神崎裕人
次回からストーリーの本題に入ります
第2話 神崎裕人
龍平は不思議な女性に会った。そしてそれをありのまま、再開した葉太郎と早苗に伝えた。
「というわけなんだ」
二人は互いに顔を見合わせると、不満そうに龍平の顔を見た。
「おい、龍平お前なあ、久しぶりの再会でそれはないだろう」
「そ、そうだよ・・・・」
早苗と葉太郎は再開した早々、泣くわけでも、感動するわけでもない龍平の態度に苛立ったらしい。なんだか怒っているようにも見える。
「ごめん・・・・」
龍平は謝りながら、ふと早苗の顔を見つめた。
「なに・・・・」
早苗は頬を紅くすると、視線を龍平から外した。お互いに別れてから10年経っている。昔は泣き虫早苗と呼ばれ、周囲からいじめられていた彼女も、可憐さだけはそのままに、芯の強い女性へと成長していた。髪型はおかっぱ頭で、トレードマークとも言える赤いカチューシャを付けている。ここだけは幼い頃と変わらないらしい。
「早苗、綺麗になったね」
「えっ・・・・?
龍平の予想外の発言に、早苗の顔はさらに紅潮した。そしてモジモジとしながら、彼女も言った。
「龍平だってかっこよくなった・・・・」
龍平も変わっていた。幼い頃はもっと華奢で少女のような存在だった彼も、10年という時を経て、黒いサラサラの髪はそのままに、がたいが男らしく骨太に、顔付きは凛々しくなっていた。彼女は龍平に男を感じていた。
「やあ、君達」
二人の間に割って入るように、一人の学ランを着た少年が現れた。
「君は確か・・・・」
龍平は少年に見覚えがあった。だが思い出せずにいた。しかしその少年の風貌は非常に特徴的で、日本人離れした銀髪に、切れ長の碧眼、全てを見透かしたように冷たい、氷のような、それでいて挑戦的な顔付き。知っているというのに名前が思い出せない。
「神崎裕人」
少年は自ら名乗り出た。そしてそれを聞いて龍平もようやく思い出したようで、嬉しそうに手を叩いた。
「そうだ、君は裕人君だね。思い出したよ」
「ふふ、君は変わらないな。相変わらず」
「そうかな」
四人の間に笑いが起きる。そしてその後も皆で思い出を語ったり、龍平が引っ越している間に何があったのかなど、かなり深い話もした。やがて陽が落ちて、空がオレンジ色に染まった頃、ようやく四人は解散した。
「じゃあな、明日学校で」
葉太郎は、いち早く帰った。迎えの車が来ているようで、民家の横に止まっている黒いリムジンに入って行った。葉太郎は、龍平のような金持ちのお坊ちゃんというわけではない。彼の家は伊能組と呼ばれる、この界隈を束ねる広域暴力団で、ちょうど彼の父親が三代目の伊能家組長なのだ。そして葉太郎は、次の四代目候補である。だからこそ黒いリムジンが迎えに来ようと驚く者など誰もいない。
残った三人も途中でそれぞれ分かれた。そして陽が完全に落ちて、真っ暗になった頃、裕人は未だに家に帰らず、外をふらふらと歩いていた。
(龍平め、僕を忘れていただと)
裕人は憎々しげに心の中でつぶやくと、足元に落ちている小石を蹴り、道端で寝ている猫にぶつけた。
「フニャアアアア!」
猫はうめき声をあげながら夜の闇に消えて行った。
(僕はこれからあのクズの待つ家に戻らねばならない。クソほかの連中は今頃アホ面晒して、呑気にしていると言うのに)
裕人は塗炭で作られたボロい家に着くと、玄関を乱暴に開けた。
「ただいま」
廊下は電気が点いていないので真っ暗だったが、突き当たりの居間からは明かりが漏れていた。丁度障子に影が映っている、影は二つ、片方の影は立ち上がり、身振り手振り何か激しい動きをしている。もう一つの影はあまり動かずに、小刻みに震えている。
「野郎・・・・」
裕人は傘立てに交じって置いてあった金属バットを手にすると、真っ暗な廊下を駆け、障子の戸を開け放った。
「裕人・・・・」
眼前には畳に膝を付き、泣き腫らしている母の姿が、そしてその横で、酒気を帯びて、顔をまるで赤鬼のようにした父が中身の無い一升瓶を片手に、うわ言のようなことを叫びながら、それを振り回している。
「クズが母から離れろ」
裕人は金属バットを父に向けた。それに対して父は一升瓶を裕人の眼前に突き付けた。
「おい、裕人、父親に向かってよお、なんだその態度は。ぶっ殺しちまうぞお」
父親はふらふらと覚束ない足で、何とか立っている状態だった。そして眼は白目を剝き、口元には白い泡を溜めていた。その姿に裕人は吐き気すら覚えた。この男が父であるという事実を消したくて仕方がなかった。
「殺してやるよ」
純然たる殺意。裕人はバットを父の頭上に振り上げた。しかしそれは未遂に終わった。何故ならば、振り下ろす寸前、母が父の目の前に倒れこみ、足を掴んだからだ。
「お、お金ならあげますから、裕人を傷つけないで下さい」
父親は金が貰えるという言葉に反応すると、急に笑みを浮かべ穏やかになった。
「へへへ、最初からそう言えば良いんだよ。俺だってなあ、実の一人息子を怪我させたかねえ、子は鎹だしな、へへへへ」
裕人の父親は僅かな金を母の手から奪うと、フラフラと玄関を飛び出し、どこかへ行ってしまった。
家の中は暴君が消えたために、静寂な空間へと早変わりした。母はまるで何事もなかったかのように、晩飯の支度を始める、いつも通りだった。
裕人はちゃぶ台をチラリと見た。母がいつもお守りと呼んで大切にしているロザリオが置いてあったのだ。彼はそれを見ると、腹の底からマグマのようなものが湧き上がってくるのが分かった。そして無意識のうちに、それを握りしめるとタンス目掛けて投げつけた。
ロザリオはタンスに弾かれて、畳の上を転がった。この行動に最も衝撃を受けたのは、他ならぬ裕人の母だろう。彼女は晩飯の支度を中断すると、裕人の頬に無言で平手打ちをした。
「何をしているのです。それは大切な物ですよ」
母は、母らしくない金切り声をあげた。
「あなたは聖書を読んだことはあるでしょう」
母はタンスから聖書を取り出した。しかし裕人はそれを突っぱねる。そして叫んだ。
「聖書がなんだって言うんです。神がなんだ、僕達は不幸じゃないか。今頃龍平や、他の連中はバカ面下げて、日々を謳歌しているというのに、僕達は何故苦しまなければんらないのです。神がいるのなら、何故僕らを救わない」
裕人は家を飛び出した。背後から聞こえる母の嘆きの声も、全て無視して、ひたすらに走り続けた。そして何かに躓き転んだ。
「クソ・・・・」
足元を見ると、丸く、手のひらほどの大きさのある黒い透明の石が落ちていた。これを黒水晶という。裕人は黒水晶を拾うと、黒水晶が一瞬妖しげに光ったことに気が付いた。
「なんだこれは・・・・」
これがただの石でないことは一発でわかる。そしてこの石の魔性の輝きは、見ているだけで吸い込まれそうな程に美しかった。
裕人は何を思ったのか、その水晶を懐に収めてしまった。その黒水晶が災厄の象徴になるとも知らずに。