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With the Wind!  作者: 肉丸 もりお
六城庵とその義兄
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庵 その(1)

 六城家の敷地は、いくつかある庭の一つをとっても尋常な大きさではない。


 子供の頃、これだけ広ければ野球もできるのではないかと思ったことをよく憶えている。そんな相手はいなかったから、子供の妄想は妄想で終わったが。


 昔のことを思い返しつつ、庭に面した部屋で、上下ジャージ姿で座っているのは六城(いおり)だった。ここ何年も、家の中でさえスーツ姿を通してきたが、去年の暮れごろからそれはやめてしまった。


 残る住人の(うち)、一人はその理由を何となく察していても、意見をするつもりはないようだった。


 今日も庵は、黒色の安っぽいジャージで畳の上に胡坐(あぐら)をかいている。真っすぐに伸びた背筋には不格好な自堕落(じだらく)さではあった。


 未だに、うろついていると踏み入ったことのない部屋を見つける広大な屋敷の中で、住人が使用する生活面積は余りに小さく、往時(おうじ)の勢いを失った六城家の実情を物語っていた。


 室外に満ちた春の陽気も、庵の堅苦しさには成す術がなく、日差しも足元までしか届いていなかった。

 どの季節とも切り離されたその空間に、砂利(じゃり)を散らす靴音が届いた。すると、畳に落としていた庵の虚ろな目に意識の光が戻った。


 庵は立ち上がり、縁側(えんがわ)沓脱石(くつぬぎいし)に置いてあったサンダルをつっかけた。


 少し歩くと、白色で飾られた梅の木が目に入る。条件反射で姉の姿を思い浮かべ、庵は唇の端を噛んだ。その木をあの男が眺めている光景は、気に食わないどころか憎々しくすらあった。


 珍しく冷めた表情を白梅の木に向けていた男は、庵が後ろに回り込んでもしばらくはそうしていた。やがて気が済んだのか、あの薄笑いを浮かべてこちらを向いた。


「切らなかったんだね」

「…当たり前だ」


 庵はのっけから突き放す言い方を選んだ。理解できない生き物に親しさを見せる程、落ち着いた気性(きしょう)の持ち主ではない。


 この男は、何のつもりでこんな質問をしているんだ。こいつにとっても亡妻との思い出のはずじゃないのか。


 せっかくの散歩でも庭くらししか歩けない、そう口にしながらも、夫と久しぶりに一緒にいられることに嬉しさを隠せていなかった姉の姿と、目の前の澄ました顔を繋げて考えたくなかった。


「何しに来た、あんた」


 包装無しの敵意を気にも留めない顔で受け流すと、伊那(いな)(かわり)は門の方に目をやった。


「まだ僕は入域を制限されてなかったよ」


 屋敷には侵入者への対処が施されている。許可されていなければ警告の後、指定の住人へ連絡が届く仕組みだ。


「死人扱いでもちゃんと更新しておいた方が良いんじゃない?」

「何の用だ」


 声に剣呑(けんのん)さが加わり、代は肩をすくめた。


「ここでする話でもない」


 厚かましい面に唾でも吐きかけてやりたかったが、背後の梅の木とそれに伴う記憶に思い留まる。


「…勝手に上がれ」


 唾の代わりに言葉を吐き捨て、庵は背を向けて縁側へ戻った。上がるときに目だけで後ろを見ると、代はまだ梅の木を見ていた。


 服を着替えようか迷ったが、代のためにわざわざそうすることへの抵抗感が勝り、ジャージのまま居間へ向かう。

 居間では前回と同じ椅子に代が腰掛けていた。


 やけに早く移動したな、と不審に思っていると、代がこちらの頭からつま先まで目を走らせた。


「ちょっと油断しすぎなんじゃないかな」


 憎んですらいる相手でありながら、まだ身内の会話のつもりでいた自分の不用心を、庵は呪った。


 六城家当主補佐としての対外交渉は既に始まっている。着崩した格好で場に遅れたのはこちらの失点だ。


 向かい合う椅子に座ると、感情を殺した目で尋ねた。


「用件は」

「いやぁ、場を和ましたかったからつい言ってみただけだよ、本気で取り合わなくていいって」

「用件は」


 喉に無理強いをして出したような低い声に、代はため息を一つ漏らすと、人当たりのよさそうな顔を作った。


「用件は当主が来てからだね」

「今は学校だ」

「ちゃんと通ってるみたいで何よりだよ」

「知っていてこの時間帯を選んだのか」


 代は苦笑した。


「まるで尋問だ」


 相手はニコリともしないが、気にならないらしい。


「家で仲良く話してるときに乗り込んで気まずくしたら悪いと思って。帰り着いたら靴が多い方が、あの子も心の準備ができるだろうから」


 物言いに何かがひっかるが、その正体が掴めない。


「そんな配慮をできるやつが、あの日を選ぶとはな」

「認めるよ、戦って疲労してる方がこっちのペースに持っていきやすいと思ったんだ。でも流石に泣いてるのを見たら良心が(とが)めてね」


 軽い調子で触れられる代の神経は、きっと庵とは作り方からして違うのだろう。


 こいつとは分かりあえないという認識を深めつつ、一番聞き出しておきたかったことに踏み込む。


「そりゃ十年ぶりに会った娘だ、涙も出るだろ」


 他人から見れば優し気な笑顔も、庵にとっては昔から腹が立つ薄ら笑いでしかない。


「なあ、何してたんだよ、あんたは、十年間も」


 口にした途端(よみがえ)った殺意が生々しい肌触りで寄りかかるのを、庵はそのままにした。


 返答次第で殺してやる。


「それも当主が来てからにするべきだと思わないかな」


 さして間を置かずに代は答えた。


「思わねぇな」


 しんとしていた空気がひりつく。

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