覚醒
第三話 覚醒
九州に戻ってから一日が過ぎた。今日は月曜日。龍平にとっては初登校となる。東京の中学校はクラスが荒れていて、あまり充実した日々は送れなかったが、生まれ故郷では楽しく過ごせる気がしていた。
「学ランにあってるぜ龍平」
葉太郎が早速絡んでくる。龍平も笑ってそれを受ける。
「今日から新しい日々が始まるんだね」
学校に着くと、簡単な自己紹介があるだけで、一時間目が体育というこもあり、クラスメイト達はとっとと体操服に着替え、グラウンドに出て行ってしまった。龍平も置いてかれまいと、素早く着替え、後を追う。
体育の内容はサッカーだった。男子の中でチームを二つに分けて行う。ちなみに女子はそこから少し離れた場所で、バトミントンをしていた。
「さて、赤チームと青チームに分けるわけだが、まずは龍平と俺は赤チームだな」
葉太郎はクラスでもリーダー格らしく、勝手にどんどん決めて行く。それに不満を漏らす人間がいないのも不思議だと、龍平は思った。
「そんでもって、裕人も赤チームで・・・・」
「ちょっと待った」
男子の群れの中から異議を唱える声が聞こえた。ある意味当然とも言える結果だが、普段はこんなことはないらしく、男子は全員困惑の表情を浮かべていた。
「誰だ文句言う悪い子は?」
葉太郎がおちゃらけながら言うと、男子達の張りつめた空気がいくらか柔らかくなり、笑いすら起きた。しかし男子の群れから出てきたのは、ほかの誰でもない。当の本人である裕人だった。
「裕人・・・・」
「ああ、悪いね葉太郎。たまには良いだろう」
「ま、良いけどよ。サッカーでお前に勝てる奴なんていないぞ」
葉太郎が苦々しげに吐き捨てた。裕人はサッカーが尋常なく強い。それは誰もが知っている事実だ。しかし当の裕人には関係ないらしく、靴紐を鼻歌交じりに結んでいる。
(ふん、葉太郎め、貴様と組むたびに虫唾が走っていたのだ。最も僕が青チームに行きたい理由はただ一つ。あの金持ちの三下。もとい九条龍平に屈辱を味わわせたいからだ)
彼の心の声など誰も露知らず試合が始まった。
「ほれパス」
真っ先にボールを取ったのは葉太郎だった。そして彼は何を思ったか、ボールをほとんどドリブルすることなく、龍平に渡した。
「へへ、おら入学当日に格好良いとこ見せて、ヒーローになれよ」
「おい、プレッシャーかけるなよ」
龍平はたどたどしいながらもボールを着実に敵の陣地まで運んで行く。
(ふん、来たか)
ゴール近くを守っている裕人はニヤリと笑った。そして唇を舌で舐めると、凄まじい速さで龍平の元に向かって行った。
(貴様に教えてやるぞ。遊びじゃ絶対に味わえないダーティーなプレイをな)
裕人はボールではなく、龍平の足を目掛けてスライディングをかました。それは素人とは思えぬ軽やかな動きだった。
「あっ・・・・」
龍平の足からボールが離れて行く。そして彼自身も裕人に自らの足を絡め捕られ、土の上をゴロゴロと転がって行った。
「ああ痛い・・・・」
龍平の体操服は土で茶色く汚れ、足は青紫色に変色し、内出血を起こしている。
「大丈夫か?」
試合を中断し、龍平の周りに人だかりができる。とりわけ葉太郎は特に深刻そうな表情をしていた。
「大丈夫かよ。足が丸太みたいに腫れてやがる」
龍平は心配させまいと無理して笑みを浮かべた。そして葉太郎に肩を借りると、何とか立ち上がった。
「保健室に行こう」
葉太郎の言葉に龍平は首を振った。
「平気さ。せっかく皆と仲良くなれるチャンスなのに、辞めたくない」
結局、龍平の一存で試合は再開された。裕人は龍平の様子を遠くで見ながら、地面に唾を吐いた。
「下らんなあ、持て余している金で病院でも行けば良いだろう」
「さあ始めよう」
葉太郎の号令と共に試合再開。龍平を気遣い、誰も彼にボールを渡さなかったが、あまりに彼がしつこくパスと言うので、一人の男子が思わず彼にボールをパスしてしまった。
「ありがとう」
龍平は脂汗を出しながら、それでも笑顔で走った。そこに再び裕人の攻撃が加わる。彼は弱っている龍平の足目掛けて、スライディングをまたも放ったのだ。
「ぐあああ」
龍平の身体が宙を舞い、地面の上に叩きつけられる。それでも試合は終わらない。
「フフハハハハハ。そこで寝てろ」
裕人はボールを奪うと意気揚々と相手陣地へ向かい、強烈なシュートを決めた。
ボールはキーパーの脇を抜けて見事にゴール。しかし彼の残虐な振る舞いから、誰も彼を誉めたりはしなかった。
「龍平、もうやめようぜ。裕人の野郎は普通じゃない」
「大丈夫さ葉太郎。僕は最後までやるよ」
龍平は立ち上がるとボールを再び自分の物とした。当然裕人がやってくる。いつしか敵味方の概念も無くなり、全員が全員、龍平を応援し気遣っていた。
「がんばれえええ」
知らない生徒が叫ぶ。
「来いよ龍平」
裕人は笑った。そして龍平と裕人はちょうど目の前で対峙する。
(反則だろうと構わん。ぶっ殺してやる)
裕人の眼に憎しみの炎がメラメラと燃えていたその時、龍平はその場でボールを蹴る姿勢を取った。
(こいつまさか、ここからシュートを決める気か)
龍平はボールをシュートしなかった。裕人の股下にボールを潜らせて、ちょうど裕人を挟んで正面にいた葉太郎に、ボールを送ったのだ。
(後は頼む葉太郎)
龍平は心の中でそうつぶやいた。
(馬鹿な。僕としたことが、たかが龍平ごときに股を抜かれただと)
結局試合は引き合けに終わった。龍平は傷だらけの身体を負って、裕人は心に屈辱を負う結果だけが残った。
「ただいま・・・・」
裕人は力無く玄関を開けると、廊下で鼾をかきながら寝ている父を跨ぎ、居間にバックを降ろして寝転がった。そして自然に訪れた睡魔に身を任せ、眼をゆっくりと閉じた。
裕人が起きたのは、それから3時間後だった。玄関をやたらと強く叩く音で目を覚ましたのだ。外からは怒号が聞こえてくる。裕人はしばらく無視していたが、母の声も聞こえたので、思わず跳ね起きた。
声の主は父親ではない。何故なら声や言葉の端々に知性を感じるからだ。だから借金取りとも思えない。
「誰だ・・・・」
裕人は眼を擦りながら、玄関に耳を付けた。
外から聞こえた会話はこうだ。
「おたくの息子さんはどういう教育をしているんですか」
「すいません、本当は優しい子なんです」
「優しい、これが優しい子のすることですか」
外で行われている会話の内容は、なんと裕人のことだった。
(外の奴はまさか・・・・)
裕人は慌てて玄関の戸を開けた。目の前には母と、口髭を生やした見知らぬ中年の男、そして足を押さえる龍平がいた。中年の男は龍平の父親だったのだ。
「スポーツで起きたことなんで、基本的には無礼講と言いたいのですが、これはおかしい」
父親は顔を真っ赤にして怒鳴っている。裕人は思った。親とは子供のためにここまでできる生き物なのかと、そしてだとしたら自分の親は、なんなのだと。
「すいません」
母は地面に這い蹲ると、その場で額を泥に押し付けて土下座した。
「土下座なんてされてもね、困るんですよ。ところであなた方は借金を抱えてらっしゃるそうですね。これを機に、ここから立ち退いたらどうです?」
その言葉を聞いて、母は再び地面に額を付けた。
「それだけは、私には住む場所が無いのです」
「ならば、医療費ぐらい負担してください」
龍平の父、すなわち徹平は吐き捨てるように言うと、龍平の腕を掴み、ドタドタとやけに大きい音を立てながら、神崎家を後にした。帰り際に龍平と裕人は眼が合った。しかし龍平は素早く視線を別の場所に向けてしまった。
その時、裕人の中で何かが弾けた。そして同時に幼い頃の記憶が蘇ってきたのだ。それはまだ物心ついだばかりの時に、龍平から言われた言葉。裕人が龍平を憎むきっかけとなった、ある言葉が脳裏を過った。
それは非常にシンプルで、誰でも使う、逆に使った事のない人間など存在しないと断言しても、決して語弊のない言葉だった。
「可哀想だ」
幼い頃に裕人の母は、九条家に金を借りたことがあった。生活費が父のギャンブルのせいで尽きたからである。そして母は幼い裕人の前で、徹平に土下座をして頼んだ。その時に徹平は後腐れないように、断ろうとした。しかしそれを隣で見ていた龍平が一言言ったのだ。
「お父さん可哀想だから、貸してあげてよ」
この子供ゆえの無垢で残酷な言葉がいかに裕人を傷つけたか、そして彼は自分の環境を憎むようになった。龍平のぬるま湯のような環境を羨み、そして現在の彼の人格が出来上がった。
「そうか・・・・」
裕人は覚醒した。突然庭を飛び出した彼は、走って、徹平と龍平の後を追った。
(殺そう)
裕人の脳内に一つの言葉が浮かび上がる。それはとても簡単で、もっと早く実行していれば良かった。彼はそう考えていた。母と自分に屈辱を与えた者は生かしては置けない。彼は呪詛のように心の中で唱えると、曇り空の中をひたすらに駆け巡った。そして交差点の角を曲がったところで、何者かとぶつかり、道路の上に尻もちをついた。
「痛てて・・・・」
裕人は眼を開け、ぶつかってきた者を睨み付けた。それは茶色のトレンチコートを来たスキンヘッドの男性で、血色の悪い顔をしていた。
「おやおや大丈夫ですか?」
男は裕人の手を掴み立たせた。
「すいませんねえ、私はこういう者でして」
男は胸ポケットから名刺を取り出して、裕人に渡した。
「ほう、聞いたことがあるぞ、お前はカルト教団の教祖か」
裕人は男を知っていた。その男は九州全域を直轄地として活動するカルト教団、教団プリズムの教祖だった。戦後の日本は実に多くの宗教が生まれた。それらは新興宗教と呼ばれ、そのほとんどが邪教の集団であったが、中には真実のものも存在していた。しかし少なくともプリズムは、悪名高く、強引な勧誘活動。具体的には拉致に監禁、暴力と、殺人未遂。ありとあらゆる手段で人々を苦しめていた。
「僕に何か?」
「ふっふっふ、あなたにぜひ来て欲しい場所があるのですよ。見たところあなたは疲れているように見えますからね、心の浄化をして差し上げようと思いまして」
「ほほう、インチキのくせに言うじゃあないか。良いだろう連れて行け」
裕人は怪しげな男と共に、金箔の悪趣味な装飾が施された神殿に入って行った。中は赤い絨毯が引かれており、怪しげな金の像がいくつも飾ってある。そして部屋の中央に連れて行かれた裕人は、部屋の真ん中にそびえ立つ祭壇を見た。そこには白いローブを着た怪しげな人々が円のように祭壇を囲んで座っている
裕人はその光景を見て笑った。
「これが貴様の見せたい物か」
裕人はあまりの滑稽さに何も言えなかった。それに対してスキンヘッドの男が吠える。
「黙りなさい。あなたにはサタン様が分からないのですか。よろしい、おいそこの者達、このガキを牢屋に押し込めとけ」
男が言うと、座っていた白いローブの男が何人か、飛び出し、裕人を絡め取ろうと襲いかかってきた。
「貴様ら・・・・」
裕人はファイティングポーズを取ると、襲いかかる信者を向かえ打った。しかし人数は圧倒的に相手が勝っている。裕人は簡単に床に叩きつけられ、抑え込まれてしまった。
「くそ、離せ・・・・」
裕人は悲しくなり涙があふれてきた。自分が情けなかった。自分はこのまま誰にも看取られず死ぬのだと思った。しかし彼の運命はそこで終わらない。何故なら・・・・。
「な、何だ?」
最初に異変に気が付いたのはスキンヘッドの教祖だった。裕人の胸ポケットから怪しげな紫色の光が溢れ出ている。そしてそれはどす黒いギラつく油となり、裕人の腕や身体に巻きついた。
「なんだ離れろ・・・・この・・・・」
裕人は必死に腕や足についた黒い油を取ろうとするが、手で振り払えば、振り払った手に付着し、増えて行くのでキリがない。そうしている間にも、黒い油は、裕人の全身を包み込んでしまった。
「おお、サタン様のお怒りじゃ」
信者の一人が言った。そして周りの信者もそれに影響されて、両手を組み、神に祈るようなポーズで、意味不明な呪文を口にし始めた。
「ぐああああああ」
黒い油が強い光を放ち、周りの信者達を吹き飛ばした。そして黒い油は全て裕人の肉体に吸収されて、元の彼に戻った。しかしその風貌は少し変わっていた。まず背丈が伸び、顔が大人びている。まるで一気に二十歳まで年を取ったように見える。さらに口元には牙が、瞳の色は血のような赤色に変色しており、すでにヒトと呼べる存在ではなくなっていた。
「ぬう・・・・?」
裕人は辺りを見回すと、腕を伸ばし、スキンヘッドの教祖の頭部を掴んだ。
「ひああああ」
スキンヘッドの教祖は素っ頓狂な声を上げ、怯えている。裕人の姿をしたソレと目が合う。真っ赤なルビーのような瞳が教祖を完璧に捕えた。
「ぬおおおお」
裕人の姿をした存在は、教祖の頭をまるでリンゴを素手で砕くように握りつぶした。その瞬間、教祖の頭がはじけ飛び、血と肉塊のシャワーが降り注いだ。その上から降る血や肉を、裕人の姿をした存在が、屋根を見上げて、口を開けて、ゴクゴクと飲んで行く。そのグロテスクさに、嘔吐する信者もいた。
「むううう」
赤い瞳が他の人間の姿を捕える。新しい獲物が現れたと、喜んでいるのか、舌なめずりしながら、ゆっくりと歩き始めた。