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夜半の蛍は砕月也  作者: 白谷 衣介
二章 誰が為に
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九話 この馬鹿はただの馬鹿ではない

 昼。そろそろ昼食の時間だ。


 あの後は部屋に戻り、ずっと桜下の傍に付きっきりだった。程なくして桜下は落ち着き、ゆっくり休むようにと桜下を寝かし付けた。


 家から出て何か買って来るかと、部屋から出る。遊歌は一度来た道を忘れないように努めているため、客室から玄関まではすんなりと戻って来ることができた。

 近くにコンビニやファストフード店があればいいのだが、ここは高級住宅街のど真ん中。近くにあるという希望は持たずに出た方がいいだろう。


 何人分の靴が置けるのか分からないほど大きな玄関に、ぽつんと放置されている靴を履く。

 携帯のマップアプリで近くの店を検索していた遊歌に声がかかる。


「おや、どちらへ?」


 燕尾服を着込んだ、好々爺然とした執事だった。

 執事は両手を後ろ手に隠し、背筋をピンと伸ばしている。歳は征治郎と同じぐらいだというのに、現役で働き続ける気概にはただただ感服するばかりだ。


 せめて姿勢だけでも見習ってもらえないものかと思いつつ遊歌は返答する。


「ちょっと、昼食を買いに」

「その必要はありませんぞ。まもなく昼食の調理が終わりますので」

「へ?」


 あの後輩はどうあっても自分たちをもてなすつもりらしい。今日はあの会合を行うために呼ばれたと思っていた遊歌は思わず素っ頓狂な声を漏らす。


 申し訳ない気持ちがこみ上げてくるが、これも礼のひとつだろうと割り切る。できればこれ以上の施しは避けたいところだが、伯父との対談の結果如何によって変わってくるだろう。


「お手数おかけします」

「お嬢様の恩人とあらば」


 遊歌の知る限りという但し書きが付くが、大月家関係の人物の根は悪くないように思える。縁の態度はアレだが真貴を思う気持ちは本物だ。でなければ、一息であれほどに長い台詞は言いきれないだろう。


「よろしければ、ご案内いたしましょうか」

「いえ。部屋で恋人が眠っているので、彼女と同伴させていただきます」

「そうですか。では調理が終わり次第、メイドを遣わせましょう」

「ありがとうございます」





 靴を脱いで自室へ戻った遊歌は未だ眠っている桜下の頭を撫でる。それに応えるように、桜下は寝言で遊歌を呼んだ。


「ああ、幸せだなあ」


 「不幸でなければ幸せだ」。生前龍成が口癖のように言っていた言葉だ。それは正しいと遊歌は思っている。しかし、「不幸でない」状況以上に、遊歌は満たされている。いろいろな面倒事に巻き込まれてはいるものの、桜下と過ごす日常とも言えないような毎日が堪らなく心地いい。


 桜下もそう思ってくれてたら。そう呟いて桜下の頬を撫でる。


「ん……?」

「目、覚めたか」

「……うん」


 起き上がって目を擦る。寝惚けているのか目の焦点が定まっていないようで、頭をふらふらと揺らしている。


「そろそろ昼飯だとよ」

「そっか……く、あぁ……」


 大きく伸びをした桜下の臍を思わず視界に入れてしまう。いわゆる臍チラである。まあ、見たいのなら素直に見たいと言えば、桜下は何の恥ずかし気もなく見せるだろう。


 決して羞恥心が欠如しているわけではない。ガンガン押す割に押しに弱い桜下は、遊歌に迫られるとほぼ確実に赤面する。そもそも、前述した旧時代的貞操観念が念頭にある遊歌が押すことなど滅多にないが。


 桜下が漸く覚醒し始めた頃、部屋の戸が不躾に開かれる。この家の中でそんな戸の開け方をする人物は一人しか知らない。


「お待たせ致しました。昼食の準備が整いましたので、食堂までご案内致します」


 やはり、無表情なメイドだった。





 用意されていたのは至って普通な一般家庭で出るような昼食。それも、この時期に食べたことがない日本人はいないとすら断言できるものだった。


 素麺。


 シャンデリアが吊るされ、大層な絵画が壁に掛けられ、映画でしか見たことのない長テーブルが鎮座する豪奢な部屋において、主役は俺だと言わんばかりに素麺は確かな存在感を放っていた。


「準備もクソもねえだろこんなん」


 つい、口を突いて出た。


 遊歌の意見は尤もだ。素麺なぞ、湯掻く以外に調理法が思いつかない。時間がかかったとしても、二十分もあれば出来上がるような代物だ。それの準備に、執事に話しかけられた時から少なくとも三十分はかかっている。


 一体何をどうすれば素麺を作るのにそんなに時間がかかるのか思案していると、二人を見つけた真貴が駆け寄って来た。


「先輩!」


 真貴は物凄い笑顔で二人を出迎えた。楽しそうというか、両親に褒められることを心待ちにしている子供のような。


「初めて料理してみたんです!」

「料理……?」


 思わず疑問符を浮かべてしまう桜下。それも仕方がない。素麺など普段から料理を作る人間からすれば、インスタント食品と何ら変わらないレベルの調理難度だ。いや、そもそも難度があるのかすら分からない。


 しかし、真貴のこの笑顔を見てしまった以上、下手な言葉は控えるべきだ。今日の天気のように晴れやかな表情を、梅雨に逆戻りさせてしまうわけにはいかない。


「はい! 途中で何回か失敗しちゃいましたけど、これは渾身の出来なんです!」

「へ、へえ。そうなんだ」


 もう喋りたくない。一瞬でも油断すれば、心無い一言がこの口から飛び出してしまいそうだ。


 素麺を作ることに失敗するとはどういうことかに疑問を感じながら、二人は席に着いた。


 めんつゆは既に用意されており、濃度によって薄められていた。

 三人分に分けられた素麺の器をそれぞれひとつ寄せ、一口分箸で詰まんでめんつゆに通す。そしてめんつゆが注がれた器を持ち、麺からつゆが落ちないように啜る。


 普通の素麺だ。


 何の変哲もない、普通の素麺。流石にその辺りのスーパーで売っているような安物ではないだろうが、素麺の味の違いが分かるほど二人は素麺に詳しくない。


「美味しいね。どこで買って来たの?」


 何の気になしに言った桜下。これに対する真貴の返答は、


「ありがとうございます! 近所のスーパーで買って来たんですけど、お口にあってよかったです!」


 普通の素麺だった。


「そんな気遣わなくていいのに、何か悪いな」

「い、いえ、気を遣ったとかではなくて……お恥ずかしながら、あまり高いものを買えるほどお金がなくて……」


 ならばあのリムジンは何なのだ。維持費だって馬鹿にならないだろうに、いつまでも持っておくのは得策ではないだろう。


 もしやと思い、遊歌は失礼だと分かりながら質問を投げかける。


「真貴ちゃん、一か月に自由に使えるお金はどれぐらいだ?」

「え? えーと、生活に必要な分を引くと……だいたい月に一万円ぐらいでしょうか」

「じゃあ、縁さん。あんたの月給はいくらだ?」

「おおよそ月五十万でございます」


 主人と従者で途轍もない格差が生まれている。縁は生活費等を引いていないとしても、約五十倍の差だ。

 必要な食費が真貴一人分だと考えても、残るのは本当に雀の涙ほどだろう。


 これは早急にどうにかしないといけない。伯父に相談する内容は大方決まった。


 問題は賢治がどういう人物かだ。あらゆるパターンを考えながら、悲しみを背負った素麺を啜った。





 応接室で賢治を待つ。幸い、切れるカードは大量にある。よっぽど頭の回る屑でもない限りは何とか丸め込めるだろうという予想はできていた。


 両隣には桜下と真貴を座らせ、背後に縁を立たせて賢治を待つ。あの執事は賢治を迎えに出ている。縁のことは知っているだろうが、だからといって失礼を働かせていけない。親しき仲にも礼儀ありというやつだ。


「賢治様をお連れしました」


 執事が戸を開け、入ってきたのは壮年の男。富裕層にしては痩身であり、服装からも大きい家の全権を任されているような人物には見えない。


「君が、坂上 遊歌君かい?」

「はい。私が坂上家現当主、坂上 遊歌でございます」

「そうか。私は大月 賢治。前当主の兄として、今は大月家の当主代理として仕事をさせてもらっている」


 立ち上がって握手を交わす。その後賢治が上座に座るのを確認した遊歌は一拍遅れて着席する。


「先日は姪の真貴が世話になった。何か、私にできることであればお礼をさせてもらおう」


 早速本題を切り出す。遊歌としてもこれは嬉しい。遊歌が求める謝礼は、決して個人の独断で譲り渡せるものではないからだ。


 賢治の目をまっすぐ見つめて自身の意思の固さを言葉を交わさずに示す。そして、賢治に応えるように、遊歌も本題を切り出す。


「率直に申しますと、真貴さんに貴方が持っている権利の一部を返還していただきたい」

「何?」

「権利の一部というと抽象的ですね。財政権と言い直しましょう」


 遊歌の意図が読めないのだろう、賢治の目が鋭くなる。

 そんなことは分かり切っていた遊歌は、朝縁がした主張をそのまま伝える。


「真貴さんは今、何の権利も持たず、ただ当主として存在しているだけ。自分の意見すらまともに言えない状況です」

「私は会合の際、真貴に意見を訊いているが?」

「『何の権利もない自分が口出しするのはおこがましい』。真貴さんがそう思うとは思わなかったのですか?」


 遊歌は賢治よりも真貴の性格を知っていると自負している。たかだか数か月の付き合いだが、その数か月は濃密だった。年に数回会う程度の親戚が、真貴の本質を知っているわけがないと、遊歌は予測していた。


 指摘され、賢治は押し黙る。遊歌の予測は正しかった。


「それに、現状貴方から支給されている生活費では、少なすぎるようにも思えます」

「私は子供に扱える、限界を見て――」

「先程、私は昼食としてここで素麺をいただきました。真貴さん曰く、市販のものだそうです」


 賢治の言葉を遮って、切り札(ジョーカー)にも匹敵するカードを切った。


 驚愕した賢治は思わず真貴に視線を注ぐ。真貴はどうしようもなく恥ずかしくなって、赤い顔を伏せる。

 今の真貴の仕草から、遊歌の言葉が事実だと確信する。真貴は嘘を吐くことが下手だということぐらいは賢治でも知っていた。


「しかし、子供にそんな権利を任せるわけには……!」


 賢治も、兄の忘れ形見を、真貴を大切にしているのだろう。膝の上で拳を作る力が見て分かるほどに強くなっている。


「でしたら、我々がサポートしましょう。二代前の当主、征治郎は財政面では全幅の信頼を置けると約束します」


 これが遊歌の持つ切り札。あんなヒキゲーマーでも、征治郎は坂上家を語る上で決して除くことのできない人物だ。少しでも坂上家のことを知る者なら、その手腕は語るまでもないだろう。

 賢治も知っている。征治郎が今の坂上家を作り上げたことを。


 相手の弱みに付け込んで、自身の強みを前面に出す。遊歌が交渉をする際に、この手法を度々用いる。もちろん、やり方によっては脅迫にもなり得る諸刃の剣だ。


「私が謝礼として賢治さんにお願いしたい用件は以上です」

「……分かった。が、これは私の独断では決められない。少し、時間をもらえないだろうか。必ず、必ず明日には答えを返す」

「もちろん。その言葉が聞けただけでも嬉しいです」


 観念した賢治は立ち上がる。全権を持つ者の了承が取れたということは非常に大きい。遊歌もつられて立ち上がり、握手のために手を伸ばす。


「二度目があるとは思いたくないが、その時が来ればまた、真貴を頼む」

「ええ。約束しましょう。真貴さんは坂上家がお守りします」





 賢治が帰り、緊張の糸が切れた遊歌は、客室でこれでもかとだらけていた。


「でも、親族の人たちが素直に頷くとは思えないんだよね」


 桜下の懸念はそれであった。縁の話を鵜呑みにするのなら、親族で真貴の味方は賢治のみ。その賢治の提案が素直に受け入れられるとは思えなかった。


 遊歌は確信があった。賢治は真貴のためなら土下座をも厭わないという確信が。


「金目当ての奴らは爺ちゃんの名前を出せば黙るだろうし、自尊心の高い奴らは賢治さんが頭を下げた時点で了承するだろうさ。坂上家が絡んだ時点で、乗っ取りを企んでる奴らも諦めるだろうからな」


 自身のネームバリューを理解した上で、遊歌は今回の交渉に臨んでいた。今、日本には坂上家以上の地主はいない。

 しかし、それだけで上手くいくとは限らないのがこの世界だ。理由もなく人を殺すような狂人が生きるこの世で自分の頭の中を現実に映すということは不可能に近い。


 遊歌は前の台詞にそれに、と一言付け加えた。


「あのおっさん、真貴ちゃんラブだろうからな」

「どうしてそんなことが分かるの?」

「僕は、人の好意に敏感だろ?」


 正しく言えば、直感が鋭いだ。遊歌は何かを見て、その中にあるものを見抜くことに長けている。遊歌が桜下の好意に気付いたのも、その特技があってこそ。


 しかし遊歌はあまりこの特技を好かない。世の中は甘いことだけではないからだ。

 それを悟られないために、事実をはぐらかした。


「じゃあ、僕がどれぐらい遊歌のことが好きか分かる?」

「んー……」


 じっと、桜下を見つめる。


「分かんねえ」

「正解は、これぐらい」


 両腕を広げた桜下が遊歌を抱き締める。顔面に胸が当たっているも、心地いいので多少の息苦しさは我慢する。


「お疲れさま。頑張ったね」

「ほんと疲れた。もう五年分ぐらい働いたぜ」


 遊歌は普段の学生生活がどれだけ楽なものかということを思い知った。

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