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夜半の蛍は砕月也  作者: 白谷 衣介
四章 桜
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十八話 諦観、しかし不屈

「……っ」


 遊歌を見つけた桜下は思わず視線を逸らし、スカートの裾をぎゅっと握る。


 桜下を見つけた遊歌は桜下の顔を見つめ、客席から立ち上がる。


「顔を見せないでくれって、言ったろう」

「でも、僕は桜下に会いたかった。会わなくちゃいけなかった」


 桜下の両手を包んで瞳を真っ直ぐ見つめる。遊歌の瞳に謝罪の色が含まれていることはこの目にせずとも、言われずとも分かっていた。

 桜下の手は震えていた。目には涙が溜まっていた。両手の力を抜いて桜下を抱き締める。


「本当に、本当にごめん。僕が、不甲斐ないばっかりに」

「……僕だって、僕だって……会いたかったよ……」


 口で何を言っても、やはり桜下は遊歌を愛している。顔を見たくないといっても、やはり顔を見たい。そんな矛盾した感情の奔流が涙となって流れ出る。


 桜下が泣いている間中、遊歌は桜下の背を撫で続けた。





「……あの、えっと、何があったんですか?」


 訓練場に着いた真貴はいつもの場所に座っている遊歌と桜下の姿を目撃し、思考回路が停止した。

 無理もない。昨日思い切り喧嘩別れした二人が二四時間も経たないうちに仲直り――むしろより仲良く――していたのだから。


「「やっぱり僕には桜下| (遊歌)が必要だってこと」」


 人目を憚らず腕を組み、真貴の質問に揃って答える。


「ま、まあ、お二人が仲直りできてよかったです」


 喧嘩しているより状態はいいが、どうにも煮え切らない真貴だった。


 続いてやって来た黎は二人を見るなりため息をひとつ吐いて、それっきり何も言わずに席に着いた。

 レイズは遊歌に何かを奢らせる約束をこぎつけて、昨日の一件は許したようだ。

 陽は仲直りしたのならそれで良しと、どかりと腰を落ち着けた。


 どうやら、本気で心配していたのは真貴だけだったらしい。


「僕は諦めた。桜下が泣くぐらいなら、Lv3にならなくてもいい。まあ、でも、それでも、勝ちたいって思う」


 誰に言うでもなく、遊歌は語り始めた。


「この気持ちが何処から湧いてるのかは今でも分からねえ。分からねえから諦めた。だけど、勝つことは諦めない。諦められないから、僕は勝つ」


 自分に言い聞かせるような決意。今度こそその決意が揺るがないように、桜下の手を強く握る。その言葉をすぐ隣で聞いていた桜下も、遊歌から二度と離れないように、強く手を握り返す。


 口から砂糖を吐きそうなほど甘ったるい二人を見て、いつも通りだと確認する。


 甘い雰囲気の中、控室から本来の主役たちが現れる。


 零次の術具が事前に分かっているからか、自信満々なドレッド。前回前々回と変わらぬ柔和な零次。荒波と草原のような二人は対比のような関係にも見える。


 両者ともに手が割れているこの決闘の結果は確定している。何の不確定要素もなく、ドレッドの勝利で間違いない。

 顕現系は零次の標的だが、ベルトという位置、ドレッド本人の身体能力の高さという悪条件が相まって、零次の勝機はない。


「これより――」


 テンプレートな放送、ブザー。そして、馬鹿は馬鹿らしく、突貫。


 まあ、零次に対しては間違った戦法ではないのだが、いい加減相手が近接と見るや否や猪突猛進する癖は直すべきである。

 まさに爆走。零次はベルトを淡く発光させるドレッドの動きを追うことはできないが、予測することは容易だ。遊歌の時と同じように、姿を消した虚を突進するドレッドが通過するだろう地点に呼び込む。


「視えてんぜ」


 しかし、予測以上の能力――未来予知――を持つドレッドにその手は通じない。予め虚の着地点を視ていたドレッドはそこを避けるように地を蹴り方向転換する。勢いを殺さないように斜めにステップを踏んだドレッドは、虚の着地点を通過したことにより軌道を修正する。


 拳を引き絞り、一撃で決めようとする意志がひしひしと伝わってくる。それは零次も感じ取っており、訓練場の床に突き刺さる直前に虚の軌道を曲げていた零次はドレッドの拳を虚で受け止めた。


 ドレッドの拳で明後日の方向に飛ばされた虚をすぐさま解除して再び顕現させる。手元に収まった虚を振り下ろすも、零次の腕の足よりも速く後ろへ跳んだドレッドはその一振りを易々と回避する。


「やっぱり、小細工は通用しないか」


 苦い顔でドレッドのベルト、そのバックルに嵌められた宝石を見つめる。銀河を内包したかのようなその輝きはフォトンベルトの名に恥じない。

 未来予知という能力がある以上、虚の奇襲は通じない。封印できたとしてもものの数秒だけだろう。その数秒では虚による奇襲が成功する確率は非常に低い。


 何の皮肉か、遊歌に負けたドレッドが、遊歌に勝った零次の最大の天敵だった。


「突っ立てるだけならもう一回俺からだ!」


 全力で地を蹴ったのか、訓練場の床が陥没する。盛大に土埃を上げ、五メートルはあったはずの距離を二歩で一メートル以内にまで肉薄する。

 三歩目で零次の心窩に狙いを付けたドレッドは先程と同じように拳を引き絞る。


 ドレッドが突進して来た時点で拳での一撃を予測していた零次はドレッドのベルトに手を伸ばす。

 そんなものお構いなしにドレッドは今度こそ零次に全力の一撃を放った。


「……間に……合った!」


 ギリギリでフォトンベルトの封印に成功した零次はドレッドの拳を心窩に受けながら気合でその場に踏み留まる。そして、ドレッドの背後に待機させておいた虚を飛来させる。


 しかし、零次は選択を誤った。確実に虚を当てたいのなら、振りほどかれることを覚悟してでも、ドレッドを拘束しておくべきだった。


「視てなくても!」


 飛来する虚の刃の長さは遊歌との決闘、そして開始前でおおよそ見切った。風を切って迫る虚を紙一重で回避し、柄であると確信を持って虚を掴み、地を削ってその勢いを殺す。そして、そのまま虚を振り上げる。


 苦悶の声を漏らした零次は再び虚を解除する。普段武器を持たないドレッドは元より虚をあてにしていなかったようで、腕を限界まで伸ばして零次の肩を掴む。

 そして、そのまま腹部に膝蹴りを一発。


「くふっ」


 いくら耐久力の高い零次でも、内臓に直接響く攻撃には弱いのか、目に見えてダメージが大きい。これを隙と見て、ドレッドは膝蹴りを放った足を地に付けぬまま、もう一度零次の腹に横蹴りを打ち込む。


 最早一決闘に一度は訓練場の壁に追いやられている零次は、そう何度も同じ状況に陥って堪るかと、虚をブレーキ代わりに減速する。そして、再び零次に向かって猛進するドレッドに向けて虚を投擲する。


 頭部に狙いを付けられた虚を軽く避けたドレッドを見て、零次は気付く。


「視えて……ない?」


 今のドレッドには未来が視えていない。零次の思惑が視えているのなら、さっきと同じように虚を掴み取っていたはず。視えていないのならばそれはそれで幸いと、零次は予定通りに虚を操作する。


「んがっ!?」


 極力音を立てずにドレッドの背後に迫った虚は必中圏内に入った瞬間速度を上げた。それに反応しきれなかったドレッドは後頭部を殴られ、床に顔面を強かに打ちつけた。


「っそ、痛ってー……」


 鼻を擦りながら起き上がったドレッドの顔は赤くなっていた。どうやら、強化された身体能力でも、今のは堪えたらしい。


「はあ、もう、形振り構うか!」


 その声を聞いたフォトンベルトは、バックルの宝石を発光させる。零次は宝石の輝きを見て、それが未来予知の予備動作だと確信する。


 しかし、その宝石の輝きはいつまで経っても収まらなかった。


「まさか」


 今しがたドレッドが言った台詞、そして、今まで数秒で収まっていたはずの発光が未だ収まらない。この二つの状況から、レイズは自身にとって最悪とも言える状況を見出した。


「おらあ! 逆襲だ!」


 何時ドレッドが追い込まれたのか問い質したいところだが、生憎零次にその余裕はなかった。

 およそ二メートルの距離を一歩で詰めたドレッドが、上段の蹴りを放とうとしたところで虚が唸りを上げて突撃する。もちろんそれも視ていたドレッドは狙いを零次の顔面から虚へ切り替える。


 吹き飛ばされた術具はその勢いが止まるまで術具操作はできない。解除し、再び発動すれば手元に戻って来るが、先程とは違い、ドレッドは全力で虚を蹴り飛ばさなかった。それにより、ドレッドは次の攻撃への移行が先程よりも数瞬速くなっていた。


 突然だが、訓練場の大きさの話をしよう。

 ここ、第一実践訓練場は円形であり、半径は十メートルだ。これは大規模な術具を扱うものでも十全に能力を解放できるようにと、初代学園長が生徒を想って指示した広さだ。


 そして、顕現系の術具の限界効果範囲は十五メートルと相場が決まっている。それ以下は存在しても、それ以上は決して存在しない。

 その例に漏れず、零次の虚の限界効果範囲は十メートルよりも少し広い程度。


 蹴り飛ばされた虚は訓練場の壁にぶつかり、力なく金属音を響かせた。

 限界効果範囲の外に出てしまった術具に術具操作は効かない。手元に戻すには解除し、発動し直すことが最も早いとされている。


 だが、そんな時間はない。


 ドレッドの縮めた数瞬は、まさしく零次の敗北の境界線だった。


「これで決める!」


 腰を落とした零次の正拳突きが零次の心窩を確かに捉えた。


 やはり壁にぶつかった零次は、そのまま力なく前のめりに倒れ、ぴくりとも動かなかった。


「勝者、大和 ド――」

「――っしゃオラァ!!」


 放送を遮ってまで勝鬨を上げたドレッドは遊歌に向かって拳を向ける。どうやら彼の中で、この決闘は遊歌の仇討ちも兼ねていたらしい。

 そんなドレッドの友情を、素直に受け止めた遊歌は同じくドレッドに拳を返した。





 今日の帰路は三人横並びだった。遊歌の左隣に桜下が、右隣に真貴が並んで歩いていた。


「本当良かったです。先輩たちが仲直りして。わたし、本当にどうなるかと思いましたよ」


 肝を冷やしたという様相で二人に安堵の視線を向ける。冷え切っていた昨日と比べると異常に思えるほど引っ付いている。


 口ではああ言った桜下も、帰ってからやはり独りは寂しかった。柄にもなく、帰ってから両親に泣きついたほどだ。


「喧嘩って初めてだったからよく分かんないけど、多分もう二度としないかな」

「そうだな。こんなもん互いに消耗するだけで得しねえし」


 レイズに聞いたところではこの二人は三年間付き合ってきて、昨日の昨日まで一度も喧嘩をしたことがなかったらしい。他の観戦組| (ドレッドは除く)も、二人がどれだけ互いに依存しているかを知っていた。だから遅くとも今日の決闘が終わるまでには仲直りすると予想していたらしい。


 まあ、それでも降参というふざけた行為には怒ったが。


「なら、わたしとしても嬉しいです」


 尊敬する二人が仲違いするところなどもう二度と見たくはなかった。


 うざったい蝉の鳴き声に耳を貸さず、三人は駅で別れるまで話し続けた。





 桜下とも別れ、帰宅した遊歌はまたもやリビングで棒アイスを齧っている匠を目撃した。いい加減家賃でも取ってやろうかという思いが過ぎるが、これからものを頼む態度ではないと、言葉を押し込む。


 そんな遊歌の葛藤など興味なしとばかりに、匠はリビングから玄関に立つ遊歌を見つめていた。


「存外に立ち直るのが早かったな」

「お陰様でな」


 皮肉たっぷりに笑顔で返す。それに気付かない匠ではないが、それがどうしたとばかりに言葉を紡ぐ。


「まあいい。それで、何の用だ? 何か用があってリビングに向かおうとしていたのだろう?」


 人の心を見透かすリアルチートはいやらしい笑みを浮かべながら正面に向き直る。


 匠にものを頼むということはつまり、弱みを握られていることと同義だ。足枷を付けられているような気分になりながら、リビングに入った遊歌は冷凍庫にアイスが残っていないことを確認してから口を開く。


「どんな手を使ってもいい、僕を強くしてくれ」


 「どんな手」と言ったが、それは言葉の綾というやつだ。どれだけ規格外でも、匠とて一端の魔術士。その矜持は持ち合わせているだろうという、遊歌の信頼の表れだ。


 冷蔵庫の前に立つ遊歌に背を向けたままの匠は最後に残った一欠片のアイスを口に含む。


「お前、それでいいのか」

「ああ、構わない。願いの根源なんてもうどうでもいい。たといLv3になれなくても、僕は勝ちたい。勝てればそれでいい」


 我ながら歪な願いだと思いはする。魔術士のひとつの目標である、「Lv3へ至る」ことを捨ててまで勝利を求めているのだから。


 遊歌の決意を受け止めた匠は手元のアイスがあった棒を泥で包みながら立ち上がり、遊歌の目の前まで歩み寄る。

 何をされるのかと心を構えた遊歌だが、泥が棒きれを包んでいる以上はそこまで無茶なことはされないだろうと気付く。


「お前はおかしい」

「知ってる」

「何だその願いは。何だその術具は。術具適性を上げる? 反動がある? そんな術具であまつさえ勝ちたいだ? お前はどれだけ私を引っ掻き回すんだ」


 遊歌がこうして真っ向から匠に頼みごとをするのはこれで二度目。一度目は小学生の時だった。その時の頼みも同じ、「強くしてくれ」。そして、こうして正論を並べられるのも二度目、お前が言うなと口を突いて出そうになったのも二度目だ。


 だから遊歌は分かっていた。匠が次になんと口に出すかを。


「……まったく、可愛い従弟だ」


 そう言って、遊歌の髪を優しく撫でる。傍若無人な匠だが、決して頼られることは嫌いではない。拒否の姿勢を最初に相手に見せておきながら結局は了承する、ツンデレにも似た匠の態度を遊歌は今までの強制世界旅行で幾度となく見てきた。


 遊歌の頭から手を放した匠は腕を組む。恐らくは遊歌用の強化メニューを考えているのだろう。事前に休息を命じた通り、匠としてはあまり遊歌に無茶をさせないはずだ。


 と、勝手に遊歌はそう思っていた。


「ならば、まずは一夜蛍の反動に慣れることから始めるか」

「……は?」


 言葉を失った。半月と少し前に休息を命じた人間が言うような台詞ではなかった。


「いや、そんなことしてたら来週の決闘まで体がもたねえって!」


 一夜蛍の反動を一日に二度味わったことは、実は一度だけある。その結果は常夜蛍の反動ほどではないが衰弱。使い終わった瞬間に気を失ったという話を桜下から聞いた。


 そんなことを約一週間も続けていれば、体どころか精神まで参りかねない。そんな凶悪な強化メニューなど御免だと声を張り上げた遊歌の両手に、匠は原材料棒切れの手錠を嵌めた。


 理解が追いつかない中、手元を見た後に匠を見た。


「どんな手を使ってもいいのだろう?」


 今まで見たことのないゲス顔を浮かべている匠がそこにいた。

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