第七話
そして今、俺は“ただの一人”となって前に進んでいる。
誰にも何も言わず、神殿を飛び出した。
教団も、信者も、全部捨てた。
そんなものは不要であると考えるに至ったからだ。
世は無常にて有為転変。一時の悦楽に意味はない。
死によってすべてが失われるのだ。
愛する者がいようとも、それはいずれ別離となる。
何もかもがいらない。
一切を捨て去ろう。
断捨離、欲にまみれた俗世よ、さようなら。
そう決心したのだ。
限界を突破した【開錠】はありとあらゆるものを開く。
ゆえに、ふと思い至り、俺は自分自身を“開いて”みた。
そして、気付いたのだ。
生あるものはいつか死に、形あるものは必ず崩れる、と。
そう、自分を開くことにより、俺は“悟りを開いた”のだ。
「ただ独り歩め、犀の角のごとく」
そして、俺は無人の荒野を行く。スキルに頼らない、真の悟りを求めて。
~ 終 ~
ふとした思い付きから、ノリと勢いだけで短編を書いてみました。
仲間を求め、孤独を味わうも、スキルの力で栄達し、でもそれも一時の事と気付く。
結局、自分の事は自分でするしかない。
孤独とは、誰も自分に関心を持っていない、そう感じる事を指します。
悩みは常に“人間関係”に起因していると言ってもいいでしょう。
一人でいる事が孤独なのではなく、周囲との繋がりを実感できないからこその孤独であり、それがいつしか苦痛へと変わるのです。
その苦痛を取り払うには、ただ独り歩む決意が必要なのです。
『悩みの原因となる対人関係から距離をとる』という意味での孤独を勧める。
その一方で、「優れた友との交流」による自己の形成を促す。
孤独を謳いながら、友を必要とする。
一見矛盾するように見えますが、ここでの『友』とは単に“友人”と言う意味合いではなく、自身を成熟へ導くものの総称です。
多種多様なな繋がりを自覚した上で、孤独と向き合う時間は貴重です。
なぜ孤独が必要なのか?
それは自分が本当は何を求めているのかを知るために必要だからです。
そのとき、学びや仕事は孤独を支えてくれるでしょう。
それもまた『友』なのですから。
そして、その道程において、あなたは真の友とであうのかも知れません。
さあ、あなたも心を開いて、自分を見つめ直してみませんか?
以上、ファンタジーに偽装した、孤独に関する哲学でした。
拝読いただき、ありがとうございました!