【6】
数日後の金曜日。
結局、樹が店を閉めた後待ち合わせて、二人とも気に入っている洋食店に行くことにした。
会話もどこか上の空で食事を終えると、店を後にして今日はスムーズに燈里の部屋へ向かう。
食事の際にセットのコーヒーも飲んで来てはいたが、とりあえず樹の希望も確かめて燈里は二人分のコーヒーを淹れた。この程度で眠れなくなることはないし、──なっても今日は構わない。
「樹さん、先お風呂入ってよ。今用意するから」
コーヒーのカップも空になって話が途切れた時。燈里がさり気なく切り出すのに、彼は一瞬身構えた気がした。
「え? 燈里ちゃんが先入んなよ。燈里ちゃんの家だし」
「私の家だから、お客さまが先でしょ? 狭いけど、一応バストイレ別だから。ユニットってどうしても馴染めなくて」
少し逸れた話に樹が乗って来る。
「僕、ユニットバスの部屋って住んだことないなぁ。というか、一人暮らしの経験自体ないんだけど」
「私もないわ。でも、大学の友達の部屋ってたいていワンルームでユニットだったから。お風呂はともかく、トイレは借りるじゃない? ……あの、トイレットペーパーが湿る感じが何となく受け付けなくて。就職してひとり暮らしするときに条件に入れたの」
「あー。同じ空間だからそうなるのか」
会話が流れるまま、自然に燈里は風呂の湯を張りに行った。
単身用の狭いバスルームの浴槽には、待つほどもなく湯はすぐに溜まる。
設定水位に達した合図が聞こえて来て、燈里は湯を止めるのと同時に樹をバスルームに誘導した。
先日来た際に一応の案内はしていたが、風呂はもちろんトイレも使わなかったのだ。
彼が風呂を使っている間、燈里はクローゼットからパジャマを出す。
この季節、普段なら上がTシャツタイプのものを愛用しているのだが、今日は前開きボタンの半袖パジャマを選んだ。
別に何でもいいのだが、気分の問題で。
「……燈里ちゃん、あの。お願いがあるんだけど」
入浴を終えて、ベッドに腰掛けている樹のもとに歩み寄る燈里に、彼が伺いを立てて来た。最初から泊まる予定だったので、彼もパジャマ代わりのTシャツとハーフパンツを持参して来ている。
「な、なんですか?」
改まって聞こえる樹の声に、燈里も思わず畏まった返事をしたのだが。
「僕が脱がせてもいい?」
「……、……いい、よ」
想定外の台詞に思わず引きそうになりながらも、燈里はなんとか了承する。
実際、別に躊躇うようなことでもない。
むしろ「見てるから脱いで」と言われた方が嫌だ。
「わ、私、その、胸大きくない、から、あの」
ベッドの端に隣り合って腰掛け、斜めに向かい合う。伸びてきた彼の手を止めることはしないが、勝手に零れた言葉に樹は含み笑いで答えた。
「それは服着ててもわかる、っていうか、確かに大きくはないけど気にするほどじゃないだろ?」
「……樹さんもそーいうの見てるんだ」
「そりゃまあ、フツーの男だから、僕も。だけどさぁ、──あ、僕は違う! そんなことしないよ、本当に! でも、例えば『胸』で選ばれて燈里ちゃんは嬉しいの?」
「……それは、嬉しくない、わ」
正面切って訊かれて考えると、ごく当然のことに気づく。嬉しくない。全然。
同時に、どうしても拭いきれなかった緊張感も消えて行くのを感じた。
「樹さん、大好き」
燈里のパジャマのボタンを一つ一つ丁寧に外して行く樹。
水仕事で荒れて傷ついた、でも繊細な作業もこなす長いしなやかな指が動くさまを見下ろして、燈里は呟く。
「うん。僕も燈里ちゃん大好き。──愛してる」
ようやくボタンをすべて外し終えて、脱がせるのを楽しみにしていたのだろう樹は、燈里の目をじっと見て告げたあとぎゅっと抱き締めてくれた。
◇ ◇ ◇
「おはよう、燈里ちゃん」
「……おはよう。狭くて寝苦しくなかった?」
いつものベッドに、今日は一人きりではない。
身を離すほどのスペースはないので、すぐ目の前にある彼の顔を見て朝の挨拶を交わす。
「うーん、狭いのは狭いけど、耐えられないほどじゃないなぁ。でも燈里ちゃんがもっとゆったりしたいなら、えっとホテルでも行く?」
「……それはあんまり。樹さんが平気なら私はここがいいかな」
ホテルに嫌な思い出があるわけでもなかったが、やはり自分の部屋が落ち着く。
どう考えても彼の方が窮屈なのは確実なので、樹さえよければこの部屋で会いたかった。
「お腹空いちゃった。パンならすぐできるけど、ご飯もちょっと待ってくれるなら炊くわ。その間におかずも作れるし。樹さん、どっちがいい?」
「僕はどっちでも。買いに行かなくてもパンあるならそれでいいんじゃない? パン焼いてくれるだけでいいから」
特に遠慮しているようでもない樹に、「じゃあ今日はパンにする」と告げて起き上がる。
昨夜、終わった後しばらく抱き合っていて、それから交代でシャワーを浴びてパジャマを身に着けて眠ったのだ。
着替えるのは後にして、燈里はとりあえずそのまま隣のキッチンへ向かった。
新しい朝。新しいスタート。──燈里と、樹との。