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【8】

 あの後、燈里は京介に了承の連絡を入れた。

 その際決めた待ち合わせは、燈里の会社の最寄りから近いターミナル駅のカフェ。

 移動は燈里が最も楽なので、先に着いて二人を待つつもりでいた。

 京介と千晶は、部署は違うが同じ会社の社員なので先に落ちあってから来るらしい。燈里は千晶とは面識がないのでその方が助かる。


 約束の店に入り、カウンターに並びながら一応テーブル席を見渡すがやはり二人はまだ来ていないようだ。

 飲み物を買って、二人掛けのソファ席に座る。

 合流してからどこに行くか決めようと話していたのだ。ここで三人で長居することにはならないだろう。


「燈里」

 カップも空になる頃、すぐ傍に人の立つ気配がすると同時に頭上から声が掛かる。顔を挙げると、京介と見知らぬ女性が立っていた。


「柳さん。……後藤さん?」

「ええ。この間はホントにごめんなさい。直接謝りたくて、京介に無理言って来て貰ったの」

 お洒落で華やかな、とても綺麗な人。

 一体この美しい女性のどこが、燈里より『落ちる』というのか。

 何らかの理由で彼女が気に入らなくて、燈里を利用して貶めたいだけなのではないかとさえ感じる。


「悪かったな、燈里、──っと、俺も『波多さん』て呼ぶべき?」

「後藤さんが気になさらないのなら別に。単に私はもう、この方が呼びやすいので」

 あっさり答えた燈里に、彼が苦笑する。


「なんか燈里らしいな。千晶、いやならはっきり言えよ?」

「あたしは平気よ。もう大丈夫」

 明るい笑顔の千晶に、京介も微笑んだ。

 場所を変えて夕食を取りながら話すことにして、京介がよく行くというシーフードレストランに向かった。

 少し単価は高めだがその分雰囲気も良く、だからといって高級過ぎることもない。

 カップル向けというより少人数グループで楽しむ感じだろうか。テーブルの間が広く取ってあるので会話も気を遣わずにできそうだ。


「後藤さん、全部話したんですか?」

 席につき、とりあえず最初にオーダーした品がテーブルを埋めてから、燈里は余計かとは思ったが千晶に訊いてみた。


「……ううん、だって」

「何?」

 口籠る彼女に、京介が問い掛ける。


「言った方がいいですよ」

 背中を押す燈里に、彼女はしぶしぶといった調子で口を開いた。


「京介の友達と会った時、あの、──『前の彼女より落ちたな』って言われてるの聞いて。それであたし、波多さんについ電話しちゃって」

 伏し目がちに千晶が語るのを聞きながら、いったん食事の手を止めた京介の表情が強張って行く。


「千晶、それ言ったのどんな奴だ?」

「……ピンクのストライプのシャツ着てた」

 京介にはそれだけで通じたらしい。


今野(こんの)か。……他の奴も一緒になってお前を馬鹿にしてたの?」

「ううん。たぶん三人だったと思うんだけど、その人以外は『そんなこと言うな』とか『失礼だろ』とか、止めてくれてた、わ。……でも、今日波多さんに会ったらホントに凄く綺麗で、これなら『落ちる』って言われるのもしょうがないかも──」

「後藤さん」

「千晶! そういうの止せ!」

 彼女の言葉を聞いて、燈里と京介はほぼ同時に声を上げていた。


「今野はただ、自分の彼女より燈里やお前の方が美人で悔しいんだよ。……燈里のことだって、『頭良すぎて可愛げなさそう』とか言ってたからな。他にケチつけるとこないんだろ。千晶、だからホントに気にすんな。もうアイツがいるとこには絶対連れてかないから。それとは別に、今野には文句言っとく」

「そんな事したら、京介が友達と気まずくなるんじゃ……」

「なったらどうなんだ? 俺の大事な相手を馬鹿にするような奴にどう思われたって関係ないだろ。他の奴らには別で会うから」

 料理を少しずつ口に運びながら、目の前で繰り広げられる恋人同士の会話を目と耳で追う。

 これは本当に京介なのだろうか。


 いや、本質は燈里と付き合っていた時と変わっていない。

 彼は一見したイメージよりずっと常識的で思いやりのある人間だった。

 京介が欲しいのは、確かに『美人の彼女』なのだろう。

 燈里は自分ではそうは思えないが、千晶は間違いなく『他人に自慢できる美しい恋人』だ。

 ただ、それはあくまでも一つの要素に過ぎないとも感じる。

 そしておそらく、千晶は燈里にはないものを持っている。京介にとって彼女は、一緒に居て楽しめる相手なのではないか。

 燈里では無理だった。それは単に相性の問題なのだと思う。


「柳さん、後藤さんと居て本当に楽しそうね」

 燈里の口調からも、嫌味でも何でもなく素直な感情だと伝わった筈だ。


「あー、なんかヘンなとこ見せちゃったな。……千晶、俺と結構趣味合うんだよ。女の子でホントにわかり合える相手なんて、そうそう居るわけないって最初っから気にしないで割り切ってたんだけど」

「……あたしも」

 趣味。京介の趣味とは何だろう。

 ……そんなことさえ燈里は知らない。知ろうとしたこともなかった。

 自分はいったい、恋人(京介)の何を見ていたというのか。

 彼に『飾りとしての見た目しか求められていない』なんて、恨みがましく思う資格などなかったのだとようやく気付かされた。


「どういう趣味なの?」

 率直に尋ねた燈里に、二人は顔を見合わせて同時に燈里の方を向く。


「アニメとかマンガとか。所謂『オタク』って奴」

 端的な京介の答えに燈里は戸惑い、思わず手にしたカトラリーを皿に置いてしまった。


「オ、オタク?」

「そう。……大抵そういう反応されて引かれるから、女の子にはまず話題を持ち出すのが至難の業なんだよ」

「私は引いてるわけじゃないわ。ただ、──柳さんがアニメや何かが好きなんて全然知らなかったので驚いてるだけです。オタクに偏見も持ってないし。知識もないんだけど」

 毅然と返した燈里に、京介は慌てて謝って来た。


「あ、ゴメン。そうだよな。燈里なら、もし話して『オタクなんて理解できない』と思っても、嘲笑ったりは絶対しないでそっとしといてくれるよな」

「でも私には、それ以上のことはできないから。後藤さんとならできるんでしょう?」

 また食事を再開しつつ話を続け、彼らにも食べるよう促す。


「……まー、な。俺、燈里にはひでー彼氏だったなーって」

「そんな風には思ってないわ。きっと私たちは互いに悪いところがあったのよ」

 彼が燈里の部屋に来なかったのは、自分の部屋に呼べないからだという。『オタク』部屋がバレるのが怖かった、とこれもまた初めて知った。

 それだけ心を曝け出して話せていなかった。京介も、燈里も。

 関係が破綻したおかげで、二人とも新しい相手に巡り合えた。燈里は今、樹と同じ方向を見て優しい時間を共有できている。

 そして京介は千晶と二人の世界を築けているらしい。


「波多さん。あたしもオタクってなかなかリアルでは言えなくて、もちろん同じ趣味の彼なんて夢見るのも図々しいくらいに思ってたから、なんか被害妄想強くなっちゃったのかも。失礼なこと言ってごめんね」

「いえ、もう私は気にしていませんから。……このお店、何を食べても美味しい。また来たいわ」

 敢えて話を逸らした燈里に、京介が乗ってくれる。


「そうだな、彼と来れば?」

「ええ」

 料理を食べながら、会話を続ける。彼らの趣味の話を聞きつつ、燈里は気になったことを訊いてみた。


「あの、純粋な疑問なので一般論として。……趣味の合う相手がいいのはもちろんわかるし、それなら最初から趣味の集まりで探せばいいのでは? それとも、そういうものには参加しないの?」

 京介と千晶がどうこうではないと断った上の問い掛けに、まず京介が答えてくれる。


「いや、行くことあるしそこで知り合った人と仲良くなって恋愛に発展して、ってのが理想なのかもしれないけどさ。最初からギラギラしたやつは敬遠されんだよな。だって女の子も『彼氏欲しい!』気持ちがあったとしても、第一に趣味楽しむために来てるわけじゃん? そこで女として品定めされたり狙われたり、って気持ち悪いだけだろ。場所考えろ、空気読め、って話だな」

 男の俺でも迷惑だってわかる、と彼が言うのに、千晶が同意した。


「実際、そういう人居るのよ。女漁りが目的、みたいな。で、上手く行くことはまずないんじゃないかな、今、京介が言った通り。ホント、趣味通じて自然に知り合って『結果的に』カップルになったら超ハッピーだろうけど、なかなかね」

 燈里にはまったく縁のない世界だが、聞いてみれば確かに納得だ。


「あの、それじゃ柳さんと後藤さんはたまたま同じ趣味だってわかったの? それも凄い偶然じゃない?」

「……偶然は偶然なんだけど、ちょっと違う」

 燈里が感心するのに、京介が早口で事情を話してくれた。


「どうしても欲しかった新刊の予約忘れて締め切り過ぎちゃって、いつもなら帰りにはぜってー行かない会社近くのコミック書店に寄ったんだ。問い合わせたら『キャンセル分があるから当日受け取りに来るなら』って言われて。レジ横でフィギュア付き特装版のごっついパッケージ出してもらって、並んで精算しようとしたとこで千晶とばったりよ。もう俺、会社で終わったと思ったわ」

 同じ会社、同じ本社ビルで勤務する営業企画の京介と総務の千晶は、それ以前から仕事でも多少の関わりがあり顔見知りだったらしい。


「『柳さん、特装版ですか? 凄いですね!』って通常版見せながら言ったのよ」

 京介の台詞を受けて千晶が笑う。同じ漫画の新刊を購入しようとしていたとその時わかったのだという。


「なんかもう知られちゃったらいいや、ってか相手も同類なわけだし。それで店出たあとなんとなく飯行くか~ってなって、いろいろ話したら好み似ててさぁ。──それが切っ掛け」

「なんだかそれ自体が『お話』みたいだわ」

 これもまた運命と呼べるのではないか。彼らの話に燈里はつい零してしまった。


 その流れで、彼らは漫画やアニメについてあれこれ話してくれる。

 燈里に知識や興味がなさ過ぎて、会話が成り立つかも疑問だったのだが、意外なくらい話が弾んだ。

 好きなことについて話す二人の様子は微笑ましかったし、何よりどれだけ夢中になっても彼らは決して燈里を置いて自分たちだけの世界に入ったりはしない。

 実際、燈里にはよくわからないことばかりでも、楽しそうに説明してくれている二人を見ているだけでも何故だか幸せな気分になった。


「波多さん、あの、──連絡先交換してもらえない、かな?」

 千晶が恐る恐る尋ねるのに、燈里は承諾を返す。


「ええ、もちろん。えっと、電話と通信アプリのIDでいい?」

「あ、うん。ありがとう。……前は京介のスマホこっそり見て、番号調べちゃったからさ」

 既に京介には報告済みらしいが、千晶は隣の彼の表情を窺うような素振りを見せた。


「ゴメンな、燈里。こいつ、普段はそんなことしないんだ。だから俺も全然注意してなかったし、……そんだけ追い詰められてたっていうか」

 千晶の分まで謝る京介に、彼らとの間にもともと引かれていた線が明確に濃くなった気がした。京介にとって千晶は『身内』なのだ。


「もう本当にいいのよ。だからこの話はこれでおしまいにしましょう」 

 笑顔で幕引きを図る燈里に、京介と千晶も少しぎこちない笑みを浮かべて頷いた。



    ◇  ◇  ◇

 食事を終えて店を出て、駅まで一緒に歩いたあと彼らと別れる。

 帰宅する電車の中で、燈里はとにかく樹に会いたくて堪らなくなった。

 毎週ではないが、燈里の部屋で泊まることの多い金曜の夜。しかし、今日は約束が入ったため明日の午後に変更したのだ。


《樹さん、無理なら断ってください。会いたい。今から会えない? 顔見るだけでもいいの。》

 メッセージを入力して送信する。


《いいよ。今どこ? もう家に居る?》

 珍しく素早い返信に胸が高鳴った。もう閉店後の時間だ。自宅で寛いでスマートフォンを弄ってでもいたのだろうか。


《今、電車の中。もうすぐ駅に着きます。》

 送信するなり既読マークがつき、返信メッセージが浮かぶ。


《駅に迎えに行くよ。そのまま燈里ちゃんの部屋に行こう。いいかな?》

《嬉しい。私が早かったら改札で待ってます。部屋にも来て欲しいわ。樹さんと一緒に居たい。》

《わかった。今から家出る。》


 ──早く、会いたい。


 誰よりも好きで大切な、燈里の『運命』の恋人に。


 改札を出て、人の流れから外れて待つことにする。

 時間的に、樹より燈里が先に駅に到着するのはわかっていた。しばらくして、息を切らして駅に駆け込んできた恋人。


「樹さん! そんな急がなくていいのに。暑いんだし」

「いやいや、そんな全力疾走してきたわけじゃないから。お待たせ、燈里ちゃん」

 そう言いながらも肩で息をしている彼に、愛しさが込み上げる。


「……ちょっと時間置いた方がいいんじゃない? ゆっくり帰りましょう」

 とりあえず彼の呼吸が整うのを待って、駅から燈里のマンションに向かう。


「急に悪かったわ。もう休んでたんでしょう?」

「ダラダラしてただけだから別に構わないよ。まだ寝るには早過ぎるしさ。燈里ちゃんに会えて僕も嬉しい」

 話すうちに燈里の部屋に着いた。

 中へ通して、いつものダイニングテーブルの椅子に座ってもらう。


「樹さん、コーヒー飲む? 遅いからもういらない?」

「燈里ちゃんも飲むなら貰おうかな」

「じゃあ淹れるね」

 ついでなら飲みたい、という樹に答えてキッチンで用意を始めた。


「もう暑いのにホットコーヒーなんてやめた方がよかった? アイスコーヒー切らしてるのよ、ごめんなさい。あ、氷で冷やすだけでいいならもちろんできるわ」

 コーヒーを前に二人でテーブルに着いてから、燈里は不意に気になってしまって訊いてみる。


「僕は割と年中ホット飲むなぁ。アイスも飲むよ、どっちも好き。この部屋、クーラー効いてるからホットでいいよ」

「私もホットでなきゃダメってわけじゃないから、夏はアイスも作っておくんだけど。ちょうど今朝飲み終えちゃって」

 いつの間にかもう夏。冷たいものが欲しくなる時期だ。

 次は必ずアイスコーヒーも用意しておこうと思いつつ、燈里はカップに口をつけた。


「燈里ちゃん、マメだよね」

「いちいち冷やす手間なしにいつでも飲めるから、その方が楽なのよ。……樹さん、今日はどうする? 泊まって行ける?」

 気になっていたことを訊いてみた燈里に、彼は笑顔で答えた。


「うん、そのつもり。ただ、いきなりで明日朝からは休めないから、開店準備の時間には帰らないと」

 悪いけど、と詫びる樹に、燈里の方が慌てる。


「え、それならここで寝たら休まらないんじゃない? 夜のうちに帰った方が──」

 立ち仕事なのに、ゆっくり眠れないのでは支障があるのではないか。


「一日くらい大丈夫。僕、まだ若いし。──夜、終わってすぐ帰るのってちょっとなんか、『それだけ』って感じしない?」

「樹さんがそんなこと考えてないってわかってるから私は大丈夫だけど。確かに夜中に移動するのも面倒よね」

 会いたいという気持ちが先走って考えなしの行動を取ってしまった、と反省する燈里に、彼は何でもないように告げて来た。


「近いからそれ自体はいいんだけどね。朝帰っても良ければ泊めてもらえるかな」

「もちろんよ。……樹さん、私今日はどうしても樹さんに会いたかったの。我儘言ってごめんね」

「燈里ちゃんはちょっとくらい我儘言った方がいいよ。もう少し甘えてくれてもいいと思ってる」

 優しい樹。甘えるのが上手くない燈里のことも、きちんと理解してくれている。


「……そんなこと言ったら調子に乗るわよ」

 自分で口にしながらも、簡単にそうはならないだろうとわかってはいる。ただ、いざというとき頼れる相手が傍にいてくれるのが心強い。

 伸びて来た彼の腕が、燈里の身体を抱き締める。


「そういう燈里ちゃんも見てみたいな」

 髪に唇を付けるようにして囁く樹の声。

 幸せ過ぎて涙が滲んだ。



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