庵 その(3)
庵と代が良好な関係を築いていれば顔を見合わせていただろう。
「それは…」
「あの、半年前のとき、庵さん、僕に“遺産”を使ったって言ってたじゃないですか。あのとき、僕、すごく目がよくなってたんです、あれもその効果なんですよね?だったら、僕の体全部にも使えませんか?」
鴎は必死に口を動かす。
「“遺産”って適性があるんですよね?だったらあの“遺産”みたいに、僕にも扱えるものがありますか?それがあったら、僕も戦えますよね?」
声には縋りつくものがあり、その理由も察しがつく。
切り離す答えしか用意できない身には辛かった。しかし、ここで自分が黙っていれば、代が答えるだろう。
「…鴎くん」
喉仏が動くのが見えた。庵は淡々とした物言いになるのをできるだけ避けようとした。
「あの“遺産”は俺が使用したんだ、君の適性とは関係がない。そもそも“遺産”を扱えるのは“可能種”だけだ。それに、後天的に“可能種”なる方法を俺は知らない」
答えは庵の予想通り、鴎を落胆させた。胸のあたりまで下がった視線を、代の方に向け直す。
「僕も聞いたことがない」
即答を受けても、鴎はまだ諦めきれずもがいた。
「でも、あのときは目だけだったけど、他にも使えれば僕も戦えるんじゃないかって」
「あれは強引な金貸しだった“可能種”の“遺産”で、勝手に自分の所有物を相手へ貸し付けて取り立てる。鴎くんには俺の視力を何割か貸し付けた。だからその後目が見えなくなっただろ」
真剣な顔で話を聞く姿に、胸が小さく傷む。
「もう狙撃手はいない、いたとしても俺なら防げる。だからこれからは何かあれば俺が戦うつもりだ。鴎くんに貸し付けをしたら、その分俺が弱体化することになる。そんな必要はないんだ」
「…じゃあ」
「君が“可能種”になる方法は恐らくないし、君を戦わせることもできない」
それは鴎の最後の拠り所だったようだった。罪の宣告をうけた暗さで、返事もせずに黙っている。
「すまない」
「いいえ」
こぼれ落ちた言葉にかすれた声が応じる。何も意味のないやり取りだった。
一緒に黙り込む庵の横で、代はしばらくすると口を開いた。
「鴎くんはどうして戦いたいの?」
「その…」
「結ちゃんにまず言ってみたらどうかな」
こいつは鴎が結の不在を選んだ理由に気づいている。
直感が訴えた情報を、理性も肯定する。
「あの子はそれを望まないと思う」
代の発言に続くのは癪だが、この場合の庵はそんなことを問題にしなかった。
「彼女は君に負い目を感じている。もう“可能種”の争いには関わらせたくないと思っているはずだ」
「二回とも、僕が勝手に首を突っ込みました」
「いや、それだけじゃないんだよ、理由は」
すっかり気弱そうになった鴎がこちらを見る。
「鷗くん、近いうちに、あの子が君に大切なことを話すはずだ。君は」
その後は容易に浮かんでこない。庵は言葉を切る。
「…君はきっとショックを受けると思う、でも、最後まで聞いてやってほしい。お願いします」
庵はそう言って深々と頭を下げた。
「え?あの、庵さん」
「よく考えて答えた方がいいよ、鴎くん」
鴎は慌てふためいたが、代の静かな声に少しだけ落ち着きを取り戻す。
「あの、とにかく、頭を上げてください」
「…ああ、でも、今回ばかりはそいつの言う通りだ。聞いたあと、好きに殴ってくれて構わない」
「はあ…」
心底困った声が喉から這い出た。庵は伏せていた目を上げると、
「他には、何か聞きたいことはないか?」
「その、ありません」
「そうか」
庵は立ち上がった。
望みを絶たれた暗い顔の、その理由が分かるだけに、この場から逃れたい気持ちがまるでないとは言えない。
「車で送るよ」
「あ、その、今日は」
「歩いて帰りたい?」
「はい…」
「そうか…」
とぼとぼと肩を落として歩く背中に、玄関で声を掛ける。
「鴎くん」
振り向いた顔に言い淀むが、押し出す。
「勝手なお願いなんだけどな、話を聞いても、あの子のこと嫌いにならないでやってほしい」
鴎は今度ももの問いたげだったが、弱々しく笑った。
「あの、よく分からないけど、僕は嫌いになるなんて、そんなことしません」
少し間を置いて、
「僕の方が嫌われたと思います」
どういう意味か庵が問う前に、鴎は頭を下げて走り去った。
置いていかれた庵の後ろに、いつの間にか代が立っていた。
「まだ鷗くんに言ってなかったんだね」
「…あの子が伝えることだ。あんたは絶対に何も言うな」
「それはあの子の希望?」
「そうだ」
「そうか」
代は感想を口にせず、家の中へ戻ろうとした。
「待たせてもらうよ?」
「…好きにしろ」