庵 その(6)
顔を逸らしたまま質問に答えない代を、卑怯者だと蔑む気も起きなかった。自分は何を期待していたのだろう、と胸中に問う。
十年で膨らんだ代への印象は、自分が一人で欠点を強調した、実態にそぐわないものだったのではないかと、そう思っていたのだろうか。
しかし、間違っていなかった。
こいつが六城ではなく、伊那だという評価も、自分だけが気づいていた特性も。
代の顔にはまだ薄笑いが張り付いている。
昔からこうだった。庵たちの父親が反対を押し切り、他家の婿養子を当主に据えてから、頭を飛び越えられたことに不満を持った周囲が、代に無情な対応をしたことは一度や二度ではない。
そんな状況でも、こいつは相貌を崩さず笑顔で対処していた。
規模に対して余りに狭い京都で、“可能種”は、延々と身内間の勢力争いをしてきた。その教育的土壌は濁り、汚れきっていて、子供たちは教えられない内から、腹芸を身に着けなければ生きていけない酷薄な世界だと知っている。
場を読まない発言を繰り返すがさつな男を演じていながら、その実、冷え切った観察眼で把握した相手の弱みをほじくり、中傷を行うような陰湿な手合いにも、代は笑顔で酒を勧めていた。彼らはいつしか、新しい当主は自分たちに気に入られようと健気な、取るに足らない若造だと判断し、油断を重ねた。
庵には分かっていた。
当主としての働きに影響しない程度であれば、軽視されることを我慢する度量も、目立たないやり方で彼らの勢力を削ぐ政治的感覚も、代は有していることが。
何より、代には他のどの“可能種”とも違う何かがあった。それは“命題”とは無関係に彼特有の能力で、姉も、姪も、誰も気づいていなかった。庵だけが気づいていた。
こいつは、感情とそれを表現する機能を完全に切り離すことができる。腹の底で哄笑しながら悲しそうに涙を流すことも、内心眠気に欠伸を噛み殺しながら、場を凍らせる怒りをぶちまけることも、混じりけのない純粋な目で相手の目を見たまま、根も葉もないうわさを吹き込むことだってできる。
初めて会ったときから、嫌うのには過剰な程の材料が揃っていたが、好感を抱けない最大の理由はそれだった。
結局庵は義兄に一度だって信頼も親愛も抱かなかった。彼が死ぬまで。