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灰色の猫と、不思議な靴《くつ》

 ある平和な国の片隅に、小さなくつの工房がありました。

 小さな工房でしたが、仕事に誇りを持った職人気質しょくにんかたぎの親方と、ユーリという見習いの少年が働いていました。

 一生懸命に親方から仕事を学ぶユーリは、いつかは自分の手で素晴らしい靴を作って、人に喜んでもらいたいと思っていました。

 彼の話し相手は、工房の隅でいつも丸まっている、気まぐれで少し生意気な、灰色の猫「ミスト」です。

 このミストは、人間の言葉を話すことができる変わった猫でした。

「ユーリ、また同じところで釘を曲げただろ。いつになったら君の腕は上達するのかな?」

 残って靴作りの練習をしているユーリを、ミストがいつものようにからかっています。

 彼が話せることは二人の秘密でした。

「うるさいなぁ。邪魔するならあっちいきなよ、ミスト」

 不貞腐れて横をむいたユーリは、窓の外がすっかり暗くなっていることに気づきました。

 窓から見える向かいの家々の窓には、甘い蜂蜜のような温かい明かりが灯り始めています。

 高台にあるお城が、まるで夜空に浮かぶ宝石箱のようにキラキラと輝いていました。

 その光の海の中で波のように揺らめくダンスの音楽が、遠く離れたユーリの耳にも聞こえてくるようでした。

 革を握る手を少し止めて。

 ユーリは日常とはかけ離れた華やかな世界に思いを巡らせました。



 お城には、リリアというかわいらしいお姫様が住んでいました。

 幼い頃に母を亡くしたリリア姫でしたが、厳格な国王である父の深い愛情に包まれて、素直で心優しい娘へと育っていました。

 そんなリリア姫には、双子の兄たちがいました。

 二人は、いつも小さな妹に意地悪をして困らせてばかりいます。

 リリア姫が大切にしている刺繍の道具を隠したり、お気に入りの絵本をわざと高い棚の上に置いたり。

 素敵なお菓子が並んだティータイムに、リリア姫の分だけをこっそり食べてしまうこともありました。

 それでもリリア姫は怒ることはなく、ただ困ったようにうつむくだけでした。



 ある日の午後。

 お城の庭でお花に水をやっていたリリア姫のところに、双子の兄たちがやってきました。

 笑みを浮かべて兄たちが言いました。

「リリア、父上がお前に新しい靴を作ってくれたそうだよ」

「城を出て街の外れにある靴工房に、直接靴を取りに行ってこいって、さ」

 リリア姫は戸惑いました。

 王様がこのようなことを命じるはずがありません。

 これは兄たちが仕組んだ意地悪だとすぐに気づきましたが、おとなしいリリアには逆らうことができませんでした。

「わかりました」

 小さな声でそう答えるのが精一杯のリリア姫は。

 兄の言葉にしたがって、たった一人で、城下街へと出かけていきました。



 賑やかな表通りをぬけて。

 人通りの少ない路地裏を、リリア姫は不安そうな足取りで進んでいました。

 煤けた壁に挟まれた古い石畳を進むと。

 路地裏の奥に、ひっそりとたたずむ靴工房を見つけました。色褪せた木製の看板には、確かに靴の絵が描かれています。

 ホッとしたのもつかの間。お店のドアには「本日休業」の札がかかっていました。



 コンコン。

 工房のドアが控えめにノックされて、ユーリとミストが顔を見合わせました。

 今日はお休みの日で、ドアには札もかけてありますし、工房にはユーリとミストしかいませんでした。

「はい、どちら様ですか?」

 とユーリがドアを開けると。

 そこには、美しい水色のドレスを着たお姫様が、少し恥ずかしそうにうつむいて立っていました。

 工房の前に立つ小さなリリア姫を見てユーリは驚きましたが。

「お姫様、ウチに何か御用ですか?」

 と丁寧に尋ねました。

 リリア姫は、顔をだしたのが少年だったので少し安心しましたが、それでも恐る恐ると。

 王様に頼まれたので舞踏会で履く靴を取りに来た、と説明しました。

 ユーリも、きっと親方だって。そんな重大な話は聞いていません。

 なにしろここは、街の片隅にある無名の小さな靴屋ですから。

 でもこれはチャンスだとも思いました。

 お城で腕を認められれば、店は有名になり親方にも恩返しができます。

「お姫様。最高の靴をお作りしますので、少しだけ待ってもらえますか?」

 ユーリの言葉に。

 リリア姫はホッとして、うなずきました。

 彼が用意した窓辺の椅子にちょこんとかけて、リリア姫は靴が出来上がるのを待つことにしました。



 天井に隠れて、その様子をのぞいていたミストが。

 隠しておいた青く光る不思議な革の切れ端を持って、降りてきました。

 それを渡すとユーリは。

「これがあれば素敵な靴が作れるぞ!」

 と張り切って靴作りにとりかかりました。

「お姫様は、どんな靴がお望みですか?」

 灰色猫のミストが話かけてきたので、リリア姫はびっくりしました。

 そして恥ずかしそうに。

「……ダンスが上手く踊れる靴が出来たら嬉しいです」

 と答えました。

 リリア姫は、ダンスだけはどうしても苦手でした。

 しかし今度の舞踏会では、初めてみんなの前で王様である父とダンスを踊らなければいけません。

 ミストがこっそりと、リリア姫に耳打ちをしました。

「パーティーに私とユーリを招待してくれるなら、ダンスが上手く踊れるようになる本物の魔法をこの靴にかけてあげますよ」

 リリア姫は瞳をキラキラとさせて、目の前にいる小さな猫の金色の瞳を見つめました。

「お約束しますから、どうか魔法をかけてください!」

 ミストは大きくうなずきました。

 そしてお尻を突き出すと、しっぽをピンと立て。

 ぐるぐるとしっぽを回しながら、不思議な魔法の言葉を唱えだしました。

 それから靴を作っているユーリにむかって、ミストが魔法の杖のようにしっぽを振ると。

 ユーリが小さな釘をひとつ打つごとに、靴はどんどんと輝いていきました。

 瞬く間に、美しい靴ができあがりました。

 その靴は、まるで夜空の星を閉じ込めたような青色の革でできており、つま先には小さな花の刺繍が施されていました。

「できました!」

 完成した靴をユーリがリリア姫に差し出すと。

「まぁ……なんて美しい靴かしら、まるで夜空を閉じ込めたみたい!」

 おとなしい姫も思わず声を上げました。

 靴にそっと足を入れてみると、青い魔法の靴は姫の足にぴったりでした。

 羽根のように軽く、靴を履いたとたん身体が自然に動き出します。

 クルクルとまるで宙を舞うように滑らかに、リリア姫は踊りだしました。

「なんて軽やかなのかしら、まるで心まで軽くなっていくよう」

 ふさいでいたリリア姫の心が踊りだすようでした。

 そしてリリア姫の中には、今までは持てなかった勇気が湧いてきました。

「リリア姫様。この靴をはいて舞踏会で踊る姿を見れば、きっとお王様も喜びますよ」

 そう言うとユーリはミストを肩に乗せて。

 リリア姫と並んで、お城まで送っていきました。



 お城では、リリア姫が戻ってこないことにヤキモキしていた双子の兄たちが、門の上で妹の帰りを待っていました。

 そこへ、リリア姫とユーリが現れたので。

「リリア、遅いぞ!」

「何やってたんだ!」

 と慌てて駆けよりました。

 か弱い妹が、すぐにねをあげてお城に戻ってくると思っていたのに、なかなか帰ってこないので心配していたのです。

 その妹が道案内の少年まで連れて、足元には輝くような青い靴をはいています。

「なんだよ、その靴」

「そんなのはいてなかっただろ!」

 怒ったように問いつめる二人の後から。

「無事に戻ったか、よかった」

 と王様が現れました。

 門番から話を聞いた王様も、リリア姫を心配していたのです。

「リリア、一体どうしたというのだ」

 リリア姫は父の前で、ユーリが作ってくれた素敵な靴のこと。そして兄たちの言葉を、正直に話しました。

 双子の兄たちは自分たちの企みがバレてしまい、顔を真っ青にしてその場に立ち尽くしていました。

 悪質ないたずらに怒った王様が、双子を厳しく叱ろうとすると。

「お父様。お叱りになる前に、兄たちの気持ちをちゃんと聞いてあげて下さい」

 とリリア姫が言いました。

 双子の兄たちは王様の顔をみると、泣きだしました。

 母がいなくなってからの王様は、二人を立派な大人にするために厳しくなりました。なのに妹だけは変わらずに大事にされていたので悔しかったと、うったえました。

 これを聞いた王様は反省して。

 母親がいた時のように、時々は厳しくとも普段は優しい父親に戻ると約束しました。

 すると双子のリリア姫への意地悪は、ピタッとなくなりました。



 舞踏会の夜。

 ユーリが心を込めて作った青い靴が、リリア姫の足元で、夜空の星々のように繊細な光を放っていました。

 魔法の靴を履いて踊るリリア姫は、誰よりもダンスが上手でした。

 楽団の奏でるワルツに合わせた軽やかなステップは、雲の上でスキップをしているようですし。王様との息を合わせた回転では、可憐な花びらが舞い落ちるかのようでした。

 そしてなにより、リリア姫自身がとても楽しそうにダンスを踊っていました。

 舞踏会場は楽しくて幸せな雰囲気に包まれていました。

 あちらこちらで楽しげな笑い声が弾け、シャンデリアの輝きが人々の衣装に反射してきらめいて、まるで宝石箱をひっくり返したかのような眩さです。

 工房でユーリが想像していた通りの華やかさでした。

 ユーリも会場の中で、楽しそうに踊るリリア姫の姿を嬉しそうに見つめていました。



 ミストは特別なテーブルで王宮の美味しい魚料理をたらふく食べて、満足そうに喉を鳴らしていました。

 このしゃべる灰色の猫は。

 実は昔、お城に仕える魔法使いの使い魔をしていた特別な猫の末裔まつえいでした。

 祖先から代々、人々を助けるための特別な魔法の力を受け継いでいましたが。その力を使うには、強い絆と、純粋に応援できる願いが必要だったのです。

 ひたむきな努力を続けてきたユーリとの絆と、リリア姫の純粋な心に触れて、ミストはその力を解放することができました。

 勿論、このことは彼だけの秘密です。



 ユーリはその後、親方にもお墨付きをもらって、お城の専属靴職人となりました。

 ユーリが仕事を学んだ靴工房は新しいお弟子さんも増えて、城下街で一番大きな靴工房になりました。

 ミストもその賢さが王様に気にいられて、お城にいつまでも住んでも良いという許可をもらい。いつでも台所で、腕利きの料理人たちが作る美味しい魚料理にありつけるようになりました。

 そしてかつてリリア姫を困らせてばかりいた双子の兄たちも。

 成長していくにつれて、互いに助けあう立派な若者となり。リリア姫の良き理解者、頼れる兄たちとなっていったのです。

 こうしてユーリとリリア姫、そして喋る灰色の猫ミストは。

 いつまでもいつまでも、楽しく幸せに暮らしました。

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