二三話 姉の愛
シスコン殺人鬼が坂上家に居候を始めてから一週間が経った。藤原家夫妻にはこのことを伝え、桜下には決して覚られないようにと話し、表面上は平穏な日々が続いていた。
相変わらず殺人鬼はシスコンで、時折匠の目を盗もうとして桜下の部屋を覗いては半殺しにされている。格闘能力は皆無である桜雅は成す術もなく一方的に虐待を受けていた。
「で、遊歌君は桜下とどこまでいったんですか? かれこれ三年は付き合ってるらしいですし、やっぱりやることやってます?」
「やってねえよ。せめて高校を卒業してからだ」
「真面目ですねえ。あ、僕は行く先々で現地妻的な子がいましてね?」
「聞いてねえから黙れ」
熱い自分語りを始めようとした桜雅を一蹴しながら、桜下への言い訳を考える。
普段なら毎日というレベルでどちらかの家で過ごしている二人だが、最近はこのシスコンのせいで藤原家に入り浸りになっている。それを桜下もそろそろ不審に思い始めているようで、この辺りで適当な言い訳を考えなくてはならない。
原因であるシスコンは遊歌の部屋の壁に勝手に貼った桜下の写真を眺めては表情を歪ませている。言うまでもなく気持ち悪い。
「お前もちょっとは協力しろよ……」
「じゃあこうしましょ、僕と桜下を会わせる。うん! 万事解決!」
「死ね」
本人が桜下の心の傷をまったく理解していないせいで話が進まない。気分転換にでも散歩に出ようかと思い、自室から出ようと腰を上げる。
「何処に行くんですか?」
「散歩だよ」
「やめておいた方がいいですよお……?」
何やらおどろおどろしい態度で引き留める。幽霊が出るとでも言いたいのだろうか。存在自体が幽霊の存在を否定しているような存在が。
それでも一応足を止めて、目で何が言いたいのかと問いかける。
「今頃歌撫さんが僕と君のことを探して半狂乱になってます。出て行くと何が起こるか分かったもんじゃあありません」
「じゃあお前も着いて来い」
「嫌ですう。あんな狂人もう相手したくないですう。こっちまでおかしくなりますよ」
自分が狂っていることを棚に上げて、他人を狂っていると言った桜雅に冷ややかな視線を注ぐ。しかし、桜雅はそんな視線には慣れているのか、平然と口を尖らせている。
こんな狂人の言うことなど信じても意味がないと、遊歌はそそくさと自室から出て行き、夜の皆見町へと足を踏み出そうと、玄関の戸を開ける。
「こんばんは」
ちんまい少女が立っていた。
「……一応聞くが、何しに来た?」
「決闘しよ」
まったく、最近はツイていない。肩を落とした遊歌は全力で昇華の脇を抜けて行った。
迷惑というものを考えず、自己中心的に考えるという点においては昇華と桜雅は酷似している。
月に照らされる皆見町を駆ける。後方を見れば、昇華が遊歌と決闘しようと追いかけていた。
地の利はこちらにある。ならば入り組んだ道を選んで昇華を撒くしかない。幸い、術具は使っていないので、純粋な身体能力としては男である遊歌に軍配が上がる。
右へ左へと曲がり、徐々に昇華との距離を開けていく。そうして五分ほど経った頃、漸く昇華は遊歌の姿を見失った。
「ふう、クソ面倒な奴だな……」
下校している遊歌の後をストーキングしたのか、いつの間にか坂上家の所在を知っていた昇華は、一度訪ねて来てからは頻繁に訪れるようになっていた。流石と言うべきか、決闘狂人の昇華は諦めるという言葉を知らないらしい。
ほっと一息吐いた遊歌は散歩をするような気分ではなくなっていた。
「帰――」
「見つけた」
耳に冷やりとした声が届く。この声の主を思い返す必要はなく、聞こえたと認識した瞬間には一人の女の顔が浮かんでいた。
真貴の叔父を襲った女。桜雅の台詞から察するに、名は歌撫。遊歌の姉を自称する狂人。
「怖がらないで、大丈夫だから。私は、遊歌君を坂上家から助けに来ただけだから」
「助けてなんて、言った覚えはないんだがな……」
振り返り、歌撫から後退りながら反論するも、その声は彼女に届いていないようだった。
この女の何が遊歌を求めるのか、坂上家を恨むのか。遊歌には理解できない。理解できないから恐ろしい。砕月を後ろ手に隠しながら、何時でも桜下蛍で逃走できるように準備する。
「坂上家みたいな汚いところにいたら、遊歌君まで汚くなっちゃうから。ね? お姉ちゃんと一緒に来て?」
「生憎、知らない大人には着いて行くなって、親から教育されてるもんでね」
「……坂上 遊七……!」
母の名を憎しみを込めて呟いた歌撫の声を聞いた遊歌はさらに一歩後退する。すると、誰かの背にぶつかった。仲間がいたのかと、焦燥の色を呈しながら振り返る。
「だから、やめといた方がいいって言ったのに」
この状況では底抜けに頼もしい桜雅の姿を捉えた遊歌は、肺に溜まっていた空気を一気に吐き出した。
遊歌を歌撫から隠すように前に出た桜雅は、如何にも嫌なものを見る目で歌撫を見つめた。
桜雅の態度が気に食わなかったのか歌撫は怒気を放つ。普段ならば怯まないはずの雰囲気に何故か怯んだ遊歌の額に汗が伝った。
「なんで、邪魔するの」
「ちょっと考えてみたんですよ。遊歌君がいなくなったらーって。そしたらね、桜下が悲しむんですよ。二人の関係は言葉でしか知らないんですけど、二人が互いを支え合ってるのは伝わったんです。だから、僕は歌撫さんの敵になります」
シスコン全開の発言がとても格好良い台詞に聞こえた。その台詞が本音か建前かはどうでもいい。この狂人の相手を自分の代わりにしてくれるというだけで、遊歌はこのシスコンを信頼できた。
この苦手意識がどこから湧いて出ているのかは分からない。願いの時のように忘れているだけならば、この女の姿を、声を認識すれば思い出すはず。しかし、そうではないという事実が遊歌を混乱させていた。
桜雅に歌撫を任せて逃走しようとしていた遊歌に桜雅が向き直る。何かまた、頼もしい台詞でも言ってくれるのかと期待した遊歌は桜雅の目を真っ直ぐに見つめる。
「ぶっちゃけ、僕だけじゃ歌撫さん倒せないんで、匠さんが来るまで一緒に戦ってもらえます?」
その顔には、大量の冷や汗が伝っていた。
確かに、歌撫の術具は条件を満たすことができれば匠と遜色ない性能を誇っている。もし何かの間違いで匠の術具を習得されてしまえば、その時点で匠が最強だという常識が崩れ去ってしまう可能性もある。
本人依存と言っていたLvがコピーした当時のものなのか、本人のLvが上がると同時に上がるのかによって、コピーされた砕月の脅威が変わってくる。
もし、桜下蛍が使えるとしたら、敗北は必至だった。
「あ、遊歌君はできるだけ下がっててください。君が拉致られたらそこでゲームオーバーなんで」
「期待すんなよ」
「もちろん、ほぼ期待してません。いないよりはマシ程度に思ってます」
正直に、しかし真面目に、殺人鬼は狂人と相対した。
◆
遊歌を見失った。
まあ、この辺りの街の造りには明るくないから、当たり前と言えば当たり前か。
少女の好敵手は少女と決闘することを避ける。四天王選出戦まではさんざ決闘していたというのに、終わってからは彼が決闘しているところを見た回数は片手で足りる程度しかない。
少女はそれが、不平等に思えて仕方がなかった。だからストーカーまがいのことまでして決闘を申し込んでいるのに、彼はその悉くを拒否してくる。
最早意地だった。決闘の楽しさを、彼に理解してもらいたい。そう思って、少女は少年を追い回していた。
そして、いつものように逃げられて、撒かれて、帰ろうかとしていた矢先に、どこか遠くで金属音が聞こえた。
皆見町の決闘場とは真逆の方角だった。何かあったかと、野次馬根性で少女はその音を追った。
もしかすると、彼がいるかもしれないから。
音の源は存外近く、五分と経たないうちに剣戟の音がすぐ近くにまで迫っていた。さあ、そこの角を曲がれば誰が誰と戦っているかが判る。
少女が角に一歩踏み出した瞬間、一際大きな剣戟の音が聞こえたかと思えば、何かが少女にぶつかった。
それの質量はちょうど人一人分ほどだった。術具を発動していない少女の体ではそれは受け止めきれずに転倒する。少女の体をクッションにしたそれは立ち上がって少女を見るなり目を剥いた。
「東雲!?」
「あ、遊歌ちゃん」
まさかの遭遇に遊歌は驚きを隠せない。生身で刀と打ち合うなんていう化け物としか思えない所業をしている桜雅には悪いが、遊歌は部外者である昇華の相手をしなければならなかった。
状況を知らない昇華は遊歌を見つけられて御満悦らしく、瞳を輝かせていた。
「悪い。今はごたついててお前の相手はできねえ」
「……どっちが敵?」
「あの黒い方だ。何か、僕の姉とか言って――」
「――あの人を倒せば、決闘してくれる?」
歌撫をじっと見た昇華は今までにないやる気を見せていた。
それを感じ取った遊歌は武術を扱える昇華ならば、可能性があるのではという考えに至る。
容姿性格共に幼い昇華なら、その問いに頷くだけで本気を見せてくれるだろう。二対一では劣勢だったが、三対一ならばあるいは。
「この一件が片付いた後でって条件付きなら」
「そう。じゃあ、頑張る」
そう言って、昇華は真を握って狂人二人の戦火に飛び込んで行った。突如現れた幼女に一瞬目を奪われた桜雅はしかし、敵ではないと判断するや否やすぐさま目線を歌撫に戻す。
こと格闘、近接戦闘においては学園の中でもトップクラスの実力を持つ昇華の登場に苦虫を噛み潰したような表情を隠そうとしない歌撫。
近接の専門家が現れたことにより、遊歌は術具操作を駆使して中距離での戦闘に参加する。昇華は流石と言うべきか、拳で歌撫を圧倒しつつ術具操作で真を飛び道具として操っている。
「あの子強すぎません?」
「単純な身体能力だけで見れば学園一番手だからな」
遊歌は桜下蛍でのLv3封印と身体能力強化があって漸く昇華に勝利できる。仮にLv3の封印がなければやはり遊歌は負けてしまうだろう。
誠とまったく同じ術具の能力構成は伊達ではない。加えて、当時にはなかった術具操作も昇華に味方している。桜下という天才と、遊歌という例外を除けば、十分に全国一位を狙える素質を持っている。
たった一人で数十の術具を内包する歌撫と渡り合っている昇華を見て、遊歌は奮い立つ。
歌撫の正体は後で匠か遊七にでも問い詰めるとして、怯えている心に発破をかける。
「ちょっ、ちょっと!? 遊歌君は前出ちゃ駄目っていいましたよね!?」
「桜雅と東雲には悪いが、Lv3を使う」
「えっ? 遊歌君Lv3なんですか? 歌撫さんはLv2って言ってましたけど」
「ついこの間な」
仮に歌撫が桜下蛍を使えるとするのなら、先に使っておかないと取り返しのつかない事態になってしまう。
砕月を強く握りしめ、握り潰すかのように桜下蛍を起動する。夜の皆見町に桜の花弁が降り注ぎ、月と華に照らされた空間が生まれる。
突如としてレベルダウンした二人――特に歌撫――は一瞬動揺する。過去に一度同じ体験をしている昇華は歌撫よりも早くレベルダウンに対応した。
渾身の右ストレートを胸の中心に放とうと昇華は腰を落とす。
「っち」
舌打ちした歌撫は大きく後ろに飛び退いた。そして、この状況では多勢に無勢と判断したのか闇夜に姿を消した。
歌撫が消えたことにより、遊歌と桜雅が安堵の息を吐く中、昇華は逃げられたことが悔しかったのか舌打ちをした。
「助かったぜ東雲。この礼は必ずする」
「……倒せなかったからいい。わたしがあの人を倒すまでこの約束はほりゅう」
「いいのか?」
「でないとわたしが納得できない」
見るからに怒りの雰囲気を出しながら昇華は歌撫と同じように夜の皆見町へ姿を消した。終電はとっくに終わっている時間だが、どうやって帰るのだろうか。
昇華が消えたことによりこの場には遊歌と桜雅が残った。精神的に憔悴しきった二人はしばらくその場から動く気にはなれず、アスファルトに尻を付けた。特に、遊歌はある程度慣れたとはいえ、桜下蛍に含まれている一夜蛍の反動で体が重い。
面倒な事態になったと、ため息を吐く。
仮にあの女が本当に遊歌の姉だったとして、どうしてそこまで坂上家を恨むのか。遊歌と歌撫が引き裂かれたわけに坂上家が絡んでいるのかなどの考察をしてみるも、どれも確信できるようなものではない。
やはり、訊くのならば親だと、遊歌は確信した。




