十六話 張りぼて
今日は零次と決闘するということで、遊歌は朝から張り切っていた。初戦での勝ちもあり、遊歌は今波に乗っていると言っていい。天候は曇りだが体調はすこぶる優れている。この調子ならば桜下以外の誰にも負ける気がしない。
訓練場に向かう前に入念に体を温める。いくら調子が良いといえど、準備には手を入れるに限る。やりすぎることは逆効果だが、遊歌はその度合いをしっかりと見極めている。
解し忘れた部位はないか思い返しながら大きく伸びをする。
「っし。完璧だ」
準備体操及びストレッチを終えた遊歌は意気揚々と訓練場へ向かった。
◆
観客組はいつものメンバーに黎を除いたメンバーだった。
何でも、ドレッドのLv3覚醒記念に、ちょっとした旅行にいくことになったのだとか。元より家族ぐるみで付き合いのあった大和家と黎の湊家で沖縄に行くらしい。
何故このクソ暑い時期にクソ暑いところへ行くのかが理解できないが、まあ、当人たちが楽しみにしていたのでそれはそれだ。
目下心を配るべきは遊歌。ドレッドの時のような覚醒が起これば話は別だが、いや、起こったとしても、遊歌が零次に勝つ可能性は非常に低い。
顕現系術具の弱点である能力の解除が存在する限り、遊歌は零次に勝てない。
遊歌の術具が通常の術具であればこんな心配はいらないのだが、生憎遊歌の術具はあらゆる例外を孕んだ例外中の例外。本来反動がないはずの術具の能力に反動があることを始めとして、砕月は異形そのものだ。
ならば、その異形の可能性に賭けるしかない。
桜下を除いた観客組が暑さにより黙り込む中、陽は遊歌への心配で黙り込んでいた。
きっと、桜下もそれは分かっている。分かった上でここにいる。
憐みにもとれる眼差しを桜下に向けていると、両者が訓練場に現れた。
二人の術具は似ている。ただ、攻撃的か防御的かの違いがあるだけ。
木刀を銀で塗り固めたかのような砕月と、至って普通の刀である零次の術具――虚。
普通の象徴である虚と異形そのものである砕月の対決は、術具を研究する者であれば興味深い対決だろう。
「序列五位、下野 零次。序列十四位、坂上 遊歌の決闘がこれより開始されます」
今まで幾度も聞いた放送委員の声が二人の集中力を高める。
ふうと胸中に溜まっていた空気を吐き出す。すうと足りない空気を胸中に取り込む。
負ける気がしない。必ず勝つ。その決意を、願いを心の芯にして、遊歌は決闘開始の合図を待つ。
ブザーが鳴った瞬間、砕月に罅が入る、虚の姿が消える。
先手必勝。自己最速の反応速度で零次に肉薄した遊歌は一撃で勝負を決めるべく、逆刃に持った砕月で零次の心窩を狙う。
「させないよっ!」
姿が消えてなお、そこに刀身が存在する虚で心窩に迫る砕月を打ち払う。
払われた砕月をそのまま手放し、さらにもう一歩踏み込んで掌底を打ち込む。遊歌が一歩踏み込んだと同時に後ろへ飛んだ零次は掌底の威力を半減させる。
掌底を食らい、それでもその場に立ち留まった零次は虚振り上げる。
「来い、砕月」
砕月を呼ぶや否や、砕月が急速に飛来する。修練を重ねたのか、その速度は以前よりも数段速くなっている。学園の決闘で初めて見せたその技術に、零次は目を剥いた。
右手に収まった砕月で虚を受け止める。脇腹を狙った零次の蹴りを敢えて受け止め、意趣返の如く零次の脇腹を蹴り抜く。
一メートルほど吹き飛んだ零次を見て、遊歌は零次の力量をある程度把握した。
月下蛍でも互角以上に戦えていることから、零次の身体能力強化はさほど倍率が高くないか、本人の実力が低いかの二択。どちらにしろ、遊歌の優勢に変わりはなかった。
「……やっぱり、坂上君は強いね」
「そうかい。ありがとよ」
「ところで、俺の虚はどこにあると思う?」
「あ? そりゃあ、君の手の中に――」
そこまで言ったところで、遊歌は咄嗟にその場から飛び退いた。一瞬遅れて、遊歌がいた床に何かが突き刺さったかのような穴が空く。
穴の大きさを見るに、その穴を作ったのは恐らく虚。しかし、穴の角度は零次の手元から投げた場合ではあり得ないものだった。
だとすれば。
「いや、驚いたよ。それができるなんて」
「……驚いたのはこっちだっつーの」
術具操作は誰にでもできるとはいえ、一般的に浸透しているとは決して言えない。遊歌の知る限りでは、遊歌と真貴以外に使える者を知らなかった。
「入学した頃に偶然にこれを知ってね。独学で習得したんだけど……どうやら坂上君はそうじゃなさそうだ」
「師匠がいろいろとイカレてるもんでね」
術具操作と便宜上名付けられているこの技術は匠が独自に開発したものだ。本人が顕現系術具でないというのに、これを編み出した匠は術具研究の場では相当な変人という扱いになっている。まあ、その通りすぎるので、本人もその周りも何も口出しはしない。
そんな事情がある故、術具操作は遊歌と真貴以外使えないと思っていたが、まさか偶然でそれを発見している者がいるとは思いもしなかった。
真貴のビットのような白金剣も面倒だが、姿が見えない虚もまた面倒だ。
ただでさえ月下蛍に割いている集中力を、他にも割かなければならないということは非常に大きな負担になる。しかし、ここを耐えてこそだと、遊歌は一夜蛍を解放しなかった。
「じゃあ、第二ラウンドと行こうか」
相手の姿が見えているだけ、スサナよりはマシだがこれはこれで対処が難しい。術具操作を習得して数か月の遊歌と、習得してからおよそ一年半の零次ではその精度が違う。
姿の見えない虚を耳で探しながら零次を追う。高速で迫る以上、風を切る音までは隠せない。辺りを飛ぶ音を見失わないように耳を澄ませる。
やはり身体能力が高くない零次はすぐさま遊歌に追いつかれる。
月下蛍は魔力と体力の消費が非常に少ない、超低燃費術具だ。虚がどれほどの魔力消費なのかは不明だが、月下蛍以上に燃費の良い術具Lv2の術具など存在しない。そこを利用して長期戦に持ち込むこともできる。
懐に潜り込もうとした遊歌は目の前に虚が飛来したことにより一歩身を引く。
舌打ちをしながら身を引いた遊歌に肉薄した零次は遊歌の心窩に渾身の拳を食らわせる。
「くっ」
身体能力が高くないとはいえ、強化されたそれの渾身は流石に堪える。よろめいた遊歌の脇腹を今度こそ蹴り抜く。その蹴りをもろに受け、しかしその場に留まり続ける遊歌に追い打ちとして虚が飛来する。
あまりこのまま近付きすぎるのも良くないと、零次から離れることをついでとして虚を回避するために後方に大きく下がる。
「……めっんどくせえ……」
ため息混じりに悪態を吐く。常に周囲で風切り音を鳴らしながら警戒心を煽り、隙を見ては飛来。零次に近付けば瞬時に牽制として飛来し、カウンターの攻撃を食らう。あえて何度か食らって見切るという戦法はあまり取りたくない。一度でも失敗すればグサリだ。
大きなため息を吐く。そして、桜下がいる観客席を見る。
桜下は口を尖らせながら、渋々頷いた。
事前に許可を取っていたドレッド戦とは違い、零次戦では許可を取っていなかったため、桜下にこうして許可を得る必要があった。
桜下の許可を得た遊歌は早速砕月から翡翠の粒子を溢れさせる。
爆発的に身体能力を強化した遊歌はまさに猪突猛進とも言うべき速度で零次に迫った。
「速っ」
遊歌の身体能力に完全に着いていけなくなった零次は、迫る遊歌にそれでも先程と同じように虚を向かわせる。零次がまた同じ行動を取ると予想していた遊歌は紙一重で虚を避け、見えないはずの虚を左手で掴む。
どうやら刀身を掴んでしまったらしく、遊歌の手から鮮血が噴き出すも、すぐさま柄を探し出して持ち直す。
「む、無茶だよ」
「この程度、無茶にもならねえよ」
両手が塞がっているため、前蹴りで零次を蹴り飛ばす。
潰れた蛙のような呻き声を出して、零次は訓練場の壁に思い切り背を打ちつけた。それでもまだ大したダメージにはなっていないようで、少しよろめきつつも立ち上がる。
零次の術具はやはり攻撃的なものではなく、耐えて相手の隙を狙う系統のものだと察した遊歌はLv3も大した脅威ではないだろうと考察した。
念のために虚を持つ遊歌だが、勝負は最早決したと言わんばかりに悠然とした足取りで壁際に立つ零次に向かう。
「……流石……」
「これで、終わりだ」
遊歌が砕月を振り上げる。すると、零次が不敵な笑みを浮かべた。
「……何笑ってんだ」
「この瞬間を、待っていたんだ」
「そうかよ」
零次の言葉の意味がてんで分からない遊歌は深く考えることをやめる。零次の台詞を一言で切り捨てた遊歌は振り上げた砕月を零次の脳天に叩き込もうと、腕を下ろす。
――刹那、遊歌の手から砕月が消えた。
それを認識する前に、遊歌は膝から崩れ落ちた。これは零次の術具ではなく、紛れもない一夜蛍の反動。それを遊歌が間違えるはずがない。
砕月があったはずの右手を見つめる遊歌は重い頭を持ち上げた。
「何を……した……っ!?」
「俺の、Lv3さ」
遊歌が手から零れ落とした虚を拾い上げながら零次が続けて言う。
「俺のLv3、虚の一時は、触れた相手の術具を触れた時間だけ封印するんだ。東雲さんや藤原さんのような生身でも戦える人たちには無力だけどね」
なるほど、それは遊歌の天敵だ。そして、これが陽の危惧していた最悪の事態。月下蛍では勝利は不確定、一夜蛍では術具を封印されて反動に襲われる。特に、後者に嵌まってしまった場合、勝利は絶望的だ。
「君はもう、俺には勝てない」
零次のその言葉は、遊歌に突きつけられた現実そのものだった。
地に膝をついて零次を睨むのが精一杯の遊歌に、零次は遠回しに降参を勧める。
遊歌も、心の隅でもう勝てないと理解している。だが、勝つと決めたからにはそう易々と敗北を認めることはできない。
封印が解け、手元に返ってきた砕月を力なく握る。ここ数日の体力作りのおかげかは分からないが、砕月を杖代わりに遊歌は生まれたての小鹿のような弱々しい様相で立ち上がった。
「勝てないから、なんだ……! 負けてない以上、勝つ可能性は、残ってんだろうが……!」
体力は一割程度しか残ってない。そもそも、一夜蛍は体力の大半を反動として要求する。その一割残った体力で、いや、気力で遊歌は月下蛍を起動する。
もう一度一夜蛍を封印されれば、それこそ勝機はなくなる。きっと、封印された時点で気を失ってしまうだろう。
血が上った頭で、しかしどこか冷静に遊歌は砕月の鋩を零次に向けた。
「僕は、勝つんだ……っ!」
決闘相手と言う立場から見ても非常に痛々しい遊歌のその姿を見た零次は頭を振る。
どうしてそこまでして勝利を追い求めるのかが零次にはてんで理解できなかった。それが願いの強さだと言われればそれまでだが、それでは何故遊歌はLv3に至れないのかとい疑問が浮上する。
その疑問にあるひとつの仮説を見出した零次は、遊歌の腹を虚の峰で横一文字に払う。
抵抗も踏ん張りもできず、されるがままに地を転がった遊歌はそれでもまだ立ち上がろうとする。
「Lv3にでもならない限り、君はもう俺には勝てない」
あえてそう言った。
遊歌の願いの本質を見極めるために。
「僕の、僕の……願いは……っ、勝つことだ……!!」
弱々しく、そしてどこか迷いながら遊歌は答えた。しかし、遊歌の叫びに砕月は応えようとはしない。弱々しく光を放つのみだ。
その一人と一振りを確認した零次は確信をもって遊歌に告げる。
「その願いには、中身がない」
憐憫の眼差しを以て告げる。
「何故、勝ちたいのか、何故、負けたくないのか。根源が欠如している君のそれは、欲望ですらない」
「くっ……ぐぅ、ぅ……」
図星を突かれ、呻き声を漏らすことしかできない。
薄々感じていた。自分のこの願いには何かが足りないと。しかし、それが何なのか、この思いが、願いが何処から湧き上がっているのか、今の遊歌には皆目見当もついてない。
それをほとんど見ず知らずの、数度拳と刀を振り合っただけの相手に見抜かれたという事実が、遊歌の腸を煮えさせていた。
力が入らないはずの右手で砕月を握る。喘ぐように呼吸をしながら、零次に近寄って砕月を振るう。零次はその鈍間すぎる太刀筋を虚で受け流した。砕月の重さに引っ張られたのか、その一振りが全力だったのか、遊歌はそのまま無様に倒れ伏した。
「君はもう無理だ。身のためにも降参した方がいい。俺だって、これ以上坂上君を傷付けるのは本意じゃないんだ」
「……うる……さい……」
「もう、万にひとつも君に勝ち目はないんだ。分かっているだろう?」
「……黙れ……」
「俺は、君のためを思って――!」
「喋るな!!」
悲鳴のような声を上げながら遊歌は三度立ち上がる。
その右手は、しかと砕月を握っていた。
「勝つんだ、勝つんだよ、僕は! 僕は勝つんだ!」
「そんな……体で……」
零次は心の底から遊歌を心配していることは間違いない。しかし、冷静さを欠いた遊歌にその思いは届かない。聞く耳持たぬと言わんばかりに遊歌は砕月を振り上げた。
「砕、月!」
砕月の罅が大きくなる。往生際悪く、また一夜蛍でも使おうとしているのかと考察した零次だが、その予想は外れる。
「お前が応えないのなら、こじ開けてやる……!」
砕月の粒子が翠から赤に変わる。粒子が噴き出す量も今までとは比べ物にならないほど増大し、砕月を包み込むように停滞している。
術具とは言わば魔術士の精神そのもの。それを無理矢理に弄繰り回すということは、魔術士本人への多大な負荷を意味する。
「坂上君! 駄目だ!」
遊歌から距離を取った零次は制止を促すも、やはり遊歌は聞き入れない。苦い顔をしつつも、零次は遊歌を見守ることしかできない。
「絶対に、勝つ!」
砕月を引きずりながら突貫する。一夜蛍とも比べ物にならないような速度で零次に迫るも、その動きは最早理性を失っているものと同義。一直線に駆ける遊歌に、カウンターの要領で心窩に虚の峰を叩き込む。
「かっ」
短く声を漏らして、遊歌は訓練場の床に沈んだ。しばらく待っても微動だにしていないことから、気絶したとみて間違いない。
「勝者、下野 零次」
その放送は、訓練場に虚しく響いた。




