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第三章「パオロ・ネグロポンテII」

お久しぶりですね。更新期間が開いたこともありますが、ここ数話の間は更新するたびに何か事件が、それも歴史的な事件が起きている気がします

「では今次の大火災に対する調査団は我が国の調査団を先遣隊として派遣するという方針でよろしいでしょうか」

「了承する。我が国は貴国による調査への協力を惜しまないだろう」


 市長ネグロポンテと大使ルサルカの間の会談は、二人にとって歯がゆい時間であった。この国家同士の権益が決まる場において、部外者である両名にとっては口出しのできない時間が続いたのである。


 最初の主な議題は今次の出火原因に対する調査団はどの国から派遣すべきかであった。ジェノヴィアは中立的なアルビオン帝国を中心とした国際的な調査団の編成を、ライヒはそれでは時間がかかるとしてまずは時刻からの派遣を提案した。

 結果は国力の差により圧倒的にライヒ側が有利な条件で進んだ。ネグロポンテの表情は淡々としたまま、受け答えをしていたが、その横顔には小国の悲哀が滲んでいた。


「さて、お待たせしましたね」


 ルサルカがアッテンボローらに向き直ると二人は居住まいを正す。


「まず確認ですが、我々はミスター・アッテンボローをアルトリンゲン公の私設傭兵団の、最高権限を有すると見なしていますが、こちら側の認識に誤りは?」

「ええ。私が傭兵団における全権を委任されています」

「ではライヒからの提案なのですが、これ以上の駐留は傭兵団の、ひいてはアルトリンゲン公の名誉に関わります。早期の撤退を考慮に入れていただけませんか」


 ルサルカの口から告げられた言葉に、アッテンボローは言葉を詰まらせた。彼女はネグロポンテを見る。


「当該の問題については、むしろ我が国における既得損益ではなく、バルバロスラントとライヒの権益に関わるものだ。我々はこの問題に対して口出しをすることはない」


 そうですか、とルサルカは短く言い、アッテンボローに無言の圧をかける。


「……この問題、少し持ち帰ってもいいですか」


 ルサルカは目を細めた。


「いえ、我々も結論を急ぐわけではありませんから。ただし、我々ならば明日到着する調査団の船にあなた方を同行させることは可能ですよ。ライヒもバルバロスラント同様にドワーフの国ですから、同胞には良心で接したいのです」

「分かりました。善処します」

「出航は二四日ですが、相応の用意が必要ですので二一日までに返答のほど、よろしくお願いしますね。では、本日はここまででも?」

「問題ない」


 ネグロポンテは表情を変えずに短く答えた。


「ではこれにて失礼します。今後の日程については、後日書簡にて送付しますので」


 ルサルカはそれだけ言うと立ち上がり、ネグロポンテと握手を交わしてから退室していった。


「君たちは帰らないのかね」


 ネグロポンテの口調は相変わらず重苦しいものであった。だが先ほどまでの息が詰まるような空気感はなく、そこには穏やかさすら感じられた。その手にはマッチ箱と葉巻のセットがそれぞれの手に握られていた。


「一つだけ、確認したいことがある」


 アッテンボローには確かめたいことがあった。


「なぜ繚乱の魔王、ラザール・ド・ミュラを拘禁していたのか」

 単刀直入とはまさにこの事であった。ネグロポンテの顔にも驚愕の表情が浮かんでいた。そしてそれは、同じ疑問をぶつけようとしていたアッテンボローも同様であった。

 俄に訪れた静寂の中で、箱から取り出されたマッチが膨れた指からこぼれ落ち、上等な絨毯の上で跳ね返る音が空間を満たす。アッテンボローが花の背中を押した。彼女は彼が頷くのを視界の端に捉えながら、口を開く。


「それから、あの子をさらった理由も」

「失礼、ミス……」

阮金花(グエン・キム・ホア)だ。(グエン)でいい」

「そうか、ミス・グエン。まずは非礼を詫びよう」


 ネグロポンテは葉巻をひとまず隅においた。それから仏頂面で(ホア)に臨む。かけたまえ、という声が部屋の中に響く。


「君たちは繚乱の魔王と戦ったそうじゃないか。どうだね彼は、強かったかね」

「ああ。私では到底敵わないと痛感させられた」


 ネグロポンテの肩が小刻みに震えた。震えは治まらずそれは体全体を震わすほどになり、そして決壊する。

 火山が爆発したかのような笑みであった。あまりの豹変ぶりに先ほどから唖然としてばかりのアッテンボローは元より、稀に見る舌鋒を見せた花すらも飲み込まれた。笑みに合わせて一度大きく上下した膝が机を激しく打ち、空の灰皿と葉巻は床を跳ね、マッチ箱はわずかに空いた口からマッチ棒の束を吐き出した。それから十秒ほど哄笑(こうしょう)を続けたのである。


「なにがおかしい?」


 噴火が収まるのを待ってから、(ホア)は口を開く。


「『私では到底敵わない』、同じことを聞いたよ。ラザールからね。そうか、彼は君を超克(ちょうこく)したという訳だ。喜ばしい、やはり彼は最強だったのだ。これがたまらなく嬉しい」


 彼は再び大きく哄笑した。それは見る者に空虚さを感じさせ、平時の威厳は見る影もない。


「嬉しいと同時にたまらなくおかしいね。逃した魚の大きさを、今ここで君から教えられた私が、あまりにも惨めで、あまりにも愚かしく、そしてそれがたまらなく滑稽だ」

「その口ぶりから察するに、あなたと繚乱の魔王とは親しい関係にあるようにも思えるが」

「いや。そうでもなかったらしい。彼とは気が合ったが、同志ではなかった。あるいは吹けば飛ぶような小国など、彼の眼中にはなかったのかもしれんな」


 ひとしきり笑い終えると、彼の表情はいつもの仏頂面に戻っていた。しかしその顔には疲労が随所に見られ、当初の傲岸不遜な態度も憂国の情念の重みに耐えかねて、崩れ去ってしまっていた。


「元々、部の悪い賭けだったのさ」


 ネグロポンテは自嘲気味に呟いた。一つ咳払いをする。


「君らは、この街は好きかね」


 唐突な問いかけに二人は顔を見合わせた。


「答えなくても構わん。余所者の好悪なんざ、勘定に入らん。この街が好きだ。俺だけが言える。俺たちだけが言えるんだよ」


 ネグロポンテは溢れたマッチと葉巻を拾い上げ、ナイフで先端を切り飛ばす。


「俺はこの街を守りたいだけだった」

「だから、繚乱の魔王の戦力化を目論んだのか」


 (ホア)の問いには誰も答えなかった。この場での黙秘ほど、雄弁なものはなかった。ネグロポンテの手元でマッチの火が灯る。


「彼は魔王ファルネーゼの娘に執心していてね。我々のような小国でも対等に交渉ができたよ」


 ネグロポンテの吐き出す煙が天井へと昇る。窓から指す陽射しを受けたそれは、陽の当たる白と天井付近で揺蕩う灰色に分かれていく。


「それは、おかしいだろ」


 静寂の中でアッテンボローが呟いた。ネグロポンテと花の両名の目が彼に向く。視線が交錯し、花はアッテンボローに首肯で応じた。


「ネグロポンテ市長、あなたは……いや、アンタは身勝手だ。どんな事情があれ、子供を犠牲にしていい理由がないだろ。子供の犠牲で生き残るくらいなら、死を享受するべきだ」

「ご立派な心構えだ」


 ネグロポンテの視線には明らかな侮蔑の情が現れる。


「お前のような輩はよくいるよ。正義の側に立ち、綺麗事だけを吐いていく。君たちはこの国を去るのだろう。そんな立場から、無責任に正論を吐くのは楽しいかね」


 一言毎にネグロポンテは笑みを浮かべる。だが、その目には侮蔑を通り越して怒りの炎が宿っていた。


「……そういう、理屈じゃないだろ」

「理屈だよ。大を生かすためならば、私はあらゆる犠牲を容認する」


 アッテンボローは言葉に詰まる。怒りを言葉に変化できずにただただ震えていた。


「落ち着け、アッテンボロー」


 彼の肩に手が置かれた。言うまでもなく花の手である。


「そもそもこれは負け惜しみでしかないんだ、冷静になれ」

「……ああ、悪い」


 アッテンボローは掠れた声で項垂れて、倒れ込むように椅子に身を投げた。花の手は倒れ行くアッテンボローの肩から手をかけてスルスルと滑っていく。


「アッテンボローを揶揄うのはやめてくれないか。大人気ない」

「その優しさはむしろ君の友人に刺さるものだよ、ミス・グエン」

「……忠告痛み入る」

「やはり君がいい。そこの男はつまらん。若さだけが取り柄だ。まだ、それが許される時期ではあるが」


 ネグロポンテは(ホア)の態度を冗談ととらえたのか微かに笑った。


「ミス・グエンの言うとおりだ。今のは負け惜しみに他ならん。結局我々は魔王を手に入れることが出来なかった。もはや侵攻は止められまい」


 (ホア)とアッテンボローの顔が引きつった。予測していなかったわけではない。だが実際にその言葉を前にした衝撃は軽々しく受け止められるものではない。


「フ、口が滑ってしまったな。まあこの際、亡国の戯れ言など何ら価値を持ち得ないものとしよう」


 諧謔(かいぎゃく)(ろう)するかのように、ネグロポンテは(のたま)った。


「口が滑ったついでだ。私はライヒの弾薬庫を爆破したのが君たちではないと確信している。十中八九、ライヒの自作自演だろう」

「なぜそう思う」


 ネグロポンテは心外だとでも言うように笑みを深める。


「死者一名、軽傷者十二名。ライヒ兵の被害だ。爆発の規模、そして我が街のものに対して被害が少なすぎる。その死者に関しても焼死ではなく踏みつぶされての圧死だった。大方避難中に転んだのだろう。それにだ」

「それに、なんだ?」

「あの男がそれを容認するはずがない」

 (ホア)は首筋のあたりに手を当て、目線のみを左に向けた。蘇る戦闘の情景、忌々しくすらある激情に駆られた無様な戦いぶり、最後に突きつけられた炎の赤を照り返す銃口の光沢。


「同意する」


 逡巡(しゅんじゅん)の後、首肯した。


「我々はあの女の引く糸に操られたマリオネットに過ぎなかったわけだ。少なくとも、均衡は崩された。もはや国民は繚乱の魔王の庇護に下ることを良しとしない。ライヒは今次の魔王による襲撃を口実にジェノヴィアでの影響力を強めるだろう。我が国にそれを抗し得る力はない」


 花はようやくネグロポンテの笑みの意味を理解した。諦めていたのである。


「どうだね。私とともにこの国を滅ぼす共犯者になった気分は」


 真意を理解したことを悟ったのだろうか、ネグロポンテは笑みを深めた。全てを諦めた男の宿業の深さが、彼の瞳の奥で渦巻いていた。

 花は無意識のうちに唇を舐め、それから乾いてしまっていた事に気づいた。


「それは違う」


 その声は花の背後から飛んできた。言うまでもなく、アッテンボローのものである。


「引き金を引いたのは俺だ。俺の指示だ」


 アッテンボローは憔悴していた。いつもの仏頂面が崩れ、悲痛な表情をしていた。彼女はようやくそれが理解できるほどの余裕を、これまでは持っていなかったことを実感した。

 アッテンボローに向けた意識の外で感情が渦巻く気配を花は感じ取った。


「だったら何だ、ミス・グエンには意思がある。自己満足のための部屋でやれ! この青二才が」


 それは初めてネグロポンテが表立って見せた、感情の伴った言動であった。


「だが……」


 アッテンボローはそれ以上言葉を絞り出すことはなかった。


「確かに私の意思だ。この場はそれで十分じゃないか、アッテンボロー」


 アッテンボローは、それすらも返す気力を失っているようだった。


「しかしだ。元来、その責任の所在は指導者たるあなたにあるはずだ。私たちの行動は、この国に対して何ら責任を負わない、それを失念していたとは言わない、言えないはず」


 ネグロポンテは潰れた鼻を鳴らす。


「降参だ。その通りだよ」

「それに」


 ネグロポンテの返事を聞いたかも疑わしいタイミングで花は口を開く。


「魔王で得た抑止力はすぐに瓦解する。あなたの目論みは前提から間違っていた」

「……」


 (ホア)はアッテンボローへと向き直る。件の男はうなだれたまま、そのことに気づかないでいた。


「魔王を最も追い詰めたのは私じゃなく、アッテンボローの銃撃だった。今や魔王は無敵の存在ではない」

「そんなはずはない。君たちが二人で追い詰められたのは、君たちが特別な存在だったからだ」

「それがどの程度の希少性なのか、考えた方がいい」


 ネグロポンテが口を開いたとき、ドアをノックする音が響いた。


「なんだ」


 彼は感情のままに声を荒げる。


「市長、準備のほうが整いました」


 ネグロポンテの怒気を察したのか、側近はドア越しに要件を伝えた。ネグロポンテは一つ息をつくと立ち上がり扉へと歩いていく。


「客人のお帰りだ。道を開けたまえ」


 ネグロポンテは扉の前で二人に向き直る。


「帰してしまっていいのか」

「ライヒからの要求を叶えるためには、そうする他あるまい」


 アッテンボローの問いに、ネグロポンテは平時の態度をもって答えた。二人が通るとき、ネグロポンテが小さく耳打ちした。


「君たちはここに残るのか、答えを聞かせてほしい。二日後、ここを訪れたまえ」


 そう言って、花に紙を握らせる。


「了解した。帰るぞ、アッテンボロー」


 扉を出ると、独特の臭気が花の鼻腔をつく。


「なんだこれ、薬品のにおいか」

「それだけじゃない」


 二人は部屋を出て、階段を下りていく。そこにはこの臭気の答えが広がっていた。


「重傷者はホールに並べたベッドへ運べ」

「歩ける者はこっちに並んでおけ、すでに医者は何人か手配している」


 その様子を呆然と見ていた二人の鼻を掠めるようにして、担架を運ぶ屈強な男たちが駆けていく。(ホア)は彼らに向かって指示を飛ばす男と面識があった。担架を運ぶ男たちと同じように屈強で大柄だったが自らは参加せずに命令にのみ専念している。正確に言えば、肉体労働に従事することはできなかった。その右手は包帯に覆われており、親指と三本の指が包帯に巻かれた状態で覗いていた。

 昨日、ミリアムを攫った男たち、その中でも花の目の前で短銃が暴発し、自らの指を吹き飛ばされた男だった。彼は人ごみの中に幼い子供を見つけると空いている左手でその子を抱き上げて、周囲に向けて呼びかけていた。


「何してる。早く出ようぜ」


 アッテンボローの一言で、(ホア)はふと我に返った。周囲の視線が一気に突き刺さる。彼女の脳内には先ほどネグロポンテに放った言葉がフラッシュバックする。

 私たちの行動は、この国に対して何ら責任を負わない。

 針のむしろだった。みな一様に何も言わず、二人に視線だけを投げかける。喧騒に満ちていたはずの空間が少しずつ静寂に飲まれていく。二人の背中には悪寒を伴う居心地の悪さが駆け抜ける。


「少し疲れてしまったらしい」


 花が歩き始めたのにつれて、アッテンボローも続く。まるで潮が引いていくような静寂の中で、花はくだんの男と目が合った。一秒にも満たないうちに、男は抱えていた子供の母親に声をかけられて視線は自然と外れた。

 足音と服がこすれあう音だけで満たされた空間が、少しずつ遠ざかっていく。二人が遠ざかるにつれて静寂も引いていき、ついに彼らの姿が見えなくなったとき、先ほどのもの以上の喧騒がいたるところより噴出した。

最近は特に更新期間が開いてしまって申し訳ないです。個人的には執筆をしたいのですが、スランプの期間に入ってしまったみたいで……

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