月曜 放課後(3)
「知ってるの?」
と、詰めよる。
「ごめんなさい、聞き耳を立てるつもりはなかったんです。朝、大谷さんたちと話しているのが聞こえてしまって」
鴎が突然勢い込んだのを自身への非難だと受け取ったのか、女子は申し訳なさそうな声で謝り頭を下げる。
実際には、同級生に尋ねてもほとんどが知らなかった万桐生の名を口にしたことへの驚き、そしてもしかしたら相手も万桐生の本を読んだことがあるのかもしれないという期待が理由なので、
「ああ、いやそんな責めてるんじゃないんだよ」
と、慌てながらその頭を上げさせる。
鴎は、そんなに取り乱していただろうか、と、恥じらいながら頭を掻いた。
「万先生のことを知ってる友達いなかったから、もしかしたら知ってるのかなと思ったらなんだか嬉しくて興奮しちゃって」
まだ不審者っぽさは抜けきらないが、女子はその答えをきいて安心したようで、強張っていた表情を和らげつつ、そうですか、と、声を出し頷く。
「私も読んだことがあります。万先生の本。去年出た『火のついた人々』も」
名前を知っているどころか、最新作まで読んでいるとは。鴎は万ファンとして長いだけに、昂る神経を自覚しながら、
「そうなんだ、じゃあもしかして万先生のファン?」
と、はしゃぐ声で尋ねる。
その鴎の様子を見てもう一度、うなずく女子に、
「面白いよね、特にこの間のはこれまでと違うタイプの主人公でさ」
「そう、ですね。あの人の本は基本的にシリーズ毎でまるで異なる主人公像ですが、今回は特に顕著でした」
「そうそう!いままの主人公でなら終わりの方でたどり着くような考え方をはじめから持ってて、物語もそれに沿った新鮮な筋書きだったよ!」
「はい。でも、結末から考えると逆算した描き方な気もしませんか。『リヒテンシュタイン』のテーマへのアンサーを書くためのような」
驚きの声と共に、確かにそうだと声を挙げ鴎は頷く。作品単体どころか、他の著作を通しての読み方についてまで語れるとは。興奮を隠せず声がうわずる。
「『リヒテンシュタイン』を単体で読むのと今回のを…」
と、続けようとしたところで、自分たちが清掃委員の仕事の最中だったのを思い出す。
黙った鴎を見た相手も気づいたようだった。
「話すだけでなく作業も進めないといけませんね」
鴎はそうだねとうなずく。そして自分がさきほどから自然と笑みを浮かべつつ会話していることに気づいた。
なんだ、と思う。案ずるより産むが易しとはこのことだ。意外な共通点を見つけてみれば、話してみるのは簡単だった。先ほどまで感じていた分厚い壁は、見かけほどの厚さでなかったようだ。
作業を再開すると、二人とも沈黙を守っていたが、気まずさは薄れていた。同じファンとして話してみたいことがたくさんあるが、まずは自分の作業に集中しようとした鴎は、しかしこれだけはいまの内に聞いておかなければ、と、思い返し、黒板に向かい合う同級生に、
「あの…」
と、声をかける。
振り向いた相手も、バインダーを抱えていたときのような堅さはない。
「どうしたんですか」
やはり向こうも緊張していたのだと思いつつ、
「僕、実はまだクラス全員の名前覚えてなくて…」
と、恐る恐る口にすると、相手はあぁという顔で
「まだ五月ですからね。六城結です。敬語は癖なので気にしないでください。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げられた。
結が気にしていない様子なことにほっとしつつ、鴎もあわてて頭を下げた。
「里見鴎です。こっちこそよろしくね」