菊之丞 その(5)
通信が途絶える。
足元が揺れるのは自分の体から力が抜けているせいだと遅まきに理解し、菊之丞は目を瞑った。
「兄から僕への命令は六城家に潜入すること」
音に意味が定着しない。菊之丞は代の声を半ば聞き流しながら、死んだ仲間たちの顔を思い出していた。
「君たちはそのための捨て駒だった」
ぴくりと菊之丞の肩が動くのを、代は相変わらずの笑顔で見ていた。今の菊之丞にとって、それは神経を鷲掴まれるような感覚だった。
「僕も知らされてなかったから、事態を読めたのは君たちの電話を聞いてからだけど、間違いないね。心当たりはあるんだろう?」
沈黙は否定の意ではない。代は続ける。
「彼の“命題”も正しくは教えられてないんじゃない?六城家が大量の“遺産”を持ってることは知ってた?はっきりとはしなくてもこの二つの情報があるから他の家は六城家に手を出さないんだ。言ったろ、十人でどうこうできることじゃない」
「…黙れ」
「庵くんも言ってたけど正直君たちのやり方はあんまりお粗末で馬鹿げてるよ。どうして庵くんが車に乗るまで彼に電話で会話を続けさせないのか不思議でたまらなかった。他にも細部で粗が目立つし全体的に”掎角の変”の生き残りを軽く見てるのが伝わって来たよ。殺し合いを経験した“可能種”と戦っていいのは同じ殺し合いを経験した“可能種”だけだなんて常識なのに。上層部からは作戦について何も言われなかったのかな。まあ僕のことを知らせてない時点でこの作戦はむしろ失敗するのが筋書き通りなんだろうね」
「黙れ!」
ぺらぺらと舌を動かし続ける様に生じた反感が爆発した。
菊之丞は刀を抜き放つと、切っ先を代に向けた。
「代用品の分際で俺たちを語るな!」
代は笑みを少しだけ深めた。
「本音が出た」
代の鞘が揺れ、カチャ、と音がした。
あれは、“遺産”なのか。
本家とその他の違いはあっても、“命題”は自分たちと同じ類型のはずだ。それほど戦闘で重要ではない。
しかし、その情報も誤っている、もしくは過少なのではないか。既に信じられるものは自分だけだ。自分一人で、とにかくこの場を切り抜ければならない。
緊張が菊之丞の体を駆け巡る。いつ始まってもおかしくない殺し合いを目の前にして、なおも代は表情を崩さない。
「境界型と呼ばれる“遺産”には特定の言動を発動条件とするものが多い」
対象への侮蔑、考えられない話ではない。
菊之丞の体が強張る。境界型であれば、特別な空間に引きずり込まれる可能性が高い。今この瞬間に足元が消え失せてもおかしくはないのだ。腰を下げ、重心を落とす。
そうして硬直した菊之丞は、背後からの一撃に反応できなかった。体を鈍い衝撃が襲う。
瞬時に目の前から消え去り、菊之丞の影から現れた代は、その背中に軍刀を突き立てた。先端は皮も肉も骨も切り裂き、正確に心臓を刺し貫く。
「僕のは違うけれど」
笑いの消えた、静かに語りかけるような声だった。
胸から飛び出た銀色を見下ろしながら、菊之丞は心臓から噴き出す血の流れを感じた。