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ソードダンサー  作者: 少女遊 夏野
始まりの物語
2/12

第一章 はじまり

「ううん……」


 三度目の見回りを終えた後、アールネは厩舎に来ていた。彼は簡易の革製の鎧を身につけていたが、酷い雨の所為でずぶ濡れだった。

 短く刈りあげられた頭に厳つい顔。右目を斬りつけるかのように額から頬にかけて生々しい古い切り傷がある。筋骨隆々な大きな身体をのっしのっしと動かすさまは大熊を連想させる。


「どうかしたのか?アールネ」

 

 そこには深夜にも関わらず、人がいる。

 天井に吊るされたランプの明かりの向こう側を見る。目を凝らすと、自分よりもずいぶんと小さな、腰の少々曲がった人影が馬の足元に見えた。


「ああ、爺さんか」


 馬の陰から日に焼けた顔をひょっこり覗かせた老人が、何本か歯の抜けた口腔を見せるようにニカッと笑って見せた。


「お前さんがここに来る時は、大抵が下らん事じゃからのぉ」


 ほっほっと笑い、アールネのほうに歩み寄ってきた。

 アールネは悲しそうな顔で老人を見下ろした。少し口をモゴモゴ動かしたあとにぽつぽつと呟いた。


「くだらない……そりゃ、酷いぞ。あの時は、女どもに通り過ぎた後、に、俺だけみて『まあぁの真ん中の殿方だけ、とっても汗臭いわぁ』だぞ?……真ん中と言って該当したのは……俺だけ、だったんだ。戦場で腕、へし折られた痛みの方が……まだ、マシだ」


 喋ることが苦手な彼は、ゆっくりと言葉を紡いでいった。


「まあ確かに、お前さんのいつもつるんどる奴らは、汗臭いとかにゃあ無縁に見えるの。特にあの眼鏡の元拷問部のあんちゃん。なんつぅ名前だっけなぁ」


 顎を指でさすりながら目を閉じて思い出そうとする。指でさするたびに皺がよったり伸びたりしている。


「クロウ、だろ。あいつは……論外だ。あれは……男じゃ、ない」


 アールネにいわれて、そうだという顔をした。


「あと、ちょっとチャラっとした優男のトリプシン?」


 今度は首をかしげて、こんな名前ではなかったかと問うように話す。


「違う、トリスタンだ。あいつ……も、汗くらい掻くのに、何が……違うんだ?」

「ここだじゃよ、こ~こ」


 そう言って老人は顔をニヤニヤしながら指差した。


「慣れすぎ、て忘れるところ……だった。あんたは、そういう人……だったな」


 頭を片手で掻きながら、溜息をつく。それを横目で見やる老人。


「ひっひっひ」


 自分の馬をなでながら真剣な顔をする。


「ところでお前さん。こんな話をするためにここに来たわけじゃなかろう?」

「そうだ、忘れるところだった」

「忘れる余裕があるということは、それほどのことでもないんじゃろぅ?」

「いや、ゔ~ん。結構ヤバイ……かな」


 眉間に深い皺を刻んで、唸る。


「なるほどの。それで?何があったんじゃ。今夜は騒がしいからのぉ」

「拾っちゃマズイもん、を城門脇の草、むらで拾った……というか、何というか」

「ほうほう、それで?」

「どうしようか迷ってる」


 老人は尚もニヤニヤしたままいる。すべてはお見通しとでも言いたそうだ。


「違うな」


 老人の言葉。一瞬どういうことかわからなかった。


「えっ?」

「どうしようか迷っていた。じゃないのかえ?」


 アールネの言葉を過去形にして返してきた。さもそれが真実だと言わんばかりに。


「あんたには、やっぱりかなわんな」


 すべてはそこにあった。ほとんど最初から決まっていた。これは自分に課せられた使命だと、生まれながらに持つ宿命だと。すべては偶然ではない、必然。

 彼の心は――決意は固かった。


「ああ、ガレス爺さん。俺、はもう部屋に……戻ろ、うかと思うのだが」

「構わんさ、もとからお前さんなんざ引き留めとらんよ」

「そりゃ、どうも。あと、これから……迷惑かけるかもしれん」

「いつものことじゃろ」


 老人は彼に背を向けて答えた。これからいったい何が起ころうとしているのか、それを察しているようだった。

 それ以上何も聞かないガレスに少しばかり感謝しながら、再びどしゃ降りの雨の中に戻る支度をする。


「じゃあな。いい、夢見ろよ、爺さん」

「お前さんもな」


 雨の中、走り去っていく背中を見つめたままガレスは居た。


「こりゃ荒れるかもしれませんぞ、先王」


 今は亡き先王に、静かに語りかける。

 どうか罪なき者たちを守ってくれという祈りと同時に。



 戦士たちの生活の拠点になっている兵舎の一室に、ずぶ濡れのアールネが帰ってきた。


「一体どぉこほっつき歩いてたんだよ!」


 部屋に入ると同時に長い棒を咽喉に突き付けられた。伸ばされた棒はぶれもせず、まっすぐにアールネの咽喉に狙いを定めたままピクリとも動かない。

 それをしている男はシャープな顔つきに涼しい目元、そして何といっても女を泣かせる左目の泣き黒子。少し長めの淡い茶髪から覗く目には野性の色がちらほらとうかがえる。

 そんな色男の行動を注意する冷たい声が、さらにその奥から聞こえる。


「まあまあ落ち着きなさい、トリスタン。今の状態じゃ、私の裸をほかの者に提供するという拷問を掛けているようにしか思えませんよ」


 上半身裸の美しい女のような、細身の男――クロウが言った。


「そう思うのはオメェだけだっつの」


 棒を引き、アールネを室内に入れてドアを閉める。


「それで?この緊急事態をどう対処するつもりですか?」


 さっと戦士の普段着で寝巻代わりのシャツに着替えを済ませ、粗末なベッドを見る。

 そこにはすやすやと眠る、生まれて間もない愛らしい赤子がいた。


「そ……それは、その……」


 うつむき、自分の足元を見て、まるで小さな子供のようにモジモジと口ごもる。


「俺は、こいつを育てる」


 アールネは大きな身体に見合わない、小さな声でそう言った。


「ちょっと待て、何でいきなりそうなる!」


 ベッドに腰掛けようとしていたトリスタンは驚いて腰を上げた瞬間に二段ベッドの天井部分で額を強打した。


「そうですよ。そんなことできると思っているんですか!大体うちには既にいい歳した大きな問題児がいるのですよ!」


 クロウもトリスタンに賛同するかのように、冷たい目でアールネを見た。


「そうだぜ。テメェいい歳して問題起こしてんじゃねえよ」


 トリスタンは二段ベッドの下段に座りなおし、あきれたように赤ん坊を見た。


「問題児は貴方ですよ、トリスタン!」

「ええっ俺かよ!」


 あからさまに驚いてみせる。クロウは軽蔑の色を含んだ声で、話し出した。


「大体なんです?朝まで戻ってこないと思っていたら、女と寝てただなんて。不潔極まりない」

「そりゃあつまり――」

「俺をカッコ良く生まれさせた神様が悪いんだ、とでも言うんでしょ。それでしたら、今すぐにでもそのお綺麗な顔を誰もが認めるくらいぐちゃぐちゃに壊して差し上げますよ。いかがです?よい提案でしょう」


 眼鏡をくいっと上げながら、上品な口調で笑顔のままつらつらと脅し文句を並べていく。

 その言葉は鋭利な刃物のようにトリスタンの心に突き刺さっていき、最後には完全に沈めた。この夫婦漫才のようなやり取りが行われている間も、彼は何か言おうと口をモゴモゴさせていたが、二人が余りにも気迫に満ちているため、切り出せなかった。そしてやっと、話が戻ってきた。


「思わず話が逸れてしまいましたが、本気で言ってるんですか。その子を育てると」


 眼鏡の奥にはぎらりと光る鋭い眼光。まるで心の奥深くまで探られているような気分になる。


「ああ、育てる」

「正気ですか?この城の規則は知っているでしょう。ばれてしまえば、どうなるかも」


 アールネも初めはクロウと同じことを考えた。せっかくここまで来たのに、今更問題を起こして、沢山の人に迷惑をかけてもいいものなのかと。酷く悩んだ。しかし彼はそのまま放っておくことができなかった。彼自身、昔実の親に捨てられていた。眠っている間に両親ともども家から姿を消していた。その後彼はずっと一人で生活していた。あるとき、場外で地方に配属された戦士をしている男に引き取られた。そして戦士になるように指導され、戦士にはなったがそれでも昔の心の傷はいえることがなかった。

 アールネは自分と同じような人を生み出したくなかった。それも生まれて間もない赤子ならなおさらだ。だから彼は決心した。


「承知の上だ。俺はこいつを拾った。だから俺はこいつを育てる。そして立派な戦士にしてみせる。寂しい思いは、絶対にさせたくないんだ」


 今まで見たことのないくらい真剣な顔だった。彼のいかつい顔がさらに険しさを増す。


「それ、本気ですか?」


 これは驚いたとばかりに、クロウの目が見開かれた。


「どうか、したのか?俺…何か変なことでも――」


 身体は大きくても、気は小さい彼は不安になった。手をもじもじさせながらクロウのこと主人の言いつけを破った犬のような目で見つめる。


「この子。性別は男だと思いますか?」


 彼の言葉が一瞬、自分には理解できない人語ではない気がした。


「……?男ではないのか?」

「やはり。アールネ、この子は女の子ですよ」


 クロウはため息混じりに言った。


「すまない、何だって?」


 だが、アールネは何か聞き間違えたと思い、耳の穴を小指で軽くほじった後、もう一度耳を慎重に傾けた。


「だから、この子は女の子ですよと言ったんです。それでも育てるつもりですか」


 アールネは耳を疑った。今まで拾った赤子は男だと思っていたのだ。彼の中では天変地異にも等しい混乱が嵐のように巻き起こり、一気に沈静した。


「育てる。俺が育てると言ったんだ。絶対に手放すものか!」


 大きな声で叫んでしまった。外は嵐といえどもそれが防音になるかといえば限度がある。

 案の定、いろいろと来なくていい者たちが来てしまった。


『よう、お前ら。まぁた喧嘩してんのかぁ』

『ほんと、仲いいよなぁお前ら』


 酒の入ったボトルを引っ提げて、ここで二次会でも始めようかという雰囲気である。


『なんだ、こんなところに赤ん坊の人形があるぞ』

『ホントだぁ。よぉく出来てんなぁ』

『トリスタンはついに隠し子までできちまったのかぁ』


 寄って集って赤子の頬をつついたり、持ち上げてみたりと、酔っぱらった同期の戦士たちは好き勝手している。


「おいぃ、やめろよぉ」


 戦場では勇ましくても、根は優しすぎるアールネはあまり強く注意をすることができない。そこでおどおどしていると、痺れを切らしたクロウが机の隅にあった鞭をとり、床を打った。音速を超えた鞭はパンッといい音が鳴った。

 この鞭は、クロウが調査団所属拷問部にいたころに愛用していたものだった。


「お黙りなさい、この酔っ払いども。それは人形ではありませんよ。」


 来訪者たちに向いていったあと、クロウはアールネに向き直った。


「アールネ、扉を閉めて鍵をかけなさい」


 彼は命令した後、机の裏側に隠してあった別の鞭を取り出した。それは部屋に居合わせた者たちが一度も目にしたことがないものだった。来訪者たちと同じように、その鞭に目を奪われていたアールネはクロウに怒られた。


「早く閉めなさい!」

「はっはい」


 言われた通り急いで扉に鍵をかける。


「みなさん、騒がないでくださいね?もし騒げばその下半身についている汚いものを鞭ではなく、こちらの銃で撃ち貫きますから」


 口元は笑っているのに、目が笑っていないクロウを見て、一気に酔いが醒める哀れな戦士たち。そして手にしている見たことのない形状の鞭を凝視する。

 その鞭は全てが金属でできている。そして動物の毛で編んだ紐がついておらず、全くしなりが無い細めの棒のようなものだった。


「うっふふ。これを使うの、少し楽しみだったんですよ。ちょっとしたコネを使って、海を越えた遠い国から取り寄せたんです」


 鞭を指で滑らかに撫で、優しく、そして厭らしく艶めかしく軽く接吻をする。

 その光景を見とれている戦士がごくりと咽喉を鳴らす音が聞こえてくるようだ。逃げ場を頑張って目で探している戦士数人に、復活したトリスタンが諦めろという。


「やめとけって、男として殺されるぞ」


 復活はしたもののやはりどこか暗い。二段ベッドの下側、赤ん坊の隣で膝を曲げて座り悲しそうな目をしている。そんな彼を余所に話というのは進んでいくものなのだ。


「忠告をどうもトリスタン。ここから逃げようなんて無茶ですよ。この中でアールネに勝てる人がいますか?」


 戦士たちは全員首を横に振る。アールネはこの国きっての戦士である。全員で集っても勝てるかどうかがあやしいところなのだ。かといってアールネが居なくても、後の二人――トリスタンとクロウも恐ろしいほど強い。ただ使う武器が槍と銃または鞭であるというだけで、腕力だけでは劣るが武器を使えば同じくらい強いのである。


「よろしい、では皆さん。トリスタンのベッドに寝ている赤子が見えますね?」


 この質問にだれ一人として首を縦に振らない。


「見えますよね?見えているはずですよ?正直におっしゃいなさい。言ってしまえば、みんな楽になるんですよ」


 ここまで言っても、首を縦に振らない。皆それぞれお互いがお互いの顔色をうかがっている。

 それを見て、クロウは最終手段を使うことに決めた。気が長そうに見えて、意外と短期だったりするのである。

 まずは床に並んで正座している一列目の男に近寄り、顎を鞭の先端で軽く持ち上げ、目を見させる。

 クロウは外での訓練にも関わらず肌は透明感があり白く滑らかで、髪は艶やかな黒で腰まで傷まずにのびている。異性からだけでなく同性から見ても美しい奴なのだ。そんな彼に見つめられればドキドキしてまともでいられない。


「ねえ、エドワード」


 妖美な雰囲気を醸し出し艶っぽく囁きかける。口角を軽く上げ微笑んでいるように見えるが、見つめられている側は恐怖を感じ、身体の自由が利かずに視線を逸らすことさえ叶わない。


『な、ななな何か』

「君には彼女がいましたよね?赤毛の可愛いらしい女の子」

『そっそれがどうした』

「私が彼女を君から取ってあげましょう。前から彼女は私に気があったみたいでね?何番目でもいいから一緒に過ごしてほしいとしつこく言われていたんですよ」


 クロウには微塵もそのような気などなかった。だが、エドワードからは見る見る血の気が引いていき、目には涙を浮かべ始めた。


『ゆゆゆ許してくれぇ!俺から彼女を取らないでぇ!』


 涙と鼻水で汚れた顔で必死に懇願してくる。

 彼らにとって、彼女というのはとても貴重な存在であり、勇気なのだ。

 普段出会う女性はみな国王に仕える身、いわば国王の女なのである。手を出せば懲罰房行きにも等しい。と彼らは先輩方から学んできた。実際はどうかよくわかっていない。

 しかし彼女たちの方は彼女たちで、戦士を野蛮人扱いし、嫌っている。数名の戦士を除いて。

 だから外で彼女を作るのだが、それも一苦労なのだ。やはり、女性の本能からか、より美しい異性を求めてしまう。結果として、城にいるときと変わらないのだ。

 そうやって苦労してやっとできた彼女をいとも簡単に取られては心に大きな傷を作ることになる。クロウはそこを突いてきたのだ。

 彼は次に行くために横に移動した。


『へっへへへ。俺は彼女いないから平気さ』


 強がる戦士に、


「甘いですよ、ジョン。貴方は春画を五冊程度持っていましたよね?」

『まさか、お前――』

「あのような汚らわしいもの、すべて焼却処分させていただきます。もちろん例外なく全てです。それはそれは素晴らしい焚火になるでしょうね」


 恐ろしい笑みを浮かべて、心底本心からあふれ出しているような言葉に


「チョイ待ち。俺のは見逃してくれるよな?」


 と、トリスタンは思わずベッドから身を乗り出した。薄っすらと冷や汗をかいている。


「おや、聞き取れませんでしたか。例外はありませんよ、と言ったのですが」


 彼の顔から一気に血の気が引き、そして何かのスイッチが入った。見る間に顔が赤くなっていく。


「ちょっと待てや、ゴルルラアアアア!貴様ら全員今すぐ首を縦に振りやがれ!俺の秘蔵コレクションが灰になる前によぉ!見えてんの分かってんだぞ、てめぇら!」


 トリスタンが八畳ほどの室内で棒を振り回した。その時だ。今まで寝ていた赤子がぐずりだした。それを敏感に察知して、クロウが赤子を抱きあげた。


「おお、よしよし。いい子ですねぇ。そうそう、ゆっくりとおやすみなさい」


 慣れた手つきで赤子をあやす。とても優しい目で赤子を見下ろし、柔らかい言葉であやす。さながら聖母のようである。しかし、あやす間も鞭は手放さない。


「ほら、貴方達が騒ぐ所為で起きてしまったでしょう。ホントにもぅ」


 赤子を抱いているせいか、言い方が母親のようである。


『『『ごめんなさい』』』

「わかればよろしい」


 アールネはこの状況を見て、一夫多妻ならぬ多夫一妻だと思った。この状況で余計なことを考えることができる彼は、ある意味大物である。


「ところでさぁ。お前って、ホントに男なのか?」


 さっき叱られたばかりなのに、この男はいつも一言多い。


「今までに貴方は、何度私の裸を見ているんです?」


 クロウの冷たい眼差しがトリスタンにまたしても突き刺さる。


「はい……」

「貴方達もごらんなさい。今しがた起こしたこの愛らしい赤ん坊が未だに見えないとおっしゃりたいんですか?」


 視線を床に正座させた戦士たちに向けなおした。


『……』

「返事は?」

『『『見えます……』』』


 クロウの強い口調に何も言い返せない筋骨隆々で屈強な男たち。返事をするのがやっとな状況である。


「よろしい。それではこれから皆には共犯者になってもらいますから。異存はありませんよね。まあ、あっても聞き入れはしませんが」


 さらっと大切で尚且つ聞き捨てならないことを言う。


『共犯者って、もしかして』

『おいおい、嘘だろ!』

「黙らっしゃい。尾骶骨ごと打ち貫きますよ。アールネがこの子をここで育てると言っています。私も初めはこっそりと捨ててこようかと思ったのですが、そんなことをしては、彼が乱心してしまうかもしれませんからね。不本意ながら彼に賛同するつもりです」


 ここで今まで黙っていたアールネが何かを言おうとした。口をもごもごさせてから、その重たい口を開いた。


「俺は、こいつを育てることが、俺に課せられた使命だと思っている。だから育てる。俺たち戦士は、戦場で何人もの戦士を殺してきた。数えきれないくらい。だから…えっと、そのだな――」


 彼は熱血で戦いの腕は強いのだが、しゃべりは驚くほど弱かった。そして頭もちょっと弱い。


「わぁった、育てる。育てりゃいんだろぅ。アールネ、オメェの言いてぇこたぁよぉくわかった。つまりは、俺らは今まで人を殺しすぎた。だからこれは俺たちにこいつを育てろっつぅ神様からの御告げだとでも言いてぇんだろう?」


 不安気だったアールネの顔がパァッと明るくなる。そして、ぶんぶんと頭を縦に振る。純粋な幼子のように見えなくもない。ただ少しちょっと大きいだけである。


「さすがはトリスタン。だてに二人は似ていませんね」

「俺ぁここまで暑苦しい顔してねぇぞ」


 ムスッとした表情で相手を少しばかり睨むそぶりを見せる。しかし本気でそんなことを思っているわけではない。


「思考回路の話ですよ。さあどうします。アールネの決心は固いですよ。これから国王などに密告に行こうものなら、彼が何をするかはわかりませんよ」


 ここまで言われては、彼の今の無表情がまた違ったものに見えてくる。


『わかったよ。黙ってる。それでいいんだろう?』

『できる限りの協力はしてやる』

『手伝うから春画は見逃してくれ。アレを部屋点検のときに隠すの大変だったんだからな』

「どうも感謝しますよ」


 そう言って、閉じていた扉を開いた。

 皆が出て行こうとした時、


「ああ、言い忘れていました。このことをもし、別の部署の方々などに口外しようものなら、私が直々に黄泉への道を開いてさし上げますので、努々忘れないでくださいね」


 言い終わると同時に、男どもは顔を真っ青にして走って行った。


「おやおや、これはジョークだったんですけどねぇ、六割ほど」


 手を彼らの走り去る背中に向かって振りながら軽く笑った。


「ははっ本気かと思った」

「ああ」


 二人は口外する気などさらさらなかったが、背中に氷を流しこまれたような感覚が襲った。

 ようやく、いつもの部屋の人数になったところで、これからのことを考えた。


「なあ、こいつを育てるってこたぁさ。世話をしなくちゃなんねえってことだよな?」

「そうですよ」

「でもさ、無理じゃね?俺らは戦士だ。訓練だって、見回りだって警備だって。それに戦争があったら、行かなきゃなんねぇかもしんねえ。その時ゃどうすんだよ?」


 現実的な問題。今までの会話が懐かしく思えるような内容。


 ――どうやって。


 そのことは全く考えていなかった。あの時はどうやってこの子を救おうか。匿うにはどうすればいいのか。そんなことばかり考えていた。


「大丈夫だ。訓練は、全戦士騎士団が一斉に行うわけでは……ない。幸い俺たち……は皆違う、戦騎士団に所属している」


自信なさそうにうつむき加減で言った。


「食いもんはどうすんだ?俺らと一緒ってわけにはいかねぇだろ」

「それは牛やヤギの乳で、何とかするしかないでしょうね」

「ハァ~。これから大変になんなぁ。さらば俺の薔薇色の人生、さらば俺の人生青い経験白書」


 演技じみた大袈裟な身振り手振りで嘆きを表現する。


「どうせろくなものじゃあるまいし、いいじゃないですか。充実した人生になると思いますよ。貴方がこの子に手を出さなければですが」


 クロウは半ば面白いものをみるように呆れた顔で言う。


「男になんざ、興味ねえって」


 片手をひらひら振って、興味がないことをアピールした。


「今だけはその勘違いと考え方に敬意を表さなくてはいけませんね」


 話を聞いていないことに嫌味をこめた感謝を申した。


「何か言ったか?」


 寝るために着替えをしていたトリスタンが聞いた。その男神の美しい彫刻を思わせる美しい体を見ながら、


「いいえ別に。アールネ、私にその子をよこしなさい。貴方たちじゃ眠るとき、その子を押しつぶしかねませんから、私がこの子と一緒に寝ます」


 二段ベッドの置かれている壁際の向かいの壁にある、一人用のベッドに腰掛けてアールネに向けて腕を伸ばし赤子をよこせという。


「わかった」


 アールネはそれに素直に従う。


「俺らってどんだけ信用されてねえんだ?」


 着替え終わって、ベッドの下段から上段に移動する。


「いいん、じゃない……のか。俺達、は寝相が悪い……ようだから、な」


 アールネはようやく自分のベッドが空いたのでそこに腰かけた。


「何か言いましたか?」


 クロウが壁際に赤子を寝かせ、自分も布団に入りながらトリスタンに聞いた。


「いんや、何でもねえよ」


 片手をヒラヒラさせてそっぽを向いた。


「そうですか、それでは早く寝なさい。あと少ししか眠れませんが、寝ないよりはマシです。明日も朝早いんですから」

「はいはい。お休み」

「お休み」


 各自布団にもぐりこみながら、眠りについた。

 このときはまだ誰も気づいていなかった。時計の歯車のように複雑に絡み合った運命が動き出したことに。


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