はずかしくないのです
冬に入りたての頃は暖かい日が続いていたのですが、ここにきて冬らしい日が続く大阪です。
暑さ寒さも彼岸まで・・・
ほんとそうなってほしい!
と寒い時は我がままにそう思ってしまう私なのです。
春よ来い早く来い
今週もよろしくお願いいたします!
長岡京ってご存じですか?
桓武天皇が784年に平城京を捨てて?(権力者とか派閥の人員整理をしたかったのも一因とか)
794年に平安京へ移るまでの間10年間だけ都だった所のようです
現在の京都府向日市、長岡京市、大山崎町、京都市の一部にまたがる都だったようです
ようするに京都市の南側ですね
実は昨日のひな祭りの日にもライヴでこの向日市の現場へお伺いしたのですが、通り道にいつも気になる看板が上がっているのです
近畿自動車道から第二京阪道路に乗って巨椋池インターで下車して宇治川を渡り、下三栖という交差点を左折します
ちなみに右折すると伏見の酒蔵方面へ向かいます
ここから京都外環状線という道路に入り西向きに進みます
そこから暫し走ると橋に差し掛かります
そしてこの橋の名前が「羽束師橋」というのです
この橋の下は桂川が流れています
そして橋の向こう側は羽束師地区となるわけです
ここには京都府警察自動車運転免許試験場があります
ちなみに橋を渡る前に左折して進むと淀競馬場があるのです
羽束師・・・何と読むのだろう?そして地名の由来は?
ずっと思っていました
ちなみに住所としては京都市伏見区なのです
字面だけ見ると羽を束ねる職人さんと考えてしまいませんか?
なるほど、きっと貴族の狩猟用の弓矢の矢羽でも作る職人さんたちが住んでいた所なのかな?と勝手に思っていたのですが・・・
そんな安直なド・ストレートな話ではないようです
まずは読み方ですが「はづかし」だそうです
なんか恥ずかしいの?いえいえ「はずかし」ではなく「はづかし」と「つ」に濁点です
で、地名の由来は・・・この辺りは良質の土が取れることから、土器や瓦の製造をしていた技術集団が住んでいたそうで泊橿部、泥部から羽束師となったそうです
全然字が違いますがな
過去に、生まれも育ちも現在もこの伏見区民の知り合いが「私達は恥ずかしくていつも伏して見るのでねぇ・・・」なんて自虐的なキャッチフレーズを言っていたことがあったのですが、正直何のこっちゃ?と思っていたのです
で、羽束師という地名を絡めていたのね?とやっと理解したわけなのです
ちなみに、この羽束師が長岡京の東端だったようで、古い歴史があるところなのですね
もし、長岡京がそのまま継続して平安京への遷都が行われなかったとしたら、現在の町並みはどうなっていたでしょうね?
えっ?現在の羽束師あたりの様子ですか?
昔は田畑ばっかりだったようですが、今は・・・のどかですよ(笑)
平安京だったあたりの現在の京都市内とは全然雰囲気が違います
向日市の現場での演奏時はいつも羽束師の看板を見て過去に思いを馳せながら車を運転しています