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ソードダンサー  作者: 少女遊 夏野
始まりの物語
4/12

第三章 地下牢


兵舎にあるアールネ達の共同部屋。そこは今まさに、恐怖の念が渦巻いていた。


「なあ、それ止めてくんねぇ?俺らは何もしてねぇだろ」

「何がです?」


 クロウは女のような美しいにこやかな顔でそう言った。ただ笑っているだけのように見えるが、いつも一緒にいる彼らにはわかる。


――コイツ、怒ってる。怒ってらっしゃる(恐)


 美しい花には棘があるどころではない。美しい花には毒針をもった火を噴くドラゴンという強大なバックが存在する、である。


「だぁらその顔を止めろっつってんだよ。あいつだってきっと悪気があったわけじゃないだろう?」

「そうだ。もしかしたら、俺……たちが、見つけられん所、にいたのかもしれんしな」

 そんな二人の意見をつんとして寄せ付けない。


「集められるだけ集めた人数四十人。この人数であれだけの時間を探したんですよ?なのに見つからなかった。これでもまだ、あの子を庇いますか?」


 腕組みをして、冷ややかな目をベッドや椅子にそれぞれに腰掛けた二人に向けた。


「「うう……」」


 そんなところに、泣きすぎて腫れた目をしたアッシュが入ってきた。


「よっよう…お帰り……」

「お帰り……」

「ただいま、トリスタン父さん、アールネ父さん」


 部屋の中に入ると、突然扉が閉められた。何があったのかと後ろを振り返ると、そこにはいつも通り、笑顔のクロウが立っていた。


「お帰り、アッシュ」

「ただいま、クロウ父さん。あのさぁ、あの父さんたちどうしたの?」


 怯えた様子を必死に隠そうとして、苦笑いになっている二人に視線を向けた。


「さあどうしたのでしょうね。まあいいから手を洗いなさい」

「はぁい」


 素直に従い、手を洗いに部屋の中を歩くと、鍵が扉に掛けられた。


「ねぇ、父さん。どうして扉に鍵をかけるの?」


 クロウの方に振り返り、純粋な疑問を投げかける。


「それはね、侵入者が入れないようにするためですよ」


 クロウは早く手を洗うように促しながら答える。


「じゃあさ、何でトリスタン父さんとアールネ父さんは、僕の方を向いて泣きそうになってるの?」


 さらなる疑問を投げかけ、手洗いを終えるとクロウに向き直る。


「それはあとからわかりますよ。まあとりあえず椅子にお座りなさい」


 部屋のど真ん中に椅子をひっぱり出してきて、ここに座れと催促する。

 父の言うことは絶対と教えられてきたので、なんの疑問も持たずに腰掛ける。


「それじゃあアッシュ。質問に答えなさい」


 アッシュが椅子に座ると、にこやかな笑みが消えて、何の感情も見られない無表情のクロウ。

 刺すような全てを見透かされているような、そんな視線がまだ六歳のアッシュに向けられる。

 いつもとは違う雰囲気にのまれてしまい縮こまる。


「あいつ、やっぱ戦士より拷問部の方が似合ってんじゃね?」

「そう……だな」


 二人がこそこそ話していると、クロウが睨みつけた。その目は本気だった。


「アッシュ、正直に話せば怒りませんから。だから今日何処に行っていたのか教えなさい」


 腰をかがめ、アッシュと同じくらいの視線にし、優しく問いかける。優しくと言っても、温かみは全くなく、その中には冷酷無情しか感じられなかった。


「えっと……。裏に生えてある木に登って遊んでた」


 慣れない嘘を必死についた結果、自分なりにそれらしい返答ができたと安心する。


「嘘、ですね」

「え?」


 頑張ってついた嘘もクロウには通じなかった。


「嘘じゃない。ホントだよ父さん」

「ゴメンなアッシュ。父さんたち、お前のことを探しまくったんだ」

「すまん」


 それでもアッシュは嘘を突き通そうと粘る。


「でも、見つけられなかっただけかも。そうでしょ?三人だけで探したんだったら――」

「四十人で探しましたよ。隅々まで、くまなく、きっちりと、余すところなく」


 逃げられないと悟ったアッシュは、潤んだ瞳でベッドに追いやられている二人を見た。

 それを二人とも避ける様に目をそらした。それもそのはず、アッシュの横にいるクロウに睨まれたからだ。一言でも喋れば許さない、とでもいうように。


「二人は助けてはくれませんよ。さあ早く白状なさい」


 さらに冷たさと棘を増した言葉がアッシュを襲う。


「だって父さん、言ったら怒るじゃないか!」


 泣きそうな声で反抗する。だがそれすらも予想の範囲内とでも言うように、クロウには歯が立たない。


「怒るようなことをしたんですね?」

「ズルイ!ゆーどーじんもんって言うんだろ、それ!」

「貴方が勝手に話してくれているだけですよ」

「絶対に言わないもん!」


 そのまま口を固く閉じ、腕を組んでそっぽを向いてしまった。


「おい、アッシュ。話しちまえよ。このままじゃマズイって」

「アッシュ、頼むから話してくれ。それがお前自身のためになるんだ」


 この状況を見て、必死に説得を始める。しかし、アッシュは一向に口を開こうとはしない。


「わかりました。こういうこともあろうかと、準備はしてあります。トリスタン、今日の例の場所の当番は誰です?」

「確かアーサーだったと思うぜ。もしかして、あそこに連れて行く気か?」

「その通りですよ。さあアッシュ、行きましょう」

「いやっ!」


 嫌がるアッシュの腕を無理やりつかんで、引っ張った。


「痛っ!痛い!痛いよ!」

「ちょっと落ち着けクロウ。俺が連れていくから、お前は少しここで頭を冷やせ」


 制止をかけるトリスタンをクロウは睨みつけた。


「大丈夫だって、逃がしたりしないから」


 なだめながらクロウの手をアッシュからはがす。離れたクロウをアールネに預けて、今度はトリスタンがアッシュを優しく引いて行った。


「ハァ。すみません、アールネ。少しあつくなりすぎました」

「かまわんさ、お前が悪いわけじゃない」



 クロウが連れて行こうとしていた場所に向かっているときに、ふいにトリスタンが口をひらいた。


「すまねぇな」

「何が」


 アッシュは不機嫌な様子で、返事をした。


「クロウのことだ。あいつんこと、怒んないでやってくれ」

「でも、怒んないって言ったのに」

「お前、知んねぇだろうけど。あんなかで一番心配してたのは、クロウだぜ」


 腕を引きながら呟くように言った。アッシュは怪しむような表情を浮かべて、トリスタンの腕を振り払おうとした。しかし、相手は大の大人の男で、その上訓練された戦士なのだ。力でかなうはずがない。


「放してよ!どういうことなの!クロウ父さんが一番心配してたって、なんでだよ。すごく怒ってたじゃんか。心配した人間が、あんな怒りかたするもんか!」


 腕をなんとか振りほどこうと暴れるアッシュをトリスタンは睨んだ。今まで感じたことのないその凄まじい威圧感にのまれて一瞬、思考が停止する。その目は戦場で、敵を倒す時にトリスタンがするものだった。


「いいかアッシュ。なんやかんや言って一番テメェの面倒を見てきたのはクロウだ。そんで一番心配してきたのもあいつだ。心配するから怒る。これが普通のことだ」

「でも、今まであんなに怒られたことなかった。すごく怖かった」


 今になって涙があふれてきた。鼻水をズルズルと啜りながら、必死に話す。


「あぁもう泣くなよ。それじゃあ一個だけ面白い話してやっから」

「ホント?」


 ひっくひっくと嗚咽しながら、アッシュは頑張って泣きやもうと努力した。トリスタンの話す面白い話が大好きなのだ。


「じゃあ話してやっから、泣きやめ。な?」

「泣きやんだ」


 服の袖で顔をゴシゴシとこすり、アッシュは暗がりの中でニカッと笑って見せた。


「よしっ。それじゃあ話してやろう。これはオメェがまだ歩き始めたての頃の話だ。歩き始めたばっかりだってのに、ちょぉっと目を離したすきに外に出ちまってさ。皆であわてて探して見つけたんだけどな、その瞬間ってくらいに裏の池に落ちちまって溺れてんのよ」

「そんなことがあったの?覚えてないんだけど」

「だろうな。だけど、まあ聞けよ。こっからがオモシれんだ。その溺れてるオメェを助けたんだけどよ、ちっとくま気絶してたんだ。それを見たクロウがな――」


 この先を言おうとした瞬間、聞きなれない大きな声が後ろからとんできた。


「おっお黙りなさい!それ以上言ったら許しませんよ!」


 これを聞いては「はぁん」と思ったトリスタンは、いつもの仕返しにと愉快そうに、そして大袈裟に話を続けた。


「慌てふためいて『ああ、どうしましょう。どうしたらいいのかわかりません。誰かこの子を助けなさい。死んでしまったらどうするんです。早く、早く!』って一人であたふたしてたんだぜ。こんなの皆すぐに目が覚めるってわかってんのに、一人だけで。プククッ、何度も大丈夫だっつったのにっククッ」


 笑いを必死にこらえながらトリスタンは話しきった。笑いを堪えたまま後ろを振り返ると、そこには鬼の形相で走ってくるクロウと、それを追いかけるように走ってくるアールネがいた。クロウは落ち着くと、やはり気になって後を追いかけるようにアールネを説得したのだ。


「貴方は何度言ったら気が済むのですか!その話はおよしなさいと言っているでしょう!」


 追いついたクロウはトリスタンの胸ぐらをつかみ怒った。


「まあまあ落ち着けって。だってアッシュが聞きたいっつったんだもんな?」


 救いを求めるような目で見てきた彼をアッシュは仕返しとばかりに、


「そんなことないよ。トリスタン父さんが面白い話をしてくれるって言うから聞いてたんだもん。僕はトリスタン父さんの面白い話が好きだから。今までいろんな人の面白い話を聞かせてくれたよ。ねぇ父さん」


 ニヨニヨしながら話すアッシュを見て、一体全体誰に似てこんなずる賢い子供に育ったのかと、アールネは思ってしまった。


「でも、この話は面白いって言うより、嬉しいな。ありがとう、クロウ父さん」


 にっこりと笑い、心からの感想をまっすぐに伝える。


「ばっ、なッ何を言っているのですか貴方は、お馬鹿さん!いっ今はそれを言うときじゃありませんよ。行きますよ」


 顔を真っ赤にして珍しく照れるクロウ。いつも感情をあまり表に出さない彼にしてはとても珍しい。よっぽど嬉しかったのだろう。

 ずる賢いのは心配だが、ちゃんとした子に育ってくれたと嬉しく思うアールネだった。



 腕を引かれて連れてこられた場所は監獄棟だった。門番をしていたアーサー、ちらっとアッシュのことを見た。


「おいおい、もしかしてここに閉じ込める気か?」

「さあ、どうでしょう」


 にこやかに笑みを返し、監獄棟の中に入っていく。

 ここは、地上四階建になっている石造りの建物だ。中にはさまざまな犯罪を犯した者たちが身分様々に捕らえられている。そんな中は呻き声や罵倒する声が響いて、とても恐ろしく感じられた。日があるうちでもこんな場所を怖いと感じるアッシュにとって、日が沈んで随分とたつこの頃はまるで地獄だった。


「ねえ父さん。何でここに来たの?もう帰ろうよ。ここはイヤだ。ねえ帰ろ?」


 そんなアッシュの願いも空しく、クロウ達はどんどん奥にアッシュを連れていく。涙目になりながら、建物の最奥にたどり着く。そこには上の階に上がる階段のほかにもう一つ、下の階に下りる階段があった。


「ねえ…父さん。この階段、何?何でこんなところに階段があるの?」


 おおよその想像はつく。しかしそれを認めたくないアッシュは必死に父たちに聞いた。そうではないと言ってほしくて、必死にしがみついた。


「アッシュ。ここから下には、凶悪な犯罪を数多く犯してきた者たちのみが収監されているんですよ。世間から忘れられるほど長い間ね。死刑にされることすら許されなかったんですよ」

「でも……」

「それと、ここの階段にのみ、鍵をかけることができる様になってるんです。閉じ込められたての囚人が逃げ出さないように」


 そういうと、アッシュを無理やり階段下に突き飛ばした。しかし、アッシュが怪我をしないために、転ばない程度に。そしてすばやく鉄格子の扉を閉め、鍵をかけた。


「待って!待ってよ父さん。ここから出して!お願い、お願いだから置いていかないで!ごめんなさい、謝るから。だから置いていかないで、お願い!」


 どんなに叫んでも、どんなに泣いても、アールネ達は振り返らなかった。いつも助けを呼べば、どんなに嫌がろうとも最後には折れて助けてくれる人たちが、今回は助けてくれなかった。

 鉄格子を思いっきり揺さぶってもガチャガチャというだけで、一向に開く気配がない。


「――ふっ…ううぅ……んん……」


 諦めてすすり泣いていると、聞いたことのないしわがれた声が聞こえてきた。


「どうかしたのか、お前さん」

「だっ誰!こっ怖いよ、助けてよぉ」


 べそをかきながら頭を抱えていると、また同じ声が聞こえてきた。


「お化けじゃないから怖がらんでもええだろうに。こっちにおいで。わしはここにおる。そっちは暗かろ?さあこっちにおいで」


 その優しげな物言いに、アッシュは知らず知らずのうちに足を運んでいた。すると、本当にそちらの方には松明があり、明るかった。


「こっちじゃよ、こっちこっち」


 そう言って、牢の中で手招きしているように見える一人の老人がいた。老人は白髪だらけの頭で、顔には斬られたような古傷がたくさんあり痛々しげだった。そんな老人をアッシュが珍しげに眺めていると、ニカッといくらか歯が抜け落ちた口で笑った。


「お前さん、何でこんなとこに閉じ込められた」


 相変わらずニカニカ笑いながら問いかけてくる。

「何でもいいだろ。ちょっとヘマしただけだ」

「ほぉ~。ヘマしただけでここに閉じ込められたんか?」

「うぅ……。ちょっと盛大に言いつけを破った……」


 頬を膨らませながら口を尖らせて言った。


「なるほどの。お前さん、こっちにこんか?食いもんをやろう。わしは動かんから腹がへらんのだ。なのにここの食事は多すぎる。こっちに来て食ってくれ」

「でも、入れないよ」

「大丈夫じゃよ。ここの格子は幅が広いから、お前さんくらい細っこかったら出入り自由じゃろ」


 確かに鉄格子の幅はアッシュが通り抜けるには十分な幅だった。


「でもアンタ、僕に毒もったり殺そうとしたりしない?だって凶悪な囚人なんでしょ」


 老人は本格的に呆気に取られたようだった。


「お前さん、目が見えんわけではなかろ?」

「うん。ちゃんと見えるよ」

「じゃあこれがみえるじゃろ。ほれ」


 老人が両腕を持ち上げた。その腕は本来あるべきはずの肘から下が両方ともなくなっていた。その腕を聢と見せ、


「この通り、わしには腕が切り落とされてない。こっちもな」


 今度は足を座ったまま上げて見せた。


「ほれ、足もじゃ。拷問にかけられている時に切り落とされたんじゃ。な?わしはお前さんにな~んにもできゃせん。安心しなさい」


 そう言って再びニカッと笑った。アッシュはただぼんやりと頷いて、牢の中に入って行った。

 初めて四肢を切り落とされた人間を見て、大きなショックを受けた。しかし別に気持ち悪いとも思わなかった。むしろ興味が湧き起こったと同時に、不思議な感覚に襲われた。


「ほれ、食いなされ」


 それを合図のように、アッシュはがっつくように食べだした。


「うわっ。これすっごく不味いよ。よくこんなの食べれるね」


 そういいつつも食べる手は休めない。


「なぁに、慣れればうまいもんじゃよ」


 老人が失った腕でアッシュの頭を叩くようにして撫でた。

 その途端、アッシュは一つの疑問が水面に顔を出すのを感覚した。


「ねえ、どうして僕に優しくしてくれるの」


 ただそう思った。見ず知らずの珍しい――会ったことのない者がどうしてこんな風にかまってくれるのか。わからなかったのだ。その理由がただ純粋に知りたかった。


「どうしてかって?面白いことを聞くのぉ。そうじゃなぁ……興味がわいた、とでも言っておこうかの」

「じゃあ後一個聞いてもいい?」

「かまわんよ」

「その腕と足。痛い?触っても大丈夫?」

「いとぉないから、触ってみるかい」


 アッシュは老人の切り落とされた部分を触った。初めは驚いたものの、老人は大丈夫さうだったので、安心して撫でたり引っ掻いたりつまんだりしてみた。

 すると別の牢から男の声がした。それは愉快そうに話しかけてきた。


「気をつけろよガキ。そいつはスゲェ怖い爺さんだからな。なんたって、世界最後の魔法使いなんだからな!」


 ガハハと笑う声と同時に、


『違いねぇ』

『ケツに気ぃつけろよ』


 などと声がたくさん飛んできた。


「どういうこと?」


 どうしてここでそんなことを言われなくてはいけないのか不思議がっているアッシュを余所に、話はどんどん進んでいく。


「なあに、お前さんが気にすることじゃない。ところでお前さん、名前はなんちゅうんじゃ?」

「えっ僕?」

「そうじゃよ。自己紹介をしておくれ」

「僕、自己紹介なんて初めてだ」


 それを聞いて、他の牢からどよめきが上がった。自己紹介をしたことがないのがそんなにも変なことなのかよくわからないまま、しゃべれないで困っていると、老人が一喝した。


「これっ!黙らんか。この子が喋れんじゃろ!さあ、お前さんの名前を教えておくれ」

「うん!僕の名前はね、アッシュ」


 やっと自己紹介ができたことを心底嬉しがるように生き生きと告げた。


「ようこそ、アッシュ。ここは忘れられる者たちが集まる場所――地下牢じゃ。お前さんとわしらは今から仲間じゃ」


 それを聞いて、また泣きそうになった。


「え……。僕、もうここから出られないの……」


 涙を必死にこらえながら聞くと、またさっきと同じ牢から男の声が聞こえてきた。


「おい爺さん。ガキ泣かしてんじゃねえよ」

「おやおや、こんなもんで泣くとは思わなんだ。すまんすまん」


 腕を白髪だらけの頭に当ててニカッと笑った。


「おいお前!」

「アッシュだよ!」

「どっちでもいい。泣くな!お前には明日くらいに迎えが来るだろ。泣いてんじゃねえよ。男だろっ。男が簡単にめそめそ泣いてんじゃねえ!」

「泣いてないもん!」


 急いで涙をぬぐって、言い返した。すると男は笑って「でかした」とほめた。


「ねえ、あんたの名前は?」

「わしか?わしはヴァザリ。そんでもってさっきお前さんを怒鳴りつけたのが――」

「俺はカーライルだ。やらかしたことは、婦女暴行を五件以上に殺人を十三件以上、その他窃盗やらなんやらでここにいる。でもその爺さんの方がスゲェぜ?なぁ皆」

『そうだな』

『俺らがやったことなんてかわいいもんだぜ』

「そんなに悪いことしたの?」

「さあどうじゃろな。なんせ昔のことすぎて忘れたわい。さあもうお休み」

「うん、お休み」


 アッシュは横になるなり、あっという間に夢の世界に誘われていった。



 アッシュは夢を見た。そこは今いるはずの場所――地下牢のヴァザリの牢の中だった。ヴァザリが何か語りかけている。アッシュは意識がはっきりしないまま頷いている。


『アッシュ。お前さんは魔法を信じるかい。魔法使いを』

「魔…法……」

『そう、魔法じゃ。お前さんは信じるかい』


 相変わらずはっきりしない意識。しかしアッシュは催眠にでもかかったように頷く。


『そうかい、そうかい。お前さんは好い子じゃな。じゃあそのままゆっくり目を閉じておいで。わしがお前さんにいいものをやろう』

「――いい…も、の……」

『そう、いいものじゃ。今よりももっ―――』

 


「起きなさい。起きなさい、アッシュ!」


 石のごつごつした床に横たわって目を見開き、暗い天井を見つめていた。

 今までにない目覚め方だ。不思議な感触。湿っぽい匂いが鼻を通り肺腑の奥まで沁み渡る。それらを認識することによって、やっと自分が目覚めていることに気がついた。


「あ…れ……。クロウ、父さん?」

「まったく。あなたという人は。どれだけ順応能力に長けているんですか」


 叱っているのか褒めているのかよくわからないことを言う。

 いまいちこの状況が飲み込めていないアッシュはきょとんとしている。


「まあいいでしょう。早くいらっしゃい、部屋に戻りますよ。そこから出てらっしゃい」

「はぁい」

 

 むっくりと起き上がって、格子の間をすり抜け、クロウの隣に立った。


「また、寂しくなったらここにおいで。わしが話し相手にでもなってやろう」

「なぁに言ってんだよ。今度は俺たちの番だ。なあチビすけ!」

『そうだそうだ。爺さんばっかりずるいぜ』

『俺たちにも暇つぶしさせろよな』


 騒ぎ出す囚人たちを睨みつけ、持っていた護身用の銃を一発発砲する。


「黙りなさい。次に口を利いた者は舌を引き抜きます。行きますよ、アッシュ」


 内心どうやってここの囚人を一晩で手なずけたのか不思議に思いながら軽くアッシュの手を引いた。


「うん。じゃあね皆。ヴァサリもまたね」


 老人はニヤッと笑って肘から先のない腕をふった。


「おい爺さん。あいつに何かしたのか」


 クロウ達が見えなくなってから、カーライルは聞いた。


「いいや何も、まだ何もしておらん。しかし、あの子の意思は聞いた。今夜もきっとあの子は来る。わしの元に来るぞい」


 によによと気味の悪い笑みを浮かべる。


「あんたってホントに魔法使いなのか?」

「ひっひっひ。そうじゃよ。わしは悪~い魔法使いじゃ。この広い世界でたった一人になってしもうた、取り残された哀れな魔法使いじゃ」

「ふっ」


 カーライルは静かに天井を見つめていた。冷たく暗い石の天井を悲しげな表情で。それは、いつの頃かの悲しく懐かしい記憶を呼び起こしているようだった。



「あっあの、クロウ父さん?」


 腕を引かれ部屋に戻る途中、余りに長い無言の時間が続き耐えられなくなったアッシュは、口を開いた。


「まだ怒ってる?」

「ええ、怒ってますね。でもあなたが何処へ行っていたかを話してくれれば機嫌が直るかも知れませんね」

「じゃあ話しても怒らないって、約束してくれる?」

「ええ、約束しましょう」

「絶対だよ。じゃないと父さんのこと嫌いになっちゃうからね?」

「わかってますよ」


 部屋の扉を開けると、アールネの姿しか見られなかった。不思議がって一歩中に入ると、上から何かが降ってきた。いや、ぶつかってきた。


「お帰りぃ!大丈夫だったか?何か変なことはなかったか?腹は減ってないか?痛いところは?とりあえず、お帰りぃ」


 ぶつかってきたトリスタンは、天井の梁に足を引っ掛けたままアッシュを抱き上げ、そのままブランコのように揺れていた。


「父さん痛いよ。放して!」

「おっとわりぃ、わりぃ」


 アッシュを放した後、自分もひょいと降りてきた。


「アッシュ、お帰り。どこに行っても、無事だと……信じていた」

「アールネ父さん」

 今まで激戦地にでも行っていたかのような挨拶がこの場の空気をおかしくする。


「永遠の別れなわけではなかったのですから、どうしてそんな風になるんです。おかしな人達ですね」

「だってよぉ――」

「あっそうそう。アッシュが何処に行っていたか話してくれるそうですよ」

「俺の話は無視かよ」


 そんなトリスタンの肩をアールネがポンとたたく。振り返ると彼は憐みを込めた目で一つ頷いた。


「オメェもか……」


 そんなことは余所に、アッシュは話し始めた。今までのこと、二年前からずっと通っていたこと。そこであの黒馬に一目惚れして、ようやく友達になれたことを事細かに話していった。

 そして昨日の夜の話し。地下牢で出会った愉快な囚人たち。ヴァザリやカーライルといった怖いけど、魅かれる何かを持った人のことを話した。


「あなたはあそこにいる者が何をしでかしたか知っているのですか?」


 責めるようにクロウが言いよる。しかし、あんなにも愉快な人間がそんな残酷なことをするのかと、不思議さが増し、最後の方はクロウ達が何をそんなに言っているのかすらわからなかった。そしてふっと何かを思い出した。


「そうだ。あいつを迎えに行かなきゃいけない。あいつ、僕のことを待ってるかも」

「あいつとは?」

「さっき話した黒い馬。僕、今日も行かなきゃいけない。ここにあいつを連れてこなくちゃ」

「でも、どうやって」

「秘密の道を使ったら早いよ。あいつくらいだったら何とか通れるよ」

「連れてきてどうすんだよ。オメェが乗んのか?」

「うん」


 クロウの顔が若干険しくなった。

「誰に世話をさせるつもりです」

「厩舎の人」

「簡単に言いますけどね。そんなに簡単なことじゃないですよ。あの人はきっと何か見返りを求めてきますよ」

「それでも頼むんだ。今から迎えに行ってくる」


 部屋を飛び出そうとしたアッシュをアールネが驚くほど素早い動きで止めた。


「秘密の道って何だ」

「父さんも知りたい?」

「ああ」

「じゃあこっち」


 いきなりアールネの太く逞しい腕を引っ張り走り出した。そのあとをクロウやトリスタンも追う。

 ついた場所は、戦士たちでもあまり近寄らない裏庭の奥の方。草木がうっそうと生い茂ったその場所をかき分けるように進むと、そこには壁しかなかった。


「何もねぇじゃねぇか」

「まあ見ててよ」


 得意そうにアッシュが言い張ると、石壁のブロックの一つを押し込んだ。するとカチッという音がし、中で何かが作動した音がした。そして地面では、太陽の絵らしきものを描いたモザイク画がその壁の方に

スライドし吸い込まれていった。その下から現れたのが階段だった。


「こりゃスゲェ」

「ああ」

「本当ですね」


 結構な年数を城で――この敷地で過ごしてきたが、こんなものがこんなにも近くにあったなんて今まで知らなかったし、存在するとも思わなかった。


「ここを遊んでて見つけたんだ。中を探検してたら外に出られることがわかって、それで……」


 三人の顔色をうかがいながらそろそろと話す。


「これはきっと隠し通路ですよ。城にはこういうものがあると聞きますし」

「そうだよな。でもまさか……なぁ?」

「そうだな。こんなところからも外に出られるなんて……」


 彼らはどうするものかという顔をしていた。


「ねえ父さんたち。ここにあいつを連れてきてもいいでしょ?僕の友達」

「ああ、かまわんぞ」

 上の空で返事をアールネが返した。あとの二人もこの事態をどうするものかといった感じで、同じようにアッシュの言ったことが耳に入っていないようだった。

 その様子を見て、こそこそと階段を下りて行ってしまった。しかし、今度はちゃんと置手紙をした。でかでかとした大きな拙い文字で「友達を連れてくるからちょっと待ってて」と書いて。それをトリスタンの手の中に突っ込んだが、それもいつものようにじゃれついているのかと思った彼は放っておいた。彼らがそれに気づくのはしばらくたってからだった。



 いくつにも通路が分岐した迷路のようになっている暗い隠し通路を慣れた足取りで進んでいった。三人を残してきた出入り口はきちんと中から閉じてきたので、追ってくることはできない。たとえ出入り口を開けられたとしても、この入り組んだ構造を簡単に想像することのできる頭の良いクロウがいれば、捜索することをしないだろうという考えが、幼いながらにもできたアッシュはいつもの道を急いだ。

 毎日毎日通った道を突き進み、またいつもの森にたどり着いた。

 丘をくりぬいたように作られた出入り口から日の元にでると、そいつはいた。


「やあ、おはよう。お前、僕を待っていてくれたのか」


 撫でてやりながら話しかける。嬉しさからか自然と笑みがこぼれ、幼い顔が輝いて見える。


「今日はお前を迎えに来たんだよ。僕の暮らしてる所にお前を連れていくんだ。お前の仲間もたくさんいるよ。さあ行こう」


 黒馬を導くように後ろ脚を優しく押す。それに促されるように黒馬も隠し通路の中に入っていく。それを笑顔で見守りながら自分も一緒に入っていった。



 その頃アールネ達は、アッシュがいないことで議論になっていた。


「ちょっとどういうことです!どうしてまたあの子がいないんです!」

「そんなの俺らが知るわきゃねぇだろ!」

「俺が何か返事をした気がする」


 暗い顔でアールネが言う。


「トリスタン。手に持っている紙はなんです?」


 ふと、目を下に向けたクロウが聞いた。


「えっと、友達を連れてくるからちょっと待ってて、だってよ」

「あの子は本当にもぅ!」


 そんな中、通路の口を開けてアッシュと馬が帰ってきた。


「ただいまぁ」


 一気に怒る気力の抜ける挨拶をする。これでアールネとトリスタンは怒ることを忘れるのだが、クロウは違った。


「あなたはまたこんなことをする!いったいどんな神経をしているのですか!」

「ごめんなさい。でもほらっ!僕の友達を連れてきたよ。とっても綺麗でしょ?」


 大人しい馬を自慢するようにアールネ達の前に出す。


「確かに綺麗な毛並みの若い馬だな」

「こりゃすんごいダチを作りやがった」

「人生初の友人が馬とは……先が思いやられますね」

「何でみんなそんなことを言うのさ。酷いと思わない?」


 馬は返事をするかのように頭をふった。それを見て、三人は目を丸くした。


「こいつは返事をしたのか」

「賢いのですかね」

「こりゃおもしれぇ」


 ここでひとつの疑問を持ちかけた。


「なんでいつも父さんたちはそろって違う返事するの?」

「そんなのは決まってるじゃないですか」

「そうだな」

「俺らは俺らだからな。みんな違う考えを持ってるんだ」


 そんな答えに首をかしげる。


「う~ん、よくわかんない」

「お前にはちょっと早かったか?」

「そんなことはありませんよ」

「そうだよ、僕にはまだちょっと早かったかもしんない。ということで、こいつを厩舎の人に渡してくる」


 返事も待たずにあっという間に走って行ってしまった。そんなアッシュの後にあの黒馬も抜かないよう

についていく。


「厩舎の人じゃない。ガレス爺さんだ」

「いいじゃねぇかそれくらい」

「というより、厩舎小屋がこの敷地内にあってよかったですね」

「おお!」

「今考えれば、そうだな」



「厩舎の人ぉ!ねえいないの、厩舎の人ぉ!」


 厩舎小屋についたアッシュは大声で叫んだ。すると奥からガサガサと干し草の山がアッシュの方へと近づいてきた。不思議に思って覗き込むようにしていると、目の前にシワの濃く刻まれた顔が出てきた。


「うわっ」


 アッシュが思わず飛び退くと、そいつはカラカラと笑った。


「わしは厩舎の人ではないぞ。何度いやぁわかるんじゃ」

「えっとぉ、確か……ガンツさん?」

「違うぞい。わしゃガレスじゃ」

「オシイ」

「どぉこがじゃ。ところで、何の用かえ?」


 散らばった干草をまとめながらガレスは聞いた。

「そうだった。僕の友達をここでお願いしたいんだけど?いいでしょ」

「わしの友達は先王とここの馬たちだけぞ。人間は預かっちょらん」

「だからコイツだって」


 自分の後ろに堂々と立っている馬を指さすアッシュ。それを見てガレスは息をのんだ。


「こいつを何処で見つけてきた」

「秘密だよ。教えられないから。でも何で?」

「いや、何でもない。いいじゃろ、ここでこいつの世話を見てやろう。その代り、お前さんもちゃんとこいつを乗りこなせるようにならんといかんぞい」


 アッシュは顔をほころばせた。ニコニコしながら、


「うん!」


 と大きく返事をした。



「おいアッシュ、あの馬はどうした」


 先に部屋に戻っていたトリスタンが聞いた。今日はクロウとアールネの二団が訓練のようだ。


「ガレスさんだっけ?あの人がみてくれるって、快く引き受けてくれた」

「へぇ、珍しい。今日は何かあるかもな」

「何かあるって?」

「へへっ、そんなのわかるかよ。今日はどうする?二人ともいねぇし、俺は飯も食ったし、特に教えることも今は思いつかねぇし。う~ん……筋力でも鍛えっか?」


 珍しくちゃんとした提案をしたにもかかわらず、アッシュは嫌がった。


「えぇぇえええ!僕は狙撃訓練がいい!」

「でも俺は狙撃は専門外だし。第一スンゲェ苦手。槍の投擲なら見てやれっけど」

「じゃあ今日は休もう?ねぇ、いいでしょぉ?」


 久しぶりにアッシュがトリスタンに甘えた。腰をクネッとして、上目づかいに彼の顔を見上げる。この仕草にクロウ以外――いや、クロウもだが骨が抜かれたようになる。ここできちんとした対処ができるのがクロウだけなだけであって、けしてみんなが悪いわけではない。

 これが使えることを知ったのは少しばかり前である。


「仕方ねぇなぁ。じゃあ今日だけだぞ」


 親バカとはまさにこのことだというように、だらしなく顔をニヤつかせた。


「うん、ありがと!トリスタン父さんだぁい好き」


 そう言って部屋から、残っていたパンを一つ持って出て行った。

 向かった先は地下牢。明るいうちはまだ大丈夫、怖くないと言い聞かせて近づいて行った。見張りの人はアッシュが父さんと呼ぶうちの一人だった。


「おい、アッシュ。どうしたんだ」

「この近くに落し物したんだ。綺麗な石なんだけど、知らない?」


 もちろんアッシュは石など落としていない。


「さあ知らんなぁ」

「きっと、昨日お仕置きでここに閉じ込められたときに落したんだ。中に入って探してもいい?」

「それは、あんまり良くないなぁ。諦めた方がいいかもしれん」


 ほんとに残念だとでも言いたげな表情をアッシュに向ける。


「酷い。父さんは僕のことが嫌いだからそんなこと言うんだ」


 目をうるうるさせて、見上げる。


「ちっ違う。ここにいるのは悪い奴らばかりだから、綺麗な石も取られているかもしれないから、言っているだけであって――」

「でもわかんないだろぉ」

「いやっ。わかるぞ」


 粘る戦士に、アッシュは最終手段を使うことにした。


「入れてくれなかったら、父さんのこと、嫌いになっちゃうから。もう父さんなんて絶対に呼ばないし、ずっとクロウ父さんみたいな話し方で話してやる」


 これを言えば、大抵の戦士はアッシュに折れてくれる。何だかんだでアッシュのことが大好きな彼らは、他人行儀になられれば精神的に大きなダメージを受けてしまうのだ。

 ここでの生活をしているうちのいつの間にかクロウ以外の彼らの扱い方を習得したいたのだった。未だにクロウの弱点だけがわからない。これを見つけるのがアッシュの今の趣味でもあった。


「わかった、入ってもいい。だがクロウ達の訓練が終わるまでには出てきてくれよ。あと、俺の交代の時間までには絶対に出てこいよ」

「うん、気をつけるよ」


 アッシュは監獄棟の中に入って行った。昨日よりは明るいが、相変わらず牢の中にある気配は恐ろしいままだった。この地上の牢よりも、地下の方が気配が柔らかかった気がする。

 相変わらずの呻き声や罵声がアッシュを恐怖の底へ呼んでいるようだった。早く地下へ行こうと中を急いだ。

 階段のある突き当りまで来た。下へ降りる階段のところに鍵はかかっていなかった。

 一度入っているせいか、昨日よりも余裕があった。そのせいで階段を下るときの靴の音が鮮明に聞こえる。カツン、カツンという規則正しい靴の音に、背後から聞こえてくる囚人たちの声が合わさって、音楽のようにも聞こえてくる。

 下りきるとそこは静かだった。昨日もそうだったが、改めて違いをはっきりと感じる。人の気配はあるのに、話声が聞こえてこない。


「ねぇ、ヴァザリ。居る?」

「おるよぉ。何処にも行けんからいつでもここにいるぞ」


 昨日と同じ牢からあの老人の声が聞こえてきた。


「良かったぁ。暇だったから遊びに来たんだ」

「そうかいそうか。でも、ここにはなぁんにもないぞ?」

「いいよ。何かお話して」


 アッシュは牢の中に入りながら、老人にねだった。いつもアールネ達にしているように。そうすれば、彼らは楽しい話をしてくれるから。


「いいじゃろ。ただし、お前さんが好きかどうかはわからんぞ」


 そう言って、老人は話し始めた。



 昔々、あるところに一人の魔法使いがいました。

 彼は、様々な名前で呼ばれていました。賢者、老師、神、化け物、錬金術師、ヴァザリ。

そんな彼はいつも一人で研究をしていました。

何の研究かといえば、それは誰もの夢だった不老長寿、不死身の体を手に入れるためのものでした。彼はこのために様々な者を犠牲にしてきました。家族、友人、信頼、大切なものをたくさん失ってきました。

そしてある日、彼はついに不死を手に入れる方法を見つけました。しかし、その為にはあるものが必要でした。それは、大量の人間の血。

彼には迷う必要がありませんでした。躊躇する必要もありませんでした。ただ純粋な願いをかなえるために、幼い子供にも勝る残酷さを発揮するのみだったのです。

彼は人間を殺して、殺して、殺しました。ついに彼は住んでいた村の村人を全員殺してしまいました。老人から赤子まで、男から女まで。その限りをつくしました。

その甲斐あって、彼は不死になることができました。しかしそこにあったには孤独。永遠に続くであろう、言いようのない孤独。

 これが彼の求めていたものであるかといえば、全く違う。こんなものを彼は望んでいなかった。

 次に彼は、目を手に入れようとしました。望むものが何でも見える目。これで彼は孤独を終わらせようとしました。しかし、そんなに都合よくなるはずもありません。

 結局彼は何もみることのできないまま、戦士たちにつかまってしまい、地上からいなくなるだけではなく、美しいものを手で触れることも、足場を足裏で踏むことさえできなくなってしまいました。



 老人は話し終わると、ふぅと息を吐いた。


「どうじゃ?これでわしの話は終いじゃ」

「悲しいね。このお話とっても悲しい。これってヴァザリの過去?」


 アッシュの質問を受け流して、ヴァザリは話を続けた。


「さぁな。ところでお前さんは魔法を信じるかえ?」

「魔法ってなんだかわかんないんだよね。はじめて聞いたし」


 それを聞いて、ヴァザリは驚いた。


「ホントに言っとるのか!この年頃の子どもは、魔法やらなんやらが大好きな筈じゃけどな」

「僕はそういう話を聞かないから。本も持ってないし。聞く話は、父さんたちの戦争での活躍とか、子供の頃の話ばっかりだから」

「寂しい子供じゃのぉ」

「余計なお世話だ。僕はこれでも結構楽しんでるからそれでいいんだ」

「いい子じゃの」

「えへへ」


 腕で頭をポンポンとたたかれる。それが頭を撫でてくれていることはアッシュにでもわかった。


「僕ね、この地下牢嫌いじゃない。なんだか懐かしい感じもするくらい」


 壁際に足を伸ばして座り、天井をニコニコしながら見上げた。


「お前さんは変なことを言うのぉ」


 そんな様子を不思議そうに眺めながら、ヴァザリはズルズルとアッシュのほうに這って行った。


「ホントなんだよ?」

「まあ良い良い」


 楽しそうに会話をしていると、別の牢から声が聞こえてきた。それは昨日の夜に若干ながらも話した相手だった。


「おい、お前。俺の相手もしろよ。久しぶりの客人なんだ、ちょっとはサービスしろよ」

「その声は、カーライル?」

「そうだ。それがどうした」

「もしかして、寂しい?」

「ばッ!そうじゃない。他の奴らが寝ちまって暇なだけさ」


 彼はあせったように答えた。


「そういうのを寂しいっていうんだ」

「あぁもう!何でもいいからこっちに来い。俺もなんか話してやる」


 この話声に他の囚人たちも起きてしまった。


『なんだ、新入りでも来たのか』

『誰か上にでも上がんのか』

『ついに爺さんがくたばったか』

「違う。ヴァザリはまだ死んでないよ。そんなこと言っちゃヤダ!」


 この声を聞いて、皆は沸いた。


『もしかして昨日のガキか』

『何でまた来た?』

『変な奴だなぁ。おもしれぇ』

『久しぶりだなぁ』


 アッシュは嬉しくなった。父親たち以外に自分のことをこんな風に思ってくれる相手が、しかも昨日声を聞いただけで顔をまだ見たことがない人たちが喜んでくれている。それを思ってアッシュは嬉しくなった。

外の人間からしたら、これはとても警戒すべきことで、大変特殊な状況である。いったい何があるのかわからない状態、リアリティに欠ける。それがここでは起こっているうえに、この子供はそれを大いに楽しんでいるのである。


「おいガキ、俺のところへ早く来い。こっちだ」


 カーライルは声でアッシュを誘導した。彼の牢はヴァザリのところからそう離れていなかった。広い地下空間の中で、どうしてこんなにも近いのか不思議だったが、空いていると思った牢をよく見ていくと、中には白骨化した死体が結構転がっていることが分かった。


「あんまり他んとこ覗くなよ。お前にはまだは刺激が強いかもしれんからな」


 カーライルが気付いた時には、既に遅かった。

 彼の牢に入ってくるなり、


「ねぇ、アレは何」


 アッシュはカーライルの前の牢を指さして聞いた。彼はしまったと思い、額をおさえた。


「――人間の骨に決まってんだろ」

「なんで、アレはここにあるの?死んだらお墓に埋められるんでしょ」

「仕方ねんだよ。俺らは忘れられる存在だ。死んでも骨を掃除してくれるかなんてわかりゃしねぇ。第一許されないから死んでもここに閉じ込められてるんじゃねぇか」


 壁にもたれて座った姿勢でアッシュの質問に答えてく。そんな彼の前にアッシュは立って肩を震わせていた。何も言わなくなったアッシュをカーライルは心配した。今まで明るかったのに、急に静かになれば当然の反応だろう。


「おい、どうした?」


 他の牢からも、元気な声が聞こえなくなったことに対して声が飛んできた。

 すると急に大きな声で泣き崩れた。


「おっおい!」


 慌てて身体を受け止めてやると、そのまま彼の分厚い胸板の中で泣き続けた。涙がとめどなく両目からあふれでた。それは美しい一点の陰りもないブルーダイヤからこぼれ出た無色のダイヤモンドのようだった。その美しいしずくを彼の無骨な指が壊れ物でも扱うように優しく頬から拭き取っていった。

 少し落ち着いてから、カーライルは聞いた。


「何で泣いてる」

「だって……ひっど、いんだ……もん」


 まだ泣いているのか、しゃくりあげながらアッシュは懸命に話した。


 曰く、これは人の行う所業ではなく外道のする業だと。

 曰く、酷いことをしても埋葬くらいしてやるべきだと。

 曰く、ここにいる人たちは今はとてもいい人たちだと。


 泣きながら必死に話す子供を愛おしいと感じた。それは、アッシュの声を聞いている他の囚人たちも感じていた。久しぶりに見て、触れた人間の――子供の余りにも深い優しさと純粋さに彼は困惑した。外に出ても、こんなにもいい子はいないとさえ思った。悪人は罰せられるべき。それはこの子よりも幼い子供でも貧困街に住んでいる子供ですら知っていること。法にそむけばそれ相応の報いを受ける。それは罪が重ければ重いほど大きくなる。ましてやここにいるものは償いきれる大きさのものではない。だから死んでもなお、牢の中にいるのである。


「仕方ねぇな。俺が何か話して聞かせてやるから、泣くのを止めろ。ていっても、俺は話して聞かせるのは苦手だから、あんまり面白くはねぇだろうけどな。それでもいいんだったら泣きやめ」


 少し乱暴な口調であったため、また泣きだすのではないかと思ったが、服の袖で涙をぬぐって頷いたアッシュ。


「男がめそめそしちゃいけないんだよね」


 その無理やり作った笑顔に、カーライルの胸の奥の方が苦しくなった。それが何なのか今の彼は忘れてしまってよくわからないが、嬉しいものではないことはわかった。


「よし、よく言った。じゃあ話してやるからよく聞いてろよ」


 彼は語りだした。どうはじめていいのか少し悩んだ後に、こう切り出した。



 青年は穏和な性格だった。農作業や家畜の世話をしていて日に焼け、とてもがっしりした体格でその上強面だったが、いつも笑顔を絶やさなかったので怖いという印象はあまり与えられなかった。

 早くに両親を亡くし、貧しい生活をしていた。十五の時に同じ村に住む優しい娘を嫁にもらい、娘も生まれた。

 このことでより一層仕事に励むようになった彼は、村人全員が認めるほどの好青年だった。

 そんな祝福すべき年に、大飢饉に見舞われた。村人が次々に襲いかかってくる飢えで死んでいった。そんな飢饉にもかかわらず、富裕層にあたる上流階級の役人たちは別荘に足を運んだりと、優雅な生活を送り数々の無駄遣いを働いた。

 こんなにもひもじい思いをして、家族にまで食べ物を与えてやれなくなるくらい食料が枯渇しているのに。そう思いながらもこれが自然の摂理、社会の常識なのだと言い聞かせて耐えてきた。中には窃盗を始めるものもいたが、青年は必死に耐えていた。

 しかし、この世は無常なもの。青年の努力も空しく大飢饉は大切なものを一気に奪っていった。初めに娘、次に嫁。青年は悲しみに暮れていた。毎日毎日二人の墓の前で涙を流した。毎日毎日流していたせいで、涙は枯れてしまった。そんな彼の姿を見てもだれも何も言わない、何も思わない。だが、奴らは違った。ある上流階級の役人が別荘に休暇に来ている時に彼を見た。彼らは悲しみに暮れる青年の姿を見て嘲笑い罵った。それだけならまだ耐えられたかもれない。しかし、その汚い言葉は彼の死んでしまった家族にまで及んだ。これで彼の中で何かが音を立てて壊れた。

 初めはその家族を一家惨殺。それだけにとどまらず、この火の子は他の貴族・役人にまで及んでいった。悪いのは貴族、悪いのは役人、悪いのは王族。彼の中にはそれだけしかなかった。彼は夜な夜な殺して回った。その優しかった心は何処かへ行ってしまった。穏和な性格はいつの間にか凶暴な暴力的なものに変ってしまっていた。道で出会ったものには女であろうが何であろうが、片っぱしから路地裏に連れ込み殴りかかった。腹が減っては盗みを働いた。

 そんな彼もあるとき戦士につかまってしまい、地上から姿を消してしまった。今、青年の心はどうなっているのか、彼にもわからない。



「とこんな感じか。どうだガキ」

「大丈夫なの?その男の人」

「さあな」

「大丈夫だよね。きっともう、もとの優しかった青年の心に戻ってるよ。僕はそう思う」

「ふっ。ありがとな」

「何が?」

「いや、なんでもねぇ」


 すっかり落ち着きを取り戻したアッシュの頭を撫でてやり、ここから出て行くようにさとす。アッシュの方も、大分長い間ここに留まっていたと感じたようで素直に出て行った。時間がアッシュを許したのであれば、他の囚人のところにも行って同じように何かしらねだったのだろうと考えると、カーライルは急に可笑しくなった。一人で腹を抱えて、声を押し殺して笑っていると、


「な?いい子じゃろ」


 ヴァザリが格子の近くまで這って行ってわざわざその間から顔を出して叫んだ。

 他の牢にいる奴等にも聞こえるように言っているようだった。


――そうだな。


ここにどうしてあんな小さな子供がいるのかは不思議に感じたが、それ以上の何かが彼の中に生れていた。それは以前、ここに入る前に感じたことのあるものに凄く似ているような気がした。なぜかアッシュという不思議な子供に、何かしてやりたいとさえ感じたほどだ。


『あの子供はいい子だなぁ』

『俺たちのために泣いてくれるなんてなぁ』

『いい子すぎるだろう』


 そう思っていたのは一人ではなかったようだ。地下牢にいるほとんどの奴らが、すっかりあの子供の虜になっていた。まだ出会って、一日程度しかたっていないにも関わらず。あの子には何かしら人を引き付ける魅力があるのだろうかと、物思いにふけっていた。そして、はっとなる。こんなに考えたことは人生であったのだろうかと。自分が死んでしまうと思ったことはある。何度となく。しかしその時はただそれだけ、この世界よりもマシなのであれば、死者の国であろうとどこであろうと行ってやろうと思っただけだった。この状況はおかしい、滑稽だと思うとまた笑いがこみあげてきた。でも決してイヤだという思いはなく、幸福感のようなものが彼を包んだ。



外に急いで出ると、見張りをしていた――中に入れてくれた戦士がちょうど呼びに行こうとする直前だった。


「おいおい、冷や冷やさせんなよ。ほら、早く部屋に帰った帰った」

「うん、ありがと。あっそうだ。見つからなかったから、また探しに来てもいい?」

「うぅん。仕方がない、他の父さんたちにも言っといてやるから早く帰れ。でも見つかんなかったら、早々に諦めろよ」


 それを聞くと、ぱぁっと顔が明るくなってその戦士に抱きついた。


「ありがとぉ!父さんだぁい好き」


 ぎゅぅっと抱きしめてから離れて走って行った。



 その日の夜。アッシュはまた夢を見た。昨夜地下牢で見たものと同じようなものだった。いる場所はやはりヴァザリの牢。

 ヴァザリは床に横になっているアッシュに語りかけてくる。


『アッシュ、お前さんにいいものをやろう』

「いい……もの……」

『そうじゃ。今よりももっと見えるようになる眼をやろう』

「――眼」

『そう眼じゃ。お前さんが願えばどこまででも見える魔法の眼。わしにはもう必要ないからの。お前さんにあげよう。いつか必ず、役に立つ時が来る。そうすれば結界が解け、魔法が発動する。そしてお前さんの力になるじゃろう』


 そう言いきって、アッシュの目を手で覆った。すると、鋭い光が放たれアッシュに激しい頭痛を催した。その痛みで意識が覚醒したアッシュは目を覚ました。



「うわっ!」


 ベッドから勢いよく起き上がると、そこはいつもの部屋だった。


「なんです」

「どうした」

「侵入者か」


 同じベッドで眠っているクロウを筆頭に、隣の二段ベッドで眠っていたアールネとトリスタンが一斉に目を覚まし、布団の下に忍ばせてあった武器を手に取った。さすが階級があがっただけのことはあるといぅべきだろうか。反応する速さが人間業とは思えない領域にあった。


「なんでもないんだ。ちょっと変な夢を見ただけだから」

「そうですか」

「びっくりさせてんじゃねぇよ」

「お休み」

「お休みなさい」


 再び布団にもぐりこんだ。それを優しい目で見守ってから、飛び起きた三人も眠りについた。

 しかし、クロウはアッシュが潜っても眠っていないことに気づいていた。掛け布団からちょこんと出ている頭を撫でてやる。すると、もぞもぞと動いて愛らしい顔が出てきた。窓から差し込む月の光で照らされて、美しい円らな両目がきらきらと光っている。


「どうしたんです?眠れないんですか」


 小さな声で囁くように問いかける。いつもの少し棘のある話し方ではなく母親が子供に優しく問いかけるような感じだ。


「うん……。さっきの夢が頭ん中にはっきり残ってて気持ち悪いんだ」


 クロウはそうですかとそれだけ言うと、アッシュを優しく自分のほうに抱きよせた。アッシュもそれを嫌がらずに、自分から率先して寄っていった。


「おや珍しい。自分から甘えてくるなんていつ以来ですかね」

「なんか、今はこうしてて欲しいなぁって思って。頭の中が気持ち悪いから」


 クロウの胸の中に顔をうずめたまましばらくいたが、不意に顔を上げた。


「そういえば、父さんの眼鏡をのけた顔ってなんか初めて見た気がする」

「そんなことはないでしょう」

「だっていつも寝るのは僕の方が早いし、起きるのだって父さんの方が何があっても早いじゃないか」

「それもそうですね。しかし、これを外すことは結構ありますよ。あなたが見ていないだけです。残念ですね」


 クスッと優しい笑い方をする。


「そうかなぁ」

「さあ早く寝なさい」


 背中を心地よいリズムでトントンと叩いた。それは心臓の鼓動と同じ速さで、とてもアッシュの心を落ち着かせた。優しく温かい人肌の温度を感じながら、安らかな眠りに落ちていった。



 その後もアッシュは、馬術に学問に戦闘訓練と数をこなす間に、暇さえあれば地下牢に通い続けた。いろんな囚人に会い、様々な話を聞き、地下牢で死んでいた者たちのために手作りの墓まで地下に作ってやった。

 地下牢の者たちは皆、その長い残りの時間の中で退屈しきっていた。しかし、アッシュのおかげでそれを随分と紛らわせることができ、それまで話すことのなかった彼ら同士の会話までするようになった。話題はと言えばやはりアッシュのこと。それしかないといえばそうなのだが、話は尽きなかった。あんな小さな子供のしたことなのにこんなにも大きな変化をもたらした。だがまだこのディベルティメントは終わらない。バタフライエフェクト理論のようにこれはまだ小さな蝶の羽撃きにしか過ぎない。そう、もっと大きな嵐がこれから起こる――。


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