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「……あれ? 何していたんだろ?」
ふっ、とした瞬間、今まで何をやっていたのか思い出せなかった。
時刻は午後四時。学校帰り。
今日は一日楽しかった――という感覚がある。何かに夢中になりすぎて、忘れてしまったのかな。
きっと、そうに違いない。楽しすぎて、はしゃぎすぎて、忘れたんだ。
「えーっと、特に寄る用事もないし。あとは真っ直ぐ帰るだけだから」
一瞬の記憶がないだけで不便はしないし、別に気にすることはないと思った。
気にしたって始まらないし。
「うん。とりあえず、帰ろっと」
歩く足取りは普通。
重くもないし、軽くもない。
神城晴夏、十六歳は元気です――なんて、ね。
迎ヶ町――
この町はちょっと変わっている。
何の変哲も見所もない町なのに、平日も関係なしに多くの観光客が訪れていた。
いつからだろう。
全国に広がった、こんな話。
【幽霊に会える町】
恐山の訳がないし、イタコが多い訳でもない。なのに、何故か幽霊に会える。
「あ、また居るし」
フラフラと通り過ぎる幽霊だけど、他の人は気づいていない。
そう、見えなければ別に害はないし、見えても何もなければいいだけで。至って、平和な町である。
よく有名な霊媒師が成仏させるために来るけど、成仏した霊を見たことがない。
実はその場から消えただけだったりする。お経の類が嫌だから、その場から逃げたに過ぎなくて。まだ、この町に居たりする。
けど、溢れかえるほど居るワケじゃない。
この町の人口ほど居られたら鬱陶しい。
まあ、適度に居る――という表現も、正しかったり間違ったりする。
「だって、幽霊がいつ出たとか、いつ消えたかなんて関係ないし」
思わず口にする。
気にしたって仕方ないことだから、気にしない。それに、面倒だったりする。
――決してO型だからじゃない。血液型は関係ない。
この迎ヶ町では、当たり前だから。
当たり前を疑問に思っても、答えは『当たり前』なんだ。
平穏な町。
「晴夏ちゃん、今帰りかい? 今日はサンマが安いよ」
「ホント? じゃあ……兄さんは多分、仕事明けで空腹だろうから、うん。おじさん、三匹ちょうだい! あとオマケもよろしく。帰ったらすぐに来るからね」
「ははっ、分かってるよ」
魚屋さんが明るく笑う。
魚屋さんだけじゃない。八百屋さんも、肉屋さんも。商店街に並ぶ全ての店が、人が、明るく笑っている。
笑って、わたしに声をかけてくれて。
「ふふんっ、得しちゃった」
足取りは軽く。鼻歌交じりに帰る家路への道。
その途中にある公園は、町の外へも繋がっている。正確には、隣町と続く道路だけど。
ここを道沿いに進むと、家までの通りにぶつかる近道になっていた。
だけど、
「どうしてこんなに苦しいんだろう……」
通ろうとすると、胸が締め付けられるほど苦しくなる。痛いとも、悲しいとも言える苦しみ。
ここだけ、別のような気がした。
そう……『別』のようで、空気が違うんじゃない。ファンタジー的に表現すると、異次元だろうか。
「……もしかして、見えない幽霊が訴えている威圧みたいなもの?」
霊は全部が全部、見えているワケじゃない。気配の薄い霊、自ら存在を見えなくしている霊などは、わたしも見えない。
大体はこの町に居れば見えるけど……動物の霊、なのかもしれない。
だとすると、ここで飼い主を待っているのかな。公園は定番のお散歩コースでもあるし、ね。
そっと、救われることを祈ろう。
「キミの悲しみが、ここで紡がれて行くことを――」
はっ、と振り返る。
後ろから発せられた言葉は、何だか寂しげで。どことなく、成仏を願っているような言い方で。足音も、近づく気配も分からなく。
驚いて、何も言い出せない。
開いた口が塞がらないって、このことを言うんだななんて。
でも、それよりも、
「……アナタ、何?」
身体中に湧き上がる、この感じは何だろう。
近づいては行けない。
――怖い。
表情とか、雰囲気とかがじゃなくて。何だろう……とにかく、怖いって思ってしまった。
「オレは……オレという存在は、望まれないのかもしれない」
「……えっと、誰に?」
「きっと、この町に。ほら」
フラフラとやって来た見知らぬ幽霊。
そのまま通り過ぎても問題はないはずなのに、何故か避けて通っていく。
望まれないって、このことなのだろうか。
「――アナタ、誰?」
思わず聞いてしまった。
「それは、もし次に会うことがあったら、教えるさ」
フッと悲しげに微笑んで、その人は背を向ける。この時は、怖いという感覚は消えていた。
あれは一体何だったのだろう?
考えている間に、その人はどこかへ行ってしまった。
観光客、だったのだろう――そう思って、家路へ急いだ。
「ただいま~」
学校から家までは、距離がある訳じゃないのに……凄く、疲れた。商店街で寄り道したせいではない。
けど、家に着いたとたん、そんな気分は吹っ飛ぶ。家が安心できる場所と言うのは本当なんだな、なんて。
「兄さん、ただいま~」
「…………え? あ、ああ」
「どーしたの?」
「……いえ、何でもありませんよ。お帰りなさい、晴夏」
一瞬、何故か驚いた顔をされた。
気分的に吹っ飛んだとはいえ、表情に表れるほど酷い顔だったのかな?
自分では普通でいるつもりでも、傍から見れば酷かったという場合もあるから……後で鏡を見なければ。
「そうそう、晴夏。学校はどうでした?」
「……何、いきなり? 普段はそんなこと聞かないくせに」
「そう、ですか? いえ、ちょっと気になったので」
「ふーん。学校はいつも通りだったけど?」
「なら、良かったです」
何を心配したのだろう。
別に、学校で虐められている訳でもないし。そんなことがあるような場所でもない。小学校からの同級生も多く、みんな友だちだ。
やっぱり、表情が酷かったのだろう。それ以外に、理由が考えられなかった。
記憶が飛んでしまうほどはしゃいで疲れたせいなら、早めに休んだ方がいいのかもしれない。
「それじゃあ晩御飯の準備ですけど、三人分、お願いできますか?」
「おっけー……って、三人分? 父さんと母さんと、兄さんと、あれ?」
指折り数えてみる。
どうやっても合わない。
「間違いなく、三人分です」
兄さんが言うなら、それで間違いはない。
父さんか母さん、今日は仕事で遅いのなら、三人分に納得できた。
「それから、紹介したい人が居ます」
ここに居てくださいと、兄さんは客間の方へ行った。玄関にはお客さんの靴はなかったのに、どういうことだろう。
紹介したい人とは、噂の彼女かもしれない。なら、驚かせるためにワザと隠しているのかもしれない。
近い将来の義姉さんに、期待感が高まる。
料理のできる人だったらいいな、なんて。
「お待たせしました。紹介します。今日から一緒に住むことになりました」
なんて期待は、脆くも崩れ去った。そもそも『紹介したい人』なんて、思わせぶりな言い回しをした兄さんも悪い。
――まあ、期待をしてしまった自分自身も悪いケド。
このオチはもっと酷いと思った。
ある意味、最悪だ。
「………………アナタ、さっきの」
何故、彼がここに居るのか。
何故、兄さんの紹介なのか。
状況が全く分からなかった。
ただ……今のわたしには、悲しく感じられた。
「次に会うことがあったら、教えるって約束だったな」
少し微笑んだ表情が悲しげに見えたのは多分、わたしが悲しく感じたせいだろう。
初めましてと、彼は名前を告げた。