第3話 魔法世界その2
村に入ってしばらく歩き、郊外へ向かうと一軒のレンガ造りの家が見えてきた。
「あった、あった。変わらないなぁ。ここがお師匠様の家なんだ。師匠まだ生きてるかなぁ」
「そんなに年配の方なの?」
「いや、僕が師匠の元にいたときはまだ師匠は三十代だったかな。僕の時間感覚とかなりズレているんだけど、どうも僕がこの世界を発ってから三十年くらい時間が経ってそうなんだよね。だから今は六十歳くらいになってるんじゃないかな?」
さ、三十年!? いや、でも幽霊は歳を取らないだろうから、あり得ない話ではないのかも!?
それに何より、昴くんが言うんだ。きっと本当なんだろう。
それにしても、昴くんは一体いつから幽霊をやっているんだろうか。
私は彼のことをまだ全然知らない。きっと彼は私が聞かなければ、彼の方からは何も話してくれないだろう。
彼は私のことを気に入ってくれている。
もちろんそれは助けたお礼というのが一番なのかもしれないけど、それ以外にもきっと彼は私のどこかが好きなのだと思う。ただ、それが何かはわからない。
私はもっと彼のことを知る必要がある。
私は彼と結婚したんだ、この新婚旅行が続くうちに私は知らなきゃいけない……。
「ししょー! スバルですー!」
昴くんが大声を出しながらドンドンと木製のドアを何度も叩く。
「はーい」
少女の声と共に扉が開くと、そこにはセミロングで薄紅色の髪をした十代半ばであろう少女が一人姿を現した。
「父様にご用ですか?」
「ん? 父様? あぁ、師匠にお子さんが出来たのか」
「師匠……? 父様にお弟子さんがいたのは随分と前って聞いてますが……。あ、ちなみに子供と言っても弟子を兼ねた養子です」
「なんだ、僕と同じか。その随分と前の弟子が久しぶりに来たんだ、師匠はいま留守かな?」
昴くんが自分よりも年下っぽい子に話しかけている姿は、なんだか不思議と違和感があった。
私からしたら、昴くんが年下に感じていて、年上というイメージがなかったからかな?
部活の後輩が、年下に対して先輩面しているのに違和感を持つようなものだろうか。
「はい。今は湖の方へ釣りに行っています」
「うん、確かにちょうど絵を描くならその辺りかなーって思ってたから、ちょうどいいかな。黒江ちゃん、もうちょっと歩くけどもう精神の方は大丈夫そう?」
「さっき休ませてもらったし、もう一ヶ月も歩いてるくらいだから、数時間くらい誤差の範囲だよ」
「やったぁ!」
彼が絵を描く時に見せる笑顔はいつだって満面の笑みだ。
「あ、失礼ですけど、お二人共お洋服が少し汚れてらっしゃいますね」
そういえば亡くなった時に着ていた白のワンピースが、一ヶ月も歩いていたからか、いつの間にか黄土色に変わっていた。
あまり気にしていなかったけど、幽霊になっても服は物理的に存在したままなのか。
「折角ですし、魔法で綺麗にしておきましょうか?」
「それはありがたい。えーっと――娘さんはどんな魔法を選んだんだい?」
「ラヴェルと申します。私は父様と同じ水魔法です」
「師匠と同じ? まぁいいや。それじゃあラヴェルさん、お願いしてもいいかな」
「はいっ!」
ラヴェルと名乗った少女は、眼を瞑って集中すると、小さく呟いた。
「水よ――踊れ……」
その言葉と同時に、玄関の横に置いてあった樽に入っていた水が、まるで巨大な蛇のように形を変えて私達の方に向かって襲いかかってきた。
思わず身構えてしまったけど、巨大な水蛇は私達の頭上で弾け飛んでシャワーのように私と昴くんの全身に降り注いだ。
「きゃっ!」
思わず眼を閉じ、数秒間くらい身体に水が当たっている感覚があったが、恐る恐る眼を開けてみると、繊維の一本一本まで全て洗い流したのか、黄土色だった服はクリーニングで受け取ったばかりのような美しい白色に戻っていた。
そして、なにより数秒間は水を被っていたにもかかわらず、髪や服が全く濡れていないのだった。
「結構汚れてらっしゃったみたいですね、水球がかなり濁っていますね」
ふと目線をラヴェルちゃんの方へ向けると、彼女の頭の横にはビーチボールくらいのサイズの水球がぷかぷかと浮かんでいた。
その色は茶色と灰色の中間のような色をしていて、向こう側が見えないくらいには濁っていた。
その光景を見て、これが魔法なんだと理解せざるを得なかった。
「水を操って服を洗濯して、更に髪や服についた水分もすべて吸収して乾燥させたのかな? なかなか便利な魔法だね。僕のなんかよりも実用的だし、それに水をこれだけ操れるなら日常生活だけじゃなくて、狩りや戦闘なんかでも使えるだろう。師匠は良い弟子を持ったようだ」
「お、お褒めいただき、ありがとうございます!」
ラヴェルちゃんが目を輝かせて喜んでいる。
仮に一期一会の出会いであったとしても、相手の実力を正しく受け止めて称賛するということは、照れや勇気が出ずに出来ないことが多い。
彼はそれが出来るという時点で、彼は私よりも人付き合いが上手だということがわかる。
「よし、それじゃあ、改めて行こうか。黒江ちゃん」
「う、うん」
魔法というものを目の当たりにして、まだ飲み込めないまま私は次の目的地へ歩みを進めた。