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夜半の蛍は砕月也  作者: 白谷 衣介
二章 誰が為に
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十一話 黒の鉛弾

 目が覚める。隣には浴衣姿の桜下がいる。同じく浴衣を着込んだ遊歌は掴まれた腕をそっと抜いて、カーテンを開いて朝日を浴びる。


 冷房の効いた部屋で二度目の惰眠を貪ることも選択肢のひとつにはあるが、今日はそうもいかないだろう。

 賢治が来る。そう分かっている遊歌は半分しか開いていない目で庭を眺める。


「こうやって見ると結構ぐちゃぐちゃだな……」


 荒れた庭を見て、予想以上にやりすぎてしまったことを申し訳なく思う。

 刀剣が突き刺さった跡や小さなクレーターがそれを物語っている。庭師の人を見かけたら一言謝っておこうと心に決めて、遊歌は洗面所を探しに部屋を出る。


 部屋を出て右に曲がれば、すぐ近くに洗面所がある。洗面所は複数あるのに、風呂場はひとつしかないのはどういうことかという思いを巡らせながら顔を洗う。

 歯ブラシがないのが心残りだが、急遽泊まることになったので仕方がない。よく口を漱いで簡易的に歯を磨く。


 寝癖はほぼない。遊歌の自慢のひとつだ。髪質的に遊歌は寝癖がつきづらい。対して桜下は朝風呂が必要なほどに寝癖が酷い。

 ちょこんと跳ねた寝癖を直して部屋に戻る。


 相変わらず眠っている桜下の肌蹴た浴衣をそっと直し、布団をかけ直す。ほうと欠伸をした遊歌は洗い、畳まれた制服を手に取って着替える。


「はあ、眠……」


 姿見に自身を映して表情以外は完璧だと確認する。表情は酷いものだ。昨日、桜下が寝付くまでずっと起きていた遊歌が寝付いたのは午前三時。普段は午前零時に眠っている遊歌からすれば十分な夜更かしだ。


 できればもう一眠りしたい。だが賢治がいつ来るか分からない以上は眠れない。

 桜下は起こさない。今回の件には何の関係もない一般人だからだ。本人は首を突っ込みたくて仕方ないだろうが、遊歌としてはあまり巻き込みたくないのが本音。


 椅子に座って目を瞑る。前日に語ったように面倒な輩の欲求は満たすか蓋をするように仕組んである。だが、それでも反発するような面倒臭すぎる者がいることも考慮すべきなのがこの世界。


 その時のための対処を考えていると、部屋の戸が数度叩かれる。


「坂上先輩、藤原先輩、朝ご飯の用意ができました」

「ん。分かった。桜下は寝てるからそっとしといてやってくれ」


 寝間着で二人を呼びに来た真貴の恰好は可愛らしい年相応のものだった。恐らくはあの執事か縁が見立てたものだろう。


 ぺこりと礼をして礼儀正しく部屋を出た真貴の後を追うように部屋から出る。朝の桜下はなかなか起きてこない。それも早朝となれば尚更だ。

 時刻は午前七時きっかり。通学時間が三十分である二人はいつもならまだ眠っている時間だ。


 昨日と同じ食堂にはトーストが三枚とバターが用意されていた。昨日と同じく、シャンデリアが吊られている部屋に、こんな庶民的な食べ物が鎮座していることは違和感でしかない。


「バターしか用意できませんでしたが、大丈夫ですか?」

「ああ、ありがとう」


 いつもと変わらないようで少し変わったトーストを齧る。そのトーストはなんだかいつもよりも味が薄いような気がした。





「…………」

「悪かったって。今度からちゃんと起こすから」


 部屋に戻った遊歌は頬を膨らませて拗ねた桜下の相手をしていた。曰く、寂しかったと。


「朝起きた時にいるはずの人がいなくなった僕の気持ちが分かるかい?」

「……分からないでもない、かな」

「怖かった。大切な人がいなくなる辛さは遊歌が一番よく知っているだろう?」

「骨身に染みてるぜ」

「だったら、同じことは二度としないでくれ」


 遊歌の手を震えながら握る。真貴を慰めた時「普通の女の子」と言ったのは自分にも向けられていた。いつだって「天才」であることを求められた桜下の心は、普段の態度とは対照的に非常に脆い。


 人の内心を見抜くことに長ける遊歌はそれを見抜いた。だからこそ桜下は遊歌に惚れ込んだ。そもそも、すべての発端は遊歌が桜下に救われたところから始まるのだが、それはまた別の話。


 大切な人を失うということは心の一部を失うこと。傷ともとれないその穴は徐々に心を蝕んで、終いには心を壊す。


 それを知っている遊歌は桜下に視線を合わせることができなかった。


「僕は遊歌がいないと駄目なんだ。崩れて、壊れてしまうんだ」

「僕だって、桜下がいないと空っぽだ。きっと、心と体を磨り減らすあの頃に戻る」


 いわゆる遊歌の黒歴史は小学生活後半から中学生活前半だ。できれば思い出したくもない真黒な過去はしかし、桜下との出会いの記憶でもある。それでも、遊歌はあの頃の自分の在り様が嫌いで、無意識的に記憶の奥底に封じ込めている。


 互いの手をしっかりと握り、互いがそこにいることを確かめる。

 どうも最近は不安になってしまう。それほどにあの男が残した爪痕は深い。


 大月家のインターホンが鳴る。それが賢治の到着を知らせるものであることは言うまでもなかった。





 賢治の表情は非常に険しいものだった。それだけで結果を推し量ることができる。


 ソファに座り、一旦落ち着いた賢治は頭を下げる。


「すまない。私一人の力では不足だったようだ」


 そこまで上手く事が運ぶとは到底思ってはいなかった。この程度の苦労で家ひとつの権利が動くのなら、坂上家ももう少し明るい歴史を辿ることができている。


 頭をもたげた賢治は遊歌から目を逸らし、不甲斐なさからか目を閉じた。

 その気持ちを痛いほど知る遊歌は慎重に言葉を選ぶ。


「そう気負いなさらないでください。一朝一夕でどうにかなる問題ではないということは当方も理解しております」


 手持ちの手札は切り札を含めてすべて切った結果がこれなのであれば今は諦める他ない。時間をかければ事態が進展するという確信はあるが、賢治と遊歌の二人にそこまでの時間はない。


 たった一人の決意をひとつの家のひとつの権利。それを天秤にかければ、どちらに傾くかは火を見るよりも明らか。しかし、遊歌は例え坂上家から絶縁されようとも決闘を優先する。そういう性格をしているのが坂上 遊歌だ。


「そう言ってもらえると私も救われる。財政を真貴に任せることはまだできないが、せめていくらか真貴の生活費に色を付けられるようには尽力する」

「そうしてもらえると嬉しいです」


 この件の一番の関係にして桜下と同じく話の蚊帳の外にいる真貴は、終始申し訳ないといった様相で遊歌の隣に座っていた。


 どんな形にせよ、これにてこの件は落着だ。生活費はともかくとして、真貴の影響力については依然としてほぼ解決していないに等しいが、次の会合からは自ら発言するようになることを願うばかりだ。


「君には多大な迷惑をかけた。詫びといっては何だが、今日の夜は私が贔屓にしている店にでもどうかな?」

「お断りさせていただきます。私こそ、人の家の事情に勝手に首を突っ込んだことについてお詫びします」

「はは、そう気負わないでくれ。君がいなければ私は真貴がこうしているなど知ることができなかったのだから」


 そう言って賢治は立ち上がる。一拍遅れて遊歌も立つ。昨日の動きをそのまま再生しているような感覚が桜下を襲った。


「っ」


 窓の向こう。黒いローブがはためいている。


 フードから覗く口が優しく歪む。


 そいつの手には、漆黒の銃が握られていた。


「座れっ!!」


 刹那、遊歌は肺の中にある空気をすべて吐く勢いで叫んでいた。

 その声に気圧され、賢治は思わず尻餅をつく。期せずして座る形となった賢治は遊歌の形相を見て戦慄する。


 遊歌のその表情は、およそ学生が浮かべられるものではなかった。


 鬼とも修羅ともつかぬ遊歌は砕月を即座に顕現させ、放たれた弾丸を右方へと弾いた。実弾ではなく魔力の感触を得た遊歌は、ローブの術具がレイズと似たものだと仮定して窓から飛び降りる。


 応接室は二階だが、月下蛍で強化された体ではその程度の高さはどうということはない。


 どうやってローブがここまで跳び上がったのかは分からない。紐をつけていた様子もなかった。他に協力者がいるのだとすれば非常に面倒だ。


 落下しつつ辺りを見渡すも見つかるはずのローブの姿が見えない。となれば、あの事件に関与していた瞬間移動の魔術士が協力者ということか。


「遊歌!」


 着地し、舌打ちした遊歌を桜下が呼ぶ。


 忌々し気に頭を掻いた遊歌は地を蹴り壁を蹴る。最後に窓に手をかけて部屋に戻る。


「どうやら、まだあの事件は解決しちゃいねえみたいだ」


 その言葉を聞いた桜下と真貴は目を剥く。あの件の主犯であるはずの男は今は刑務所の中で日がな一日を過ごしている。脱獄したという連絡もないということはまったく別の犯人であるはずだ。


 しかし、素性の知れぬあの魔術士が関わっているとなれば、無関係と断言することは難しい。


 遊歌は砕月を消し、目下狙われているであろう賢治に向き直る。


「すみません賢治さん。今日は安全を期すためにこの家で一晩を過ごしてもらいます」

「構わない。それよりもありがとう。真貴だけでなく私まで救ってもらえるとは」

「助けられる人は助けないと、後悔しますから」


 悲壮感を漂わせた遊歌のその一言はとても重かった。経験者は語るとでも言うべきか、父親を亡くしている遊歌が言うと非常に虚しい。


 今回の件と前回の件がつながっていると悟った真貴は今回は足手まといにならないよう、固く拳を握った。

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