オウル・バロン
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私は生まれたときから野生にはなかった。
気がついたときには「ヒトに飼われるモノ」とされていた。
だがしかし、それはいかんともしがたいぬるい境遇、あるいは状態だったものだから、むしろいつも毅然としていた。
泰然としていた――雑然としたペットショップにあっても。
母の顔は知らない。
父の顔ももちろん知らない。
「ヒトに飼われるモノ」ではあったのだが、私はあまりに高価なものだから、ペットショップの店員たちも私が誰かにもらわれるだなんて思っていなかったらしく、だから私がもらわれてゆく際、誰もが遠慮せずに泣いてくれた、いい連中だったのだと考える――きっとそうに違いないのだろう。売られたわけだから、買われたわけだから、一概にニンゲンを「できた奴ら」だと断ずることはできないのかもしれない。それでも身の振り方が決まったのだから、それはけっして悪いこととは言えなかった。
私の、言わば栄転は喜ぶべきことなのだ。
みながそう解釈してくれると、私としてはすごく楽だ、幸せだ。
なお、私はどこからどう観察しても紳士である。
まだある程度の子どもには違いないのだが、その姿勢を崩すつもりはない。
そもそも、ジェントルたるにあたり、年齢はあまり関係がない。
ニンゲンとして生まれていたなら、私は間違いなくヨーロッパの貴族だったはずだ。
フランス語だって英語だってスペイン語だって、流暢に話したことだろう。
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私を買ったのは女性だ。
野暮ったく冴えない黒縁眼鏡をかけているもののかなり愛らしい美人さんで、ペットショップにあって鳥かごに入れられることもなく、止まり木にあった私の顔をしげしげと覗き込んできた。
一日目は帰った、二日目も、私のことを睨むように観察した挙句、三日目にもまたやってきた。
難しい顔をして、私のことを見つめてきたのである。
この女はきっと私を買うのだろう。
そんなふうに思っていると、実際その美人さんは私を指差し、店員に向かって、「これ、ください」と告げたのだった。
むぅ、これときたか。
まあ、多少癇に障ったが、怒るようなことでもなかったので、私はただ静かに、ひょっとしたら愛想を振りまくようにして「ホーホー」と鳴いた。
にこにこと目を細めていたかもしれない。
まさか購入されるとは思っていなかったから、嬉しかったのかもしれないな。
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私というフクロウを買ったくらいだから――とは思っていたものの、若く美しいニンゲンだから「アパート暮らしではないのか」くらいに思っていたのだが、そのじつ、連れてこられた先は一軒家だった――が、古い家だった、古民家と呼べるたぐいだった。
家に着くなり私は自由へと解き放たれ、ばっさばっさと羽ばたいて天井に近いところのカーテンレールに舞い下りた。
ぼろいカーテンレールである。
だからガタガタ揺れるのである。
フクロウちゃん、おいで?
おいで、おいで、おいで?
しつこく呼ばれたものだから、やむなくちゃぶ台の上に下りた。
なんだろうと考えたものだから、くりりと首をかしげる。
「せっかく来てもらったんだからね。きみに名前をあげなくちゃ」
興味のあるところである。
「なんていうのがいい?」
希望はない。
なんでもいいなと思う。
「好きなの言ってよ。なんだっていいから」
好きなの言ってよ、か。
しかし私はフクロウだからな。
自らをあらためてそう定義し、私はまた小首をかしげる。
そしたら、なぜだろう。
美人さんは目を潤ませ、あっという間にちゃぶ台に突っ伏し、わんわん泣き出してしまった。
わあん!
わぁぁぁんっ!!
ほんとうに大きな声で泣く。
いったい何があったというのだろう。
「いったい、何があったというんだ?」
……はっ。
つい、私は思ったことを口にしてしまった。
しゃべってしまったのだ、人語を。
ゆっくりと顔を上げるなり、当然、不思議そうに目をしばたいた美人さんである。
「えっ……今、きみ、しゃべったの……?」
もはや言い逃れをするつもりはない。
しゃべってしまったのはしゃべってしまったのだ。
「ああ、しゃべったぞ。私は著しく賢いからな。ヒトの言葉くらいしゃべるんだ」
「きみはただのフクロウじゃない」
「言ったぞ。私は賢いと」
するといっそう美人さんは目を潤ませて、私の前でなおいっそう、泣いたのである。
「ニンゲンの女よ、まったくどうしたというんだ?」
「人生なんて苦しいだけだよぅ! 私はもう死にたいのだよぉぉぉっ!!」
なんとも後ろ向きな女子である。
人生なんて一度きりなのだ、だったらできるだけ前を向いて生きるべきだ。
そうしないと、楽しくないだろう?
「女、おまえの名前はなんというんだ?」
「カオルコだよ。カオルコなんだ」
「漢字は?」
「漢字もわかるの?」
「ある程度はな」
「薫陶の薫に、子どもの子」
ふむ、いい名前ではないか。
高く評価してやると、いよいよ私の身体を抱きしめてきた。
胸の羽が涙で濡れるから勘弁してほしいのだが勘弁してやった。
薫子。
どうやら嫌いにはなれなさそうだ。
*****
私は始終眠たいフクロウだ。
恐らく生のほとんどを眠りの中で過ごすのだろう。
薫子との生活が始まった。
薫子はフツウの会社員だ。
比較的、朝早くに出掛けるのは通勤ラッシュを避けるためだろう。
賢明な判断、選択だ。
毎朝決まった時間に出社するのは高尚な美徳に値するくらいの尊い行動だと言える。
彼女がいない時間は――否、彼女がいる時間も一定以上暇なのだが、暇なのだから、やはり結構、寝て過ごす。
今夜も19時を過ぎた頃になって、薫子は帰宅したのである。
「ごめんね、バロン、遅くなった遅くなった」
仕事がはけるのは18時頃なのだろうから、遅くなったということはない。
――私にはバロンという名が与えられた。
オウル・バロンというわけだ、おしゃれかつ高貴であるのでとても気に入っている。
アルコールだ。
薫子は仕事を終えて家に帰ってくると、小さな缶ビールを一つだけ空ける。
毎度毎度、もう一本飲みたそうにするのだけれど「明日もあるからなぁ」と言って、一本にとどめる。
彼女の奥ゆかしく、また真面目なところだと言える、基本的に偉いのだ、薫子は。
「明日は朝一で会議なのだよぉぉぉ……」薫子は今夜もちゃぶ台に突っ伏した。「まあ、いいんだけどねぇ。会議くらいわぁ」
だったら文句を言うなという話である。
「ねぇ、バロン?」と、今度は呼びかけてきた。「きみは服とか着てみたかったりするのかな?」
なんとも謎めいた質問である。
――が、着てみたかったりするのでこくりと頷いた。
「今夜はしゃべってくれないの?」
まあ、しゃべってやってもいいが。
「しゃべってよぅ」
「わかった。いいぞ」
「やったーっ」
服は着たいぞ。
「どんな服?」
「黒いシルクハットをかぶって真紅のマントをつけたい。私は紳士だからな」
「あははははっ」と薫子は笑って。「今度、買ってきてあげる」
「いや、要らない、冗談だ」
「似合うと思うけど?」
「茶化すな」
なぜだろう。
いきなり薫子は暗い顔をして。
「ねぇ、バロン。私には恋人がいるのだよ」
「べつにおかしくはないさ。なにせおまえは――」
「美人だからな?」
「ああ、違いない」
ありがとうね。
泣きそうな顔で、薫子はそう言った。
「恋人がいたら、どうかしたのか?」
「明日、連れてくる――っていうか、来るの。バロンとは初対面」
それは言わずもがなだが――。
「イイ男なんだよ?」
だったらどうして悲しそうに笑うんだ?
「結婚したいって、思ってるんだ」
だから、だったらどうして――。
「でも、バロンがやめろって言うなら、やめとく」
私は眉間に皺を寄せた。
「どうしてだ?」
「とにかくまずは見てほしいんだ」
「それはかまわんが」
「ありがとう」
にこりと礼を述べられる理由もわからない。
気が向いたから、会ってやろうというだけなのに。
*****
翌日の夕方、薫子が恋人らしい細面の男を伴って、古民家然とした建物に帰ってきた。
私は今日も眠たいので、うとうとしていた。
薫子の恋人に興味がないと言うと嘘になるのだが、そうである以前にやはり眠かったのだ。
ぱぁんっ!!
風船が破裂したような、乾いた音が鳴り響いた。
さすがの私もびっくりして目を見開いた。
なんとまあ、男が薫子の左の頬を右手でぶったらしかった。
驚くべきことに、畳の上に崩れ落ちた薫子は何も言わない。
ぶたれた頬を押さえるだけで、何も言わない。
男が「別れてくれって言ってるだろ? どうして言うことを聞かないんだよ!!」と女のそれのようなヒステリックさで叫んだ。
薫子がぽろぽろ泣いているのが見えた。
「だって好きだから、好きなんだもん……」
「俺はおまえなんてもう要らないって言ってるだろ!!」
「でも、でも……」
たまりかねたように、男が薫子に馬乗りになった。
両の頬をまるで殴りつけるようにして張る。
「やめて? お願い、やめて?」
「うるさいうるさい、うるさい!!」
薫子、おまえは見る目がないなぁ。
こんな暴力男のどこに惚れるというんだ。
やむを得ないので、私は割って入った。
割って入るというより、男の顔を目掛けて飛び、幾度も幾度も額に爪を立ててやった。
乱暴に振り払われそうになりはしたものの、私は運動神経が良く、身軽で機敏なので、何も食らってやったりしない。
私が「帰れ」と低い声で言うと、男はおののいたように身を引き、「ひっ!」と小さく悲鳴を上げた。
元から気の小さな男なのだろう、情けない男なのだ、だから簡単に女に暴力を振るったりできるのだ。
男は明らかに慌てふためき、出て行ったのだった。
べつに気絶したわけではなく、ただただ茫然としたままの薫子。
彼女のこめかみのあたりを、私はくちばしでつついた。
薫子は仰向けのまま、ただただ目尻から涙を伝わせていた。
「ありがとう、バロンくん。ありがとうね、ありがとうね?」
礼には及ばない。
私は私がしたいように行動しただけなのだから。
「やめておけ、あんな男。おまえが好きになるような価値なんかない」
「でも、好きなんだよ?」
「好きだったの間違いじゃないのか?」
「過去形だってこと?」
「ああ、そうだ。優しかった頃の記憶にすがっているだけだ」
そうかも、しれないね……。
沈んだ声色で、薫子は言って。
「だったらさ、バロンくんが、私のカレシになってくれる?」
「ああ、かまわない。ただ、セックスはできないぞ」
薫子はきょとんとなったのち、朗らかに笑った。
そして薫子は、私の身体に両腕を巻きつけ、ぎゅっと抱きついてきた。
「きみに会えて良かった……」
ニンゲンはかくも弱いものなのか。
――まあいいさ。
薫子は私にとってかわいい存在だから、私が生きている限りは、ずっとそばにいてやろうと思う。
*****
薫子は私を左の肩に乗せて、散歩をするのを趣味とするようになった。
私の体躯は小さくない。
だから、目立つ。
特に小さな子どもには奇異の視線を向けられ、中には「フクロウだ」と指を差してくる小童もいる。
良いのだ。
都会にあるがゆえ、自らが珍しいことは百も承知なのだから。
薫子の肩に乗っていても、眠いものは眠い。
原則、目を閉じ閉じ、身を任せているだけなのである。
「ねぇねぇ、バロンくん」
「なんだ?」
「バロンくんは基本、肉食なんでしょ? そのわりには、それにこだわらないよね」
「何度も言わせるな。私は賢いフクロウだ」
「あはは。だから大好き」
「言っていろ」
それで、あの男とは別れたのか?
核心を突くつもりで、そう訊ねた。
「別れちゃったぁ」あっけらかんと、薫子は言った。「バロンくんがいなかったら、もっと引きずったように思うなぁ……」
「だったら良かった」
「心配してくれてたの?」
「主のことだからな」
「ありがとうね?」
「礼には及ばん」
私はホーホーと鳴いた。
べつに気分が良かったとかそういうわけでもないのだが、思いのほか、喉の奥からいい声が出た。
「人生は長い。焦らなくてもいいだろう」
「つくづく、紳士だね」
薫子が私の頭を撫でた。
撫でてくれた――と下手に出ておくとしよう。
木の葉と草の緑が美しい公園に入った。
しばらく進み、広場に出たところで、小さな男子が風船を手放してしまったのが見えた。
私は素早く羽ばたいた。
風船の紐をしっかりとくわえ――それから持ち主のもとに風船を届けた。
紳士たるもの、いつだって親切でなければならないのだ。
男子にだけ聞こえる小さな声で、「気をつけろよ」と告げた。
男子は目を丸くして、「お母さん、この鳥、しゃべったよ?」――。
私はにこりと目を細めるにとどめ、薫子の左肩に戻ったのだった。
今日も空は高い。
雲一つなく青い。
しかし私は闇夜のほうが好きだ。
やはりフクロウだからだろう。




