシに勝ちましたよ?」

「本当か? 元とはいえ八位のお前がこいつに負けたのか?」


 陽が勝敗を伝えた途端に、匠の怒りの雰囲気が消える。遊歌の成長が予想以上だったのか、珍しく表情に困惑の色が現れている。それは普段から匠を知っているわけではない陽にも見てとれた。


 どうやら半信半疑のようだ。匠の見積もりでは遊歌の現時点での実力は高くても十位相当。一桁に食い込めるレベルには達していないという判断だった。しかし、遊歌は現に陽を打倒した。快勝でこそなったもののこれは揺るぎようのない事実だ。


 陽のまっすぐな瞳から、すべてを汲み取った匠は大きなため息を吐く。


「分かった。今回の件は不問にしよう。そして遊歌」

「ん? 何だよ」

「決闘を解禁してやる。週明けにでも勝て」

「は? マジ?」

「本気だ」

「っしゃ!」


 陽の背中で声だけ一人前にガッツポーズをするも、体は依然として力ないままだ。本人曰く、「寝れば回復する」そうだが、風呂にも入れない現状で寝かせるわけにはいかない。


「陽先輩。ありがとうございました。遊歌は僕が預かります」

「おう。ほれ。じゃあアタシはもう帰るわ」

「ありがとうございました、陽先輩」

「ん、またな」


 坂上家で待機していたらしい桜下が二階から現れ、遊歌の引渡しが行われる。匠から遊歌の今日の目的を聞かされていたのだろう、遊歌を受け取った桜下は安心したかのように遊歌を強く抱きしめる。


 抵抗する気も、力もない遊歌はただ静かに桜下に抱かれていた。


 匠は二人が視界に入っていないかの様子で二階へと上がっていき、陽は後輩の微笑ましい姿を見て、満足気に帰って行った。


「こんなに汗かいて。僕が入念に洗ってあげるから、覚悟しておくことだね」

「……え?」

「いやあ、遊歌とお風呂なんて久しぶりだね」

「この年で介護されるのは嫌なんだけど……」


 一階、玄関に残った桜下は同じく一階にある風呂場に遊歌を引きずっていく。遊歌も介護は避けたいと、身を捩らせるなどの抵抗をみせるも無駄である。全快ならまだしも、満身創痍の状態である今は逃げられるわけがなかった。


「さ、脱がすよ」

「ちょっ、待って、マジ……母さん助けて!!」

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