庵 その(7)
当主代行として過ごした時間の不甲斐なさとそれへの悔恨が、この男への心理に影響を与えたのだ。認めざるをえない事実に苦さを感じ、庵は誰にも告げることなくそれを封じ込んだ。
再び出現した代は、今も笑ったまま街を見ている。
何が楽しいのか、胸倉を掴んで聞いてみたかった。
「あんたは」
振り返った顔に、気力が失せた。別の質問をする。
「六城と伊那、どっちを選ぶんだ」
その口から聞いておきたかった。どちらもありえる。従わざるを得ない理由で、伊那の指示に従っている可能性も、寝首を搔くつもりですり寄っている可能性も。
もし、これから必死になって事態に対処しなければいけない娘たちを放っておいて、ただ楽しむためにひっかきまわしているのなら、殺すとき躊躇わないで済む。
「あの子の味方なのか」
実の父親にする質問だろうか、と小さく疑問に思う。
「…今度の修学旅行はちょうど御前評議会と被るね」
この期に及んで繰り返そうとする論点ずらしに、庵は疲れた息を吐いた。
「だから?」
「黛と佐國は静観する」
「…あ?」
代が名を挙げたのは、ここ連続、評議会上での主導権争いを繰り返している、五大家、今となっては四大家の二家だ。庵自身彼らの対応に悩まされた記憶は、強い存在感と共にまだ脳にある。
未だ貪欲に覇権を競う彼らが、”可能種”の集う御前評議会で静観するなど、これまでの活動とそれに付随する印象を真っ向から否定するのに等しい情報だった。
「ありえねえだろ」
「伊那も同じだ、貴重な“遺産”をおろそかにしたことの意味を考えてみてくれ」
情報を追加されたところで、信憑性は変わらない。皮肉でも交えてそう告げようとした庵は、浮かんだある仮定に口の動きを止めた。
代はそれに少しだけ満足気な色を見せた。
「ただ、伊那と二つの家の、態度とその根拠は同じでも、動機が少し違う。そこさえ把握しておけば評議会全体と諸族の流れが予想できるはずだ」
代は一旦そこで言葉を切る。庵は急速に組みあがり始めた考えに戸惑いながら、また要素を加えた。
それが間に合わせの外郭を備えた辺りで下げていた視線を戻す。
「答え合わせをする気はねえんだよな」
微笑が返答だった。
「何となくでも肌で感じているだろう?“可能種”に変化が訪れている。種族全体に、だ。急速に進む“命題”の研究、それに伴うパラダイムシフト、価値観の変遷。また荒れるよ、“掎角の変”を超えるかもしれない。境目は協議会だ」
発言は庵の胸中に芽生えた懸念とぶつからなかった。
楽しくはない想像だ。
思わず状況を忘れ思考に耽る庵へ、ややあってから代が声を掛けた。
「それとね、もっと早く言うつもりだったんだけど、君はさっさと帰った方が良いんじゃない?」
思考の回転に歯止めがかかり、苛立ちを目容に浮かべた庵へ、
「結ちゃんにとってはトラウマの再現じゃないかな」
数瞬後、意味を理解した体から血の引く音がした。
目で急かすと、代が鞘に入った軍刀を片手で地面に突き、“夜刻天”を起動した。