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With the Wind!  作者: 肉丸 もりお
薫風の運び手
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木曜 放課後(3)

 それと目立たぬよう適度にばらつかせながら「り」攻めをしてくる結に、鴎も「る」攻めで応戦し、思わぬ白熱の様相を呈したしりとりは、理外の理の返しを思いつかなかった鴎の負けで幕を閉じた。


「六城さん強いね」

「鴎くんもなかなか手ごわい相手でした」


 喋り疲れた鴎は少し姿勢を崩しつつ、いやいやと首を振った。しりとりが始まると結のポーカーフェイスは徹底され、鴎は結が「ルードヴィッヒはありですか?」と尋ねてくるまで「る」攻めが効いているのかもよくわからなかった。


 しかし、負けてしまっておいてこんなことを考えるのは情けないかもしれないが、頭を捻ってどうにか絞り出した言葉を交わすのは楽しかった。


 満足気な顔をしていた鴎は、共通の趣味があったこと、そして訊いてみたいことがあったのを思い出した。


「六城さんっ」


 話題を見つけたうれしさに、つい大きな声が出た。しりとりの熱を引きずっていたのかもしれない。何事かとこちらを見た結は、目を丸くしていた。


 意図しない大声を出してしまい、鴎は顔を赤くしながら


「ごめん、驚かせて」


 鴎のその様子を見た結は、表情を引っ込めて静かに促すような目でこちらを見ている。鴎は身に染み入るようなその優しさに感謝しつつ、早口に事を済ませようとした。


「こないだ万先生の話した時にさ、好きな本の話もしたでしょ? あのとき六城さん、僕がアルカンスの矜持が好きだって言ったら、何だか驚いてなかったかな」


 結もそのときのことを思い出したようで、ああという顔をする。


「もしかして、六城さんはあんまり好きじゃなかった? あの本」


 あれ?と、鴎は思う。話しやすいことのつもりだったのに、なんでこんなことを訊いたんだ。嫌いですね、夢物語じゃないですか、あんなの、なんて結も言い辛いはずだ。単に結の好きな本を訊けばよかった。


 鴎が内心選択を後悔していると


「いえ、私はあの本のことを…」


 そこまで口にした結は口を閉じ、少し考え込むように視線をさ迷わせた。明らかに迷う動き、それは結の思い切りの良さを目にしてきた鴎にとって意外だった。


「…鴎くんはどうしてあの本が好きなんですか?」


 遠慮がちな目にはこちらを覗くような光が宿っていて、そのことに戸惑いを覚える。しかし、そのとき屋上を吹き抜けた風に顔を撫でられ、少し視線を上げると、静かに切り出した。


「僕、昔ケガして、今も右足に少し傷が残ってるんだ」


 服の上から右足に触れる。布の下には楕円形のクレーターのような傷跡がある。見た目ほどに大きな傷ではないので、この触り方では凹凸の無いすべすべとした感触しか得られない。ただ、今でも鴎が力を込めると引きつるような痛みが走る。


「そのケガで入院してたとき、初めて読んだ本があれだったんだ。主人公が前向きでしょ? それで、読んでたらすごく元気をもらって、とっても好きになったんだよ」


 こうして聞いてみるとたいした話でもないな、と鴎は思った。しかし、現実に病院のベッドで時間を過ごした身にとっては人生を左右するほどに重要な出来事で、アルカンスの矜持にも並々ならぬ思い入れがあった。


 それを結に話す気になったのは、鴎自身不思議に思うところがあるが、横に座る相手ならそんな気持ちも汲み取ってくれるのではないかと期待していたのかもしれない。


 結は抱え込んだ膝へ目を向けたまま、しばらく沈黙していた。鴎が、答えてくれないのかもしれないと思ったとき、おもむろに口を開いた。


「里見君は、叔父から私の家族のことはもう訊いていますか?」

「…うん」


 遠慮がちにうなずきながら、庵に訊いたことを思い出す。母親が亡くなっていて、父親が行方不明。鴎が物語の中でしか見たことの無いような境遇、しかし目の前の女の子が確かに経験したことだ。


「私が子供のころは、六城の家もまだ大きくて、忙しい父は家を空けがちでした。たまに屋敷にいるときはよく構ってくれた記憶がありますが、でも、私がずっと一緒にいたのは、やっぱり叔父と母なんです」


 母、と口にしたとき、結の瞳には儚い光があった。ぽつりぽつりと(ささや)くような声は、語る言葉すらも丁重に扱うほど、結にとっては大切な思い出であるのが伝わってきた。


「叔父は日中学校に行っていたし、遊ぶような年の近い子が周りにいないのもあって、私は時間があれば母の後について回っていました」


 結の穏やかな声が風に乗ってこちらに届く。


「お母さん子だったんだ」


 つい口に出た鴎の言葉に、結は表情を柔らかくしながら頷いた。


「はい、かなりの」


 少し照れたように冗談めかしながら、結は言葉を続ける。


「大好きでした、母のことが。この喋り方も母のものが移ったんです。おいしいご飯を作ってくれて、いつも笑顔で話を聞いてくれて。今でも覚えています、近くにいると日向ぼっこをしているような気分でした…」


 そのときだけは隣に座る鴎を忘れ、結は思い出の中にいた。鴎はその横顔を黙って見つめる。どちらも言葉を発さない時間が過ぎる。敷物が風に煽られてカサカサと音を立てた。


「アルカンスの矜持を執筆したのは母です」

「…え?」


 目と口を見開き驚く鴎。結は鴎が事情を呑み込むまで待った。


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