十二話 黒き衣は愛をかたる
深夜、遊歌は天井裏に潜んでいた。真貴は戸の前で怪しい者が来ないかどうかを見張っている。桜下は庭から家全体を見張っている。
部屋では賢治が眠っており内装をそのままにすることで自然を装っている。当然、相手が手練れであれば二人の気配など簡単に見抜くだろう。だからこれは、あのローブが手練れでないということを想定している。
理由は昼のローブの銃を撃つ構えだ。あの時の構えは銃の持つ追従の能力に依存した、めちゃくちゃな構えだったことを遊歌は覚えている。
空中だということも差し引いてもあの構えは酷すぎる。
一体何者かは分からないが、あのローブは素人同然であることは確かだ。
月下蛍を発光させる。流石に座ることもままならないほど天井が低い場所で、戦闘になることはないだろうが念のためだ。
耳を欹てる。月曜日の授業を欠席するのだから、怪しい物音は一分たりとも聞き逃せない。遊歌と桜下が休むのならばともかく、友人ができたばかりの真貴が休むことは学生生活において非常に痛手だ。
時とともに緊張が高まる中、部屋の窓がひとりでに開いた。
部屋の状況を視認するため、砕月で天井を一突きする。微かだが部屋の様子を視認することを可能とする穴を覗き込む。
やはりあのローブだ。暗闇に溶け込むような深黒の衣が擦れる音が聞こえる。ましてや足音すら殺していない。他人の家に忍び込むにしてはおざなりすぎる。
まあいい。相手が素人であればそれに越したことはない。
狙うは一撃必殺。それで終わるのなら僥倖。砕月を煌めかせ、ローブの真上から奇襲する。遊歌は立てる音を最小限に、天井裏から飛び降りた。
ローブの脳天に強烈な打撃を食らわせてやろうと、逆刃に握った砕月を振り下ろす――!
「久しぶり、遊歌君」
慈愛に満ちた声。この世一切を包み込むような女の声。
少なくとも、今まさに自分を襲っている相手に対する態度ではない。まるで、母が息子を愛しむが如きその雰囲気は遊歌を激しく動揺させる。
剣筋がぶれた砕月を女は難なく避ける。そして、女がいた床を遊歌が踏む。
その音で賢治が起き上がる。態度を一転させ、賢治を激しく睨んだ女が賢治の胸目掛けてナイフを投擲する。
「くそっ」
腕を伸ばして砕月でナイフを弾く。高い金属音を鳴らして転がったナイフは、術具により複製されていたものだったのか霧散する。
そこで漸く真貴が部屋の戸を開ける。女を睨む遊歌、賢治を睨む女、状況を飲み込み、遊歌の背後に隠れている賢治を見た真貴は一目で何があったのかを把握する。
「おじさん! こっちです!」
「あ、ああ」
真貴の声に誘われ、身を屈めながら部屋から出る。その間、女は一切手を出さず、ただ賢治と真貴を睨んでいるだけだった。遊歌は女から目を逸らさずにさっき女が言った台詞の意味を探っていた。
「久しぶり」と何なのか。自分の記憶にある限り、この女の声は聞いたことがない。自惚れていいのならストーカーという線もある。顔良し家柄良し性格もまあ良しの遊歌だ。過去に告白されなかったこともない。
これは偏見だが、ストーカーであればもっと情愛に満ちた、纏わりつくような気色の悪い声を漏らすはず。それに、大月家の二人に憎しみを向ける理由もない。
考えれば考えるほど女の謎が深まっていく。
「遊歌さん、おじさんを縁さんと臙脂さんのところへ連れて行きます! すぐ戻ります!」
「ありがとう!」
思考を放棄した遊歌は翠光を散らしながら砕月を振るう。この女の正体などどうでもいい。自分には関係ない。どうしても気になるのなら捕まえてから素性を調べればいい。そう決めて左から右へと横一文字を結ぶ。
大げさに後ろに跳んだ女は、今度は黒い刀を顕現させる。未だに術具の詳細がつかめない中、女は黒い刀の峰で遊歌の脇腹に一撃を決めんと横薙ぎに振るう。
まるで遊歌の動きをそのまま鏡に映したかのような動きに困惑しつつ、黒い刀を膝で蹴り上げる。
「あら?」
「食らえ」
反撃のフォローがてんでなっていない女は腕を振り上げたまま疑問符を浮かべる。
誰がどう見ても隙だらけである女の側頭部を蹴り抜こうと左足が肉薄したその時、遊歌の意思とは無関係にその動きが止まる。そしてそのまま重力に従って足が地に落ちる。
知っている。この現象と非常に似た現象を起こすことができる術具を。
「お姉ちゃんにそんなことしちゃダメだよ?」
「……黙れよ」
虚勢を張るが動揺を隠しきれてはいないだろう。
もし、この術具が遊歌の知るそれと同じであるのなら勝ち目はない。パーセンテージで表そうにも零の一文字が表示されるだけだ。
冷たい汗が背を伝う。今真貴を呼び戻す手段はない。桜下に連絡しようにも、電話を取り出した瞬間にあの術具を発動されればそれまでだ。
どうやって勝つかから、どう時間稼ぎをするかに目的かシフトする。
「大丈夫だよ。この術具は桜下ちゃんの術具とは違って、自分に近付くものの運動エネルギーを減少させるだけだから」
「そりゃ随分と余裕だな」
「余裕だよ? だって私、負けないもの」
まさに余裕綽々といった様相を呈する。挑発しているのか、諸手を広げて隙をアピールしている。
その女の態度にふつふつと腸の温度が上がっていく。しかし冷静さを欠いてはいけない。一度目を閉じて気持ちを落ち着ける。
「私の術具は二四時間触れた者の術具を使えるようになる術具。Lvは本人依存だけどね」
女はだから、と付け足した。
「砕月も、使えるよ」
「な、あ……っ!?」
黒い砕月が女の手に握られていた。状態は月下蛍なのだろうか、罅らしき隙間から白光が漏れている。
戦慄した。二四時間もの間対象に触れているなど、本人に気取られず遂行することは不可能だ。例え気配遮断、透化の術具を併用しようとも触れた時点でそこにいることが気付かれる。
もちろん、遊歌に二四時間触れていられる人間など限られている。それこそ、両手の指で数えられる程度。
その中の誰でもない。この声を、この口調を遊歌は知らない。
考えることをやめられない。理解できない現実を突きつけられて、逃げることができない。
「お前は……お前は一体何なんだ!」
悲鳴のような叫び。その叫びを聞いた女はフードをそっと外した。
黒い髪に黒い目。どこかで見たことがあるような、しかし、どこの記憶にも掠らない容姿。優しい眼差しが遊歌をまっすぐ見つめる。
知らないのに、知らないはずなのに、その眼をどこかで見たことがあると、心の根底が告げる。
「遊歌君のことを、誰よりも愛してる女だよ」
女は微笑んだ。
「さっ、砕月・一夜蛍!!」
その言葉に異様な寒気を感じた遊歌は反射的に一夜蛍を発動していた。
広く、しかし狭い部屋の中で女からめいいっぱい距離を取る。女の傍にいるべきだと本能が告げるも、駄目だとそれを振り払う。得体の知れない異様で異質なこの女の傍にいてはいけない。
「うん、まあ、仕方ないか。久しぶりだもんね」
「何が、何が、何が!」
「むう、怖いなあ」
ついに冷静を欠いた遊歌は身体能力にものを言わせて突貫する。獣のようなその姿に不満を漏らす女は、遊歌の砕月に呼応するように黒い砕月から白い粒子を溢れさせる。
「出鱈目に振っても無駄だよ」
首筋を狙って振るわれた砕月の勢いを先程の術具で押し殺し、冷静さを欠いた故生まれた隙だらけの土手っ腹を蹴る。
「かふっ」
まともに蹴りを受け、部屋の壁に打ちつけられる。立ち上がろうと正面を見据えると、目の前には女の掌があった。
「遊歌君は私と一緒にいるべきなの」
「黙……れぇ……!」
「大丈夫、桜下ちゃんも一緒でいいよ。私が一番嫌いなのは坂上家だから」
何の術具かは分からない。だが、確実に意識が薄れていっている。最早正常な受け答えをすることすら叶わず、手に力も入らない。
せめて一夜蛍だけは解除するわけにはいかないと、最後の気力を振り絞っていたその時、
「坂上先輩!」
部屋の入り口から斬撃が飛ぶ。袈裟懸けに描かれたそれは床を削りながら女に迫る。
女の術具は魔力までは止められないのか、真貴を一睨みして遊歌から離れる。
駆け寄った真貴は意識が朦朧としている遊歌の肩を揺する。寸でのところで意識を保っていた遊歌はそれにより徐々に意識を取り戻す。
ありがとうと、か細い声で礼を言う。未だ覚めやらぬ体に鞭を打ち、覚束ない足取りながらも、真貴に支えられて漸く立ち上がる。
「鬱陶しいなあ、もう」
柔和だった女の表情が歪み、真貴に向かって悪態をつく。
それに対抗して真貴も女を睨むも大した迫力はない。この場の面々と比べれば、小さな子供がお菓子を買ってもらえなくて拗ねている程度のものでしかない。
しかし、それでも真貴のその態度は女の反感を買ったらしい。
「……汚い手で遊歌君に触らないでよ」
「何を言っているのかは分かりませんが、あなたは敵です。この家から出て行ってください」
「その手で遊歌君に触るなって言ってるでしょ!」
怒りの声を上げる女は黒い砕月で以て斬り込む。
遊歌を支えている真貴は白金剣を持つことができないため術具操作で応戦する。未だ慣れない操作を斬撃で補いながら、なんとか近付けさせない程度に押さえ込めている。
女の顔には見るからに怒りと焦りが蓄積している。それに比例して力が上がっているものの、同時に動きに繊細さが失われていっている。
「遊歌君! 遊歌君! 遊歌君! 遊――」
女が二人に手を伸ばした瞬間、女の重力が強くなったかのように床に倒れ込む。
もしやと思い、部屋の入り口に目を遣れば、そこには桜下が立っていた。
「遅く、なったね」
女を押さえ込んだことにより、この場の空気が少しだけ軽くなる。
真貴の代わりに遊歌に肩を貸した桜下は女を見下げる。女は苦悶の声を漏らしつつも遊歌の名を呼び続けている。
そんな女の異様な姿に真貴は戦慄しているが、桜下は至って平然としている。
「君の目的は賢治さんを殺すことなのか遊歌なのかどっちだい」
「遊歌君に決まってる……でも、今は分が悪いからお暇させてもらうね。四天王選出戦は邪魔しないから、しばらくお別れ。じゃあ、ばいばい」
待て、と声をかける暇もなく女は霧のように消える。これが瞬間移動の術具だろう。この術具を持つ魔術士を封じない限りは延々と女に逃げられてしまう。
遊歌はまだ戻り切らない意識の中、女がいた場所をじっと見つめていた。




