第五章 認可
セシタル王国現国王『エルリック三世』は、最近戦士たちが騒がしいことを気にしていた。近年戦争らしい戦争をおこなってもいないのに、何故こんなにもピリピリしているのかとても知りたがった。
ある日の軍事定例会議において、ついにその時は来た。
「近頃戦士たちが憤っているのは何故だ」
会議の最後に、王はそれを切り出した。
「恐れながら、私は存じ上げません。しかし、戦士たちの様子が近頃おかしいことは気になっておりました」
第一元帥ホイヴィル剣士団団長のキーツが発言した。
元帥の位は第一から第三までありそれぞれこの国の大神の名がつけられている。今、その位は第二、三が空席の状態で、おそらく第一王位継承者である王子の『アレン』がつくだろうといわれている。
「お前たちは何か知らぬか、将軍等」
「さあ私どもも何も知りません、王様」
すると、意地悪気にキーツは煽りをかけてきた。キーツは全てを知っていた。子息がアッシュと殴り合いをして負けたことを根に持っているのだ。
「王様、そういえば戦士の様子がおかしくなり始めた二年前から、城内で不審な者を見かけるようになっております」
「なに?曲者か。ならば早々に捕まえよ」
「王様、その任はぜひこのアールネらにお任せください」
「いえいえ王様、この任はこの老いぼれにお任せください。若い者は戦争が起こったときのために温存させておくべきかと」
「ふむ、そうだな。この任は第一元帥に任せる。そなたらは手出しをせず、訓練にいそしめ」
この決定ににやりと笑うキーツ。
解散後、廊下ですれ違った三人とキーツ。
「いってぇどういうつもりだ、キーツ元帥」
ギロッとキーツを横目で睨む。
「何のことかな?」
キーツはとぼけた様子で顎をさする。今にも襲い掛かりそうなほどの殺気を放つトリスタンをクロウが無言で静止しつつ、冷たい声で話す。
「全てを知っているうえでのあの発言ですよ」
「あの子を殺そう、としているようにしか、思えんのだが」
アールネも怒りのこもった目でキーツを睨んだ。
「さあな。私は知らんぞ。はっはっは。では失礼」
そう言って歩いて行ってしまった。その背中を三人は見えなくなるまで睨みつけた。
それからしばらく。ついにアッシュは捕らえられてしまった。
「ようやく捕まえたぞ、ガキ。私の息子のカリを返させてもらうぞ」
アッシュは審議にかけられることになった。これには国王も興味があったようで、参加していた。
「お前の身分を明かしなさい」
「名前はアッシュ。身分なんてわかんない。性別は十二まで男だと思っていたけど、実は女でした。以上」
「何処から来た」
「もとからここにいた」
「どういうことだ」
「拾った本人に聞いてくれ」
「それは誰だ」
「アールネ、クロウ、トリスタン、その他彼らの同期の戦士」
これを聞いて、その場にいた人間は驚いた。そしてすぐこの場に彼ら関わった全員が集められた。
「これはどういうことだ。よりによってどうしてお前らが規則を破った」
「覚悟していた、ことです。処分、でも何でも、してください」
「そうです。ここにいる者、みな処分の覚悟はできています」
「ですが一つだけ約束してください。アッシュだけは助けてください。こいつがこうなっちまったのは俺らの責任なんです」
必死にアッシュの許しをこう戦士たち。この姿に遊戯好きの国王が動いた。
「そなた等の戦力は我が国に必要なもの。お前たちほど腕の立つ戦士はそうそういない。故に処分を施すことはしたくない。これが私の希望だ。そこでだ。ここで一つ聞きたいことがある」
「何でしょう」
「この者は先ほど、自分は男だと思って育ってきたといったな。それは何故だ」
「はい。それは我らが戦士に育てていたからです」
「ほう。それではこの者は強いのか」
「はい。我等と普通にやり合えるほどに成長しています」
なるほどと、顎を指でなぞる。そしてなにか思いついたように笑った。
「そうだ、思いついたぞ。そなたに機会をやろう」
国王はアッシュの方に目を向けた。
「機会?」
「さよう。国の東の方で起こっている大臣同士の内乱がある。それを一人で鎮圧してまいれ。そうすればお前を助け、国王認可の戦士にしてやろう」
「王様、それはいくらなんでも――」
「黙っておれ、私はこの者に話しておる」
アッシュは何か少し考えたように少し唸ってから、
「わかった。じゃあ武器いろいろ借りて行くよ。きょう出発するから」
そう言ってさっさと出て行ってしまった。
あとからこっそりと、側近二人が国王の耳に囁いた。
「貴方もお人が悪い。死にますよ?あの子」
「もし、生きてかえって帰ってきたら本当に戦士として認めるおつもりで?」
すると王は豪快に笑った。
「もちろんだ。死ねばそれで反乱分子が一つ減り、生きて帰れば良き手ごまが一つ増えたまで」
そんな国王の真意をアッシュは理解していた。内戦地で生き残るか死ぬかは運次第だが、どっちにしてもそこに行くだけ。生きているという実感を味わうため、生きるか死ぬかの駆け引きを行うことに陶酔していた。味わうその痛みに。
彼女が愛馬に乗って出発したころに不正を働かせないため密偵を複数人送った。
念のために全員ばらばらの日時に送った。各密偵には絶対に一日一回のペースで報告をするように義務付けた。
初日の連絡。初めに送り込まれた密偵からの連絡だった。
『標的は、雇われた戦士たちの戦っている場所より離れた位置についた。所持していた武器は遠距離射撃に適した銃と刀身が長めの剣。奴は何かブツブツと一人で呟いていた。
曰く、やはりあまりよく見えない。
それは当然のことに思えた。自分の目から見てもこれは遠すぎる。この者は一体何を考えているのか理解不能。調査もせずに鎮圧を一人で開始しようというのか。彼女はまた、何か呟き始めた。
曰く、もっとよく見える眼が欲しい。
切実にそう言っているように見えた。長い草がうっそうと生い茂るところに膝立ち天を仰いでいた。その後も一人でずっとブツブツと話していた。まるで誰かと会話しているようだ。すると、突然眼を抑えて苦しみだした。調査によれば、訓練された戦士でも苦しみ悶え、気絶までするという鞭打ちに涙も流さず音もあげずに堪え切ったものがここまで苦しんでいるのはよほど何かあったのだろう。しばらくすると、なにか喜んでいるように見えた。
曰く、よく見える。
曰く、まるで目の前で起こっているかのようだ。
言っている意味が理解できないが、寝そべり銃を構えて発砲し始めた。向こうの方では弾が当たって倒れているのか、敵に斬られて倒れているのかは確認できない。
この日一日だけで、標的は持って行った弾丸を全て撃ち尽くした』
日誌のような報告書を持ってきた密偵は、国王に渡すや否や倒れた。その背中には刃物で一突きにされた傷があり失血死。
二日目の連絡。
『この日標的は動かなかった。一体どういうつもりなのか、一日中木登りをしたり、馬とじゃれ合っていた。まさかとは思うが任務を放棄したのだろうか。少しばかり不可解に思ったため、夜も監視を続ける。
深夜になった。彼女は松明の明かりを一向につける気配がない。自分も気づかれないように月明りだけを頼りにする。標的は森に潜み、まずはジョナサン大臣の陣地の方へ向かった。見張りの目の前に堂々と正面から向かった。彼らは子供だからと油断したようで、あっという間に急所を突かれ死亡。この時の使用したものは補助武器であるダガー。その次に救護テントに向かい、中に入るとしばらく出てこなかった。出てきたときには平然としており、何があったのかよくわからない。あとから密かに確認したところ、そこに居た者はすべて死亡。あとは見失ってしまって標的の姿は確認できていない。しかし、今日だけで雇われていた者たちの三分の一が戦死または何者かの手により死亡が確認されている。一体彼女は何者なのか』
この密書を持ってきた者も大ケガを追っていた。国王は誰にやられたのかを聞くと、密偵はアッシュがやったと証言した。任務を終え、報告書を提出しようと城へ向かおうとしたら、ナイフが飛んできて、背中に刺さったとか。刺した相手をみればそこには何も映していない冷たい瞳をした少女が笑っていたと言った。
三日目も四日目も、報告書はどれも同じような内容だった。ただ少し違うのが、夜襲に行った陣営の違い。交互に責めていた。そして一定の人数を守っているかのように、少しずつ少しずつゆっくりと殺しているようだった。密偵も何かしら大きな傷を負って帰ってきた。帰ってきても死んでしまう者ばかりだった。
国王は面白がった。こいつは使えるという確信を持ち、骨の髄まで利用しきってやろうと考えた。
五日目。アッシュは深夜になるのを森の中で見つけた湖のほとりで待っていた。水遊びをしてみたり、花を摘んでみたり。だけどどれも楽しくなかった。少し子供っぽく、昔のように何かできるかと思ったが、何もできなかった。
結局木の実を取りに行って、それを湖の水で洗い頬張って空腹を満たして終わった。
――今日はやけに近くで視線を感じる。
そう思ったアッシュは黒馬にまたがり走り出した。途中で馬の上から手頃な木の枝に飛びつき、追いかけてくるのを待った。相手が来ると足に向かってダークダガーを投げ動きを封じた。相手が痛みに悶えているところにさらにもう一度、予備に持ってきていたダークダガーを突き刺す。倒れて悶えている相手に馬乗りになり覗きこむ。
「ねぇ、あんた誰」
「お、お願いだ。命だけは助けてくれ!」
「誰って聞いてるんだ」
「国王に頼まれたあんたの監視役だっ。お願いだから助けてくれ」
「そう。じゃあバイバイ」
とどめの一撃を愛用している細身の剣レイピアと鎧を貫通する剣エストックが融合した剣で刺し、死体を残してアッシュは湖に戻った。そこには黒馬がきちんと戻ってきていた。
「お前はいい子だね」
優しくなでてやり、草を食べさせてやった。馬と触れ合うときだけ、アッシュの壊れてしまった心が一瞬回復したように思えた。
夜が来るまでアッシュあそこで眠った。何時振りかくらいにぐっすり眠ったアッシュは、気がつけば既に予定の時刻を少し回っていた。
「寝過ごしちゃったか。まあいいや。誰も何も言わない」
起きあがって近くにいる愛馬に問いかける。
「僕は今生きてる?死んでる?」
馬は何も言わない。ただ、彼女の空虚な目を見つめるだけ。
「確かめに行こう」
馬にまたがり走らせる。森を抜ければそこはもう標的の陣営。毎日の襲撃の所為で、警備は頑丈になっているもののもう戦士はいない。怯えて逃げ出したもの、殺されたもの。その所為でもう両陣営ともに内戦どこではなくなっている。
陣営の近くで馬を下り、近くの木につなぎとめておく。そして正面から入っていく。
覆面も鎧もつけていない。持っているものは剣のみという、戦場には似合わない姿の幼そうに見える少女に一瞬思考が停止する。しかし近くの村の少女が落ちていた武器を届に来ただけだろう、もしくは親がここで亡くなった復讐にでも来たのだろう。それだったら簡単に対処できる。相手は素人の子供だとでも思ったことだろう。
『お譲ちゃんどうしたのかな?ここは君のくる場所じゃないよ』
できるだけ警戒を怠らないように注意しながら、子供に対応する大人になる。
「あってる。ここで間違いない」
少女はゆっくりとした足取りで見張りの戦士の前まで来た。
『ここは戦場だし、もう時間も遅い。早く帰りな』
すると少女はブツブツとしゃべりだした。普通ならここで耳をかそうなどということはしてはいけない。仲間に見つかれば叱られるし、今は一人で見張りをしている。彼がここで一番強い戦士として雇われたから任された仕事なのだ。だが彼は判断を誤った。
はっきりと言葉を聞こうと少女の顔を覗き込もうとしたのだ。
「ばぁか」
その言葉を聞いた時には彼の首は掻き切られていた。悲鳴を上げる暇さえもらえず、息もできない。その中の苦しみを一瞬味わった後彼は倒れた。
アッシュは陣営の中に足を進める。もう相手にする雇われ戦士も少ない。大臣の首を取ってからでも遅くはないと判断したアッシュは、テントを探し始めた。テントを覗いては中の人間を斬り殺し、いなければ物色もせずに出て行く。そうしているうちに最後のテントになってしまった。
「お楽しみは最後って奴なのかな」
独り言をつぶやきながら、入ろうとすると戦士が一人飛び出してきた。
「まだ居たんだ」
いきなり襲われたにも関わらず、すべてお見通しとでもいうように全てかわし無防備な首を左手に持ったダガーで切った。
「何でみんな首を隠さないかなぁ」
剣についた血を振り払いながら恐怖で動けなくなっている大臣に近づいていく。
「ねえアンタ。本物だよね?」
返事を待たずに首を切る。血が一気に流れ出てくる。大臣は首を切られた際に気道も一緒にやられたため、息ができずに口をパクパクさせていた。
「なぁんだ、大臣って弱いんだ。残党も居ないよね」
自問自答を繰り返すように話し続ける。テントを出ながら、
「そうだ。向こうの奴らも今夜中に殺ってしまおう。殺し合おう。僕を殺せる奴っているかなぁ。ああでも難しいかなぁ。この眼すごく見えるから」
馬にまたがり反対側にあるもう一人の陣営の方へ走らす。
夜の冷たい風を切って走るのを気持ちいいと感じながら月を眺める。
「ねえお前、月って悲しいね。なんか、泣いてるみたいな感じしないか?」
胸の奥にえも言われぬ感覚を宿し、それを考えている間についてしまった。そんなに長い間考え事をしていたようにはまったく感じなかった。だがあの距離を走っている間に終わらないのだから、相当なのだと理解した。
また馬を近くに放して、正面から入っていった。
『何者だ!』
アッシュを見た、雇われ戦士は太剣を構えた。
「ククッ。あんたは僕のこと見てそんな風に言うんだ」
新鮮な反応にアッシュが面白がっていると、
『当たり前だ。その姿を見て不審者と思わない方がおかしい』
アッシュはそう言われて自分のことを見てみた。服は返り血を浴びてドロドロだし、長い金髪はぼさぼさだった。思わずおかしくなってしまったアッシュは笑いだした。
「あっはは!そっかぁ、さっき向こう側の奴ら全員殺ってきたからかぁ。つまんなかったよぉとっても。みんな弱いんだ。死ぬ時なんてこんな風に――」
一瞬で戦士の目の前に入り、主要武器で首を切った。
「今のあんたみたいに口をパクパクさせてさぁ。ああ、誰か僕と殺りあってくれる人居ないかなぁ。僕に生きてる実感をくれる人」
恋焦がれる相手に思いを馳せるようにうっとりとした表情で、ふらふらとテントの中に入っていった。
テントを次々と開けては殺し、開けては殺し。その異変に気付いた戦士は武装して出てきたが、それはもう最後の方。残った数人だけだった。
「ねえ、僕と遊ぼうよ」
戦士たちは固まった。目の前に広がっていたのは血の海に死体の山。そこに返り血を浴びて恍惚とした表情をする少女。眼には妖しい光が宿っていた。
「そっちから来ないんだったら、僕がそっちに行くよ」
嬉々として二本の剣を振り回していた。少女がその身が剣と一体になっているかのような感覚を相手に与えるような動きだった。その姿は破壊と殺戮の女神
「デカルソフィ」のようであった。
戦士たちは彼女の剣を受けて防ぐのがやっとだった。これだけの相手をしながら、彼女の剣劇は衰えを知らないようだった。剣と剣がぶつかり合いその音がはじけると彼女は笑った。傷ができるたび恍惚とした。血を浴びるたびに彼女の動きは力強く精力的になっていった。
「あっはは、生きてる、生きてるよ!痛いね、楽しいね。ほぉら、命がどんどんこぼれていくよ!そう思わない?」
喋る余裕さえあるのに戦士たちは必死の形相で生き延びようとしていた。しかし一人、また一人と死んでいく。その中で最後の一人になってしまった哀れな男。彼は最後まで彼女に剣を向けることができずに怯えていたのだ。
「なんだ、あんたが最後か。つまんないの」
「頼む、許してくれ!お願いだ!」
「そんなの知らない」
アッシュは腰が抜けて動けない戦士の心臓をメイル・タイプの鎧の上から貫いた。
大臣を殺すために足をテントに向けると、こんな騒ぎにも関わらず眠っていた。
危機感の欠片もないよく肥えた初老の男の首を切り落とした。
全てを終えた後のアッシュはただ抜け殻のようだった。また生き残ったという事実と、本当に自分は生きているのかという疑問が大きな穴のあいた心に巣くっていた。
馬のところに行き、首に抱きついた。大きなため息をひとつついて離れる。
「戻ろう」
――どこへ?
そう感じた。自分が戻るべき場所、それはどこだろう。
――そうだ……カーライル。カーライルのところへ行かなきゃ。ヴァザリの様子も気になる。
「城へ帰ろう」
馬にそう告げ走らせた。内乱の鎮圧だとか、王命だとかそんなことはどうでもいい。はやく待ってくれている人たちのところへ帰りたい。
『待っている』
――誰だ?
この言葉を何処かで聞いた。誰かが言った。大切な何かがそこにはあった気がする。だがそれが思い出せない。そんな記憶があることすら真偽を諮らねばならなかった。
アッシュは馬を走らせながらずっと考えた。城にたどり着くまでの長い時間をその考えに当てた。だが結局その答えは見つからないまま、城についてしまった。
裏門は使わずに堂々と正面から。戦地でもそうだったように入っていった。
アッシュの姿に警備をしていた戦士はぎょっとしたが何も言わずに通してくれた。
今は早朝。この時間帯は国王が議長をつとめる会議に出ているはず。アッシュはそのまま慣れない大臣や王族のいる本館を突き進んだ。
「この眼、ホントに便利だな」
彼女は迷わずに会議が行われている部屋に向かった。
アッシュの眼は会議の行われている部屋の場所を見通すことができた。
『おい、とまれ!』
部屋の前に立っていた見張りの戦士がアッシュを止めようとした。
だがアッシュは歩みを止めることなく進んで行く。一人の戦士が腕をつかもうとすると手をひねりあげ、背中に馬乗りになり、関節を外した。
それを見たもう一人が槍で突き飛ばそうとしたがアッシュがそれを足で上から踏みつけその反動で下がった戦士の顔面に膝をめり込ませて鼻を折った。
そして何事もなかったかのように部屋に入っていった。
部屋の中には様々な部署の責任者である大臣や軍の将軍や元帥が集まっていた。入ってきたアッシュの姿を見て一同唖然とした。
返り血で髪は固まり、顔には生気がなく、服はボロボロになり血がほとんど全面についていた。開かれた扉の奥では先ほどアッシュにやられた戦士たちがうずくまって悶えていた。
「おお。生きて戻ったか」
国王が楽しそうにすると、不機嫌そうな顔をした。
「お前、密偵を送っただろう。それも結構な数」
「お前!国王に向かって無礼であろう!」
「よいよい。ああ、確かに送った。だがどうしてか帰ってこないものや、帰ってきても瀕死の状態の者ばかりなのだ。これはどういうことだ?」
「うっとうしかったから、ちょっとやった」
後ろ一度向いて、どうでもいいとばかりに言った。
「ねえ、もう行ってもいいでしょ。ちゃんとみんな殺してきたよ」
「そうだな。本当に内乱が終わっているか確認が済むまでゆっくりとしているがよい」
それを聞くと、アッシュは部屋から出て行ってしまった。
「そなたらの育てたあの子供。口は悪いがよくあそこまで育てたな。褒めてつかわそう」
「もったいないお言葉。痛み入ります」
アールネ達は涙を堪えた。これは無事に帰ってきてくれてうれしいというのもあるが、あんな風になってしまったのは自分たちの所為であるという責任と後悔を持っていたからだ。
国王はすぐに使いを内乱地に送った。
「そうであった。すっかり忘れておったがこれにて会議は終了する」
それだけ残して早々に退場していった。国王を筆頭に次々に部屋を出て行く中、アールネ達だけ残っていた。
「あいつ、変わっちまったな」
「俺の責任だ。俺が拾いさえしなければ――」
「そんなことありませんよ。いつか昔のあの子に戻ってくれます」
アッシュは共同風呂によって身体を洗った。その後、布を膨らみかけの胸に巻き、ズボンを穿いて、水浴び場に干してあった戦士たちの洗濯ものを適当に拝借した。
『それ、俺の服だぞ。返せ!』
近くで洗濯物を干していた見習の戦士がアッシュに食ってかかってきた。
「これ、お前の?」
『そうだ悪いか!』
頬をむっと膨らませるような顔をして怒る青年を不思議そうに眺めた。
『なんだ!俺の顔に何かついてるのか!』
「いや別に。変な奴だなぁ。そうだ、この服しばらく借りるから、僕の服をあげるよ。はい」
無理やり押し付ける形で服を渡して、アッシュは地下牢に向かった。
地下牢に入ると、囚人たちはアッシュのことを歓迎してくれた。
『今までどこに行ってたんだよ!』
『何でここんとこ姿を出さなかった!』
『大丈夫なのか!』
そんな彼らの声に心に開いた大きな穴が埋まるわけではないが、安心感を覚える。
「大丈夫だよ。ちょっと捕まって内乱地に行って殺してきただけだから」
「それは大丈夫とは言わねぇぞ」
聞きなれた心地よい男性の低い声がしてきた。
「やあカーライル。久しぶりだねぇ」
「ちょっと頼みがある。爺さんの声がお前が来なくなった時あたりから聞こえなくなった。確認してくんねぇか」
「うん」
そう言ってヴァザリの牢へと向かった。アッシュが牢の中を覗くと、布をかぶって寝ているように見えた。ただ眠っているように見える。しかしその呼吸は見られなかった。
「ヴァザリ、ねえヴァザリったら。起きてよ。また何かお話してよ。ヴァザリ!」
アッシュは格子を揺さぶった。だが、ヴァザリが起きることは二度となかった。
一週間後、アッシュは史上最年少で国王認可の正式な戦士になった。そしてこの国の長い歴史の中で初の女戦士になった。そしてもう一つ――。
「お前には我が国の代表になってもらう」
それは遠まわしに国王のイヌに、都合のいいすぐに切り捨てることのできる手駒になってもらうと言っているのと同じだった。勘が鋭いアッシュや一部の人間はそのことに気づいていた。それを分かっていた上で彼女はそれを引き受けた。
そして史上三人目のテルミドネが誕生した。
「お前にはテルミドネになって、この国に平和をもたらしてもらう」
頭を垂れ、無言で承知したことを告げた。
「お前に団を持たせることを許可する。どこからでも好きな戦士を引き抜くことを許す」
「どこからでも?」
「ああ。どこからでもだ」
「じゃあ、忘れられる者たちを使ってもいいってことだよね?」
聞いたことのない単語が耳に入り、国王は首をかしげる。
「それは何だ?」
「地下牢にいる囚人たち。死ぬことすら許されない大罪人たち。僕の友達なんだぁ」
「反乱をおこすかも知れんぞ?その時はどうするつもりだ」
「大丈夫。それはさせないから。僕の名誉にかけて断言する」
「ならば許そう」
国王の返事に今まで黙っていた重臣たちが一斉に反発し始めた。
『王様、どうかそれだけはおやめください』
『我等はこの者をテルミドネに任命するだけでも賛成しかねております。その上まだこの者の好きにさせますか』
『どうかおやめください、王様!』
「ええい、黙れ!これは既に決めたことだ!まだ反発する者がおるのであれば、辞表を提出し即刻立ち去れ!」
そんな中でもアッシュはこの会話に飽きてしまい、さっさと広間から退出しようとする。
気配を完璧に周りに同調させたため、見張りに立っていた戦士のところでようやく気付くほどであった。
「もう飽きた!早くここから出たいんだけど。あとこの服動きづらい」
アッシュのために特別に誂えられた女性戦士用の正装であるドレスを破ろうとするのを必死に止める。
『止めてください!もう少しですから、もう少しで終わりますから!』
階級が元帥よりも上になったことで、アッシュは敬語を様々な人間から使われるようになった。それがすごく息苦しく、妙な感じがして嫌だった。手を伸ばせばすぐにつかめそうな所にあったものが、急に遠くになってしまった感じする。彼女はこの感覚を何処かで味わったような感じがした。
「わかった。わかったから放せ」
腕を放させ元の位置に戻る。すると国王がアッシュに早速王命を下した。
「お前には早速だが戦争に出てもらう。北の国境付近に隣国のロクサーヌ帝国が進行しようと陣を張っているという報告を受けた。ホイヴィル剣士団とともに同盟を組んでまいれ。そなたならできるであろう?」
「うぅん……」
悩んでいる彼女に国王はどうしたのか聞いた。するとアッシュは、
「殺さないように気をつけなきゃと思って。それだけだから、もう行ってもいい?」
「おお、かまわないぞ。お前の部屋を本館に支度してある。今日からそこを使うとよい」
最後まで聞かずにアッシュはさっさと出て行ってしまった。
もちろん向かった場所は監獄棟。もう、アッシュがそこに入ることにとやかくいうものはいなかった。見張りの者に地下の牢を開ける鍵を貰い足早に向かう。地下に通じる階段を駆け下り空いている牢にあらかじめ準備しておいた服に着替える。それは男物の戦士の服だった。しかも空いている牢というのがカーライルの前の牢だった。
「おいお前!何回も言わせるな。少しは恥じらいを持て!」
「いいじゃないか。昔から知った仲だろう」
髪をいつものように頭のてっぺんに結いなおしながら言った。
「そういえばその服は何だ?ドレスのように見えるが」
「これ?僕のために作られた服なんだって。動きにくいったらありゃしない」
その話を聞いていた囚人が聞いてきた。
『ということはよ。それは誰かが特別に作らせたってことだよな?それって大分凄くないか?』
「うん。僕、正式な戦士になったから。そうだ、それで思い出した!みんなここから出したげる」
「どういうことだ?」
「僕ね、テルミドネになったんだよ。だから、みんなを僕の団員にするんだ」
『それは嬉しんだけどよ。王さんが許さんだろ?』
『そうだぜ。お前に迷惑がかかんだろ』
「え?許可は下りてるよ。その代り、絶対に僕の言うことを聞くって約束だからね。この約束を破ったら、容赦なく殺すから」
それを聞いたカーライルは訂正を入れた。
「誰もお前との約束を破るような奴はいないと思うぜ?」
「一応だよ。保険をかけとかないといざというとき困るでしょ?」
アッシュはカーライルの牢のカギを開けた。そして、彼に鍵を半分渡して残りを開けるのを手伝わせた。しばらくたって、全ての地下牢は空っぽになった。アッシュの号令で囚人たちはアッシュの戦士として地上に出た。
何年何十年ぶりの地上の光に徐々に馴らすために、布を巻き眼隠しをした状態でアッシュに誘導されてある部屋に連れて行かれた。
「どこについたんだ?」
「僕の部屋だって準備されたとこ」
『え?何だって』
『アッシュの部屋だってよ』
『アッシュの使ったベッドの匂いを嗅ぎたいな』
「僕には広すぎるから、目が慣れるまでここにいてよ。ちなみに既に最初の仕事は決まってるよ。だからそれまでにちゃんと目を慣らしておいて」
カーテンをしめてからベッドに寝っ転がった。だがそのふかふかした感覚になじめずに床に寝転がることにした。
「みんなもその辺に座りなよ。疲れるんじゃない?ここは床がすごくきれいだから寝ても座っても大丈夫だよ。あと目隠しはずしてみて。どう?この暗さなら平気?」
「ああ大丈夫だ」
『アッシュ。お前ってホント優しいよな』
『ああそうだ。女神のようだ』
『違う、アッシュは女神だ』
そんなやり取りにどっと笑いが部屋中に響く。
「そういえば、内乱地に行ったときに僕のことをデカルソフィって呼んだ奴がいる。デカルソフィって何?」
「デカルソフィは破壊と殺戮の女神だ」
「ふぅん。そうなんだ。みんなおなか減ってない?」
『そういや飯がまだだったな』
『腹が減って倒れそうだ』
「じゃあ僕がパンとヤギのミルクを貰ってきてあげる。ちょっと待ってて」
アッシュは部屋を飛び出していった。
「せっかちな奴だな」
最近の柔らかい表情をみると、以前のアッシュの戻ってきたのかと勘違いするほどに明るくふるまっている。しかし、それが本当にそうなのか確信がえられない。それはアッシュの言葉によるものだった。幼いころのアッシュは人を殺すなどそのようなことは絶対に口に出さなかった。むしろその逆で、どんな罪人の死でも涙を流し、人道に外れるようなことには本気で怒る。そんな子供だった。それが今では平気で人を痛めつけ殺し、あまつさえそのことを反省すらしない。うまく隠してはいるがいつ表に出るかわからない、大きな爆弾を抱えて生活しているのと同じだった。そのことをよく理解していたカーライルは心配だった。
食事を取りに走ったアッシュは、廊下で女とぶつかった。彼女は無事だったが女の方が尻もちをついてしまった。
「ああ、ごめん。急いでたから」
助け起こすために手を差し出すと、その手を払いのけられた。
「無礼者!この私によくもそのような言葉遣いができましたね。私を誰だと思っているのです」
「ええっと……女」
その答えを聞いて女がアッシュの頬に平手を喰らわせようとした。しかしそれはアッシュにとっては簡単に防げるもの。その手をつかみ、
「ねえ、あんた。僕と遊びたいの」
と迫る。鋭い殺気が放たれ、女はその表情に怯えた。口元は笑っていても目が笑っておらず、その瞳の中には暗い影があった。
『アリア女中長様。どうかなさいましたか?』
異変に気付いた警備の戦士が一人やってきた。
「戦士、この無礼者を今すぐ懲罰房へ連れて行きなさい。この私に何たる屈辱を与えたことか!」
『早くその手を放せ。この方は女中長様だぞ』
アッシュを腕を解かせようとすると、空いていたもう片方の腕で弾き飛ばされてしまった。そして女中長を放すと、今度は倒れている戦士に馬乗りになった。
「お前が僕と遊ぶのか」
返事を聞く前にアッシュは戦士をうつぶせに倒し、両腕の関節を外していった。痛みで顔をゆがめている戦士を再び仰向けにし、顔を殴りだす。
その光景に怯えていた女中長だったがふと我に返り人を呼んだ。声を聞いた戦士たちが集まってきてアッシュを引きはがそうとしたが、二人では相手にならず四人がかりでようやく引きはがすことができた。しかしその時にはもう、殴られていた戦士の顔は腫れあがっていた。その中でこれがアッシュであることを分かった者が一人だけいた。
『もしやテルミドネでいらっしゃいますか?』
おずおずと押さえつけられているアッシュに尋ねる。
『そんなわけないだろう。テルミドネがどうしてこんな恰好をしているんだ』
「悪かったな、こんな恰好で」
押さえつけられた状態でなおも平然としている。そこへ、たまたま別部署に用事があったアッシュの親の一人が通りかかった。
「お前たち何をしている」
そして押さえつけられている人物をみて慌てた。
「早くその手を放さないか!これは俺たちの上官に当たる人だぞ」
それを聞いて青ざめた表情で離れる。アッシュはむっくりと起き上がり服を払った。
「なんでこんなことになっているんです」
「あの女にぶつかったときにアイツが尻もちついて、助けようとしたら殴られそうになったから、遊びたいのかと思ったら声をあげられてそれでこんな感じ」
ほとんど説明になっていない状態で、話を切り止め食堂へ向かってしまった。
その場に残った彼らは殴られていた戦士の状態を見て恐怖を感じた。抵抗できないようにした後、やみくもに殴っているのかと思えば急所を外し、気絶しないように殴っていたのだ。
こうしてテルミドネとしてのアッシュの問題行動は始まった。
まず其の一として初日の暴力事件。その次も殴り合いの喧嘩に会議への無断欠席。瞬く間に城の隅々までこのうわさは広がっていった。しかしアッシュの顔までは知られておらず、筋骨隆々の大男だとか、実は化け物だったとか様々なデマが広がっている。だから本当に顔を知っている者しか隣にいても気づかないことが多い。
はたしてアッシュの顔を全ての城の人間に知られることはあるのだろうかという疑問が浮かんでいる。