3
朝。
涙が零れていた。
わたしの胸にあるのは、悲しかったこと。何を夢見て泣いたのか思い出せないし、覚えていたとしても、思い出したくなかった。
彼の光に似た、悲しさだから。
「――晴夏、起きていますか? 朝ご飯が出来ました」
「ん……今、起きていくから」
返事を返し、ゆっくりと起き上がる。
節々が痛いような、全体的に重いような。風邪を引いたような感じがする。
けど、
「あれ?」
起き上がると、その感じは消えた。
やっぱり、夢の影響だろうか。泣き疲れたとか、なんだろう。
階段を降りる足にも、重さはなく。
「おはよう」
「うひゃっ!」
背後からの声に、驚いてしまう。
「…………いい加減、慣れてくれ」
「……ゴメン」
降りたその先で、彼に遭遇した。
彼がこの家に住むようになって、今日で一週間。居るのは分かっているけど、どうしても驚いてしまう。
決して、嫌いなワケじゃない。
信用は(少しだけど)出来るようになった。
ただ、慣れないだけ。
人は慣れる生き物だと言うけれど、慣れないものは本当に慣れないのだと思う。
「紡さん、こんな子ですみません」
「ちょっ、こんなとは何よ、こんなとは?!」
「いや、こればかりは仕方ないことだから。晴秋さんが気にすることじゃないさ」
「アナタも、仕方ない言わないで!」
人を何だと思っているのか。
「――ほら、早く食べないと遅刻するぞ」
「誰のせいよ」
少なくとも、わたしのせいではない。
さっさとテーブルに着き、コップ一杯の水を飲んで食事を始める。
食事は、何故か彼の当番になってしまっている。三食全部だ。
自らやると申し出てくれたことに関して、断る理由はなかったため、お言葉に甘えさせてもらっている。朝、ゆっくり眠れるし。
――けど、料理が上手いってのはちょっと。
ムカつくけど。
食べ終わって片づけを済まし、身支度も済ませる。
兄さんは仕事だと部屋に戻り、ゴミ出しする彼と一緒に家を出た。
「今日はオレが買い出しをしておく」
「……唐突だね。でも、やってくれるならアリガト」
「気にするな。出かけるついでだ」
「あ、ついでついでに、牛乳買って帰って欲しいな。兄さん、コーヒーに入れて飲むと思うから」
「分かった。行って来る。キミも気をつけて行って来い」
と、駅の方を目指して行った。多分、駅横のコンビニへ向かったのだろう。
彼は迎ヶ町では買い物をしない。できない理由がある。
「は~っるか」
「わっ!」
いきなり圧し掛かられ、危うく倒れそうになる。こんなことをするのは、友だち以外に居ない。
彼の去った方向から数人に、おはようと手を振ると、
「ね、さっきのカッコイイ人って誰?」
「晴夏の恋人?」
「この町の人じゃないよね?」
一気に詰め寄られ、質問責めに遭う。とりあえず、おはようを返して欲しい。
「ちょ、ちょっと待ってよ。そんな一気に言われても、順番が分かんなくなるって」
「じゃあ、順番に言うけど」
「あの人って晴夏の恋人?」
それは順番の最初じゃない。
「恋人じゃないよ。兄さんの知り合い。多分、仕事関係だね」
彼と恋人関係なんて、あり得ない。出会いが出会いだし、仲が良くなったとしても、そこまでには発展しないと思う。
否定すると、つまらなそうな表情をされた。みんな、同じ答えを期待していたらしい。
とても分かりやすかった。
「なーんだ。つまんないの」
「あ、でも……本当はちょっと安心したかも」
「何で?」
「何でって…………すれ違ったとき、あの人、晴夏を連れて行きそうな感じがしたんだもん」
「つ、連れて行くってどこに?」
「分からないけど、手の届かない所かも」
などと言う友だちの目に、彼は一体どういう風に映ったのだろう。
手の届かない所――父が娘を嫁に出す時のように聞こえる。多分、そんな感じなのだろう。
それほどまでに思ってくれている友だちは嬉しい。
ここに居るのは、同じ町で生まれ育って来た、ある意味では家族のようなものだから。
みんなで、誰かが生まれたことに喜び、誰かが亡くなったことに悲しみ。
知らない人は、ほとんど居ない。
小さな町の、大きな家族。
「ね、絶対にどこにも行かないでよ?」
「いや、あの……そう言われても、行かないよ~なんて断言は無理」
卒業したら、大学へ行きたいと思っているし、行くとすれば町の外。
だから、どこにも行かないなんて言えなかった。
「でも、今は行かないよね?」
「行かないよ。引っ越す予定も何もないし。それに、この町が好きだし」
離れられない。
「え?」
「晴夏、どうしたの?」
「え? あ……えーっと、何でもない」
今、何を思った?
確かに、何かが頭を過ぎったはずなのに。
その一瞬、何が起こったのか分からなかった。