十三話 二人の心
時は流れ八月二日。西行学園の第一訓練場には珍しく観客が集まっていた。とはいっても満席とまではいかず、まばらに空席が見受けられる。
天候は快晴。観戦するには最悪の天候だが、決闘を行うにはこれ以上ないグッドコンディションだ。観戦に来たレイズと黎は燦々と地表を照らす太陽を忌々し気に見上げた。
「クソ。あの馬鹿たちにはお似合いだな。クソ」
「語頭と語尾がクソになってますよヴァ―ミリオン先輩……」
レイズの隣に座る真貴は暑さで悪態を吐く機械と化してしまったレイズに苦言を漏らす。逆に黎はうだるような暑さに、最早言葉を発することを諦めている。動けば動いた分だけ暑くなることを知っている黎は瞬きすらまともにしていないように見える。
視線をレイズのさらにひとつ隣に移した真貴は、普段通りの桜下がそこにいた。
訓練場の中央をまっすぐ見つめて動かない桜下を見た真貴は何故か安堵する。
他二人の見るだけでこっちまで暑くなりそうな汗とは違い、落ち着いた桜下の汗はどこか扇情的だ。首筋から伝う汗が胸元へと消えて行き、薄いカッターシャツに小さな染みを作る。
あまりじろじろ見るのも失礼にあたると、真貴は二人の六技能を改めて見直した。ドレッドの六技能は遊歌と似通っている部分がある。特に、身体能力と技術の項はそれが顕著に表れている。ドレッドは技術がEであり、遊歌の技術よりも二段階ランクが低い。それは遊歌の術具適性にもほぼ同じことが言える。
四天王選出戦の取り決めにより、候補者たちはそれぞれの六技能を見ることは叶わない。しかし、遊歌とドレッドに限っては見る必要などないだろう。悪友にして好敵手。そんな二人が互いのことを理解していないはずがない。
脳筋対脳筋。俄然観戦意欲がわいてきたところで、訓練場の入り口の方が何やら騒がしいことに気が付いた。
「ああ? 観戦ぐらい部外者でもいいだろうが!」
「部外者云々は抜きに、お前が面倒だから来るなって言ってるんだ」
どうやら教員――誠と、観戦しようとしている学生ではない者が揉めているらしい。声からして女のようだが非常に口が悪い。不機嫌な時の遊歌に匹敵するレベルだ。
面倒な人間もいるものだと、視線を逸らして小さなため息を吐いた真貴に対して、桜下はその声に聞き覚えがあるようで、入り口をじっと見つめていた。
自分の知る限りでは桜下の知り合いにあそこまで粗暴な人間はいない。遊歌もなかなかに荒れているものの礼節は弁えている。
学内の知り合いならば声を聞けばわかるはず。分からないということは学内の人間でないことは確かだろう。
「ごめん、ちょっと行ってくる」
やはり桜下とその部外者は知り合いだったようで、見かねた桜下が席を立つ。
入り口で誠と揉めていたのはオレンジの髪をポニーテールで纏めた勝気な印象を受ける少女。といっても年齢は桜下よりも上であり、先輩という立場にあたる。
「久しぶりですね、陽先輩」
「お、桜下か! よう!」
不知火 陽は威風堂々とそこにいた。
桜下が来たことにより、安堵と不安の板挟みに遭う誠。桜下がいれば陽が面倒を起こしたとしても鎮圧することは容易だろう。それでも拭いきれないほど大きな不安要素を抱えているのが陽という女だ。
野次は当たり前に飛ばすだろう。決闘中の候補者にアドバイスをするという可能性も捨てきれない。特に後者は、最悪アドバイスを受けた候補者が失格になる。
悪い結果が次々と浮かぶ中、陽が諦めないであろうことを悟った誠は一際大きなため息を吐く。
「観戦は許可するが、違反行為は絶対にしてくれるなよ? 懲罰受けるのはお前だけじゃないんだからな」
「ハン。高山は相変わらず頭が固ぇなあ」
「あくまでも生徒第一だからな」
呆れたように眼鏡をかけ直す。まったく、どうしてこうも損な役回りばかりが回ってくるのか、誠は自身の立場に疑問を抱かずにはいられなかった。
安心と不安が混ざり合って温い汗をかいている誠は訓練場の入り口の警備に戻った。
やけに上機嫌な陽は桜下の右隣に座った。普段陽が何をしているのか不明だが、この様子だと相当不満が溜まっているようだ。
電光掲示板に備わっているデジタル時計に目を遣れば時刻は十時直前。決闘は十時きっかりに始まるため、陽は目に見えてそわそわしていた。
「この方はどなたですか?」
真貴は陽との面識がない。入り口での会話が聞こえているわけもなく、真貴は陽の存在について問う。
「僕たちの先輩でね、今年度の始めに派手に喧嘩して退学になった人」
「おう、よろしく頼むぜ後輩ちゃん」
「え、ええ……」
二人ともあっけらかんと言い放ったが、真貴には簡単に受け入れられそうにはなかった。
桜下たちの先輩であるのなら、根っからの悪人ではないだろうが「喧嘩で退学」というワードが第一印象を悪くする。
真貴がどう陽に接するか思い悩んでいると、控室から両雄が現れる。
ざわついていた訓練場がしんと静まり返る。耳に届く音は蝉時雨のみ。
人々が音を失ったような空間の中、進行役であろう者の声がスピーカーから響く。
「序列十四位、坂上 遊歌。序列十二位、大和 ドレッドの決闘がこれより開始されます」
放送部の人間だろうか、凛とした声は訓練場にいた人間の耳にすっと入っていく。
互いに術具を顕現させる。遊歌は銀一色の砕月を、ドレッドは装飾が施されたベルト――サテライトベルトを。
いつものような軽口すら叩かない。それほどに二人はこの決闘を楽しみにしている。表情こそ固いそれだが、前日までの二人を知っている者ならば内心を推し量ることも容易い。
決闘開始を知らせるブザーが鳴る。その音と共に遊歌は砕月を訓練場の床に突き刺す。
「へえ……!」
その意味を察したドレッドは大きく口を歪める。翠を噴く砕月に呼応するように、ドレッドのベルトも光り、装飾の形を変えていく。銀でできたリングのバックルが特徴的な、ドレッドのLv2――アステロイドベルト。
ぐっと拳を握る。右脚に力を籠める。そして、同時に駆けた。
互いの拳を互いの左手で受け止め、取っ組み合いのような形になる。遊歌は即座に膝蹴りで、ドレッドはヘッドバッドでその一瞬の均衡を崩す。
まともに一撃を受けたはずの二人はしかし、ダメージを感じさせずに次の行動へ移る。先に動いたのは遊歌。さながら短距離走のスタートダッシュの如く姿勢を低くしてドレッドに迫る。
低い場所にいるのなら蹴りだと判断し、下段へ蹴りを放とうとしたドレッドは蹴り出してから己の愚策に気付いた。
ドレッドの予測を超えて、一気に加速した遊歌は重心が偏った左足を掴んで力の限り引っ張る。
「う、おぉっ!」
怪力乱神に迫るその力で態勢を崩したドレッドは地に叩きつけられる直前に最低限の受け身を取る。
が、隙が生まれてしまったことには変わりなく、遊歌は空いた心窩を貫く勢いで掌底を叩き込む。
「かっ……ふっ、ぐっ」
岩石をも砕くであろう一撃を受けたドレッドは襲い来る嘔吐感を押し殺して、伸びた遊歌の腕を掴む。
両足を畳んだドレッドは弾くように両足を伸ばし、覆いかぶさるようにしていた遊歌を蹴り飛ばす。
「うっ」
小さく息を漏らした遊歌は水きりの如く何度か地を跳ね、壁際ギリギリで漸く停止する。
ダメージ覚悟の反撃は遊歌の得意とする領分だ。それをあえて遊歌に食らわせるということは挑発しているのだろうか。
それがわざとなのか無意識なのかはさておき、互いに腹部に大きくダメージを負った二人はよろめきながら立ち上がる。まるで鏡のような二人の動作は心境のシンクロを示している。
一連の攻防を観客席から見ていた陽はいつになく大人しかった。
陽はこの勝負の行方が既に見えていた。たった一度の攻防。しかしそれが二人の正真正銘ただの一度きりの全力。互いに負傷してしまったからには、次からの攻撃は、防御は全力とは言い難い。
一見まったく同じ威力に見えた一撃の威力は、圧倒的に遊歌の方が高い。
地を背にし、狙い澄ました遊歌の掌底を受けたドレッド。空を背にし、咄嗟の蹴りを受けた遊歌。拳よりも足の方が、攻撃力が高いという前提があるにしてもこの差は大きい。
強がって見せても、陽はドレッドのダメージの度合いを的確に見抜いていた。
今度はドレッドが先手を取ろうと遊歌に肉薄する。
ドレッドが中間距離まで来たところで遊歌は浅く構えを取る。
その構えを知る者は目を剥いた。
実力の向上を目指す魔術士なら知らぬ者はいないほどに有名なその構え。
訓練場の入り口で項垂れている、誠が編み出した我流の徒手空拳。完全に見よう見真似の猿真似もいいところだが、ドレッドを驚愕させるには十分だった。
半身になり、右手を胸元に添え、左手で脇腹を隠すように構える。
遊歌はこの構えでの戦闘を完全には習得していない。蹴りはまだしも、拳を使うことは未だに慣れない。誠が戦っている動画を三年間見続け、模倣し続けている。合っていないとは思いつつも、この構えは理に適っている故に模倣している。
目を閉じて、すうと息を吸う。感覚を研ぎ澄ましてドレッドの気配を追う。迫りくる気配が限界まで近くなった瞬間、ドレッドの側頭部を狙って蹴りを放つ。
「残念だったな」
遊歌が予測したドレッドの位置は大きく外れていた。ドレッドは遊歌の蹴りの射程範囲に入った瞬間に加速したのだ。ドレッドの成長速度が予想以上であり、遊歌が目を閉じたことを好機と見たドレッドはその隙に肉薄した。
頭を振りかぶり、もう一度ヘッドバッド。直前でドレッドの肩を掴んでいた遊歌は怯みつつも踏ん張りを効かせてその場に留まる。そして、歯を食いしばり、全体重を右腕に乗せてまさしく渾身の右ストレートをドレッドの顔面に向けて放つ。
声を発することもなく吹き飛んだドレッドは頭部からの落下を防ぐために、両手を地についてバク転の如く跳ぶことで体勢を整える。
体勢を整えたとは言っても、遊歌の右ストレートの威力は尋常ではなかった。脳は激しく揺れ、焦点が定まらない。頬を中心に激痛が広がっていく。恐らくは体も揺れているだろう。
誰がどう見ても、今の一撃でドレッドの負けは濃厚となった。
互いに与えた攻撃の数は同じだが威力に明確な差が出ている。純粋な術具の性能の差がこのダメージ量の差に直結している。才能がないと言われ続けてきた二人の、僅かな差。その差がこの決闘の勝敗を分ける。
「く、うぅ……いってーな……」
そうは言いつつも口元には笑みが浮かんでいる。どこまでいっても、ドレッドが決闘を楽しんでいることがありありと表れている。どれだけ傷つこうとも、大和 ドレッドという男は決闘自体が好きなのだ。
数メートル前に立つ遊歌も次の行動をどうするか、次にドレッドがどう動くかを楽しみにしていることが伝わってくる。
右の拳を握って一歩進む。二歩、三歩と歩速は加速する。やがて地を駆け、風を巻き起こす。
肌に風を感じているのに、何故だろう。一歩踏み出すその瞬間が異様に長く感じる。ひひと心底の歓喜が漏れる。目の前には好敵手、この場は誂えられている。なれば常に全力であって然るべきだろう?
否ではない。是。
この拳は勝利のためでなく、この戦を最後まで愉しむために――!
「ぐっ」
「がっ」
互いの拳を顔面に浴びる。怯むことよりも先に次の拳を繰り出す。また次、また次と殴り合う。その一撃一撃が岩砕の威力を秘めながら、二人は延々と殴り合う。
ドレッドはこの時が永遠となればと。
遊歌は勝利をこの手に収めるために。
負けられないのだ。
「くっ、くくっ、ああ、楽しい、楽しいぜくそったれ!」
「ああ、そうだな、僕も少し楽しくなってきた」
もう、どこが痛いのかが分からない。いや、全身が痛い。顔を殴り、腹を蹴り、もはや型もない獣同然のめちゃくちゃな殴り合い。だが、前だけは、目の前にいる相手だけは決して視界から外さない。
拳を握り直す。切れる息を思い切り吸って腰を落とす。腕を引き絞って、今あるだけの全力を籠める。
「ドレッドには悪いが……これで!」
顔面を狙ったドレッドの拳を額で受け止めた遊歌は、そのまま砲を放った。
「あ、か……」
心窩に砲撃を受けたドレッドは数歩よろめき、前のめりに倒れた。
遊歌の体力もほぼ同時に尽き、砕月が輝きを失うと同時に遊歌は片膝をつく。今までの疲労とダメージに加え、一夜蛍の疲労までもが遊歌の一身に襲いかかる。
まだ気を失うわけにはいかない。勝鬨を上げるまでは、この意識を手放すことはできない。
まだ、まだ……まだ――!
「あ、う、く……」
声が出ない。どれだけ息を漏らそうにも、声帯が震えてくれない。
意識が遠のいていく。どれだけ手を伸ばしても、手の隙間から漏れていく。
「勝者、坂上 遊歌」
鈴のような声が聞こえた気がした。
◆
真っ白な部屋だった。何もかもが白い部屋の中で、窓の外にある空だけが青かった。
果たして結果は引き分けだったのか、勝利だったのか、朧げに聞こえた放送の声を辿ってみるも分からない。
体は一応動く。傷はきちんと治っているようで、相変わらずここの保険医は優秀だと再確認する。疲れはまだ残っているが、あれから数時間しか経っていないのなら仕方がないだろう。
自身の体に残った疲労がどれほどのものか確かめていると、保健室の戸が開いた。
「おっ、お疲れさん」
陽だった。いの一番に来るか、はずっと傍で待機しているはずの桜下は候補者故に入って来られない。
真っ白な部屋に現れたその色は、恐らくは桜下に頼まれて遊歌の様子を見に来た次第だろう。
「ありがとうございます。何とか、動ける程度には回復しました」
ガッツポーズを取って回復を示す。しかし、その所作は真貴の目から見ても少し弱々しく見えた。
「決闘の後は飯食って寝るのが一番だ。勝ち試合ともなりゃ尚更な」
「僕……勝てましたか」
「ああ、僅差だったがな。ドレッドの野郎、案外根性があったな」
漸く、安堵のため息を吐く。遊歌にとっては自身の体調よりも、決闘の結果の方が遥かに優先順位が上なのだ。勝ちたいから勝つ。それが今の遊歌の根底にある願いだった。
後輩二人の成長を目の当たりにした陽はしかし、どこか不満気な様子だった。
「遊歌、お前、砕月使ってりゃあ、もっと楽に勝てたんだぜ?」
陽が指摘したいのはそこだ。勝利を優先する遊歌が、確実に勝てる札を封印していたことが気がかりだった。もちろん、ドレッドと同じ土俵で戦うことでそこはかとない愉悦はあっただろうが、それだけでは陽は納得できなかった。
しばらく考え込んだ遊歌は諦めたように諸手を挙げる。
「僕にも分からないですね。あの時はああするべきだと思った、としか言いようが」
「はっきりしねえ奴だな」
「あはは」
「『あはは』じゃねえよ。ったく心配してんのによ……はあ、帰んぞ。愛しの桜下も待ってることだしな」
桜下の名を出されては動かざるを得ない。遊歌は自分の心に靄がかかったような感覚を覚えながら保健室を後にした。




