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With the Wind!  作者: 肉丸 もりお
六城庵とその義兄
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鴎 その(8)

 里見(さとみ)(かもめ)がインターホンの鳴る音に体をビクつかせたのは、そわそわと体のあちこちを動かしながら、部屋で座っていた土曜の昼過ぎだった。

 机の上の置時計を見ると、約束の五分前だ。外で待っておけばよかったと後悔しながら、俊敏(しゅんびん)な動きで立ち上がると玄関へ向かう。

 すぐにドアを開けようとして、最近宛先(あてさき)間違いの配達が多かったことを思い出す。近頃は個人宅配注文がブームなのか、今年に入って二回、宛先を間違えた配達員が立っていたことがある。どちらも見覚えのない制服姿に面食らい、その経験から、まずドアスコープを覗く習慣が身についた。今回も小さなガラス窓を覗くだけ覗いてみる。


 立っていたのは(むすび)だった。


 急いでドアを開ける。一人分の距離の先にいる結と目が合った。用意していた言葉はどれもがその光景に押し流されてしまい、鴎は半開きのドアを支えたまま黙っていた。


「こんにちは」

「あ、こんにちは」


 そのままどちらも喋ることなく数秒が流れる。

 鴎はこの場合この応接で正しいのだろうかと半ばパニックになりながら、


「えっと、とりあえず、どうぞ?」

「いえ、外で結構です」


 結は小さく首を横に振る。


「そ、そっか、じゃあそこの公園でも?」

「はい」


 部屋から出て鍵を閉めるため背を向ける間に、どうにか落ち着くよう自分に言い聞かせる。


 まず謝るのだ。許してもらえるか分からない、許してほしいけれど。結果がどうであれ、恐れている場合ではない。とにかく謝罪しなければ。


 鴎がドアから離れると、結が歩きだした。あとを追いかける。


 今日結が鴎の家を訪れたのは、誘拐事件の顛末(てんまつ)について話をするためだ。


 鴎自身はまるで憶えていないのだが、どうやら自分は六城家に敵対的な勢力に誘拐(ゆうかい)され、人質として扱われたらしい。確かにその日は六城家の屋敷を出たあと気づいたら家に居た。おかしいとは感じたものの、まさかそんな目にあっていたとは思いもよらなかった。


 それを知ったのは、結から携帯で送られていた短いメッセージを見たからだ。鴎の身に起きたこと、そして事件について詳しく話したいので、休日に時間を作ってほしいという文面だった。もちろん断る理由がないので、こうして土曜日を指定して一緒に歩いている。


 鴎の住処(すみか)から近い公園までの道すがら、結は事件のあらましを話してくれた。


「じゃあ、(いおり)さんと、い、(かわり)さんが助けてくれたんだ」

「はい」


 白いパーカーに、薄い青色のジャケット姿の結が頷く。つい引き寄せられそうな視線をねじ伏せて、鴎は二人のことを考える。


 仲が悪かったことは間違いない。自分のためにそれを呑み込んで協力してくれたということか。できればまた会ってお礼を言いたかった。


 公園にたどり着くまでに、説明は大方終わっていた。しかし、鴎にとってはむしろこれからが本番だ。

 足元の細かい石がこそぎ合う音を出すのを聞きながら、二人はブランコの辺りまで歩く。小さな公園は他に誰の姿もない。あちらこちらに生えたままの雑草が(さび)れた印象を強固にする。

 会話の途切れた今しかチャンスはない。そう思い口を開こうとするが、結に先を越された。


「鴎くん」

「む、あ、はい」


 黒い瞳と向き合う前に、小さな頭が下げられる。


「今回の件は私たちに原因があります。ご迷惑をおかけしました、申し訳ありません」

「え、あ、やめてよ、そんな」


 あたふたとしながら、頭の下げ方に庵を思い出し、やはり血縁だ、と小さく思った。


「あの、今回だって僕生きてるし、その…」


 八つ当たりをしていたときと似たことを口にしている自分に気づくとトーンダウンしてしまう。結も思い出しただろうか。


「…僕の方が謝りたい、謝るべきなのは僕だから」

「どうしてですか?」


 本当に不思議そうな顔がこちらを見ていて、少し驚く。


「結に、ひどいこと言ったから。僕がガキで、自分の気持ちもコントロールできなかったから、あんな風に結を傷つけようとした」

 

 入り組んだ小道の先にある公園は、周囲を住宅に囲まれていて、話を(さえぎ)るような音は聞こえてこなかった。二人だけの空間で、鴎は自分の(あやま)ちを数える。

 一言ごとに気分が急降下し、口の中がカラカラになる。それでも、一度止めてしまえばそのまま押し黙ることを恐れて、鴎はもつれそうな舌を懸命に動かした。


「ごめんなさい」

「気にしていません」


 頭を下げる前に、もう声が聞こえていた。折った腰が止まり、「え?」と聞き返してしまう。


「ですから、気にしていないので謝らなくて結構です」

「…あの」


 許してもらえたという気がしない。つっけんどんではなかった。誰にも文句のつけようがないほど丁寧で、だからこそそれ以上会話が発展しない声だった。


「そっ、か」


 物言いは本人の言う通り怒っていないからなのか、何らかの意趣(いしゅ)返しなのか、それとも、


「私から、もう一つ謝らなければいけないことと、伝えなければいけないことがあります」

「えっと、何かな」

「私はもう鴎くんに関わることをやめます」


 時間がどろどろとした流体になって、体にこびりついたようだった。先ほどと変わらない、淡々とした言い方は、これまで聞いたどれよりも強烈に鴎を叩きのめした。視界には確かに色があっても、脳はそれを感じ取れなくなった。言葉が耳の中で響き続け、そのたびに鴎の体が端から縮んでいく。

 ショックだった。

 こんなことを告げられるのかもしれないと、想像はしていたが、あまり焦点を合わせないようにしていたことだ。考えてしまうと、押しつぶすのに十分な重みを持ちそうだったからだ。

 実際に口にされてみても、その選択は正しかったのか分からなかった。


「あのときの当てつけだとかではありません。それははっきり言っておきます。私のこの決定にあの会話はまったく影響を与えていません」


 やめようと思うではなく、やめる。考えではなく、決定。

 鴎の揺らぎとは正反対の落ち着いた、他人行儀を通り越して物に話しかける声だ。

 

「…どうして?」


 かすれ気味の情けない音で情けないことを()く。


「鴎くんは、どうして“可能種”を認識できて、そして狙われたのか分かりますか」

「どうしてって、それは、結たちと一緒にいたから」


 君の(そば)にいたから、いられたからだ。


「それだけではないんです。大谷(おおたに)茉莉(まり)との戦いで大けがを負ったとき、鴎くんの体には彼女の(むし)が埋め込まれました」


 脳の一時的な機能不全を抜きにしても、理解ができない発言だった。


「うそ」


「鴎くんが一人で大谷茉莉と話したときです。カエルがいたと言っていましたよね。多分、大谷の指示とは関係なく、カエルが攻撃してしまったんだと思います。動機はよく分かりませんが、大谷は鴎くんを助けようとしていて、そして手段がそれしかありませんでした。そのあとの戦いでも、鴎くんは死なないのが不思議なくらいの負傷をしました、でもそれは傷一つ残らず治っていた、そのことが何よりの証拠です。そもそも大谷本人の口からも聞いています」


 もう一年前のこと、自身の体験よりもむしろその()受けた説明の方が印象深い。しかし、撃ち込まれた途方もない恐怖にはくっきりとした記憶が(ひも)づいていて、それは断片的な映像として思い出せる。


 確かに、大谷と二人きりで話したあと気絶した(おぼ)えがある。だが。


「僕が、包丁(ほうちょう)で手を切ったりしてもすぐに治ったりしなかったよ」


 蟲を埋め込まれた化け物たちは、薙刀(なぎなた)で足を切り落とされても平気な顔で治していた。あれから鴎は大きな怪我こそしていないものの、小さな切り傷や()り傷は負った。それらが治る速度は当たり前の人間らしいものだった。


「そうですね、だから鴎くんは気が付かなかったんでしょう。あのカエルたちとは発現した効果が違うようです。身体能力が異常に強化されたわけでもなく、些細(ささい)な傷には反応もしない。埋め込まれた蟲の違いか、埋め込まれた側の違いか、理由ははっきりしませんが、とにかく鴎くんは、命に関わる負傷にのみ発動する再生能力と、“可能種”を認識してしまう感覚と、認識されてしまう存在感を身に着けてしまったわけです」


 ふと、あることに思い当たる。入学前の事故で思うように動かなくなったはずの足が、いつかを境に元通りになった。それは。

 事実は受け入れざるを得ない浸透力(しんとうりょく)で鴎に迫り、右足を切り離した。これは自分のものなのだろうか。

 間を置いて黒い瞳が青くなったこちらを向く。


「もうわかったでしょう」


 返事ができない鴎はただ立っているだけだ。


「鴎くんは私と一緒にいるべきでも関わるべきでもありません。さっき伝えたように、これから先は関わることを止めます。学校でも他人として接します。不快かもしれませんが卒業するまでの間だけ、我慢してください」

「……いやだ」


 思考の形を成す前に言葉が出た。それだけは受け入れられないと、半死状態だった体がその音を喉から発するためだけに起き上がる。

 眉が怪訝(けげん)そうに持ち上げられ、不審の目が向けられる。


「それこそどうしてですか」


 どうして?

 そんなことは決まっている。躊躇(ためら)っている場合ではない。


「結が好きだから」


 目が少しだけ開かれた。それに気づく余裕がないまま、鴎は続ける。

 思いを伝えるとすれば、もっと相応(ふさわ)しい場面で、相応しいムードで伝えたいと、薄ぼんやり考えていた。これでは別れ話に泣きついているようなものだ。しかし、そんなこだわりも恥じらいも、今かなぐり捨てなければいつそうするというのだ。


「そばにいたい」


 あまりに辺りが静かなので、心臓の音が体から飛び出しそうだった。そのリズムに頭を支配された鴎は、結の目を目で掴まえた。その時間は、結の心の奥底に届くのに十分な長さだと感じられたが、実際は一秒半の短さであり、結果もそれ相応だった。

 輝きも反応も見つけられないまま、黒々とした瞳が逸らされる。言葉が本質に触れたのを確かめる前に、視線は下げられてしまった。


「…そうですか」


 やがて持ち上がる。


「私はそうでもありません」


 望みとも呼べない矮小(わいしょう)な光がゆっくりと死ぬのを鴎はただ眺めた。


「それに鴎くんの気持ちと弱さは関係がありませんから、これから先は正直に言うと邪魔なんです」


 ほじくられた傷口が痛みを訴える。とっくに壊死(えし)したと思っていた。


「足のこと、黙っていてごめんなさい」


 もう一度深々と頭が下げられた。上がった顔と目が合う。


「さようなら」


 最後まで立ち入りを拒む黒色の瞳でそう告げると、結は背を向けて公園を出ていった。

 

 いつまでも立ち尽くしていないで帰らなければ。感情を俯瞰(ふかん)した声にそう告げられ、鴎も歩き去ろうとしたときには、立ちっぱなしの足が(しび)れ切っていた。神経が寄こす乱雑な刺激に、どうしてそんなに元気なのか訊いてみたくなった。

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