菊之丞 その(3)
誰かがゆっくりとビルを上ってくるのが、間隔を空けて響く音で分かった。
菊之丞は背後にある外付けの非常階段を振り返った。スチール製の階段は、靴が当たると一歩ごとに間延びした音を返す。
近づいている人物はそのことを意に介していないのか、足音を弱めることなく階段を踏み鳴らす。
一般人がこんな時間に屋上まで上ってくるとは考えられない。
菊之丞は抜刀しつつ、そちらに目を凝らした。
“虎伏せ”が先にこちらに来たのか。
分散した隊員が次々と通信を寄こさなくなったことからして、敵にはこちらの居場所を探る能力まである。自分がここにいることも知られているだろう。
しかし、司令官の自分まで死ねば、残る隊員たちは撤退を選ぶ。それを避けるために、戦うとしても最後にするつもりなのだと考えていたが、
頭を潰すのなら早い段階、可能であれば最初に行うべきであり、実際にそうしないことが。
予想と異なる行動への疑念を、それ以上深める余裕はなかった。思考の間隙が次第に失われ、目前に意識が向かう。
頭が見え、そして全体像が見えた。
「…あなたは」
「こんばんは」
服の色のせいで、白手袋がぽっかりと浮かんでいると錯覚する。
代は軍帽のつばに触れつつ、穏やかな笑みを浮かべた。