【短編】わたしの隣には最愛の人がいる ~公衆の面前での婚約破棄は茶番か悲劇ですよ~
時刻は夜――。
王家主催の晩餐会が開かれている大広間では、大勢の貴族たちが豪華な料理に舌鼓を打ちながら談笑していた。
やがて晩餐会が宴もたけなわになった頃だ。
とある男性が大広間の中央に歩を進めると、すぐにとある女性を名指しして自分の場所まで呼び寄せる。
それを見ていたマイア・シュミナールこと私は、正直なところ「え? また?」と訝しんだ。
さすがに今日は違うわよね?
私は大広間の端にある、休憩用の椅子に座りながらその光景を見て思った。
しかし――。
「リリシア・ハイゼンブルグ、俺は君との婚約を破棄する!」
私は椅子から転げ落ちそうになった。
またしても、あの出来事が起こってしまったからである
大広間の中央であの出来事――公衆の面前での婚約破棄を強く言い放ったのは、侯爵家の長男であるリチャードさまだった。
リチャードさまは金髪碧眼で高身長の美男子だ。
ただ、噂では非常に女好きとのことらしい。
「え……い、今何と仰いました?」
一方、突然の婚約破棄を言い渡されたリリシアさんは、顔面蒼白の状態で身体を小刻みに震わせている。
リリシアさんは栗色の髪をした小柄な女性だ。
確かリチャードさまより2つ年下の15歳だったはず。
そして子爵家の長女であり、1つ年下の妹君がいたと記憶している。
「なあ、マイア」
と、私の横に座っていた幼馴染のリヒトが声を掛けてくる。
「何?」
「今月に入ってこれで何度目だと思う?」
公衆の面前で婚約破棄が行われた回数のことを言っているのだろう。
さあ、と私は小首を傾げる。
「私も全部の晩餐会に招待されているわけじゃないから分からない。う~ん……3回くらい?」
「今回を合わせると8回だ」
「8回!」
開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだった。
いくら何でも、月に8回も公衆の面前で婚約破棄をするなど狂気の沙汰である。
もちろん、1人の人間が8回も公衆の面前で婚約破棄をしているのではない。
まったく違った人物が、それぞれの場所において公衆の面前で婚約破棄を行っているのだ。
「これって何かの流行り病?」
今度は私が幼馴染であり恋人のリヒトに尋ねる。
リヒト・ジークウォルト。
私と同じ今年で17歳になる、驚くほど目鼻立ちが整っている男だ。
160センチほどの私よりも頭2つ分くらいは背が高く、騎士の名門であるジークウォルト家の長男でもあった。
しかし、名門の長男でも驕り高ぶることは一切ない。
誰に対しても分け隔てなく接し、常日頃から肉体と剣術の鍛錬を欠かさないので脱いでも凄かった。
けれども非常に着痩せするタイプなので、一見すると細身の頼りがいがなさそうな男に見えてしまうのが玉に瑕だ。
まあ、脱いだら凄いのは私1人が知っていればいいことなのだけれど……。
私は頬を少しだけ赤らめると、リヒトは真剣な表情のまま顎先を人差し指と親指で掴んで「ふむ」と唸る。
金色の髪をしている私とは違って、リヒトは東方の国から嫁いできた母君と同じ綺麗な黒髪をしていた。
加えてリチャードさまにも負けず劣らない端正な顔立ちをしているので、さも思案気な顔をするとびっくりするほど絵になる。
子供のころから一緒の私でも、ときどき心臓を鷲づかみにされそうな気持ちになるほどに。
今もそうだ。
幸いにも大広間の中央で行われている婚約破棄の光景に周囲の人たちが釘付けになっているため、大広間の端にいる私たちのことなど誰も気に留めていない。
それでよかった。
長い足を組み替えながら思案気な表情をしている今のリヒトを見れば、婚約者どころか恋人もいない令嬢たちの心を射止めてしまう危険性も大いにある。
そんなことを考えていると、リヒトは思案気な顔のまま頷いた。
「公衆の面前で婚約破棄をしたくなる流行り病か……だとしたら、貴族にしか罹患しない新たな贅沢病だな。おそらく国中の薬師や医者でも治せないだろう」
「贅沢病って……痛風や糖尿じゃないんだから」
私は口元に手を当てて小さく笑った。
本当は大笑いしたかったが、周囲には他の子息令嬢たちもいるので高笑いなどできない。
そんな私を見てリヒトは顔をほころばせた。
「だが、言い得て妙だろう? 王家が主催するような晩餐会の会場で、堂々と相手に婚約破棄を宣言するなんて病気だ。こんなことは頭のいかれた貴族にしかできないことだろうが」
「それもそうね……って、あなたもその貴族の端くれなんだけど」
「俺の家は五爵の中でも1番爵位が低い男爵にすぎん。互いの家のことも考えないで、公衆の面前で婚約破棄を宣言する馬鹿なボンボンを生むような上流貴族とは違う」
「どう違うのよ?」
「決まっているだろ。朝から晩まで闘いのことを考えている、上流貴族よりもさらに頭のいかれた下流貴族ってことさ。特に俺の実家であるジークウォルト家はそれが顕著だな」
私は黙ってリヒトの言葉に耳を傾ける。
「騎士の名門と他所では謳われているが、かの魔王軍との大戦で目を瞠るほどの戦働きをした曾祖父が論功行賞を貰って以降、生まれてくるのは欲しいものは是が非でも手に入れる戦闘狂ばかりだ……祖父を始め父上や俺も含めてな」
あいにくとリヒトの祖父とは面識はないが、父君であるグレンさまのことはよく存じている。
周囲の反対を押し切り、東方の出身であるリヒトの母君を嫁にした人物だ。
しかし、それは政治などとは一切関係なく純粋に一目惚れをしたからだと聞いている。
ただ絶世の美女だった母君に求婚する人間は後を絶たず、そこでグレンさまはその人たちに片っ端から決闘を申し込んで最終的には自分と結婚するよう動いたのも知っていた。
そういう意味では、グレンさまは欲しいモノは絶対に手に入れるお人なのだ。
私はじっとリヒトを見つめた。
「じゃあ、そんな戦闘狂の一族の嫡男であるあなたは今一番何が欲しいの?」
リヒトは「うん?」と私のほうに顔を向けた。
そして――。
「お前だよ」
リヒトはさも当然とばかりに答えた。
「俺が今一番欲しいものは、正式なマイア・シュミナールの夫という立場だ……まあ、もっと欲を言えば早くお前との間に子が欲しい」
今度こそ私の顔は真っ赤になる。
子供の頃から清廉潔白と質実剛健を地で行くような性格だったが、17になってもこういうところはまったく変わらない。
いや、今度も絶対に変わることはないだろう。
それは世界中で私が一番よく分かっている。
それにしても、とリヒトは大広間の中央を見つめながらため息を吐く。
「いつまでこんな茶番が続くんだ」
「本人たちはいたって真面目だと思うのだけれど」
私もリヒトから大広間の中央へと視線を向ける。
大広間の中央では、依然として婚約破棄が続いていた。
リチャードさまがリリシアさんに対して「君の性格が前から気にくわなかった」とか、「君よりも素敵な人を見つけた」などと婚約破棄の理由をつらつらと述べている。
リヒトは優雅に足を組み替えて「ふん」と鼻で笑った。
「だとしたら、もはや茶番を通り越して悲劇だな。そもそも、どうして公衆の面前で一方的に婚約破棄を宣言するんだ? こういうことは本人同士だけじゃなく、互いの家の当主たちや婚約を認めた教会だって絡んでくる。たとえ正当な理由があったとしても、普通は外部に恥を晒さないためにも当人たちと互いの家の当主同士で話をつけるものだろう?」
リヒトは少しだけ顔を険しくさせて早口でまくし立てる。
自分勝手な暴挙に出たリチャードさまに苛立ちを感じているからだろう。
私は何も言えずに押し黙った。
リヒトが心の中で怒っている気持ちは私にも分かる。
婚約や結婚などは当人同士だけの問題ではない。
両家の問題でもあるし、婚約を認めた教会の面子も大いに関わってくる。
それでも正当な理由――病気や怪我などで女性のほうが世継ぎの埋めない身体になったなどや、男性でも夜伽ができないほど男性としての機能がないなどの場合は婚約が解消される場合もあるという。
もちろん、そうなったとしても公にするようなことではない。
ましてや、公衆の面前で男のほうから婚約を破棄するなど愚の骨頂だった。
リチャードさまは自分の意思を他の人間に知らしめるために取ったのだろうが、少しでも家のことを考えている人間からすればリチャードさまの取った行動は悪手も悪手である。
私は家のことも考えていない馬鹿な男です、と自分から喧伝しているに等しい。
しかも婚約を破棄した理由が、相手の容姿が気にくわないや別の恋人ができたからだという。
これでは一方的に婚約を破棄されたリリシアさんが不憫すぎる。
などとリリシアさんを気の毒に思っていると、リチャードさんに呼ばれて1人の女性が大広間の中央へと肩を切って歩いていく。
「おいおい、結局こういうオチか」
リヒトはどっと肩を落とした。
その理由は1つ。
リチャードさまに呼ばれたもう1人の女性は、リリシアさんの妹君であるオリビアさんだったからだ。
私にもレミアという妹がいるが、その妹が言うにはオリビアさんはリチャードさまの母君であられる侯爵夫人のお茶会によく参加しているという。
では、なぜこんなところにリリシアさんの妹君がいるのか?
決まっている。
「リチャードさま、どうしてここに妹のオリビアが……まさか!」
私とリヒトが事の様子に呆れ返っている中、自分のことを小説の主人公か何かと勘違いしていそうなリチャードさまは「そうだ」と頷いた。
「俺は君の妹であるオリビアと新たに婚約する! 聡明で誰よりも俺のことを分かってくれる彼女こそ、俺の花嫁に相応しい女性だ!」
ざわざわと周囲が不穏な喧噪に包まれる。
一方的な婚約破棄に加えて、その婚約を破棄した相手の妹と新たに婚約を結ぶと宣言したリチャードさま。
そんなリチャードさまの隣に立ったオリビアさんは、呆然とするリリシアさんを見下した目で見ながら盛大に笑った。
「そういうわけですのよ、お姉さま。リチャードさまはもう私の恋人になったのです。今後は二度とリチャードさまには近づかないようにしてくださいね」
ハッと我に返ったリリシアさんは、遠目からでも分かるほど目尻を険しくを吊り上げた。
「……こ、この泥棒猫!」
直後、リリシアさんは悪鬼のような形相でオリビアさんに掴みかかる。
その後の展開は悲惨の一言だった。
公衆の面前で醜い言い争いが始まったのだ。
やがてリリシアさんとオリビアさんは互いの髪を引っ張り合い、そしてリチャードさまを巻き込んだ盛大な姉妹喧嘩へと発展させる。
最初こそ周囲の人間も傍観していたものの、さすがにこれ以上は殺し合いになるかもしれないと思ったのか喧嘩の仲裁に入っていく。
「戦争もあんな程度ならいいのにな……」
ぼそりとリヒトが呟いた。
「急にどうしたの?」
私が尋ねると、リヒトは一拍の間を空けたあとに言った。
「出征が決まった。来年の春だ」
どくん、と私の心臓が早鐘を打つように速まった。
出征。
それは軍隊に加わって戦争に参加することだ。
「魔王軍との交戦は沈下の一途を辿ってはいるものの、それに乗じた俺たちの国に対する異国の奴らの進撃は悪化の一方。すでに北の国境沿いでは多数の死者が出ている」
私は膝上で拳を握りしめる。
私の実家であるシュミナール家もリヒトの実家と同じ男爵家だ。
しかし、シュミナール家は騎士の名門のジークウォルト家とは違う。
家族4人と数人の使用人たちが何とか暮らしていけるだけの貧乏貴族であり、女しか生まれなかったので私か妹のどちらかが跡取りを貰わなければならなかった。
ちょうど半年前ぐらいだろうか。
親戚筋から私への婿養子の話が舞い込んできた。
相手は男爵よりも下の士爵家の次男だった。
シュミナール家は貧乏貴族だったため、男爵よりも上の爵位の家に嫁げることはほぼない。
だが、その逆の場合は大いにある。
このときもそうだった。
相手の家は士爵家といえども、シュミナール家よりも多くの資産を持っていた。
周囲から見れば、その次男が私の元へ婿養子に入ることは何らおかしいことではなかっただろう。
けれども、そこに「待った」を掛けた人物がいた。
リヒトだ。
爵位こそシュミナール家とジークウォルト家は同じ男爵だったが、国からの信頼度や周囲の評判が雲泥の差だったこともあり、本来はジークウォルト家にシュミナール家の女を嫁がせることはあり得ないはずであった。
だが、それでもリヒトは両家の当主を説得して私と婚約をしてくれたのだ。
ずっと覚えていてくれてたのよね。
私はそっと目を閉じる。
――マイア、俺は大人になったら立派な騎士になる。そして、君を必ずお嫁さんにする
――うん、私も将来は絶対にリヒトのお嫁さんになるね
ふと脳裏によぎったのは、10年以上前に2人だけで交わした淡い口約束。
それが今、現実のものとなろうとしている。
しかし、そんなときにリヒトの出征が決まったという。
「正直、生きて帰れるか分からない」
私はゆっくりと目を開け、ただ「うん」とだけ答えた。
ジークウォルト家は武門の家。
国からの要請があれば戦争へ行かなくてはならない。
リヒトは私の手を握ってくる。
日々の剣術の鍛錬でリヒトの手はゴツゴツとしていた。
それでも私は不快になんてならない。
逞しくて、それでいて優しさが伝わってくる本物の男の手だった。
「なあ、マイア。ここで俺が君との婚約を破棄すると言ったらどうする?」
絞り出すような声でリヒトはそう言った。
私は取り乱さなかった。
リヒトの心情が痛いほど握られた手から伝わってきたからだ。
本当はそんなことを微塵も思っていないことを。
でも、私はとりあえず訊いてみた。
「私の性格が以前から気に入らなかった?」
リヒトは力強く首を左右に振る。
「そんなことあるか。君ほど俺のことを分かってくれている女性は他にいない」
「じゃあ、妹のリミアのほうを好きになった?」
「彼女を――リミアのことを君の妹以上の存在に思ったことなんて1度もない」
ごめん、知ってた。
それにリミアのほうもリヒトのことを恋愛対象として見ていない。
リミアは常日頃から自分の恋愛対象の男性は30以上だと豪語している。
では、なぜリヒトが突然にリチャードさまのような婚約破棄なんて言葉を言い出したのか?
私には何となく理由が分かってしまった。
「ねえ、リヒト。どうして急にあなたが私との婚約を破棄するなんて言ったか当てていい?」
私はぎゅっとリヒトの手を握り返す。
「怖くなったのね……自分がもしも戦争で死んでしまったあと、1人残された私のことを想像して。だから、ここで婚約を破棄しておけば、自分が死んでも私が他の誰かに気兼ねなく嫁げると思ったんでしょう?」
リヒトの表情が明らかに強張った。
こういうところは昔から何も変わらない。
自分のことよりも常に自分の大切だと思う人間のことを考えてしまう。
それはリヒトの長所であり短所だ。
「リヒト、この際だからはっきり言うわね……絶対に嫌よ」
私はきっぱりと断言した。
「あなたが何と言おうと、私はあなたとの婚約は破棄しないしさせない。たとえあなたが戦場から帰らぬ人となっても、私――マイア・シュミナールはリヒト・ジークウォルトの妻であることをここに誓います」
だから、と私はリヒトに微笑んだ。
「安心して騎士としてのお勤めを果たしてきて。そして絶対に生きて帰ってきてね。約束よ」
「マイア」
リヒトは人目もはばからず抱きついてきた。
微妙に身体が震えている。
「大丈夫。あなたは絶対に死なない。あなたが日頃からどれだけ鍛錬をしているのかは私が1番よく知っている。だから――」
大丈夫よ、とさらに言い聞かせようとしたときだった。
「やっぱり、俺の妻になるのは君だけだ。俺には君しかいない」
不意にリヒトは自分の顔を私の顔に近づけてくる。
それだけでリヒトが何をしようとしたのか理解してしまった。
「ちょっと待って。こんな大勢が見ている場所でなんて」
「それこそ大丈夫だ。誰も傍観者にすぎない俺たちのことなんて見ちゃいない」
事実、そうだった。
大広間の中央で繰り広げられている、公衆の面前での婚約破棄という悲劇に他の子息令嬢たちは注目していて誰も私たちのことなど眼中に入ってはいない。
「もう……今日だけよ」
やがて私とリヒトは互いの唇を重ね合わせる。
このとき、私は改めて決心した。
この先、どんなことがあろうともこの人――リヒトの愛すべき妻であろう、と。
まだ婚約の段階で正式な婚姻こそ結んでいなかったけれど、すでに私とリヒトの心は固く結ばれていた。
それは、重ねた唇から痛いほど伝わってくる。
そして脳がとろけそうな甘い感覚を味わいながら思う。
今だけはこの心地よさに身を任せよう、と――。
~Fin~
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