またこの丘で会いましょう~王子と私、焼き菓子が結んだ再会~
私の名前はサンクタ・マリア・マドレーヌ。
ロレーヌ地方の男爵家の長女として生まれた。
幼馴染のロレーヌ・スタニスラオ・ペクチンスキは、ロレーヌ家の王子様だった。
本来なら、身分の違う私たちが仲良くできるはずもない。
そんなことは、子供だった私は知る由もなかった。
***
父はロレーヌ家へ謁見に訪れていた。
「この丘で、少し待っていなさい」
そう言われた私は、不安な気持ちを抱えながら父を待っていた。
すると、ひとりの少年が丘に立っているのが見えた。
どこか寂しそうに、お祭りを眺めている。
「お祭りに参加しないの?」
私が声をかけると、少年は少しだけ微笑んだ。
「うん。
僕はここから眺めているだけでいいんだ。
父上が許すわけもないしね」
そうして私たちは、この丘から遠くのお祭りを眺めていた。
賑やかな音楽も。
楽しそうな舞踏会も。
どこか遠い、夢の世界のようだった。
私たちは庭に作られている石造りの休憩所に並んで座った。
そのとき、執事のような格好をしたおじさんが近づいて来る。
綺麗にお皿に並べられた焼き菓子を持ってきてくれた。
「え!? これは……」
口に人差し指を当て、おじさんは言葉を遮った。
甘い香りが、ふわりと辺りに広がる。
「……おいしい。
この形、可愛いね」
少年の目が輝いていた。
「父上と母上、みんなで海に来たことを思い出すよ。
また行きたいなあ」
私はその顔を見るだけで、幸せな気分になった。
「それじゃあ、いつか私と海へ行きましょう」
「……そうだね」
また少年の顔が曇った。
静かな丘の上から、二人で祭りを眺める。
「ドーン……パン、パン、パン」
夜空に魔法の火の花が咲き乱れる。
花火の光が、少年の横顔を照らした。
育ちの良さを感じさせる、凛々しい顔立ち。
けれど、その瞳にはどこか寂しさが映っている。
そう私には見えた。
遅れて届く音も。
漂う火薬の匂いも。
すべてが、私には忘れられない思い出となった。
これが王子ペクチーと、私マドレーヌの出会いだった。
別れ際。
私は、もう一度会いたいという願いを込めて言った。
「またこの丘で会いましょう」
少しかしこまって、スカートをつまみ、軽くお辞儀をする。
ほんの少しだけ、大人の女性の真似をしてみた。
「うん。約束だ」
それが、私の運命を大きく変える言葉になるとは――
その時の私は、まだ知らなかった。
***
それから毎年のように、この丘でお祭りを眺めた。
この時期になると、父がこの国の王に謁見に訪れるからだ。
昔は、この国までの旅が好きだった。
でも今は――
この丘で、あの少年に会えることを心待ちにしていた。
けれど学園に通うようになり、私は貴族社会の恐ろしさを知ることになる。
学園の中にも、はっきりとした身分の序列があった。
高い身分の者には逆らえない。
それは、子供の社会でも同じだった。
私は、そんな学園が嫌いだった。
「学校は、身分社会なんて関係ないでしょう?」
そうは言った私だったが――
ある日、私は知ってしまう。
あの少年が、ロレーヌ家の第一王子。
ペクチンスキだということを。
第一王子。
つまり未来の王。
私とは、釣り合うはずもない存在だった。
まるで、自分の言葉がブーメランのように返ってきた気分だった。
けれど。
身分社会の話をしたとき、彼はこう言った。
「私も、学校で身分を振りかざすのは良くないと思う」
男子生徒は、彼の言葉に歯を食いしばり俯く。
「偉いのは私たちじゃない。
ただ生まれが違うだけだ」
女子生徒が、彼の言葉に目を潤ませている。
「大人の世界を、子供まで真似する必要はないさ」
そして彼は、さっそうと行ってしまった。
でも、あるとき。
彼が少し照れながら私に言ってきた。
「私のことはペクチーと呼んでほしい。
嫌かな?」
王子をあだ名で呼ぶことより、
男の子をあだ名で呼ぶことの方が恥ずかしかった。
「……ペクチー」
私がそう呼ぶと、彼は嬉しそうに笑った。
「マドレーヌ。
君のことは、マドレーヌと呼んで良いかな?」
「王子さまをあだ名で呼ぶのに、
私はそのままの名前だなんて……」
「いいじゃないか」
彼の笑顔が眩しい。
「幼馴染なんだし。
それに……マドレーヌという響きが好きなんだ」
そして私たちは、そう呼び合うようになった。
けれど。
学園生活が続くにつれ、あの丘で会う日が少なくなっていった。
ペクチーは忙しくなり、周りでは婚約話が増えていった。
そして――
ペクチーの婚約の噂が広まっていた。
王子であるペクチンスキに婚約候補として、名前が挙がっていた。
ブルターニュ・ガレット・ブルトンヌ。
ボルドー・ラム・カヌレ。
エクレア・フォンダン・カトリーヌ。
伯爵令嬢のリッチモンド・タルト・フレーズは、その筆頭だった。
王の命令に背けず、国のために王子は婚約を断れなかった。
それでも――
「またあの丘で会いましょう」
ペクチー王子は、私がしてみせたようにお辞儀をした。
「こんどは、私がお土産を作ってまいりますわ」
「お土産を作る?」
「はい。楽しみにしていてください」
そう言って別れた。
「丘で会う」
その言葉だけが、私たちを繋いでいた。
約束を胸に、私は自分で焼き菓子を作り始めた。
焼き菓子に、ペクチーの好きなフルーツを載せる。
甘い香りに誘われて、ひとくち口に運んだ。
出来立てのそれを、そっと味見する。
「美味しい!」
うまく出来たうれしさから、心が躍る。
早く会いたい。
そう思いながら、さっぱりとしたフルーツを頬張った。
口直しのアールグレイは、柑橘系の風味と香りが、味わいを引き立てる。
その焼き菓子を携えて、私は王子の元へと出かけた。
今回の焼き菓子は特別だった。
焼き菓子にクリームとフルーツを飾り付けた。
フルーツには、ゼリー状の透き通った甘い艶をまとわせている。
ペクチー王子の好きな、少し酸味のある味だ。
私たちは、あの丘で祭りを楽しむはずだった。
それなのに……。
「急な用事が出来たんだ」
その視線は、もう私を見ていなかった。
私を置き去りにするように、背を向けて去っていく。
せっかく作った焼き菓子を、私は持ったまま立ち尽くした。
執事のおじさんが、私に話しかけてきた。
「王子への贈り物ですか?」
「は、はい……」
「必ず、お渡しいたします」
丁寧に、お辞儀して大事そうに持っていった。
そしてしばらくして――
王子の婚約が発表された。
***
私は悲しみに暮れ、新たな決意を抱いた。
数日は何も手につかなかった。
けれど、このまま何もせず、悲しみに沈んでいる自分が嫌になった。
――このケーキを作って、売ろう。
そして私は、実家でお店を開き、焼き菓子を売り始めた。
母から教えてもらった、甘い香りの焼き菓子を。
この国は海に面していたので、母は焼き菓子の形を貝殻の形にしていた。
最初は一日に数個しか売れなかった。
それでも徐々に評判となった。
今ではお店の前に、人が絶えないほどになっていた。
人から人へ評判が伝わり、
今では国の名物と言われるようになっていた。
***
ペクチー王子と会わなくなってから数年が経ち。
私の焼き菓子の評判が、王のもとまで届いた。
そして、国を代表するお菓子となるのだった。
この功績を評して、私の家は爵位を頂いた。
それは、ペクチー王子と結婚できるほどのものだった。
「いまさら……」
私にはこんな爵位など不要に思えた。
しかし――
ペクチー王子は、婚約を納得しておらず、ずっと保留にしていたのだった。
私の爵位を得たことを知り、王子は駆けつけてきた。
「すまない。
あのときは、マドレーヌをかばうため、ああするしかなかったんだ」
真剣な表情で王子は語った。
「あのとき、側近が君の家を調べていたんだ。
これ以上関われば、君に危険が及ぶ。
そう思ったんだ」
ペクチー王子が、私をじっと見つめている。
「もう、父が反対する理由はなくなった。
マドレーヌ。
君が作ってくれた焼き菓子を食べたよ」
私が執事のおじさんに渡した焼き菓子を、王子は食べてくれていたのだ。
「あの味は、僕の好みに合わせてくれていたね。
とても美味しかったよ。
そして、懐かしかった」
冷たく突き放されたと思っていたのに。
ペクチー王子は、私が作った特別製の焼き菓子を食べてくれていた。
「甘くて楽しい気分にさせてくれた……
思い出の味。
あの味は忘れられないよ」
あのときの、幼い頃の思い出だ。
「だから僕は、父上に願ったんだ」
その言葉で、すべてを悟った。
「僕は結婚式を、あの丘で挙げようと思っていたんだ。
マドレーヌ。
君に伝えたい」
またあのときと同じようにお辞儀する。
「またこの丘で会いましょう」
「え!?」
だけど……
私には、その言葉の意味が分からなかった。
「私は、結婚式に参列するのはお断りします。
他の人と結婚する姿を見るのは辛いので……」
私の言葉に、王子が笑った。
「何を言ってるんだ。
君が僕の横に立つんだよ」
「……」
「マドレーヌ。
結婚してほしい」
悲しい涙は、喜びの涙へと変わった。
「はい!
喜んで!」
こうして、あの丘でお祭りが行われた。
花火を眺めながら、私たちは結婚式を挙げた。
丘の向こうには、遠く青い海が見える。
街の灯りは海へと続き、祭りは夜遅くまで続いた。
焼き菓子を食べながら、王子がつぶやく。
「貝殻の形が可愛いね」
その表情は、まるで子供の頃の王子のようだった。
そのとき王が尋ねた。
「その焼き菓子、名は何というのだ?」
王子は私を見て微笑んだ。
「名前はまだありません」
「ならば私が決めよう」
王がゆっくりと言った。
「この国の名物菓子!
名をマドレーヌとする」
それは、私の名前だった。
あの丘で過ごしながら食べた焼き菓子が、
思い出からお菓子という形になった気がした。
***
そして数年が過ぎた。
「またこの丘で会いましょう」
その言葉を思い出す。
海風が私の帽子を揺らした。
帽子を押さえながら、私はこの幸せを噛みしめていた。
私たちは子供と一緒に、あの丘から見えた海岸を歩いている。
「ドーン……パン、パン、パン」
あの日のように、夜空に火の花が咲き乱れる。
あの日と違うのは――
隣にいる人が、幼馴染ではなく、私の旦那さまだということ。
新しい家族と見るお祭り。
私はあの日と同じように、空を見上げた。
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