第七章 ソード・ダンサー
飛び散った肉片ですら雄弁に語り、
生命は立ち上がることすら彼女の前では許されない。
断ち切ることのできない情愛と、
葬ることのできない憎しみと。
それらは絶えず彼女の周りにとぐろを巻き、
彼女を暗い水底に沈めようとしたが
いかなるものも今の彼女を捕らえることはできなかった。
絡まる鎖を吹き飛ばす希望と、
我が身を守る確固たる意志とをその胸に。
その扉は開かれた。
生き残る。
戦いが新たな段階に入ったときディランが強く思ったのはそれだけだった。何もできずに足手まといになるのだけは二度とごめんだった。何としてでも自分だけの力で生き残るのだ。手柄は別に立てなくてもいい。ただ攻めてくる敵を倒し、自分の身を守る。それさえ出来れば彼女は充分だと言った。
前方から敵が斬りかかってきた。小回りの利かないグレートソードを持っている。彼女からこれは一対一の戦いには向かないと教えられていた。逆に集団戦には向いているとも。
今は一対一の状態。彼は相手に踏み込んで行った。相手はグレートソードを槍のように使って突いてきた。しかし重さがあるのでそれほど早くない。横にさっと避け、相手の懐に入り、胴をなぎ払うようにして斬りつける。しかし鎧を着けているので中身までは斬れない。鎧の縫い目を狙うか、革製の部分を狙わなくては相手は倒れない。一度引いて体勢を立て直す。相手はもう一度起きあがって突いてきた。ディランは剣を相手の剣にすりつけるようにして運び、そのままの勢いで、眼球から頭に剣を貫通させた。もろに素肌の出ている顔面を狙えば刺突の向かない剣でも通すことができると確信したからだ。ようやく一人敵を倒すことができたところで顔を上げると、向こうの方で敵方がわいているのが確認できた。
(何があった?)
向こうではほとんど一方的な殺戮が行われていた。
太陽のような金に輝く美しい髪が血に染まり、ブルーダイヤをはめ込んだような瞳は全てを飲み込むような暗い光がともり、小さな形の良い口元には頬笑みがあった。
踊るような軽やかなステップを踏み、迫りくるいくつもの剣・槍・鎖鎌と様々な武器を上へ下へと避け、綱渡りのように歩くことすらもあった。そして優雅な手つきで相手を斬り殺す。それはまるで剣舞を舞う者。
この者の手にかかれば、いかなるものもそこでは生きていけない。破壊と殺戮の女神デカルソフィが戦場に降臨する。そう言う者さえ現れるほどだった。
そこで一通り戦い終えたそいつは、ディランの方へと歩み寄ってきた。
「お前、どうしてここにいる」
ディランは聞いた。大体答えはわかっている。しかし彼は聞かなければならなかった。今の精神状態を確かめるためには必要なことだった。
「何でって言われても。行けって言われたから来ただけなのにそれはちょっと酷くない?」
少し悲しそうな顔をして答えた。
「いや、別に。でもさ、相変わらず軽装備だよな」
「そんなことないよ。だってこの鎧、結構動きやすいよ?できるだけ軽くするために胴と腰の部分を取り去って、足と腕だけに鉄の防具をつける。あとは美しさを損なわないために装飾を少しするのと、胴を隠すために伸縮性のある布を服のように着ていればそれでいいだろ?充分に重装備だよ」
説明しながらくるりと一回転して見せた。身体を覆っている物はラインをくっきりと見せている。それは女らしい体つきをしている。胸元は少し膨らみ、くびれもしっかりと主張されている。
「お前、よくそんな恰好ができるな」
「何で?別にいいじゃん。動きやすいんだから」
そんなことを話していると、二人を怒鳴る声が聞こえてきた。
「お前たち!ぼさっとすんじゃねぇ、死ぬぞ!」
二人は和やかに話していたがここは戦場の真っただ中。他の戦士たちは戦っているのだ。
「すみません!」
ディランは謝ったが、彼女は謝らなかった。そして怒鳴り返していた。
「何だよもぉ!別にいいじゃんか!」
「お前はテルミドネだろ!こんなんじゃ他の戦士に示しがつかねぇ!敵国の大将にでも降伏させてきてみろ!そしたら許してやる!」
「わかった。行ってくる!」
相手は冗談で言ったつもりだが、彼女は冗談が通じない。
「ネイロス!」
彼女は愛馬である黒馬を呼んで颯爽とまたがった。そして馬を飛ばし戦場のど真ん中を突っ切っていった。
「トリスタン父さん、行ってくる」
怒鳴ってきた相手の横を過ぎるとき、彼女は言った。
「ちょっと待て、おい!」
制止の言葉を聞かずに彼女は行ってしまった。
トリスタンは近くで斧槍を振り回し豪快に相手の頭をかち割ったり、胴を斬り裂いたりと戦っている大男に声をかけた。
「おい、カーライル!アッシュの奴が敵の本陣に行きやがった。見張りについて行ってくれ。また昔のアイツに戻られちゃかなわねぇ」
「後の二人の将軍さんに頼めばいいだろう。俺たちはお前らの言うことは聞かねぇからな」
「あいつらの団はこの戦争に携わってねぇ。今頼れんのはお前だけなんだよ。頼むから行ってくれ!」
カーライルは一つ舌打ちをして、騎乗している敵を倒し、その馬に騎乗して彼女を追った。
彼女は以前、自我崩壊していた。
十二になるまで彼女――アッシュは男として戦士たちに育てられてきた。兵舎の敷地から出ることもなく、女にあうことも一度としてない。そして何よりも、男女というものの知識を教えてなく、嘘をつきとおしていた。立派な男になれば下も生えてくる。そう教えていたのだ。素直で純粋な彼女はそれをずっと信じていた。しかし、この嘘はいずればれるもの。彼女にも月経が訪れた。その時真実を打ち明け、彼女は自我崩壊を起こした。その間、自暴自棄で残虐な戦いをするようになる。以前ならそのようなことは決してなかった。むしろその逆で相手を傷つけない戦い方をしたものだった。
何とか落ち着きを今では取り戻したものの、今では昔のような心優しい彼女は見られない。少し間違えれば残虐無比な彼女が顔を表す。
それを避けるために彼は馬を走らせた。
「間に合うか」
彼は呟いた。彼女の愛馬はそんじゃそこらの馬とは比べ物にならないほど上等な奴だ。足も早ければ、身体もでかく丈夫である。そんな馬にこれが追いつけるとも思えない。しかし彼は走らせ続けた。
敵方の本陣の少し前で彼女は馬を下りた。ネイロスを近くの森の中に放ち自分は本陣の方に歩いていく。早速斬りかかってくるやつを斬り殺した。彼らの鎧は頭部と胴・腕・腰・足は覆われているものの、首と顔面がむき出しの状態である。だから彼女はそこさえ狙えれば充分に相手を殺すことができた。
「バァン!」
不思議な掛け声で一気に二人の首を掻き切った。赤い液体が溢れだし、首が在らぬ方向へ傾いていった。
「あっはははははは!」
その様子を指さして不気味に笑う美しい女。意識は正気と狂気の狭間で揺れ動いていた。
こんな彼女を見て、敵方は彼女に道を開けてく形になった。彼女が一歩踏み出せば相手はその道を明け渡す。誰もアッシュに剣を向けるものは居なかった。
大将の居るテントに到着すると、中には戦争を仕掛けてきたトリト帝国の王ジャジュカとその他将軍たちが居た。
彼女を目にするや否や彼らは王以外武器を手にした。
「やめておけ。死ぬぞ」
アッシュの目は妖しい光を放っていた。その目を見た彼らは剣を落として、全身でその恐怖と禍々しい威圧感を感じ取っていた。全身から冷や汗が噴出し、その目は彼女の目の奥から離せなくなっていた。
「どうした!何をしておる。早くその者を斬り殺せ!」
この空気を少しでも紛らわせようと、ジャシュカ王はわめき散らす。
「無理だよ」
答えたのはアッシュだった。彼女は国王に目を向けた。そして彼は見てしまった。
彼女の目の奥には地獄があった。狂った彼女に殺されていった者たちの死に様。今までに彼女が犯してきた数々の殺人。強豪国やその他の国の殺されていった戦士や国民、そして王たちのなきがらの上に彼女は君臨していた。そのすべてが彼女の瞳の奥に映し出されていた。
「ねえ、一つ提案があるんだけどいいかな?」
アッシュの正気ではない目が王を捕らえて離さない。ジャジュカは声が出せなかった。ただ首を振ることしか意思を表せなくなっていた。
「この戦争を終わらせようよ。早く帰りたいしさぁ。負けを認めるか同盟を組むか。どっちがいい?そうだ、あんたんとこ負けてよ」
ジャジュカの目に恐怖の光が宿った。そしてその目は彼女がクレイモアを振りおろすところまでを反射していた。
頭からかぶっていた鎖帷子を貫通し、さらにその下の頭蓋までも貫通した、彼女の武器は、一国の王を殺した。
「死んじゃったよ!死んじゃったぁ!あっははははは――」
わずかな正気を保っていたモノは、ジャジュカを殺したことにより失われた。
今のその心は冷淡にして残虐であり、純粋な子供のようにただ欲望に忠実だった。
他者の言葉は心に届かず、彼女を止めるすべは限られてきた。
そのテントに居た者たちは皆、命を奪われた。そこに残ったのはトリト帝国の敗北という事実と亡骸とかした主とその部下。そして意識が飛んだアッシュだけだった。
カーライルが到着したときには、現場は酷い有り様だった。細かく切り刻まれた死体や、内臓を取り出され、並べられたもの。あたりは真っ赤な血で赤く染まり、言葉では言い表せないような臭いと気配が立ち込めていた。そしてその奥にあったのが、アッシュが遊んでいるものだった。身体の至る所に剣を突き刺していく。何度も何度も何度も。
「おい、止めろ!」
カーライルは叫んだ。彼女に歩み寄り剣を奪おうとする。しかしその手は弾かれてしまった。その時見えた彼女の眼は、トリスタンが恐れていた最悪の状況のモノだった。
「アッシュ!もういい、もう終わったんだ!」
彼は何とかして剣を奪うと、抱きしめた。アッシュはしばらく腕の中で暴れた。身に隠してあった別の短剣で彼を傷つけようとする。しかし鎧が邪魔をして彼の身まで届かない。何とかして逃れようとしたが、大男の力強い腕には細身の女はかなわない。
時間がたち、じょじょに落ち着きを取り戻したアッシュは、ようやく我に返った。
「あ、れ……。カーライル?何、してるの……」
「ったく。人騒がせな奴だなぁ。いい加減自制がきくようにしろよなぁ」
どう言うことなのかよく理解ができない彼女は首をかしげる。あたりを見回して、自分が何をしたのかを悟った。
「ごめんなさい。僕、ほとんど……な、何にも覚えてなくて。あの、――」
「まあいい。早く戦争が終わったことを皆に知らせてやれ」
「でも、どうやって?コイツの首はちょっと汚くなっちゃったよ?」
ほとんど、顔の原型をとどめていない肉の塊と化した頭を見下ろして聞く。
「馬にでも乗って振り回しながら叫べばいいだろう」
「わかった!」
素直なアッシュは首を持って走り出した。そして馬の名を叫び、呼び寄せると飛び乗って行ってしまった。
相変わらず戦地では戦士たちが戦いに明け暮れていた。弾丸が飛び交い、鉄と鉄の交わる音が交差する。そんな中を彼女は討ちとった首を頭上高くに掲げた。
「この戦争は終わった!直ちに戦闘行為を中止せよ。勝利は我らがセシタル王国にあり!」
声高らかに叫ぶ。そんなアッシュを見て、戦士たちは口々に言う。
曰く、全てはテルミドネの手のひらで踊る。
曰く、戦地の死神デカルソフィが降臨した。
彼らはアッシュのことを恐怖の眼差しで見ている者がほとんどをしめていた。若干十四歳という若さで国王認可の戦士となり、史上三人目のテルミドネに任命されたのだ。そして何より、彼女は女だ。これまでにどこの国にも女性戦士は存在していないし、ましてや戦士になることのできる年齢は十八歳と決まっている中での異例中の異例だった。
その中でも彼女は国一の強さを誇った。そして破壊と殺戮の女神デカルソフィの異名を持つことになった。
そんな彼女がジャジュカのぐちゃぐちゃになった首を掲げ、戦いは終わったと言っているのだ。誰もその言葉に逆らうことはできない。敗北した国の戦士たちは武器を捨て降伏し、勝利を収めた国の戦士たちは雄叫びを上げた。その戦士たちに混ざって、ディランも叫んでいた。
「おいディラン。はじめての戦争はどうだ?」
いつの間にか隣に居たのはトリスタンだった。
「将軍!」
慌てて頭を下げると、トリスタンはそれを止めた。
「おいおい、よせよな。俺はそんな柄じゃない。お前がアッシュに接するときのようにしてくれた方がありがたい」
「わかりました、トリスタンさん」
「そう、それでいい。だがさすがに人前や公式な時には将軍で頼むぜ?」
「はい。もちろんです」
その日の残りは、戦死者の回収や情報の整理などで終わってしまった。
情報の整理をしていて気がついたことがあった。それはアッシュに関するものだ。
アッシュの団が要請を受けて戦場に送りだされる前の状態。このときは双方の力関係は同じくらいだった。しかし、彼女たちが到着し、戦いに加わるとこれが大きく変わる。敵は彼女の名前を聞けば怖じ気づき、姿を見れば戦意を失った。さらに彼女の団の人間は、身体のどこかに死んだ者の刻印が刻み込まれている。そう、彼らは忘れられる者――地下牢のもと住民だ。地下牢は死ぬことすら許されなかった大犯罪者たちが閉じ込められる場所。そんな場所に閉じ込められていたはずの人間がどうしてここに居るのかと言えば、それは彼女が自らの戦士に仕立て上げたからである。彼らはアッシュに対して絶対服従を誓っている代わりに、彼女以外の言うことは絶対にきかない。一枚岩のような強力な戦士たちなのだ。
どんなに厳しい戦局でも彼らにかかれば覆される。そんな思いが彼らに勇気を与え、戦争の勝利を勝ち取らせていた。
ディランはそんな彼女を追い抜きたいと思った。今は横に並ぶことさえかなわない相手だが、いつか必ず追い抜いて世界一の戦士になるのだ。
彼らの戦いは続いていく。この物語はまだ始まったばかりなのだ。
幾つもの困難が彼らを襲い、その行く手を阻むだろう。
しかし、彼らは負けることはない。
その剣舞を舞い続ける限り――。
とりあえず、第一幕である始まりの物語りはここまでです。第六章まではアッシュ視点でストーリーが進んできましたが、第七章からはディラン視点にて物語りは進んでいきます。これからも大変不定期(私の気分しだい)にてこのソードダンサー第二幕以降は進行していきますので、もしよろしければ読んでいただければ光栄です。なお、私のなかでは第二幕も完結しております←