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第九話「阮金花II」

お久しぶりですね。前回の更新から二週間ぶりでしょうか。いいこと、悪いこと、いろいろあったのですがとりあえず投稿です。

(ホア)がその目を開いたのは、すでに太陽が天高く昇った時間であった。長く眠っていたというのにその深く刻まれたクマはむしろ広がっているような気がした。

もし治らなければどうすればいいんだろう。

次の魔王を殺せばいいんだろうか。

それでも最後の魔王を殺しても、この呪詛(じゅそ)が消えないのなら。

彼女はかぶりを振った。昨日の出来事はラウラたちに大きな迷惑をかけたはずだ。

ホテルの鎧戸を開く。潮のにおいに満ちた風が部屋を満たした。小さな窓に差し込む強烈なジェノヴィアの陽光は、薄暗い部屋を白く照らした。


「アッテンボロー」


彼女のつぶやきに応じるものはなかった。彼の部屋の中はずいぶんと散らかっていた。いずれも紙である。それらはたいていが風景画であり、そのいずれかは彼女も知る景色だった。


「この街の絵か」


彼女の判断は間違っていなかった。いずれも鉛筆で書かれたスケッチにはいずれも小道の行先とが書かれていた。

その中でキャンバスに未完成の絵が乗っていることに気づいた。唯一風景を描いておらず、また陰影には濃淡が付いており、その他の直線を重視したメリハリのある風景がよりもずっと絵画らしい代物であった。


「ケイウン」


左下に小さく書かれた題字らしきものを彼女は声に出す。そのキャンバスの向こうには被写体、すなわち彼女の刀が剥き身のまま置いてある。その柄の部分には、戻し方がわからなくなってしまった、すまないと几帳面な字が書いてあった。言うまでもなくアッテンボローのものである。


「あいつらしーー」


グラリと部屋が傾いた。それは外的要因ではなく、自らの平衡感覚の喪失であると気づいたのは、倒れる体が反射的に足を一歩踏み出した音を聞いてからであった。


「疲れが出たか」


彼女はひとりごち、そして机の上にあった羽ペンをインクで湿らせると、キャンバスに書かれた文字の上に二つの文字をスラスラと書き入れる。


「これでよし、と」


景雲(ケイウン)、と異国の文字で書かれたそれは妙にしっくりきて、少し得意げな調子で鼻を鳴らした。

そうして、彼女は刀を鞘の中に仕舞い込み、そして再び文字を見る。


「そういえば」


この文字はなんなのだろうか。

花は一人思案する。情報が彼女の頭の中に浮かんでは、一定以上の解像度を得る前に消えてしまう。そうして思い至ったのは彼女の刀であった。再度鞘を開いて刀身の根元を見る。


「これだ」


彼女はキャンバスの文字と、刀身の根元の文字を指でなぞった。確かに同じ文字であった。アッテンボローの絵の中には同じ部分には特に文字を書いてはいなかった。まだ未完成だからか、あるいは字の模倣(もほう)が難しかったのだろう。


「さて」


花は小さく呟いて、ホテルの部屋の戸を開ける。むろん外に出るためである。

結局彼女は哨戒をやめることはなかった。その行動は彼女の目的にそぐわないことは分かっている。今朝もあの声はやむことがない。むしろここ数年で最もひどいものだった。もはや幻聴の一種だといって差し支えないほどである。

それでもだ。誰かと話すときはその幻聴を無視できる。どれほど頭の中に響こうと、かの声は鼓膜を震わせることはなかった。


街の人々はこの小柄な獣人を見かけるたびにいたわり、あるいはねぎらった。彼女は彼らと話をする度に、もしこの人たちに、この街に牙を剝くことができるのかと自問した。昨夜のアッテンボローの言葉が彼女の思考を巡る。街の人々はまさか彼女がそんなことを考えているとは露知らず、その屈託のない笑みを彼女に向けるのだった。

概ねこの街の人々は彼女に同情的だった。密輸された短銃は時に彼らにもその凶弾を浴びせたのである。彼らはその存在を辟易しており、同時に恐れていた。昨夜の超法規的な措置が希望し、実際にそれが受理されたことからも伺える。


「ところで、少女はどうなったんだ?」


彼女が問うと、街の人々は妙な顔をした。少女とは無論、ミリアムのことである。彼らは少女のことなど誰一人として知らなかった。


「あっ」


思案する最中、彼女はある人物に会った。彼女にとってある意味一番会いたくない人物であった。

アッテンボローである。彼は大通りの絵を描いていた。部屋にあった景雲とは異なり、やはりその線は力強い実線で構成された簡素な風景画であった。彼は当初、花の存在に気付くことなく絵を描き続けていたが、隣の少女が伸びをした時、遠巻きに見つめる花をその視界の中に認めたのである。


「あっ、花ちゃんじゃん。昨日はごめんね。あたし忙しくてさ」

「いや、大丈夫だ」

「……」


アッテンボローは一瞥し、それから絵画を続行した。


「喧嘩したの?」

「俺がそれを辞めろと言ったんです」

「それって、パトロールのこと?なんでぇ、ウチのイメージアップに繋がるじゃん。実際昨日の事件も花ちゃんの人望のおかげで何もなかったんでしょう」

「……ラウラさん、それはちょっと酷でしょうよ」

「あー、そういうね。ま、大丈夫だってぇ。花ちゃんも大人なんだし。仕事になったらちゃんと切り替えられるっしょ。過干渉は嫌われるぞ」

「放任は論外ですよ。まあでも、お前がそういう風に決めたってなら俺はもう何も言わない。ラウラさんじゃないが、お前ももう大人だ。俺は忠告はした。戦場じゃ、割り切れない奴から死ぬとも言っておく」

「ああ」

「過保護だなあ」


ラウラの冷やかしを無視し、アッテンボローは作業に戻った。


「覚悟しておく」


花の言葉にアッテンボローの反応はなく、ラウラは額に手を当てた。


その日は何事もなく終わっていった。いつも通り酒場を練り歩き、時に喧嘩を仲裁する程度で、それも当事者たちが自主的に退くことで面倒ごとに発展することもなかった。

ミリアムも、アドラーも彼女の前に姿を見せることはなく、最初に彼女を見かけた店に行けば、彼女の母親の姿もなかった。彼女は焦ったが、アドラーという男が約束したのである。彼は無為な約束はしないはずだという確信が彼女の中にはあった。なにより、アッテンボローにいやな顔をされることを嫌がったのである。


ホテルの扉を開く。簡素なベッドが置かれ、ほかには小さなクローゼットがあるのみで、あとは何もない殺風景な部屋だった。

彼女は窓を開けるや否やベッドに突っ伏した。何もない一日だったというのに、彼女の神経はこれ以上ないほどに疲弊していた。気づけばあの声は昼下がりの喧騒に紛れたのか、随分と小さくなっていた。

しばらくして彼女は上体を起こした。疲労困憊ではあったが、それは精神上のものであり、肉体は未だ活力に満ちていて、彼女の心象はこれを持て余していたのである。


「風呂だ」


彼女には風呂に入るという習慣はない。なかった。元よりこの時代では、世間一般の常識として入浴は憚られるものであった。清貧を好む宗教的価値観にも由来するが、トドメとなったのは過去数百年の間に数度吹き荒れた病魔の風である。これにより不衛生な公衆浴場は一掃され、さらには入浴行為自体が病の原因と目されたためである。

固く絞ったタオルで体を拭く、その程度であり、彼女の行為は世間一般の常識であった。

しかしこの街には公衆浴場がある。ネグロポンテの趣味で、古代レムジアの風習を公金で復元したものらしい。彼女は街の人間に勧められて以降、密かに彼女自身すらも知り得ないほどにその虜となっていた。

昨日は聴取、今日は疲労のために諦めざるを得ないと感じていたが、どうせ眠れぬのならと一つ決心をしたのである。その足取りは一向に軽やかさを見せなかった今日の中では比較的浮足立っていた。


「む?」


浴場への道の途中、彼女は奇妙なものを見つけた。窓の中にラウラを認めたのである。彼女は意外にも酒場に顔を出すことはない。あったとしても、その目的は酒ではなく花にあることがほとんどで、あるいは何らかの聞き込み調査に出くわすというのが数度ほどあった。

酒自体は好きで、特にバルバロスラントの白ワインを好む。彼女の部屋に数度ほど白ワインの宅配を頼まれたことがあり、また本人から頼まれることもあった。だが公の場で飲むことはなく、一人で楽しむために買っているようで、そこから想定できる酒量もたかが知れていた。


酒場の彼女の傍らにはやはり白ワインが置かれていた。どうやら誰かと飲んでいるらしく、普段の溌溂(はつらつ)とした態度とは少し異質なものだった。相変わらずその表情は豊かで、常にうれしそうに笑う。しかしアルコールには強くないのかどこか胡乱(うろん)な目をしていた。上気(じょうき)した頬にその目でいつもの笑みを浮かべられると、どことなく背徳感のようなものが花の胸中深くに根付いた。普段の健康的な笑みの中に魔性めいた色気が介在していたのである。

ラウラがワインを飲み干すと相手に(しゃく)を頼んだ。その調子はいつもの彼女のもので、おい君、こんな美女の酌ができるんだぜ、光栄に思いなよ、といった風な言葉を相手に投げかけていることがありありと想像できた。


彼女の酌をする相手は誰なのだろう、という疑問が沸いた。アッテンボローは違うだろう。もし共に飲むとするなら、彼女は自室に招くなり、もっとプライベートの場であるはずだ。しかし彼女にはアッテンボロー以外の誰かとなると分からなくなってしまった。

彼女は人と人との交友関係が上手い。誰とでも上手くやる。無論それは彼女の実力を根拠とするのだろうが、それを除いたとしても彼女は人づきあいが上手かった。それゆえに特定の誰か、となるとアッテンボロー以外に心当たりはなかった。交友関係が広すぎるのである。


案外、地元の豪商なのかもしれないと思ったとき、相手の横顔が見えた。アッテンボローよりは背が低いがその分恰幅のいい肉体の持ち主で、そして何よりも目を引くのがその頭であった。


「アドラー?」


花は衝撃を受けた。ネグロポンテの元へ行っていたのではないのか。

アドラーはいつも通りの精悍な表情だった。見ると彼のグラスには一点の曇りもない。ラウラがボトルを手に取り、彼のグラスにワインを注ごうとすると、にべもなく断り、そして文句を垂れるラウラを放って席を立つ。最初は文句を言っていたラウラもすぐに表情を切り替えて手を振って見送る。

店の扉が開いた。花は咄嗟に建物の陰に身を隠す。なぜ隠れたのか、彼女には理解できなかった。


「すまないラウラ、また迷惑をかける」

「お前とアタシの仲だろ」


アドラーは一度手を挙げると、その後に周囲を見渡した。気づかれたかと花は理由もなく焦るが、当の本人はその素振りを見せることなく、行政区の方へと軽い足取りで歩いていく彼をいつまでも見送った。


「いけないんだぞ、覗きはー」


花は大きく肩を震わせた。振り返るとラウラが大層ゴキゲンな様子で立っていた。のだが、その調子でも気配を感じさせないところに、花は密かに戦慄(せんりつ)していた。

「アドラーとはどういう関係だ」

「え、アドラーって?」

(白を切るつもりか。いや覗かれているのを知っててそれは無理がないか)


そんな疑問を浮かべつつ、彼女は行政区の方を指さした。


「あっちへ行った男だよ」

「え、あ、あいつね。あいつのことだったのね。そうかアドラーね、なるほどね」

「アドラーは何者なんだ?」

「古い友達、かな。アドラー君は」

「酔ってるのか?」

「ううん、酔ってないよ」


けろりと答えるラウラだが、その目は明らかに据わっていた。


「帰ろう、私が送る」

「え、ああごめんね。ちょっと用事が出来てさ、一時間後の列車に乗らなきゃいけないんだよね」

「国外に行くのか」

「そ。ちょっと外野が煩くてさ。もうアッテンボローには伝えてあるから、あいつの指示に従って」

「分かった。留守は任せてくれ」

「へへ。花ちゃんも言うようになったじゃん。お姉さん、安心して任せちゃう」

「ああ」

「じゃ、アタシ準備しなくちゃだから」

「見送ろうか」

「いいよ。花ちゃん、お風呂に行くんだよね」


ラウラは花が景雲にかけたタオルを指さした。


「あ、ああ。そうだった」

「いいなあ。アタシもあいつに会わなきゃ、お風呂に入ったんだけど」

「帰ってきたら一緒に入ろう」

「よーし、俄然やる気が出てきた。約束だからね。後になってやっぱなしはダメだからね」

「当たり前だ。私も楽しみにしている」

「速攻終わらせてくるから」


ラウラは慌ただしくも駆け出していく。花はふっと笑いながら、その背中が見えなくなるまで見送った。

以前、読んでいただいた方から指摘がありまして、今回の話からルビを振らせていただくことにしました。前回までの話もすでにルビの対応はしております。正直自分のさじ加減ですし、後半はダレてルビの割合は減っていますから、もし必要だと感じたり、読めなかったら部分がありましたら誤字報告、感想、作者のツイッター(@naruo_writer)などで報告していただければと思います。誤字報告で行う場合は指定の単語を選択してルビと記載していただければと思います。低浮上勢なので反映は遅いかもしれませんが、よろしくお願いします。

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