身支度
ディランは、針子たちがせっせと働く部屋の前をそわそわした様子で、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしていた。その部屋の中からはアッシュの悲痛な叫びがひっきりなしに聞こえていた。
「アッシュ……大丈夫かな……」
その間も部屋の中からは、アッシュの悲鳴と針子の歓声が聞こえてくる。そして突然、静寂が訪れた。
そして扉が開かれた。アッシュ専属の針子が顔を高潮させ興奮した様子で立っていた。
「みてくださいな!このテルミドネ様の神々しいお姿を!」
そういって指差した先には、時々みかける略装ではなく正装に身を包んだアッシュがいた。首元には国王から授けられた首輪を意味する美しい装飾を施された首飾り。ノースリーブになっているのは戦闘のときのため。裾は動きやすくするために細工が施されてあり、いざというときは丈を短くすることもできる。
「あ、あんまりみるな!」
恥ずかしさのせいか、顔が赤くなり下に俯き気味になっている。
「アッシュ、綺麗だよ」
まるで子犬のように目をキラキラさせ興奮するディランに、アッシュの拳が飛んだ。
「仮面!僕の面はどこ!」
アッシュは人前に姿を晒すとき、いつも死神の面をつける。そうすることで素顔を隠してきた。それによって、一部の人間しか彼女がテルミドネであり女であるということをしらない。
「あのぉ……アッシュ……」
ディランが殴られた頭をさすりながら、申し訳なさそうに言った。
「将軍たちがね、そのぉ……」
「なんだよ!」
「今日は仮面はつけちゃダメだって……」
アッシュの顔から血の気がサーッと引いていくのがわかった。
「そ、そんなぁ」
「だ、大丈夫だよ!誰もお前がテルミドネなんて思わないって!」
そう慰めても、アッシュは見る見る涙目になっていく。そして、どんどん焦りが増すディラン。彼女の父親たちは現役の兵士の仲でも粒ぞろいの精鋭たちが軒を連ねる兵士黄金時代の者達である。そんな彼らは超がつくほどの過保護で彼女の泣く気配を感じるや否や飛んでくる。そしてなだめるとともに泣かせた犯人や周囲にいた者たちへのきつい事情聴取が始まるのだ。この中でも三将軍であるアールネ、トリスタン、クロウは特に激しい。
「ア、アッシュ~。お願いだから泣かないでくれよぉ」
「な、泣いてなんかない!」
水晶のかけらのような涙が溢れかけた美しい目をこすり、明らかに泣きかけていた顔をぐっと上げた。
ほっと胸を撫で下ろすディラン。目の前の嵐はとりあえず過ぎ去った。
「ところでアッシュ。髪や化粧はどうするんだ?」
普段は、美しい豊かな金糸のような長い髪を流れる川のように自然に下ろしているか、頭のてっぺんでひとつに簡単に結っているだけ。それに、普段は化粧、ましてや肌の手入れなど一切行っていない。しかし、それでもそこらにいる女よりも格段に美しい。だが、今回はそうはいっても問屋がおろさない事情があった。
「今夜、舞踏会だろ?たくさんの貴族や近くの国の王族も来るんだろ?」
「このままじゃダメなの?」
アッシュはきょとんとしていた。
「ダメに決まってるじゃないか!ですよね?」
隣にいた針子に聞いた。
「そうですわねぇ。まぁ、テルミドネ様はこのままでも十分可憐で美しくていらっしゃいますけれど」
いやらしい顔つきになった針子に戦場でも感じることのない恐怖を再び感じ、鳥肌が立つアッシュ。
「でも仕方ありませんわね。わたくしにお任せくださいまし!」
胸を張って自信満々に鼻を膨らませる。その姿になお恐怖を感じディランに助けを求めるような目を向けたが、彼は針子に全てを託した顔をしていたことに絶望した。
「それではテルミドネ様、わたくしめが責任を持ってテルミドネ様をプルスィアロンも嫉妬するほどに美しくして差し上げますわ!」
アッシュの手を引きながら、再び部屋の奥へと連れて行く。
「やだ、いやだよ!助けて、ディラン!」
「アッシュ、頑張れ……」
戦場へ友を送り出すようなまなざしで、彼は手を振った。
「やだ、父さん!とうさぁぁぁぁぁぁあん!」
再び部屋の扉は閉じられ、その後アッシュの声は中から聞こえなくなった。