代 その(1)
鐘を突き壊す大声と共に、庵が横たわる“可能種”の頭を激しく蹴りつけた。それまで散々騒いでいた男は、電池が切れたように動かなくなった。
大きく傾いだ首はそのまま不自然な位置に伸び切ってしまった。身体は消えないから死んでいないはずだが、意識はとうに失われたに違いない。
目が据わった庵は、握った拳をその体の各所に打ち付けた。割れ砕ける骨が残した音は耳に長く残った。
腹いせでもしているのかと思って眺めていると、腰から巾着袋を取り出した。いっぱいに広げられた口には、猛獣のそれに似た歯が並んでいる。庵が“可能種”をそこに押し込もうとすると、袋の口より広い肩に差し掛かった辺りで歯が蠢き、噛み砕き始めた。
異様な咀嚼音が部屋を満たす。さほど時間をかけずに人一人を巾着袋に飲み込ませると、庵はもう一人の“可能種”を見た。
何が起きるのか理解した青年が、凍り付いていた体をじたばたとうごかしてもがくが、その背中に庵の拳が打ち込まれた。めり込み具合からして肺に達して押しつぶしたのだろう。動けなくなった青年を雑な仕草で殴りつけると、また巾着袋に押し込めた。
「あんたはさっさと動け」
代が返事をする前に、やすりをこすり合わせるような音が二人の耳に届いた。
「こちらC1、D4、何か問題があったか」
どうやら今どき通信機でやり取りをしていたらしい。
庵は音の方に動くと、発見した通信機を鷲掴みにした。
「おい、聞こえているのか、D4」
「何がD4だ、コールサインのつもりか?後方指揮官面の間抜け」
通信機越しに驚きの息遣いが伝わる。
「…“虎伏せ”だな」
「人質なんざもう通用しねえ、ふざけたやり方選びやがって」
指揮官らしい男は、衝撃の大きさ故か、馬鹿げた回答をした。
「…事後の策はある、屋敷に突入するまでだ」
稚拙な嘘だ、と代は断じた。そもそも人質の存在ありきで成り立つ作戦に、こんな崩壊の仕方をした後の想定があるはずがない。第一、屋敷には”渡景綱”で今すぐ戻ることができる。向こうもそれくらいは想像ができるはずだ。
相手は通信を聞いている部下のために喋っている。それがまた庵の癇に障ったのか、通信機を握る手に力が入った。
「そうかよ、だったらお前は、まだ想定内って顔してそこで精一杯次の作戦でも考えてろ、馬鹿が」
「そんなこ」
「全員ぶっ殺してやる」
通信を一方的に終えると、屈んでいた庵は立ち上がった。
「戦わないんじゃなかったの?」
「聞いてて分からなかったのか、予定変更だ」
分かっていても確認してしまったのだ。そう軽口を叩こうとした代は、庵の目を見てやめた。
目がイッちゃってるな。
「雑魚が燥ぎやがって…」
どうやら先ほどの青年の挑発は、起こさなくていい鬼を起こしたようだ。
「向こうはああ言ってたけど、人質作戦が成立しなくなった以上、君相手に兵隊を分散させるのは下策だ。屋敷じゃなくてどこかに集めるはずじゃないかな」
「バカがそれに気づくまで各個撃破で数を減らす。索敵して情報を俺に寄越しながら、鴎くんを家に届けろ」
「その後は?」
鴎を抱えて部屋から出ると、一度地面に下ろす。
「今の指揮官を捕捉か無力化」
「了解」
代は軍刀の鞘尻を地面に軽く突き立てると、“夜刻天”を起動した。
“威装”と同じ、暗がりに溶け込む色の外套が軍服の上から背中に広がる。そしてその外套から三つの影が飛び出した。
主人である代の上空を輪になって飛んでいるのは、大型犬ほどもある鴉たちだったが、濡れた質感の羽を闇夜において捉えるのは“可能種”といえども困難だった。
二、三度鳴き声を上げると、一羽を残して二羽の鴉たちは散開し、しばらくして真正面を見つめたままの代が声を上げた。
「一番近くに車に乗ったのが二人、高速道路入口周りの国道をうろうろしてるね」
代の肩に止まっていた最後の鴉が、嗄れた鳴き声と共に飛び立った。
白い“威装”を身に纏った庵は、爛々と不気味に光る瞳を前方に見据え、歩き出した。