夢と十字架
夢は夢であって欲しい──
私は子供の頃に戻りながら、夢の隙間に埋もれていく事しか出来ない。自分に勇気があれば、現実を直視出来る視野が備わっていれば、まだマシな『人生』だったのかもしれない。自分の人生に責任を持つ事も知らなかった愚かな私は、どんどん黒く染まっていく毎日だ。
「お前は賢い子だ。大人の言葉の意味をきちんと分かっている。しかし、まだまだ甘すぎる」
「……ん」
「一般の方が聞いた『普通の会話』の中に沢山思惑が混ざっている。わかる人には分かる。気づかない人はその奥底を知る事はないんだよ」
祖父が言っている意味はなんとなく分かる。それは私がこの家で組織で生きてきた証拠なのかもしれない。全てはそれらを守るために生かされている命だとも納得しているはずだった。決められた人生、生まれた時に作られた計画書、どんな人格で、人生を歩き、どんな人と関わりを持ち、決められた人を愛する、全て確定の未来が待っているだけだった。
「最初は皆、政略結婚だった、それでもそこから愛する事も出来るのだから、人間は不思議な生き物だ」
「政略結婚?」
「お互いの家の繁栄の為に、お金の為に夫婦になるんだよ」
「ふうん」
これが当たり前だと思っていた。何も知らなかった私が知っている事は全て世間一般では通用しないような物事ばかり。自分の当たり前は世界に通用しない。だってこちらが異端者なのだから──
バチッと意識が吸い込まれていく。過去の光景をかき消すように、全てが無になり、自分さえも溶けてしまいそうで、思考がショートしていく。
──よ。
──と……ゆきと。
「……ん」
「いつまで寝てるの。また調べてたんでしょ」
「……はぁ」
目を擦りながら、ボンヤリした視界に映るのは、ユウラギの姿だった。ひょんな事から一緒に暮らす事になったのだが、朝になると叩き起こしてくる。こちらが寝不足でもお構いなしだ。
「寝起きぐらい静かにしてくれないかね」
「善意でしてあげてんのに」
「はいはい」
「めんどくさいって思ったでしょ、ひど」
こうやってじゃれあっているように見えるだろうが、私にも彼女にも人には隠している仮面がある。ここまで自分と似たもの同士の奴に出会えるなんて考えただろうか。自由になりたくて家を飛び出た先に待っていたのはこいつだった。
ある程度の過去は笑い話に出来る。だがそれより深くは、渦に飲まれて周囲が戻れなくなってしまうだろう。私が握っているものは『鍵』にまつわる事だ、その内容を軽く話すと、ユウラギは黒い笑みを見せ、見下すように言葉を吐いた。
「そんなに悪いのなら、奪われたものを取り返せばいいじゃん」
「どうやって」
「雪兎にやる気があれば手伝う手伝うよ」
差し出された手が昔の記憶と重なっていく。眩しく、自由に羽ばたけるような光を放ち。私は吸い込まれるように彼女の手を握る。
「あんたは優しすぎるのよ。それに親達が背負っているものを無理に背負う必要はないと思うよ。だってあんたは関与してないんでしょ?」
「してないよ。知ったのは成人してからだから」
「踏み込みすぎると足元すくわれるよ。使えるものは使っときゃよかったのに」
ユウラギは鍵となる名前の事を言っている。その名前は上層部が隠している情報を知る為の唯一の道具でもあった。私はそれを使う事で縛られるデメリットを感じていたので、使う事はなかったのだが。それは違法な事でも簡単に揉み消せてしまう、情報操作に使う鍵にもなる。恐ろしいものだった。一度使えば、元のレールに戻される可能性が高いと感じた私は、親族がその鍵を使った事を本人から聞き、警察の上層部の人間が表に出るはずだった情報をもみ消してくれたと笑っていた。
「お前は使わなくていいからな。権力なんて興味ないだろう?」
「そうだね」
権力は化け物に変わる、人を人と思えなくなった人を見てきたから余計に虫唾が走ったのを覚えている。私の身内の不祥事は大きなものを含めると二件あった。一つは父が生きている時に起こった。その場を収める為に現金800万円が必要となった親戚の朱雀は父に土下座をして、助かったと聞いた。父は朱雀を助ける為に800万を一日で用意し、渡したのだった。
親戚の誰一人出せないと頭を抱えていたのに、簡単に揃えた父は困ったような表情をしていた。
「セイさん、このお金は」
「使ってくれ、返すのはいつでもいいから」
「ありがとう、ありがとう」
800万は私からしたら大金だ。しかし父からしたら一部のお金でもあったのだろう。普段質素な生活をしているのに、人が助けを求めてくる時にはこうやってお金を出していた。今思えば、人を助けたいと願う父が出来る事がそれだったのかもしれない。
セイが中心になって14代目になった。祖父と父セイは周囲の人から支持をされ、神格化されていた。町長になって欲しいや議員にと選挙出馬の依頼が何十件も来たが、全て断っていた。
「どうしておじいちゃんもお父さんも断ったの?」
「そうだなぁ……これ以上人間の『汚い』部分を見たくないからだよ」
「そうなの?」
不思議がる私は首を傾げると、頭を撫でてくれた。
「お前は私達のようにはなるな。自由に生きなさい」
最初は家族で考えて制作していた『雪兎の人生計画書』を作っていたのに、私が反発ばかりしていると折れたようだった。家の事を考えると私の求める『人』としての自由は間違っているのかもしれないが、そこをきちんと認めてくれた事に安心を覚えた。
「……ありがとう」
あの時の言葉があるから今の私がいる。二人に比べて手にした情報やその裏の内容は一部しか知る事が出来なかったけど、一部を見て、完全に染まらなくてよかった思いと、それ以上にあの人達は十字架を背負いながら笑顔であるように努めてきたのだと思い知った瞬間だった。