鴎 その(7)
俯いていた顔に強烈な光が差す。鴎は空を落ちていく夕陽に顔を顰めた。電柱に光が遮られた辺りで、帰りは走るつもりだったと思い出す。リュックを背負いなおし、膝を伸ばすために手を添えようとして、止まった。
何の意味があるんだ、と頭のどこかから不貞腐れた声が聞こえる。掴まりそうになったところで振り切り、軽く屈伸をすると走り出した。
赤信号で立ち止まるたび、声はそのまま歩いてしまえと繰り返し囁く。後ろへ傾いた気分は一向に戻らない。
望みが薄いことは弁えていたつもりだったが、期待は知らず知らずのうちにどうしようもないほど膨らんでいたらしい。こんなにショックを受けると思っていなかった。
しっかりしろ、と自分自身に言い聞かせる。これ以上みっともない考えをするな。
信号が切り替わり、また走り出す。速度を緩めないのは、自分の弱さへの抵抗ではなかった。
出会ったときからずっと、力になりたいと思っていた。血を流して戦う彼女のために、自分も痛みに喘いだって構わないと。
しかし、その資格すら自分にはないことが、今日よく分かった。戦いの場所に立つ最低限の能力もない、邪魔になるだけだ。これからもこれまでと変わることなく、馬鹿みたいに突っ立っている。いや、それどころか、もう関わることはないのではないか。
呼吸の間隔が段々と狭まる。肌を伝った汗がシャツに染み込んだ。
家から走って帰ることも、筋トレをすることも、無駄だとは分かっている。どれだけ磨かれた竹やりも戦闘機たちの舞う戦場に立ち入る術はない。
それでも、何もできないからといって、何もしないではいられなかった。ここでやめてしまえば、本当に彼女の傍にいられなくなると思った。
そのときだけ、鴎は自嘲気味に笑った。
結局はそこだ。近くにいていい理由が欲しかった。無力で弱っちいままの自分が戦場に近寄ることを、彼女は許してくれない。それがどうしようもなく嫌だった。
笑いは形を保てなくなり、顔が歪む。
誤魔化して捨ててしまえたらどれほど楽だろうか。蓋をした気になってしまえば一生後悔すると分かっているから、自分の気持ちまで笑って捨ててしまうことは許せない。
誰かの力になりたいなんて今まで思ったことはなかった。何にもできないことが、それが分かってしまうことが、こんなに悔しくて情けないなんて。
息が上がり、肺が窮屈だと叫ぶ。それに負けて止まってしまうのが気に食わない。だから走ることを選んでも、ただの人の体は際限なく走り続けられるようにはできていなかった。
信号の手前で、鴎はつんのめるように止まった。息を絞り出すのも取り込むのも苦しいけれど、今はそれだけに集中したかった。
夕陽の色は敗者の色だった。鴎は自分を追う複数の視線に気づくことなく、汗と一緒に落ちた息を見つめていた。