「恐い」「怖い」「恐れる」「怖れる」 目安としての常用漢字表
今回のテーマは「こわい」と「おそれる」の表記です。「恐い」か「怖い」か、「恐れる」か「怖れる」か。これはもう本当に、書く度に悩んでいるので、ここらで自分なりの決着をつけておきたいところです。
前回の「戸」と「途」については、字の持つ意味に明らかな違いがありましたが、「恐」と「怖」では字義の違いが判りません。この点について、前回よりも考えるのが難しそうです。
まずは基本的なところから確認していきましょう。「恐」と「怖」、日本語においては違いが判然としないけれど、古典中国語では別の語だよね?
三省堂の『漢辞海 第二版』によると、これらの字の発音(中古音と日本漢字音)は、「恐」が、声母が「渓」、韻母が「腫」、声調は上声、漢音キョウ、呉音ク・クウ。「怖」が、声母が「滂」、韻母が「暮」、声調は去声、漢音ホ、呉音フ、とあります。要するに、全く違う音です。古典中国語における「恐」と「怖」という字(あるいは語)は、意味の類似性はあるにしても、発音については何の関係もない、全く別の単語だったわけです。
では次に、肝心の語義を同じ辞書から見てみましょう。
恐 [常]キョウ おそ-れる・おそ-ろしい
[一](動)①おそれる・オソル。㋐こわがる。㋑心配する。[名詞化]心配。おそれ。
②威嚇する。おどす。
[二](副)①ひょっとしたら。…かもしれない。おそらくは。〈ある行為や状況についての推量を表す〉
[日本語用法]おそろしい。はなはだしい。
怖 [常]フ こわ-い
[一](動)①こわがる。おそれる・オソル。おじる・オヅ。
②恐れさせる。おどす。
[常]は常用漢字であることを示しています。
まず気になるのは、「恐」には訓として「おそれる」「おそろしい」が当てられ、「怖」には「こわい」が当てられているということですが、それはちょっと置いておいて、先に意味について見ていきましょう。
また、今回のテーマは「恐怖せしめる」という意味の「こわい」と「恐怖する」という意味の「おそれる」ですので、「恐」の[二]と[日本語用法]についてもまずは触れないことにします。
すると、二つの字の動詞としての意味は、極めてよく似ていることが判ります。すなわち両者とも、「おそれる・こわがる」という意味と、「おそれさせる・おどす」という意味があるようです。
ただし、違いも見られます。「恐」には「心配する」という語義が載っていますが、「怖」にはそれがありません。良く考えてみると、怪異や暴君などを「恐怖する・こわがる」ことと、失敗などを「心配する」こととは違う感情といえます。すると、「恐怖する」意の「おそれる」にどちらの字を当てるかとは別の問題として、「失敗をおそれる」のような文では「恐」の字を当てたほうが良いといえるかもしれません。
それはそれとして、「恐怖せしめる」という意味の「こわい」と「恐怖する」という意味の「おそれる」についての検討に戻ることにしましょう。
ところで、日本語の「こわい」は形容詞ですが、どちらの字についても形容詞としての用法が書かれていません。この点について、ちょっと考えておく必要がありそうです。
そこで考えてみると、形容詞「こわい」は動詞「こわがる」でほぼ同じ意味を表せることに気付きます。「あの犬はこわい」という文は、意味としては「わたしはあの犬をこわがっている」と同じなわけです。そもそも品詞というのは意味よりも文法で規定されますから、ある意味を表す単語の品詞が言語によって異なることは、よくあるわけですね。例えば「緑色の服」という意味のことをいう場合、日本語の「緑の」「緑色の」は名詞ですが、英語の"green"は形容詞です。
というわけで、日本語の「こわい」も「おそれる」も、「恐」と「怖」の動詞①の意味に対応するものとしましょう(「あの犬はこわい」を「あの犬は皆をおそれさせている」と捉えるなら、動詞②の意味も部分的に関係するかもしれません)。すると「恐」と「怖」の動詞としての意味はほとんど同じなわけですから、この点から「こわい」にはどちらの字を当てるか、「おそれる」にはどちらの字を当てるかを決めるわけにはいかないようです。
そこで次に、さきほど飛ばしていた「恐」の[二]と[日本語用法]について考えてみましょう。「恐」には、「奴はおそらく無事だろう」という時の推量を表す副詞「おそらく」の意味があり、また日本では、「おそろしくしぶとい奴だからな」という時の「はなはだしい」という意味の「おそろしく」の意味でも使われるようです。ということは、この辞書を信用する限り、この二つの例文中の「おそらく」「おそろしく」には「恐」の字を当てるのが良さそうです。
それでは、「おそらく」「おそろしく」は「恐らく」「恐ろしく」と表記するものとしましょう。すると、一方で「おそれる」を「怖れる」と書いていたのでは、整合性が悪いような気がします。加えて、先ほど「心配する」意の「おそれる」には「恐」の字を当てるのが良いかもしれない、という話もありました。この点から、「おそれる」の表記についてはまずは「恐れる」に一票ですね。
それでは次に、やはり後回しにしていた、「恐」の訓読みには「おそれる・おそろしい」と、「怖」の訓読みには「こわい」と書かれていた点について検討してみましょう。
でも、何なんでしょうね、これ? 語義を見れば明らかなように、「怖」も漢文訓読の際は「オソル・オヅ」と読むはずなんですよ。それなのになぜ、「怖」には「こわい」という訓しか書いていないのでしょうか。また同様に、「恐」にも「こわがる」の意味があるはずなのに、なぜ「おそれる・おそろしい」としか書いていないのでしょうか。
そこで辞書の凡例を見てみると……「常用漢字表」に示された音訓、とありますね。何ですって、常用漢字表?
そういえば、漢字使用の目安としてそんなものがありました。さっそく見てみましょう。2010年に改定された版です。
……確かに。確かに、「恐」には「おそれる」「おそろしい」という訓しか載っていませんし、「怖」には「こわい」としかありません。理由は? 掲載している音訓の選定基準については、特に説明はないようです。
ついでにいうと、「恐」の音は漢音「キョウ」だけで呉音の「ク」「クウ」は載っていませんし、「怖」については呉音「フ」だけで漢音「ホ」は載っていません。これは、日本語ではあまり使わないから、ということでしょうか。
すると、訓についても、よく使うものを記載している、ということなのかもしれません。そうだとするならば、歴史上、「こわい」には「怖」が当てられることが多く、「おそれる」には「恐」が当てられることが多かった、ということなのでしょうか。しかし説明がない以上、何ともいえませんね。
それはそれとして、漢字表記について考える上では、「常用漢字表に記載されている」ということ自体に一定の意味があるといえます。何しろ常用漢字は、学校教育の基準になっているはずです。例の漢字ドリルという一連の教材も、これに基いて制作されているのでしょう、多分。
ということは、常用漢字表に従った表記のほうが、多くの人にとってすんなり読める可能性があるといえます。この効用を認めるなら、「こわい」は「怖い」と、「おそれる」は「恐れる」と書くのが良さそうですね。
以上のようなことから、わたしは「こわい」は「怖い」、「おそれる」は「恐れる」と表記することに決めたのでした。
ただし今回、常用漢字表の記載に従うことに決めたのは、「恐」と「怖」の字義に大きな差が認められないから、つまりは「ぶっちゃけどっちでも良いから」です。いつもいつでも常用漢字表に従っているわけではありません。字義にこだわる必要があると考える場合は、常用漢字表に記載のない使い方をすることもけっこうあります。
例えばわたしは、「判る」「憶えている」「お腹」という表記をよく使いますが、これなどは常用漢字表に記載のない読み方です。
さらにいえば、常用漢字表にない漢字、つまり常用漢字でない漢字もけっこう使っています。いくつか例を挙げれば、「嘘」「噂」「訊」「叩」「竿」「鎧」「罠」「嬉」等々。
もちろん使って良いのです。常用漢字表は漢字使用の「目安」であって、前書きには「この表は、科学、技術、芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない」「この表の運用に当たっては、個々の事情に応じて適切な考慮を加える余地のあるものである」とあります。
ところで先に、古典中国語において「恐」と「怖」は別の語だったはずだ、という話をしました。「恐」の「心配する」の意味と名詞化用法、「おそらく」という意味の副詞用法がまずあるとして、他には何か違いがあるのでしょうか。
わたしが指摘できる可能性は、①時代によって使用頻度に差がある、②地域によって使用頻度に差がある、③「でも」と「しかしながら」の違いのような文体論的差がある、といったところです。
ですが、ひょっとしたら世の中には、漢籍を徹底的に読み込んだ結果、「恐怖する」という意味に関して、「恐」と「怖」に何らかの差異を見出した人もいるかもしれません。そんな方がいたら、漢字の問題や日本語の語彙について、ジンジャーエールでも飲みながら語り合ってみたいものです。そして、「こわい」「おそれる」にはそれぞれどの字を当てるか、改めて決着をつけるとしましょう。
これを書き上げてから発見したのですが、伊藤東涯の『操觚字訣』という同訓異字について解説した書物に、「恐」「懼」「畏」「怖」「惶」「怕」「懾」の違いに関する記述がありました。でも、例文は当然ながら漢文だし、解説も漢文訓読調だし、理解するにはちょっと時間がかかりそうです。