付き人
佐國家は十世紀以上も力を持ち続けてきた古豪の“可能種”だ。四摂家すら権力の座を追われ、勢力図が目まぐるしく変化しても、祖を同じくする相楽家と共に、大家に名を連ねてきた。
地元においては並ぶ者のない不破も、佐國の前では御山の大将でしかない。だからこそ、交誼を深めるために次代当主を送り込むという佐國家からの申し出には、皆仰天し、上を下への大騒ぎとなった。
不破は京都での権力争いに大きく寄与したことはなく、これからもそれは変わらないであろう規模だ。どうして今更接触してくるのか。
純粋に交流を盛んにすることが目的なのだという意見、ただ圧力をかけているだけだという意見、不破が抱える問題を嗅ぎつけ、あわよくばパイの一部を切り取る腹積もりだという意見、それどころか、送り込んだ当主の息子に自傷でもさせて、難癖をつけて不破を潰そうとしているのだという意見。
悲観論も楽観論も、思考の停止も飛躍も散々に飛び交い、行なわれたが、哀しいことに、地方の豪族でしかない不破家では中央の情勢に関する情報が乏しく、どれも根拠に不足していた。
結局、ここで突っぱねればそれが侵略の火種になりかねないという考えは衆目の一致するところであり、不破家は佐國家に笑顔を繕って返事をすることに決めたのだ。
向こうが機嫌のいい顔を見せている内に全力を傾けて媚を売り、有用性を示す。そうしなければ一族が滅びるかもしれない。それが不破家の“可能種”たちの共通した目標と認識だった。両者の力関係は残酷なほどに明確だ。
かくして、佐國家次代当主最有力候補と目される、現当主の長男佐國源十郎を、不破家の“可能種”たちは総出で迎えたのだった。
「その源十郎殿が、お前を側に置いておきたいとおっしゃっている」
成之は畳に正座をしながら、困惑を隠せない顔で父に向かい合っていた。克幸は太い眉と角ばった顎が与える堅物そうな印象そのままの人だ。冗談を言うことは降雪よりも珍しい。
「はあ…」
かといってすぐにその言葉が飲み込めるわけでもなく、成之は返事ともいえない声を漏らした。
話を聞くのにも気乗りしないのは、座っている場所のせいだろうか。
成之はこの畳の部屋が嫌いだ。むせ返るい草の若い匂いに鼻が狂ってしまう。それに父にこの部屋へ呼びつけられて、褒められた試しがない。
「昨日二人になったところで伝えられた。次代当主同士での交流をしたいそうだ。筋は通っている、断るわけにはいかん」
「…到着してから言いだしたのでしょう。だったら断りようがあるのでは?」
父の冷めた建前に、こちらも冷めた口で答える。
事情がそれを許さないからこそ自分がここに座っていることくらい、成之にも分かっている。それでも、父の言葉を聞き流すのはあまりに虚しかった。
「病を患っているわけでもない上に、昨日お前とは顔を合わせているのだ。断りようがない」
克幸は苦々しそうに成之の言を切り捨てると、
「これは決定事項だ、期間がどの程度かははっきりしないが、お前には先方の希望通り付き人の真似をやってもらう」
「しかし…」
もちろん、成之が素直にはいと言えない大きな理由は、助けを求める源十郎を無視した記憶があるからだ。
あのあと確かめたわけではないが、ああいった仕打ちはされた側の方がよく憶えているものだ。成之が忘れていないのだから、源十郎が忘れているわけがない。
詰まった言葉をどう受け取ったのか、克幸は古傷だらけの腕を重々しい仕草で組むと、
「腹をくくるしかないのは半年前に分かっていたはずだ。お前にも一族のために働いてもらう。全員の命が掛かっていると言っても過言ではないことを忘れるな。くれぐれも粗相のないように」
それではもうだめかもしれない、と成之は思った。自分を敬おうとしなかった生意気な田舎者を懲らしめるために、源十郎はこんな要求をしたのではないだろうか。
早速引き合わされることになり、長い廊下を克幸の後ろについて歩く間、成之は床の木目を踏むごとに胃液がつくられるのを感じた。
爆弾について言いだせなかったことへのどろどろとした後悔が溢れそうだった。しかもこの爆弾は時限付きで、既に秒読みが始まっているのだ。
しかし、父がどんな顔をするのか、その眼差しにどれだけの失意、落胆が込められるかを思うと、今になって言いだす気にもなれない。向けられる不満はとっくに最低値だと思っていたが、まだまだ暗い穴が続いている。
出口の見えない思考を繰り返した成之は、青くなった顔で黙り込んだままでいることを選んだ。