触らぬ神に祟りなし
傷つくたびに流していた涙はいつの間にか消えていた。自分でも気づかないうちに暗く深い闇に飲まれていたのかもしれない。私にもきっと選択できる未来があると言い聞かせながらも前進するしかなかった。それが間違っているのか、正解かは今でも分からない。
窓から溢れる景色は一時でも私の悲しみにを癒してくれる気がした。そんなの自分の都合のいいように考えてしまう。癖になんてなって欲しくなかったのが本音。弱い自分がこの環境で生きるためにはこうやって誤魔化しながら乗り越える方法しか知らなかった。表情を見られないように微かに笑うと、通常の顔に戻していく。
「元気そうで何よりだ。最近忙しくてな」
「そうなんだ、大変だね」
この人の前では自分の考えや本音を出さないようにしている。自分が正しく、意見が違う者は叩き潰す対象に代わるから、こいつが求める弟像を崩さないように演じている。昔は納得出来なくて、よく反論していたが自分が消耗するだけで時間の無駄にしかならないと知ってからは、相手に合わすようにしている。勿論持ち上げる事も忘れない。少し持ち上げると気持ちいいのか何でもペラペラ喋ってくれるから、都合がよかった。
兄弟の関係なんて最初からない。私は兄からしたら支配下に置かれる立場の人間と決めつけ見ている。反発しても何の得にもならない。私には戦える武器がまだないからだ。自分を守る事さえも出来ていない状況だった。
「いつかお前の存在を邪魔に思う人間が出てくる。これ以上この家の親の犠牲にならなくていい。お前だけは幸せになってほしいんだ」
ボロ雑巾のように殴られ続けた子供だった私に遺言に近い言葉を遺した祖父の声が空から聞い超えてきた。幻聴かもしれない、それだけ自分が壊れ落ちた証拠でもある。周りに何れ思われようが、貴方はこいつとは違う、唯一私の事を気に留めてくれていた。例えそれが後ろめたさからくるものであったとしても——
優しい人がこの世を去り、傲慢な奴が生き残る。それは自分に対して向けた言葉でもある。生まれてきた事を否定され、何度も何度も階段から突き落とされたり、首を絞められるなんて日常。そんな毎日が当たり前で麻痺っていった私はいつしか自分の存在を自分自身で否定するようになっていた。そんな私を見て笑い続けながら、指を指す奴らは悪魔そのものだった。
そんな過去の事を思い出しながら、自慢そうに語る兄のかいわを聞いている。全て自慢だ、そして「お前とは違うからな」と嬉しそうな顔で笑ってくるのを愛想笑いで交わすしかなかった。
ピロン——
車を路肩に停めると、すぐさまスマホを確認する。
「20日ピアテレビで会議が入った」
会議と口にする兄の表情は少し固くなっている。会議と言っているが、こいつはテレビ局と普通なら関わりがないはずだ。昔の職種と父の権力の影響だろうか。どういうルートでそんな風になっているのか、分からなかった。
触らぬ神に祟り無し——
直感と雰囲気で関わってはいけないと感じた。