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夜半の蛍は砕月也  作者: 白谷 衣介
二章 誰が為に
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七話 不作法メイド

 生まれて初めて見たものが二つ。


 ひとつはメイド。メイドはファンタジー小説やアニメにしか出てこないものだと思っていたが、どうやら考えを改めなければいけないらしい。しかも、アニメによくある改造メイド服ではなく、れっきとした、生まれた理由を忘れていないメイド服だ。

 そのメイドは二人に深々と頭を下げている。黒い髪は鬱陶しくならない程度に長く伸ばされ、メイドとはかくあるべきと言わんばかりの風貌だ。


 もうひとつはリムジン。横に長いトラックなら今までの半生でこれでもかというほど見てきた遊歌であるが、縦に長いリムジンは初めて見た。

 色は深黒。その存在感は他を圧倒し、一般人を寄せ付けないオーラを放っている。もし傷を付けようものなら、厳つい黒服に取り押さえられそうだ。


「ではお二方、こちらへどうぞ」


 未だ硬直する二人が見えていないのかのような態度で、リムジンの扉を開ける縁と名乗ったメイド。

 そこで漸く我に返った二人はメイドに背を向けて話し始める。


「いやいやいやいや! 大月家って何!?」

「僕が知るわけないだろう。僕だって今すごく動揺してるんだ」

「メイドとか! リムジンとか! 初めて見た!」


 子供のようにテンションを上げる遊歌。精神は子供に非常に近しいので、この反応には慣れている桜下だが、今回はものがものだ。下手なテンションで車を傷付けた時が怖い。

 坂上家なら弁償ぐらいわけないだろうが、精神衛生上非常によろしくない。


「なんにせよ、傷を付けたら面倒だから落ち着いて、ね?」

「分かってるって! クソガキ呼ばわりされてる僕でもそれぐらいは弁えてるさ」


 少し不安気な顔をする桜下を安心させるように胸を叩く。こんな(・・・)でも、十七年間名家で育った男だ。最低限の礼節、マナーは体に叩き込まれている。

 遊歌の言葉を信じたい桜下は自分の気持ちに従うことにした。


「真貴ちゃんをあんまり待たせられないし、乗ろうか」

「そうだな。ええと、ここから乗ればいいのか?」

「はい。どうぞお乗りください」


 開いたドアから車内を見渡せば、座席は馬鹿みたいに長いソファのような造りになっていた。

 遊歌が変な声を漏らして車内を見渡していると、二人は不意に背中を押され、車内に転がり込む形となった。


 縁は後から車内に乗り込んだようで、二人が絡み合っている光景に目もくれず、先頭に近い位置に腰掛け、美しい姿勢のまますうと目を閉じた。


「これじゃあまるで誘拐じゃないか……」


 遊歌にのしかかった姿勢のまま、縁に疑惑の眼差しを向ける。このメイドは本当に大月家の関係者なのか怪しいものだと。


 あの必要以上に礼儀正しい真貴の従者にしては違和感が大きすぎる。百歩譲って車内に押し込んだことは良しとしよう。しかし、その後一言も謝りもせず、何食わぬ顔で平然と座っていることは看過できない。


 と、ここで、自分の下で何かが蠢いていることに気付き、視線を落とす。


「なあ、ちょっと座ってみていいか?」


 正体は初めてのリムジンに微かに興奮しているようで、両腕を使って桜下から抜け出そうとしている遊歌だった。

 自分の身が一番危ないであろうこんな状況で、どこまでも呑気で能天気な遊歌を守るのは自分しかいないと、桜下は遊歌を思い切り抱き締める。


「んんっ!?」

「遊歌は僕が護る……護ってみせる……!」


 桜下の心にも、先日の事件が深く根を張っていることは言うまでもなかった。





「やっぱリムジンってすげえな、ローカル線の座席とは大違いだ」


 比べる対象があまりにも庶民的すぎる遊歌の台詞にも、縁は眉ひとつ動かさない。

 さっきから遊歌は無意識に馬鹿な発言を繰り返しているが、そのうちのどれにも縁は反応を示さなかった。まるで、自分の意識を外界から遮断しているようにさえ見える。


 遊歌の手を強く握る桜下は依然として、縁から視線を外すことはなかった。


縁が本当に大月家の人間なのかを確かめるために、桜下は二、三質問を投げかけてみる。


「真貴ちゃんの家はどこにあるんだい?」

「…………」


 無視。


「縁さんは、大月家に務めて何年になるのかな?」

「…………」


 またしても無視。


「じゃあ、真貴ちゃんのことをどう思ってる?」

「…………」


 もう、諦めた。このメイドとは会話ができないらしい。

 遊歌も遊歌で話題に入ることはなく、じっと窓の外を眺めている。


「なあ、高速乗ってね?」

「えっ」


 そう言われて窓の外を見てから漸く、このリムジンが高速道路に入っていることに気が付く。

 かれこれ十分以上は乗車していることを考えると、ますます縁に対する信憑性が低くなっていく。最早、園町 縁という名前すら本名であるか怪しいものだ。


 窓から見える景色は次々と移り変わっていく。本家が遠方にある関係で、移動範囲が比較的広い遊歌は辛うじて景色を覚えていることに対して、桜下はまったく見知らぬ景色に不安を拭えない。


 遊歌の手を握る力が強くなる。それに応えるように遊歌も桜下の手を強く握る。そのまま桜下の膝に頭を預ける。


「遊歌?」


 穏やかな表情で目を閉じた遊歌に、どういう意図なのか尋ねる意味で呼びかける。

 それに言葉で答えることはせず、桜下の右手を両手で包む。大丈夫とでも言うかのように。


「僕は、遊歌ほど人を信じることはできないよ……」


 自分を責める桜下はさらに強く遊歌の手を握る。


「僕を信じてくれ。な?」

「……うん」


 桜下の手の力が緩むのを感じた遊歌は起き上がって、人目――あるとは言えないが――を気にせずに桜下を抱きしめて背中を数度叩いた。


 そして、遊歌は再び窓の外の景色を眺め始める。そんな遊歌の横顔を見た桜下は遊歌の言葉を信じようと決めた。


 遊歌が見ている窓の景色は、とある場所へと向かっているように思えた。その場所へ向かっているのなら、このリムジンは間違いなく大月家のものであるという確信すら存在していた。


 もし、そこを通り過ぎるのであれば、桜下を抱えて強引に下車しようという考えも張り巡らせていた。一夜蛍であれば、時速百キロ程度のスピードまでの慣性は耐えることができる。そして、遊歌は景色が移りゆく速度から、今このリムジンは時速七十から八十キロ程度であるという目処をつけていた。


 遊歌が取るべき行動は、後数分もしないうちに決まるだろう。


 街の雰囲気が、少し変わった。

 いわゆる高級住宅街に差し掛かる。遊歌が予想していたのはここ、花之島(はなのしま)という街。高級住宅街というだけあって名門魔術士などの家系が多く点在している大きな街であり、坂上家でもここに本家を移そうという話が一時持ち上がったほどの土地だ。


 ここまでの待遇を施す大月家なら、ここにあるだろうという予想をこのリムジンとメイドを見た時から立っていた。


 遊歌の緊張が高まる。次のインターチェンジで高速から降りないようであれば、怪我を覚悟で下車しなければならない。こんな知り合いのいない土地でそんな目に遭うことは避けたい。


 しかし、遊歌の緊張とは裏腹に、リムジンは実にこなれた運転で高速から降りた。


「花之島って、もしかして……」

「もう、到着するだろうな」


 一般人の桜下ですら何度か目にしたことのある地名に、思わず呟く。その独り言にも思える呟きに、安心させるためか言葉を返す。


 緊張から解放された遊歌は材質の気になる柔らかい座席に背を預け、ふうと息を吐いた。


 ここまで来たのなら最早あらゆる心配は杞憂と言っていい。二人は胸を撫で下ろした。


 花之島の街中を走るリムジンは、普通の住宅に住んでいる二人が初めて見るような家々の間を進んで行く。道行く住民はリムジンなど珍しくもないのか、見向きもせずに歩道を歩いている。


 まるで異世界に来てしまったかのような錯覚を起こす。遊歌はこの世界の何かがずれていれば、自分はここで暮らしていたのかもしれないという思いが過ぎる。

 だとすれば桜下と出会っていないだろうことに気付き、今の世界でよかったという誰にも知れぬ安堵を零す。


 リムジンは一際大きな家の目の前に着け、今までぴくりも動かなかった縁が下車する。


「到着致しました。こちらが大月家となります」


 戸を開け、下車を促す縁に言われるままにリムジンから降り、大月家と言われた家を見るなり感嘆の声を漏らす。


「庭に池がある家とか初めて見た……」

「これ、本当に大月家しか住んでないのかい?」


 およそ一世帯が住む広さの域を遥かに逸脱していることは桜下の言葉を聞くまでもなかった。


 ホテルとまでの大きさではないが、住宅という言葉の括りに入れるには迷われるほどの巨大さ、存在感。精々長屋程度の面積しかないであろう坂上家本家とは凄まじい違いに、何度目か分からない敗北感を味わう。


 圧倒されながらも、インターホンを鳴らして到着を知らせる。少しして、インターホンから真貴の声が聞こえてきた。


「いらっしゃいませ先輩! お入りください!」


 後輩の家に来たという字面だけでは伝わらない緊張が二人にはあった。

 恐る恐る玄関の戸を開けると、だだっ広い玄関には真貴が待ってましたと言わんばかりの笑顔で立っていた。


「坂上先輩、藤原先輩、先日はありがとうございました。大月家当主として、精一杯のお礼をさせていただきます」


 制服で。

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